んだんだ劇場2010年11月号 vol.142
No76
10月の彼岸花

森澄雄追悼
 10月9日の土曜日、東京・早稲田のホテルで「『杉』40周年のつどい」があった。『杉』は、8月18日に亡くなった師、森澄雄の主宰する俳誌である。「つどい」は1年も前から会場を決めていて、「40周年」の記念大会を予定していたのが、はからずも師の追悼会になってしまった。

祭壇に飾られた森澄雄の遺影
 例年だと、夜の酒宴にもいろいろな余興があるのだが、今回は久しぶりに会った仲間との歓談だけで、私も泊まって「歓談の続き」をする気にはなれず、JR外房線の遅い列車で房総半島、千葉県いすみ市の家に帰った。
 翌日、畑を見回ったら、南側の防風ネットに沿って、彼岸花が咲いていた。いつもなら秋の彼岸の9月下旬に咲きそろうのだが、今年はそのころ、まったく気配も見えず、父親が「枯れてしまったのか」と心配していた彼岸花である。これも今年の長い夏のせいだろう。やっと「秋になったのか」と地中の球根が気づいて茎を地上に伸ばし、花を咲かせたのだ。私としては、彼岸にいる先生の遺影に掌を合わせるのを見はからったように、この花が咲いてくれたのかと、ちょっと不思議な思いもした。

10月になって咲いた彼岸花

同じ峠に明治、大正、昭和、平成のトンネル
 10月15日の金曜、いま私が勤めているNEXCO中日本(中日本高速道路)の静岡工事事務所を訪ねた。翌日の土曜日、今は藤枝市になった旧岡部町で2年に1度行われる、空にロケットを打ち上げる祭り「朝比奈大龍勢(おおりゅうせい)」に事務所が参加し、それを機に歴代の静岡工事事務所長らが集まるから、前日に、建設中の新東名高速の現場案内をしてくれると聞いて、社内報の取材を兼ねて出かけたのだ。「朝比奈大龍勢」については、この無明舎出版ホームページの「んだんだ劇場」を開いて、バックナンバーの2008年11月号に詳しく書いてあるので、ぜひ読んでほしい。のどかな山間の地に、華々しく手製のロケットが打ち上がり、色とりどりのパラシュートが飛び出す楽しい祭りだ。
 新東名高速道路は、あと2年も経たないうちに静岡県内が開通する予定で、機会を得て現場を見に行くたびに、もうこんなに姿が見えて来たのかと驚かされる。が、今回は、そのほかにも見たい場所があって、「ついでに」とお願いして連れて行ってもらった。
 それは、静岡市と、その西側の藤枝市岡部町(旧岡部町)の境にある宇津ノ谷峠である。旧東海道の丸子宿と岡部宿の間の峠、と言った方がよいかもしれない。
 ここに、明治、大正、昭和、平成の4つの時代に建設されたトンネルがあって、しかもすべて現役の、通行可能なトンネルなのである。こんな場所は、ほかにはない。
 明治のトンネルは、江戸時代に峠を越える旅人が一服した宇津ノ谷集落のすぐ上にある。交通量が増えて、峠を越えるのが不便だからと明治7年(1874)、地元の有志が結社を作ってトンネル掘削に着手し、明治9年、日本で初めての有料トンネルとして開通した。当初は途中で「く」の字に曲がったトンネルだったが、明治29年に火災で木製の支柱が焼失したため、半分を掘り直して直線にし、明治37年、長さ203メートルの赤レンガ造りのトンネルになった。

宇津ノ谷峠の「明治のトンネル
 私たちは、集落の反対側で車を下り、トンネルを歩いて抜けた。高さ3・6メートル、幅5・4メートル。自動車は通れないが、大勢の旅人が歩くには十分な広さだ。内部のレンガ壁もしっかりしている。平成9年、現役のトンネルとしては初めて、近代の土木遺産として国の登録文化財に指定された。
 しかし、自動車の普及によって、このトンネルでは対応できなくなり、少し北側の高い場所に大正15年(1926)、新しいトンネル建設が始まった。完成したのは昭和5年(1930)だが、着手した時代から「大正のトンネル」と呼ばれている。

宇津ノ谷峠の「大正のトンネル」
 「明治のトンネル」に比べて、こちらは横に広い「カマボコ形」の間口だ。建築技術の進歩で、こういう形の断面が可能になったという。そしてこの道路は、トラックがすれ違える現役の県道208号「藤枝静岡線」である。
 戦後の急速な自動車時代の到来で、ずっと南側の低い場所に昭和34年(1959)、国道1号のトンネルができ、それでも間に合わなくなってそのわきに平成10年(1998)、もう1本、国道1号下り線トンネルができて、昭和のトンネルは2車線の上り線トンネルとなった。ひっきりなしに車が行きかうこの2本のトンネルは、どこにでもある現代のトンネルなので写真は撮らなかった。時々、この辺りで渋滞が起きると、地元の人は大正のトンネルに迂回するという。
 さて、家に戻っていろいろ調べたら、明治のトンネルの上には、平安時代の「蔦の細道」が復元・整備されているという。途中には、在原業平が詠んだという「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢わぬなりけり」の歌碑があるという古道だ。その歌のとおりなら、ずいぶんと寂しい山道だったのだろう。この道があまりにも細いので、豊臣秀吉が小田原攻めの軍勢を通すために、その後の東海道となる新道を造らせたといい、それが「明治のトンネル」に重なる道筋である。
 ということは、この峠はまるで日本の道の歴史の縮図じゃないか。機会があれば、次は「蔦の細道」を歩いてみたい。
(2010年10月26日)


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