んだんだ劇場2010年6月号 vol.138
No72
枯れてしまった楓の木

真紅の花芽が美しかったのに
 「枯れたみたいだな」
 4月24日の土曜日、父親がポツリと言った。やはり、そうか。そうだろうと思ってはいたが、父親に言われると、引導を渡されたようで、悲しかった。
 枯れたのは、畑と花壇の境界に植えていた楓(カエデ)の木である。

枯れてしまった楓
 この楓は、千葉県佐倉市に住んでいた頃、農家から借りて耕していた畑の隅に芽生えたのを1998年秋、房総半島、いすみ市に引っ越す際、植木鉢に移して持ってきたものだ。家の東側を流れる落合川を見下ろすように椎の巨木が2本あって、楓の苗は、やはり川を見下ろすように植えた。日当たりはよくないのに、ひょろひょろと育ち、人の背丈くらいになった2004年の秋、台風の水害で川べりの崖が崩れた。椎の木も、楓も、かろうじて川へ転落するのをまぬかれたが、地面がこれ以上崩れないよう仮復旧工事をするというので、楓を掘り起こし、大きな木の桶に入れて庭の隅に置いた。
 本格的な河川改修工事が行われたのは翌年の秋で、それが済んでから、楓をこの位置に植えた。日当たりがよくなったせいか、楓はぐんぐん育ち、根元は両手で包んでやっと指が届くくらいの太さになった。
 ……それが突然、枯れたのである。
 寒いうちから異変には気づいていた。こまかい枝に、葉を広げるはずの新芽が見えない。それどころか、細かい枝そのものが極端に少ない。木の肌が黒ずんでいる。なんらかの異状が起きたのは間違いないが、樹木はこうした状態になっても、春になれば根元から新しい芽が出てくることがある。それを期待していたのだが……。
 父親は「コンポスターの位置が悪かったのかな」と言った。昨年の秋、生ごみを地中に埋めて腐らせ、土の養分にするためのコンポスターを、楓の根が届いている辺りに据え付けた。穴を掘ったのは私だ。深さは50〜60センチ。楓の根を傷めたとは思っていなかった。が、生ごみが腐って行く途中で、さまざまなガスが発生する。それが悪影響を及ぼしたのかもしれない。
 もともと、土質はあまりよくない土地だ。わが家では30センチほどの厚さに、ほかから運んだ土を入れて畑にしたが、その下には、岩石とも、粘土ともつかない青緑色の土が広がっている。かたまりを取り出すと石なのに、日光にさらしておくと2、3か月で自然にひび割れ、ボロボロになってしまう。房総半島には、そんな地層が広がっている。実はわが家の畑で、木が突然枯れたのは、今回が初めてではない。山椒の木などは、今植えてあるのが4代目だ。初代、2代は、苗木を買って植えて、1年たたないうちに枯れた。4代目は、父親がよほど深く地面を掘り、培養土などを入れたせいか、2年目の今年も葉を広げている。畑の南寄りに植えた2本のサクランボの木も、勢いが悪い。全部の樹種がそうではないのだけれど、土地との相性はあるのかもしれない。
 そんな気配は昨年秋までちっともなかったのに、楓が枯れたのは悲しい。それで、写真を撮った。元気だった頃の楓の木の写真は、探したが見つからなかった。温暖の地、房総半島では、あざやかな紅葉は見られず、この楓も、いつの間にか緑色から一足飛びに枯れ色になって冬を迎えていた。写真を撮りたいと思わなかったのだ。
 でも、探したら、「花芽」の写真があった。4月中旬、葉の付け根に、真紅の花芽が現れる。もう少し経つとこれが開いて受粉し、やがてプロペラのような形のタネが風に舞う。タネは四方に着地して芽生える。
 枯れた木の根元にあった植木鉢に、この木の命が受け継がれていた。この苗を鉢に植えたのは、かみさんだろうか。ありがたい。
 佐倉から持って来たときの楓も、ちょうどこれくらいの大きさだったような覚えがある。また10年、この苗が木が育つのを見守ろう。

紅がきれいな楓の花芽

命は受け継がれていた……楓の苗

株分けしたアヤメが咲いた
 ゴールデンウィークは家に帰らず、名古屋の単身宅でいろいろな原稿を書いていた。5月7日の金曜に家に帰ると、アヤメが咲いていた。かみさんが、たった1株買って来て花壇に植え、それが10本ほどの株になった2005年の春先、月桂樹のわきに移植し、さら株が大きくなって、このままでは根詰まりを起こしそうなので、今年3月初旬、私が株を6つに切り分けて植え直した。それが見事に咲きそろったのである。品種は「さきがけ」というそうだ。

株を掘り起こして6つに分けた

見事に咲きそろったアヤメ
 ところで、「六日の菖蒲(あやめ)、十日の菊」という言葉がある。5月5日は端午の節句、9月9日は重陽の節句で、次の日に菖蒲や菊を持って来ても意味が無いということで、肝心な時に間に合わないたとえである。が、それは旧暦のこと。新暦の5月7日にアヤメをめでても、なんらさしつかえはない。
 ついでに言うと、アヤメと花ショウブは、区別がつけにくい。どちらも漢字では「菖蒲」と書き、分類上もアヤメ科アヤメ属の植物である。専門家は細かい点で識別するが、水のない畑に咲いていれば「アヤメ」と思って、ほぼ間違いはない。これから各地の菖蒲園で見ごろを迎える花ショウブは、湿地か水辺に咲く。花の時期もアヤメより遅く、旧暦5月5日ごろに咲きそろうようだ。
 またまた「ついでに」言うと、端午の節句に入る「菖蒲湯」の菖蒲は、アヤメ科ではなく、サトイモ科のまったく別の植物だから、話がややこしい。サトイモ科の「菖蒲」には、葉、茎それぞれに薬効成分があり、古来、薬湯として用いられてきた。端午の節句に軒端に挿したりするのも、それが「邪気を払う」と言われてきたからだ。だから「六日の菖蒲(あやめ)」というのは、本当はサトイモ科の菖蒲のこと。そして、男の子の節句に「勝負」とか「尚武」という語呂がいいので喜ばれても来た。
 俳句を勉強したから、この程度は「基礎知識」なのだが、最近はジャーマンアイリスという外国産の園芸品種も普及して、さらにややこしくなっている。
 平安時代に「ほととぎす鳴くやさつきのあやめ草 あやめも知らぬ恋もするかな」という短歌があった(作者は忘れた)。「ほととぎす〜あやめ草」は、そのあとの「あやめ」を導き出す「序詞」(じょことば)の例として、高校の古典の教科書には必ずと言っていいほど掲載されている歌だ。後段は、「アヤメ」と、「文目」(あやめ)あるいは「綾目」をかけて、「入り組んで、どうほぐれるかわからない恋心」を表現したとされているけれど、そんな言葉遊びはやめて、アヤメと花ショウブと菖蒲(サトイモ科)の区別ぐらい平安の昔から、ちゃんとしておいてほしかったな、と、ご先祖様に言いたくなる。

裏の土手で初めてのワラビ採り
 「んだんだ劇場」の2007年8月号に収録されている「ワラビ畑」という話を、覚えていらっしゃるだろうか。その年の春に、父親が種苗会社からワラビを8株購入して家の裏の土手に植え、「今度の冬に植え替えるから」と、7月の暑い盛り、土手の整地に私が駆り出された話である。
 土質と日当たりがよかったのだろうか、ワラビはその後、あきれるほどに繁茂し続け、思いがけない場所にも芽を出すようになった。そして、ついに今年、「十分に数が増えたから、食べるぞ」と、父親が宣言した。

芽を出したワラビ

1日の収穫
 東北人にとって、ワラビは故郷の味のようなものだ。福島県から移り住んだ父親の熱意は、並大抵ではなかった。私には、とてもそこまでの執着心はない。で、実は、父親は同じ春、ゼンマイも何株か購入し、家の真裏にある椎の木の根元に植えた。これは芽が綿毛にくるまれていて、なんだかかわいい。けれどゼンマイは、ちっとも増えない。ワラビより栽培は難しい、とは聞いていたけれど、さて、どうやって増やすのか、ちょっと悩んでいる。

ゼンマイの綿毛

伊賀上野の豆腐田楽
 先日、いま勤めているNEXCO中日本(中日本高速道路)の同僚、Mさんに誘われて三重県上野市へ行ってきた。伊賀忍者の里であり、荒木又右衛門の「決闘鍵屋の辻」があり、芭蕉の生まれ故郷でもある伊賀上野だ。そして、Mさんの故郷でもある。
 名古屋支社が求めに応じて全国どこでも開催している「高速道路交通安全教室」(来てくれと言われれば、実際、北海道でも九州でも開催していて、年間2万人を超える方々が受講している)の講師を、「故郷だから、ぜひ、やりたい」と、Mさんが手を挙げ、私は、社内報用の写真を撮るために同行した。
 教室の依頼主は上野市の税務署で、開講は午後から。で、「昼食は、ぜひ、ここに」と、Mさんは、江戸時代の文化年間(1804から1818)創業という、伊賀名物「豆腐田楽」の老舗、「田楽座 わかや」へ案内してくれた。
 魚介類の乏しい内陸の伊賀では、昔から、大豆を作り、豆腐を常食にしていたという。その豆腐に、やはり大豆から作る味噌を塗り、あぶって香ばしさを加えた豆腐田楽は、伊賀地方の家庭の味として広まり、「わかや」は旅人に供して「伊賀名物」の評判を得たという。と言っても、味噌田楽は伊賀の専売特許ではなく、各地にあって、豆腐だけでなく、コンニャクや川魚にも応用され、「さらには竹串を失った現在の煮込み田楽(おでん)にまで至ります」と、「わかや」のパンフレットにあった。

「田楽座 わかや」では炭火で豆腐田楽を焼いている

「わかや」の豆腐田楽定食
 まず、豆腐田楽だけを食べる。ちょっと甘みのある味噌がうまい。豆腐自体も味が深い。次に、豆腐を串からはずしてご飯に載せ、その味噌で飯を食う。これまた、美味。山里の味わい、と言ったらいいだろうか。定食についてきたゼンマイやタケノコの炊き合わせも、飾り気のない味で、堪能できた。
 小さい頃から、家でこれを食べていたというMさんは、「わざわざ金を払って食べるというのは、ちょっと抵抗あるんですよ、私ら地元民には。でも、ここ(わかや)の豆腐田楽は、やっぱりうまいと思う」と言いながら、箸を動かしていた。
 実は、「教室」が終わってから、Mさんに「一度は食べてみてほしい」と薦められ、とんかちで割らないと食べられない、とんでもなく硬い「せんべい」を買い求めた。その話を書き始めると、また長くなるので、それは次回の「房総半島スローフード日記」で……お楽しみに!
(2010年5月16日)


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次