映画・東京・居酒屋「行かない」づくし
ここ数カ月、まったく映画を観てない。映画館には行かないし、レンタルショップにも足を向けない。ネットでも借りないし、テレビ放映映画も観る気がしない。観たいという欲望がふしぎにも起きないのだ。ドイツ旅行の機内ではしょうがなく何本か観たが、どうにも全身をフィクションの世界にゆだねるだけの「心身の余裕」がないのかもしれない。観たいなあと思う映画もほとんどない。あッ、「トイレット」は観たいか。でもこれはなかなか上映館を探すのが難しそうだ。ウディ・アレンの新作も観たいけど、どうなってるのかな。
映画だけでない。東京にもほとんど足が向かなくなった。興味がまったくなくなってしまったのだ。あの刺激的な街に身を置くことの重要性をシュミレーションしてみたりするのだが、夜、ホテルに帰って密室で10時間近く過ごすのは、どう考えてもウンザリ。これは今年前半に自分の寝室を徹底的にリフォームして、ここで過ごす時間がすっかり「たからもの」になってしまったことも影響している。
居酒屋にも行かなくなった。あの若者の行く居酒屋のチェーン店がいっときおもしろいなあ、と思って通ったこともあるのだが、やはりどう考えても、一人で行くと肴の量が多い。気を使うし接客の若者がうるさい。料理人の大声で飛ぶ「つば」が汚ならしい。もちろん味はすべて大味でうまいとはほど遠い。肴の量は蕎麦屋ぐらい粗末なほうがいい。酒の飲める蕎麦屋があれば、たぶん週に1回は通うような気がするのだが、残念ながらそんな気の利いた蕎麦屋はない。けっきょく20年来通い続けている「和食みなみ」というなじみの居酒屋以外は、とんと足が向かなくなった。
こんなふうに年齢を重ねる毎に自分の慣習が静かに変動していく。ここ4年間、まったく変わらず、逆にのめり込みが激しくなっているのは「山行」だけだ。山は飽きるどころかますます思いは募るばかり。いや、山だけじゃなかった。実は少し恥ずかしいのだが、「本をつくる仕事」にこの1,2年、新鮮な気持ちで取り組んでいる。何をいまさら、といわれそうだが、この年になってようやく本をつくる喜びや楽しみ、だいご味が、少しわかりはじめてきた。40年近く同じ仕事をしてきているのに、ま、こんなもんなのかもしれない。
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