遠田耕平
再開 しばらく休ませていただいた。申し訳ない。なぜ申し訳ないかというと、自分で勝手に休んでしまったからです。こういう勝手はよくない。僕の「んだんだ…」の出場回数も9年で100回を超え、そろそろ本にでもまとめる頃かなあとふと思ってしまったのがいけない。編集長に相談すると、このままではとても本にはならないので、書き方を変えないと無理です、と率直な忠告を受けた。途端に筆が止まってしまった。 僕は単純である。読者を意識して、残るべき小品となるためには、、、なんて考えたらどうしていいかわからなくなってしまったのである。それなら自然に筆が動くまで待とうかと思って休んでみたのであるが、今度は筆が少しも動かなくなってしまった。一向に筆は動かない。 某大手鉄鋼メーカーにいる親友に「最近、んだんだが更新されていないようだけどどうしんだ?」と聞かれたので事情を説明すると。「そいつは無理だろう。」という。つまり、誰もそんなまともな小品ができることなんて期待していないというのである。「でも、読みたい読者はいるんだから、無責任な言い方かも知れないけどとにかく書いたらどうだ?」という。なるほど。 僕が愛読している内田樹氏(神戸女子学院大学教授、フランス文学思想史)のブログなどは1000回以上を書き続けている。そしてその内容の格調の高さはそのまますぐに本になってしまうほどだからすごい人はいるものである。 まあ、僕の親友いわく、そう高望みをしないでお前の身の丈で行け、ということである。そう思った瞬間に筆が少し動いた。僕は本当に単純である。 独立記念日 暦はあっという間に9月に入ってしまった。そろそろハノイに異動してから怒涛の一年が過ぎようとしているのだから思えば早い。9月ハノイはもう秋に入ったと巷でいうのであるが、やはりまだ蒸し蒸しと暑い。それでも、今年の日本の暑さから比べれば少しはいいのかもしれない。 9月2日の独立記念日はベトナム人にとっては大切な日である。65年前の今日、ジャングルでゲリラ活動をしていたあのホーおじさん(ホーチミン)が1945年8月の日本軍撤退とともにハノイの町に現れたのである。フランスが植民地支配の継続のために戻ってくる前のわずかな隙間を見計らって、ハノイ市街のオペラハウスの前で有名な演説をした日である。 その演説が、「独立と自由に勝るものなし」(コンコジークイホンダクラップツーヂュー)である。演説が終わるとホーおじさんはゲリラを率いてジャングルに戻るのであるが、この言葉はベトナム人の心を奮い立たせた。1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランスに大打撃を与え、フランスを撤退に導くき、北緯17度線以北の独立を達成するのである。 そしてアメリカが加入するベトナム戦争が始まる。その後も無数のベトナムの兵士たちがホーおじさんのこの言葉を胸に戦場に散った。そして1975年4月ベトナム戦争終結、南ベトナムの解放にいたるのである。 しかし、今のハノイは隔世の感がある。街中では若者たちが髪を染め、胸や脚を大胆に露出し、ズボンやスカートを腰まで下げて、バイクで街中を走り回る。ホーおじさんの話は、随分と遠い昔の話のように思える。 考えれば終戦35年だ。日本に当てはめてみれば、戦争体験の風化を意識し始めた頃かもしれない。僕はもちろん太平洋戦争を体験した世代ではないが、ベトナム戦争、カンボジアの内戦は僕の人生と平行してリアルタイムの事象である。同じ歳や年上の人たちの体験談を聞くにつけ、他人事とは思えなかったものだが、戦後生まれの若者たちの捉え方は違う。どう戦争体験を伝えるか、バブル景気の真っ只中のベトナムやカンボジアに今問われているのかもしれない。 ベトナムで麻疹の全国一斉ワクチンキャンペーン始まる 以前にもご報告したが、麻疹(はしか)が昨年からベトナムで大流行を続けている。昨年から一万人以上の確定患者が全国から報告され、その患者は6歳以下の児童と20歳前後の青年層の二つの年齢層にほぼ集中している。 WHOはアメリカが主導したアメリカ大陸での麻疹根絶の成功(今のところ)を受けてアジア、ヨーロッパ、アフリカでも天然痘、ポリオ(小児麻痺)に次ぐ根絶根絶事業として支援しているのである。 ポリオの世界根絶も終わらず、ポリオワクチンも止められず、ダラダラと高額な費用をその維持に使ってる最中であるにも拘らず、天然痘よりもポリオよりも伝染力のはるかに高い麻疹のウイルスの根絶?と思われる方は常識がある。 麻疹ワクチンはインフルエンザ同様、飛沫感染だけでなく、空気中を浮遊する空気感染もある。日本でも学校での流行が多く、学級閉鎖などで感染の拡大を防ぐ処置は講じられるが、ワクチンで伝播を絶つという議論はされなかった。 アメリカ主導の麻疹根絶とは?その理論と実践 伝播を絶つことは不可能だと思われた麻疹であるが、1990年代に入ってアメリカの疾病対策局(CDC)は麻疹の根絶が可能だと証明した。条件は2回接種が定期化し、ワクチンの2回の接種率が95%以上で、人口全体の免疫力が95%以上になるならということである。 これはとてもハードルの高い条件である。実はアメリカ自身は一度もワクチンキャンペーンはやっていない。2回の定期接種と徹底した就学、就労時のワクチンの完全接種の確認、もし受けていなければ就学も就労もできないという法制の施行で成功した。 この法制化はもちろん予防接種による公衆衛生的見地からは理想的だと言えるが、予防接種を就学、就労の条件にすることが可能な国はアメリカ以外にない。その後、中南米の各国ではアメリカの支援のもと、大規模な麻疹キャンペーンが風疹ワクチンと抱き合わせできわめて広範な年齢層に実施され、現在(一応)、輸入例を例外にはないことになった。 しかし人口密度がアジア地域に比べて低いアメリカ大陸で、広範な年齢層でのキャンペーンをし、アメリカの支援があったからこそ可能であったとも言える。現在も定期の予防接種率が低い中米やカリブの国々では近い将来、輸入例から大流行が起こらないとは断言できない。 定期予防接種率の低い多くの途上国、特にアフリカやインドではかなり無理な根絶条件ではある。しかし、これらの国ではたくさんの子供たちが現在も麻疹で命を落としていることも事実だ。安価な麻疹のワクチンがあれば救える命でもある。 MDG(西暦2000年開発目標)とあわせて麻疹の根絶が国連で採択され、資金不足の中、この10年間麻疹根絶計画はアメリカ主導で推進されてきた。そのお陰というのも変だが、確かにアフリカでの麻疹の死亡はこの10年で90%減少し、世界で見ても78%減少したと推定されれた。ただ、「根絶」という最後の一歩は遥かに難しいのである。
アジア、西太平洋地域の現状 現実をしっかりと見れば、柳の下にそうたくさんはどじょうはいないだろうと思うのであるが、この地域もアメリカ大陸の動きに準じた。 日本、中国、オーストリア、インドシナを含むこのアジア西太平洋地域ではポリオの地域根絶が成功した後、2000年代に入るとWHOの主導で麻疹のワクチン一斉投与が各国で行われる。特に乳児から10〜15歳(国によって異なる)に至る全年齢層を対称にする巨大なワクチンキャンペーンが、麻疹の流行が続く中国のいくつかの県を含む東南アジアの各国で実施された。 その後、ワクチンキャンペーンは功を奏し、麻疹の患者数は大幅な減少を見せる。その勢いに乗り、WHOの地域事務局は2006年に2012年を根絶ゴールに決める。 一方、日本での流行の問題が顕在化する。日本では2007-8年に大学生の間で流行が始まり、高校生を中心とする青年層と乳幼児で1万人を超える大流行が起こる。厚生労働省は小学校入学前の幼児の2回接種を定期予防接種に加え、さらに中学、高校入学時、卒業時の公費による追加接種を5年間提供することを決定し、現在麻疹の制圧に大きく近づいている。 西太平洋地域での麻疹の再流行 ところが、2009年になって、前述したようにベトナムで大規模な再流行が報告されると、2010年にはフィリピンでも大きな再流行が起こり、カンボジア、ラオス、パプアニューギニア、ニュージーランドでも小流行が報告されてきた。 中国での流行は減少してきたものの、まだ3万人以上の患者が出ている。いくら国民全体の平均収入が少し上昇したからといっても、貧富の格差が進めば進むほど、国民に均等に予防接種を施し、人口全体の免疫力を均等に上げることは難しくなることは想像に難しくはない。 決して経済成長のグラフで示すような単純な直線では予想できないのである。地域からの根絶の条件が3年間麻疹のウイルスが分離されないことであるから、2012年、2年後に控える根絶目標はすでに絶望と言わざるを得ない。 残る答えのない問い 答えの必要な問いはいろいろと残っている。 1)麻疹の伝播を立つことはある条件では可能であるが、本当に世界での根絶は可能で、しかも現実的であるのか?それとも現実的な質の高いコントロールに方針を転換すべきか?西暦何年までを目標にするのか? 2)わかっていない麻疹の実態、疫学はまだある。どの年齢層に免疫を持たない感受性者が溜まっているのか?ワクチン接種だけで自然感染によるブースター効果がなくなった人口は、長い年月の中で次第に免疫力が落ちていかないか?自然感染がなく、ワクチン導入期で接種の不十分だった青壮年層の対策はどうするか? 3)2回目の接種を定期接種でなるべく早期の幼児期にする指導はどの国に必要か? 4)麻疹対策を実施するための十分なワクチンとその費用の確保はどうするか?さらにワクチン費用の2倍かかるといわれる実施費用はどうやって捻出するのか? 課題は山積みである。ではなぜ、このように課題山積みの根絶計画をこの地域事務局はあっさりと承認したんだと非難されれば、ごもっとも。僕のような下級役人の意見はなかなか届かないが、その責任の一端は確実に僕にもある。 もっと苦言を呈すればよかった。しっかりと、いや何度でも考え直すことに遅すぎることはないと僕は思っている。柔軟に考えながら伝染病の対策をしていくことこそが、何千年も生き延びてきた病原菌と闘っていく人間のあるべき姿だと思っている。今、僕は、下級役人のはかない声ながら、できだけ謙虚に麻疹対策のあるべき姿を自らにも組織にも問うてみているのである。 ベトナムの対策と課題 麻疹対策に投じる費用がないことを理由にワクチンキャンペーンを逡巡していたベトナム政府であるが、奔走した結果、国連基金から3億円、800万人分の麻疹ワクチンを緊急で確保した。これは、全国の6歳未満の児童全てに接種するワクチンの費用をカバーしてくれる。 長い説得と話し合いの後、ベトナム保健省は6歳未満の児童を対象とする麻疹ワクチン全国キャンペーンを決定した。これは大英断といえる。それは、ワクチン費用の2倍の6億円はかかると算定される実施費用全てを各県が負担することで同意したからである。ワクチン接種は9月中旬からから11月の間までに63の全県で実施される。僕も各県を回り歩く旅が始まる。 青壮年層の対策はまだない。保健省は高校、大学、軍隊で費用の一部自己負担で何とかワクチン接種を実施できないかと来年を目処に思案中である。 休刊中の数ヶ月の間にいろんなことが起こった。初孫との対面、54歳の誕生日、愛犬の死。僕の旅は相変わらず続いている。女房殿はよく耐え、よくがんばっている。お手伝いのハンさんは「おとさん、ごはんちゃんと作ったから食べてね。」と女房のいない間の僕をしっかり支えてくれている。ダメな僕は、相変わらずいろいろと支えられているのである。目には見えないたくさんのものたちにも。がんばりましょう。 |