んだんだ劇場2010年3月号 vol.135

No46−忙中快あり−

近々「トメアス紀行」のHP連載をはじめます

長らくのご無沙汰です。
今週から通常通り、この週刊ニュースを再開します。

つい先日までブラジル・アマゾンを旅していました。
ブラジルそのものはもう8回目なのですが、定点観測していたアマゾンの「トメアス」という日本人移民の村は5回目。そろそろ「こちらも年だし定点観測も最後だな」という気持ちもあり、ヨッコラショ、という感じで重い腰を上げ雨季真っただ中の熱帯雨林をうろついてきました。
その顛末は、近々このHP上で「トメアス紀行」として連載をはじめますのでご笑覧ください。

実は5回目とは言っても、このトメアスを訪れたのは15年ぶりです。
前回は95年ですから、かなりの時間がたってしまいました。これ以上時間が離れてしまうと定点観測の意味がなくなってしまうのですが、幸い95年以降、何人もこの村から出稼ぎに来たり、そのまま日本に定住してしまった村人がたくさんいて、その人たちからは折を見て話を聴く作業を続けていました。
ですからそれほど焦っていたわけではないのですが、やっぱりノンフィクションは実際に現場に行って確かめないと「とんでもないウソを書いてしまう」ことになりかねません。今回も新たな発見だけでなく、思い込みによる事実誤認や誤解をたくさん発見、反省しきりでした。

それにしても、還暦になってから地球の反対側への一人旅は、いろんな困難が予想されました。が、驚くほどスムースにスケジュールを消化することが出来ました。1日フルに休んだのは2週間で1日だけ、です。これは4年前から本格的に始めた山歩きのおかげですね。体力、気力、健康、取材、いずれも何の問題ありませんでした。体力がついたことは言うに及ばず、例えば荷物のパッキングが上手になったこと、寒暖に対する衣類の備えができたこと、携帯トイレやヘッドランプ、小さく折りたためるダウンジャケットや30リットルのリュック、みんな思った以上に役立ちました。

それとこれは年の甲なのでしょうが、旅先で体調を壊す怖さを、やはり山歩きで身をもって体験してきました。そのためでしょうか、肉類や強い地酒は敬遠し、野菜サラダや果物中心の食生活を実践してきました。行く前より帰ってきたときのほうが胃袋が小さくなり体調が良かったほどです。何はともあれ「自制」がきくようになったということでしょうか。


ここちよい忙しさの中で仕事をしています

春の愛読者DM(ダイレクトメール)の仕事がようやく一段落ついた。ホッとしている。年4回の通信だが、すっかりもう無明舎の大切な定例の仕事になってしまった。この年4回の「リズム」が、1年間の仕事の大きなアクセントになっているといっても過言ではない。新刊のチラシを数点つくり、文章の通信を書く。そこまでが私の仕事だ。それをデザイナーに渡し、チェックして印刷所に外注する。送信事務は他の人たちがやってくれるから、正味1週間が私の持ち時間で、仕事は完了する。終わるとヘトヘトになってしまうのだが心地よい疲れでもある。去年の暮れに出した冬DMは「新刊ゼロ」という、通信を出して初めてともいえる「不作」で落ち込んだ。が今回の春号は8点もの新刊があり、このばらつきは問題だが、新刊が多い号は自然と張り切ってしまう。

それにしても、まだ1週間にもなっていないのだが、日曜日に登った森吉山は素晴らしかった。まだその余韻をひきづってる。快晴に恵まれ、素晴らしい山行だった。めったにあんなにきれいな冬山を見ることもできないだろう。山をバックに撮ってもらった写真をさっそくデスクトップ画像に使っている。森吉山は樹氷が名物で、それにさらに青空がプラスされ、その景色のなかを縫うように、自在にスノーシューで歩きまわる快感はいわく言い難いものがある。

そんなわけで毎日、デスクトップ画面で零下10度の雪山の美しさにうっとりしているのだが、よくよく考えるとほんの10日ほど前まで私は気温40度近いブラジルの大地を走り回っていた。サンパウロの夕方の豪雨に驚いたり、アマゾンのムクインという小さな蚊に食われて痒さに閉口したりしていたのだ。それがあの雪山の、50度の温度差のある世界で、なんだか一挙にブラジルは遠い日の思い出のように感じられるようになった。ちょっぴり複雑な心境である。

それと今年は例年になく年明け早々から忙しい。舎内にもあわただしい空気とピリピリした緊張感が満ちている。みんなそれぞれ多くの仕事を抱えて、忙しいのだ。その忙しさは先の見えない重苦しさを伴ったものではなく、逆にようやく先の明かりが見えだした、光を伴ったものだ。少しでも長くこの忙しさ(緊張)が続いてくれれば、と祈っている今日この頃。


本を売るために必要なこと

本の宣伝に、本をつくる以上の労力を注ぐことは、うちではあまりない(よく言えば本の力に宣伝力を任せきっり。悪く言えば、出しっぱなし、である)。が、今月出した『ミラクルガール』はそういった意味でかなり特殊な本だ。刊行前からマスコミ・メディア対策を入念に行い、本が出たらその本を「お届け」し、さらに電話で取材のお願いを重ね、あいまいな対応をするメディアには、失礼を省みず何度も取材確認の電話を入れたりした。こんなことは長い舎歴の中でも、ほとんど例がない。

著者の大塚弓子さんは、31歳の若い独身女性。彼女のがん闘病記なのだが、がん患者であるだけでなく現在、宮城県の石巻赤十字病院で「リンパ浮腫セラピスト」として働く現役のがん医療従事者でもある。そんな経歴もあって、マスメディアは普通の本以上の関心をもって取材してくれているのだが、なかなかこれが形になって表に出ないのだ。もう2週間以上、マスメディア対策に忙殺され、メディア側も重い腰を上げて取材してくれてはいるのだが、オンエアーや全国区の紙面に登場とまでは至らないのである。

テレビや全国区の新聞が取り上げてくれれば(すでに取材はすんでいるのだが)、本はバーンと売れる予定なのだが、そううまくことははこばない。それはわかってはいるのだが、「何とかの生殺し」状態が2週間も続くと、いい加減疲れてくる。メディアのほうもいろんな事情があるのだろう。もう少し辛抱して待つしかない。

初期の予定では、もう増刷の準備に取り掛かり、その段取りができれば小生の役割は終了、数日間休みをもらって東北各地をブラブラ小旅行でもする目論見だった。でも人そう予定通りには進まない。今日出るか、明日は放映されるか、毎日固唾をのみながら、ここまできてしまった。
それにしてもメディアの取り上げ方次第で本の売れ部数が9割方決まってしまう、というのも怖い世界だ。理想は「本の力」で読者を勝手に獲得していく、というものだが、もうそんな世界はどこにもない。この『ミラクルガール』の県内テレビ取材でディレクターが「本屋さんの絵をとりたい」というので、駅前のジュンク堂を紹介したら、「それは、どんな書店なんですか?」と訊き返されてしまった。本を取り巻く世界はこの程度である。「本の力」なんて幻想なのかもしれない。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次