んだんだ劇場2010年5月号 vol.137

No48−ビリッケツはつらいよ−

バタバタ、アタフタの日々です

3月も終わってしまったなあ。
あれよあれよという間に、恐怖の4月も1週間が過ぎてしまった。
何度も書いているので恐縮だが、今月は増刷も合わせると7冊ほどの新刊が集中して出てしまう。できれば数点は5月連休前ぐらいまで延びてほしいのだが、それは叶わぬ夢だ。GWは印刷関係も当然お休みなわけで、彼らは突貫工事で意地でもGW前に仕事をすべて仕上げてしまおうとする。必然的に多くの仕掛かりの仕事が5月GW前に「出来上がってしまう」、というわけである。みんなが遊んでいるGW中に仕事をさせられるのは誰だって嫌だもんね(私はそうでもないが)。だから私の管理・調整不足だけが、集中刊行の原因ではないのだ(!)。って誰に弁解しているのやら。

新刊ラッシュの時期は毎日が緊張とストレスとの戦いでもある。本にミスはないか、内容的に問題をはらんでいないか、流通はスムースに行くか、予想通りの販促が出来るか、メディアの反応は、読者たちは……と心配はきりがない。
こうした新刊ラッシュが終わると、今度は次の本の「仕込み」作業に入るわけだが、準備はすでに始まっている。5月以降の編集作業の目玉は「イザベラ・バード」と「鳥海山」。どちらのテーマも複数の本を予定している。遅れに遅れてしまったが、夏から秋の小社の目玉になる本なので、この編集作業に忙殺されることになりそうだ。

それにしても今年は刊行点数が多くなりそうだなあ。例年より少しだが売れ行きも上向いている。書店の力は年々弱くなっているのは間違いないが、その分、こちらが販売網エリアは広がっている。広げないとやっていけないのだ。書評にとりあげてくれないメディアには何回も電話するし、とりあげてくれそうなところには丁寧に手紙を書く。著者の講演会には必ず本を売りに行くし、関連イベントでの本即売も積極的に参加する。とにかく書店をアテにしていたら、こちらも共倒れは必至。売る場所をせっせと開拓していくしか希望はない。
これからは積極的に自分の本のプロモーションの出来ない著者は、企画段階ではねられるような事態もくるのかもしれない。著者も出版社や本屋任せは許されない時代に入ったのだ。


「いつもと同じ」が一番

変わらずバタバタの日々だが、大きな峠は越した、かな(これからなにがあるかわからない)。
今月もうひとつの出版ラッシュが残っているが、それはピークがGW前だから、10日間ぐらいは余裕ができる計算だ。
余裕が出来ても、どこかへ旅行に行くとか、籠って原稿を書くとか、そんなことは考えていない。よく考えれば、2月に2週間も海外旅行でほっつき歩いているし、週末にはけっこうこまめに山歩きに抜け出している。おいしいものを食べたいとか、酔っぱらっていたいとか、読書三昧とか、仕事三昧とか、何かへ極端にベクトルが振れる傾向が、自分の中からすっかり影をひそめてしまったような気がする。

たとえば週末になると、以前はカミさんに「明日は何時に起きるの?」とよく訊かれた。週末は夜更かししたり寝溜めしたりする。だから午前中いっぱい寝ていることもあるのだ。今はそれもない。週末もいつもと変わらず定時に起きて、定時に朝ごはんを食べ、定時に事務所に出舎する。ここまでは普通のウイークディーとまったく変わらない。いや意識して同じスタイルを守っている。明日が休みだからといって寝溜めしたり夜更かしすると、翌日はてきめんに睡眠が浅くなり、生活リズムがくるって、けっきょく週明けに寝不足で、ヨレヨレで朝を迎えてしまう、といった経験を何回かして、「いつもと同じ」が一番ベターな選択とわかった。

山歩きのある週末は、緊張して早めに寝たり、晩酌を控えたり、入念に散歩とストレッチをして、体を「いつも以上に大切にケア」したりする。
実はこれも逆効果だった。必要以上に意識してしまうと緊張でいつものように眠られなくなる。いつもと違うことをすることで体内時計がくるい、妙に心身がすっきりと目覚めてしまい朝まで一睡もできない、ということが何回かあった。普通どおり、ちょっぴり早めに寝床に入るぐらいが、いいようだ。


誰かがバテると、急に元気になる

山歩きに夢中になりだして丸4年。この間、ほぼ週1回は何かしらの山や峠に出かけている。秋田市に拠点がある「あきた山の学校」(藤原優太郎代表)というサークルに籍を置いているのだが、学校行事がない時は一人で登ったり、県外の友人を誘って、東北各地の山行もできるようになった。山歩きがすっかり生活の一部になってしまった。

とはいうものの「山の学校」ではまだ新入生。もっとも新しいメンバー、新参者、初心者というのが小生の「立ち位置」である。
3年前、やっとひとり「後輩」ができた。小生以来の新人であるTさんは、年齢は数歳上の後輩だった。これでやっと新参者の肩書を下してもらえそうな雰囲気だったが、Tさんはそれほど出席率がいいわけでなく、あいもかわらず小生が最も下っ端の山行はつづいた。

2年前、もう一人、入校者があった。そのAさんもまた年上の後輩だった。
小生にとって2人目の後輩だが、この後輩、ただ者ではなかった。もう前期高齢者なのにスキーで鍛えたとてつもない強靭な足腰の持ち主で、学校でもトップクラスの体力を持つ「スーパー前期高齢者」だったのである。こうなると後輩というよりも見習うべきお手本新入生、といった感じで、Aさんのトレーニング法や装備を盗んでは勉強する、というびみょうな立場になってしまった。

なぜ、こんなに「後輩」にこだわるのか。それにはれっきとした理由がある。
山に登った人ならおわかりだろうが、自分よりヘタ(弱い)な人がいると、ガゼン元気が湧いてくるのが山登りである。逆に自分が一番ヘタレとわかると不安でバテ、ケガをしたりケイレンを起こす確率が高くなるスポーツなのである。「誰かがバテると、急に元気になる」ふしぎな駆け引きが横行する世界なのである。だから自分より体力の弱い後輩の存在は、山では何より心強い味方、なのである。

その唯一といっていい「味方」だったTさんが入院した。先日、もう一人の後輩であるAさんと2人、Tさんのお見舞いに行ってきた。後輩というもののAさんはスーパー前期高齢者なので別格、またしばらくは山歩きのビリッケツは小生、ということになってしまった。
Tさん、はやく現場復帰してよネ、後輩としてかわいがってあげるから。


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