んだんだ劇場2010年11月号 vol.142

No53−紅葉とドイツ−

ドイツで考えたこと(上)

10月初旬、ドイツ南西部・フライブルクの街を拠点に、クラインガルテン(市民農園)やグリーンツーリズム(農家民宿)を視察旅行してきた。友人のフリージャーナリストが主催する10人ほどのツアーで、参加者のほとんどが関西や九州の首長と市議である。
東北からはもちろん一人で、公務員でもないので肩身が狭かったが、皆さん、個性的な方々で、旅の間問題もなく、楽しく過ごしてきた。
実はずっとドイツに行きたくて機会を狙ってきたのだが、なかなかそのチャンスがなかった。

ドイツ行きを何度も進めてくれたのは山崎光博さんだ。小生より3歳年上で気があって、よく酒を飲んでいた。もう10年ほど前のことである。
彼とは秋田の県立大学短期大学部の教授だったころに知り合った。すぐに研究テーマであるグリーンツーリズムが認められ、母校の明治大学農学部教授として招へいされ東京に転居した。転居してからも秋田への未練たちがたかったようでアパートは借りたままにし、菅江真澄が絶賛した県北部の風景を後世に残す古民家と農村風景の保存運動などを続けていた。

21世紀初頭、私も東京に事務所があったので、山崎さんとは東京でも何度か会うようになった。友人の少ない東京のいい飲み友達だった。
その山崎さんが会うたびに「ドイツのグリーンツーリズムはすごいよ、今度一緒に行こうよ」と誘われた。何度か誘われていくうちに興味がわいてきた。よし、行ってみよう、と心を決めたころ突然、山崎さんはガンで他界。58歳の若すぎる死だった。

グリーンツーリズムを知る前、もう30年以上前だが、秋田で「クラインガルテン」という聞きなれない言葉を聞いた。そのドイツの市民農園で秋田の農村振興に役立てよう、と言い出した人物が現れたのである。日本でも早い時期からクラインガルテンを研究していた県立農業短大専任講師・青木辰司先生だった。これにも興味がわき、青木先生のお話を何度かききに行った覚えがある。その青木先生もクラインガルテンなどの先鋭的な研究が認められ東洋大学社会学部教授になってしまったが、グリーンツーリズムもクラインガルテンも、秋田県人にはけっこう早い時期から人口に膾炙した言葉だったのである。

そんな前歴もあり、今回、うちの著者でもあり農業や食のフリージャーナリストである金丸弘美さんからのお誘いで、念願のドイツへの旅となったわけである。


ドイツで考えたこと(下)

実は今回のメインの訪問先であるあるフライブルクという都市については、ほとんど予備知識がなかった。クラインガルテンや農家民宿について若干の知識があったぐらいだ。
フライブルクは人口約22万、秋田市によく似た気候風土の都市だ。ドイツといえば、すぐに思い浮かぶのはルターの宗教改革で、そのためドイツはプロテスタントの牙城だとばかり思い込んでいたのだが、ここ南ドイツは圧倒的にカトリックの多い地域だということも知らなかった。
それにしてもフライブルクの「パークアンドライド」には改めて驚いた。朝早く街を散歩していると、多くの市民がまだ暗闇のなかを自転車で白い息を吐きながら通勤していく。バスやトラムも満員だ。みんな郊外まで自家用車で出てきてもパークアンドライドで車を乗り捨て、トラムやバスに乗り換えて市街地へ向かう。その市街地の人ごみの多さは夜の仙台国分町並み。平日でも前をみていないとぶつかってしまいそうな混雑だ。とても22万都市とは信じられない。いやはや驚いた。

そのフライブルク市のことを、いろんな媒体に書こうと思っていたのだが、帰ってきて、近辺の人にフライブルク市のことを話すと、驚いたことに多くの人が「ああ、あそこ行ったの。おれも行ったことあるよ」と判で押したような返事が返ってきた。ええっ、フライブルクって、秋田ではそんなに有名なところだったの。
90年のバブル当時は市町村職員の「フライブル詣」というのは有名で言葉で、かなりの数の田舎の公務員たちが「公費(税金)視察出張」でこの街を訪れていたのである。オレは一周遅れのランナーか。そういえばツアーに付いてくれた通訳やコーディネーターの方々は見事なほどツアー客のあしらいに長けていた。かゆい所に手の届くアテンドである。後からフライブルクの日本人に聞いたところ、90年代はあまりに日本からの視察旅行が多いため通訳の仕事で豪邸を建てアシスタントも多数雇っていた人もでたくらいだそうである。

そんなこんなでドイツのことを書いたり話したりする気力が一挙に萎えてしまった。と同時にもうひとつ、こんなこともあった。
ドイツ旅行を終え、成田に着き新幹線でわが家に到着したのは、その日の夕方だった。翌朝朝5時に起き、前から予定に入れていた奥宮山(おくみやさん・760m)に登った。時差ボケ解消にはちょうどいいハイキングのつもりだった。奥宮山は県内の山好きでもたぶん知らない無名の山である。登ったことのある人は地元住民を除けばごくわずかなもの。中世、秋田県南部を領有した小野寺氏配下の落武者が拓いたといわれる湯沢市皆瀬の若畑集落に登山口がある。広葉樹林の急斜面を登るとすぐ稜線に出る。そこからヤブ道をたどると急峻な岩尾根があらわれ、ロッククライミング並の登りが続く。南北に切れ落ちた岩稜はスリリングで低山ながらあなどれない。登りに2時間、下りの2時間という、なんとも魅力的な「2時間で味わえる北アルプス」のようなスリリングな低山だった。
その山頂で考えた。秋田県民にとって、このアドベンチャー満載で村人の信仰がつまった秘峰と、ドイツの環境先進都市フライブルクの知名度は、どちらが上なのだろうか、と。
異国の都市計画や環境政策を学ぶのも大切だが、身近な足元の宝ものを、この日まで私自身まったく知らなかったのだ。それが少し恥ずかしかった。


紅葉を追って

10月も終わってしまった。
初旬にドイツに行ったので、秋の一番の楽しみである「紅葉」を楽しむ回数が減りそうなことが心残りだったが、南ドイツも赤は少ないがけっこうきれいな紅葉だった。赤が足らないのはその昔カエデの木が大量に切られた歴史的背景があるようだ。ドイツの人たちは「紅葉」にはまったくといっていいほど反応しない。逆にツアーの九州から来た人たちが、落葉樹の落ち葉やリンゴの木に大げさなほど感動していたのが印象的だった。そうか九州のほうでは落ち葉の上を歩いたり、リンゴの木を観る機会って、少ないんだ。

ドイツから帰ってきて、そんなわけで、むさぼるように山行を繰り返している。帰った翌日は奥宮山(湯沢市)で翌週は甑岳(真室川)、次の週は安比岳(八幡平市)という具合。でもどこも紅葉は今一つだ。山で一体何が起きているのだろうか。ドイツでみた紅葉が一番きれいだった、で終わってしまうのは、ちょっと悔しい。

で今週(月末)は八甲田山(青森市)。ロープウエイ登口にすでに積雪。「これは山は無理か」とも思ったのだが、とりあえず行ってみることに。登山客はほとんどいなかったが、観光客の数がすごかった。最後の紅葉を観に来たのだ。登りはじめると、雪の重みで登山道に木のトンネルができていた。その下をくぐるように這い登らなければならない。これはこたえた。雪中行軍そのものではないか。どうにかピークの赤倉岳に登り、そこから大岳を回って酢ケ湯温泉に下りる縦断ルートだったがガスがひどくなり視界が利かなくなり、さらに雪でルートがわからなくなった。ほうほうのていで大岳避難小屋にたどり着き、そこから戻ることにした。往復4時間、匍匐前進つき登山である。ここでも紅葉には振られてしまった。

その日は黒石の温泉に泊まり翌朝、十和田市に寄った。そこへ行く途中、国道103号(蔦温泉付近)で、ついに「これぞ紅葉ッ」と叫びたくなるような紅葉トンネルに出会った。とにかく何キロも続く見事な紅葉回廊で、ようやくくすぶっていた不満がすかっと解消された。
十和田市では話題の「バラ焼き」を食べ、現代美術館を観て帰ってきた。
一人でこんなに車を走らせたのも久しぶりだが、念願の「2010年の紅葉」を観ることができて大満足。しっかりあの風景を胸に刻み、冬に備えよう。


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