んだんだ劇場2011年1月号 vol.144

No55−選択すべき道は−

舎屋ダイエット実行中!

40年近く同じ仕事をしていると、ずいぶんと「どうでもいい書類」が溜まってしまう。例えば、わが社屋の体重を100キロだとすれば(肥満体質です、すみません)、たぶんその半分近くがまったくのぜい肉ではないのか。というような埒もないことを考えだしたら、「この際、目をつぶって、その半分を捨ててしまおうか」という思いに駆られてしまった。
いや思い付きだけではない。いつまでも現役で、昔と同じように前に進むことしか眼中にない、という年齢ではない。身辺も仕事場も不要なものを整理し、身軽になることが、この年になると必要ではないのか、とは前々から思っていたことだ。穏やかに着地点を探しながら、降りどころをみつける年齢に、舎主も舎屋もなっているのだ。

そんなわけで、とりあえずはむやみに増えてしまった書類を収納する棚を見直し、そのほとんどを撤去することにした。棚がなくなれば、そこに収納していた書類、資料類は行き場を失い、処分しなければならない。水回りも、整理してみるとまったく何のために必要かわからない皿や台所備品の類が山のように出てきた。これもすべて整理。2つある倉庫の在庫も半分は捨て、1戸にまとめる計画だ(これは少し長期になるが)。
とにかく100キロ近い体重を少なくとも60キロあたりまでダイエットする。それに伴っていろんな問題も生じてくるだろうが、それはそのときになって考えればいい。

今年の前半、家の寝室と書斎をリフォームした。とくに寝室は全面的に作り換え、1日の3分の一は必ず居住する場所として、徹底的に居心地の良い空間をつくることにこだわった。それが成果を上げ、寝室で過ごす時間が飛躍的に多くなり、ここに帰ってきた途端、リラックスでき、かつ睡眠も深くなったような気がする。畳からフローリングへの大転換だったので、綿ぼこりが目立ち、掃除が大変だが、それももう楽しみになってしまった。シンプルで清潔で、真新しい空間でまどろむのは、大いなる喜びである。
このリフォームが成功だったことも、いまの舎屋ダイエットにつながっている。
何年経っても仕事場に来るのが新鮮で、楽しい、というのが自営業者としては理想である。この数カ月で、その理想へ一歩でも近づきたいと願っている。


久しぶりの東京、そして健康診断のこと

久しぶりで2泊3日、東京の旅。何かと難癖をつけ、できるだけ東京にはいかないようにしていたのだが今回は完敗。どうしても行かなくてはならなくなってしまった。出版を緊急に希望する方々と直接会う必要が生じたためだ。
その約束をこなし後は自由時間。夜は友人たちと酒盛りをすることぐらいしかない。これがよくないんだなあ。日ごろ節制している(つもり)なのに、これで一気に体調を崩してしまうからだ。自制がきかなくなり暴飲暴食に走ってしまう。だからといって早々とあの狭い窮屈なホテルのベッドに直行するのはとても無理というもの。今年自宅の寝室をリフォームして居心地良くなってからは、いっそう外に泊まるのがおっくうになってしまった。
飲食に関しても秋田では外食がめっぽう少なくなっているのだが、華やかな都に出ると田舎者は身も心もメロメロになってしまう。酒や食べる量をセーブしようと思っても楽しくなると異郷の地のせいもあり、最後までガンガン行ってしまう。体重が確実に1キロは増えている。

秋田に帰ってくると恐怖の健康診断書が届いていた。
所見にはびっしりと専門用語の文字が羅列されていた。この診断書に書き込まれる所見の文書量が年々多くなっている。眼から腹から心臓、コレステロールに潰瘍疑惑までてんこ盛りだ。なぜか要再検診の表記はない。それが救いだが、もしかして「要検診マーク」は廃止されただけなのかもしれない。
健診の時、血圧は138の75。心の中で「やったぁ」と思ったのだが、看護師は冷たかった。「去年から130以上は高血圧と認定されます。気を付けるように」。エッ、138でもダメなの。おれのおやじなんか、いつも170,180台で、下がった上がったと騒いでいたぞ。納得いかないなあ。

それにしても健診の時期がちょっと悪かったなあ。ちょうど体重が増えつつあるときで、おまけに出版トラブルを抱えてふさぎこんでた時期と重なってしまった。せめて心晴れやかな心身での健診なら、結果が悪くてもそれなりに納得できたのだが、人生そううまくはいかない。めぐり合わせの悪さを呪ってもしょうがないか。

東京で酒飲んでハイになり、帰ってきて健診所見でガックリ落ち込んで、いいことと悪いことが1日に何度か複雑に入れ乱れ交錯する。ま、人生こんなもんでしょう。いつ死んでも誰にも不思議に思われずに、すんなりと受け入れられる年になったのだから、外見だけでも悠然と、生きていくしかありませんね。


忘年会シーズン突入だッ!

うかうかしていると今年も終ってしまう。クニマスの発見や、電子書籍について尊敬する二人(津野海太郎と萩野正昭)の新刊、今年一年間の反省やら来年の抱負とか、いろんなことを書きたいのだが、まずは忘年会について書く。

めったにないのだが、今年は忘年会が5回ほど予定に入っている。多くの人がお祭り騒ぎをするときは、ひっそり仕事をしていたりするのが好きな「ひねくれ者」だが、年のせいなのか若干心境の変化があらわれているのかもしれない。山仲間や仕事関係者、著者や新聞記者、近所の知人たちと酒を飲むのだが、ワクワクする気持ちと、体力的に大丈夫かジブン、という複雑な気分が交錯している。

その忘年会のスタートの幕が昨日きって落とされた。山仲間4人グループ「モモヒキーズ」の忘年会。平均年齢60ウン歳、女性一人に男性3人、リーダーは女性のKさんである。飲み会のリーダーが女性というのも、いいでしょ。場所は川反6丁目の小料理屋。年相応の、高級感ある落ち着いた雰囲気の店。と油断したのがいけなかった。Kさんの爆弾が仕掛けられていた。4千円会費で、時間制限ありの酒飲み放題だったのだ。やけにみんなのピッチが速い。そりゃそうだ。「時間内にもっと飲まなくちゃ」というチョー貧乏くさい焦りが、自然にたかまってくるのだ。時間制限飲み放題というのは人生初体験。人生経験豊かな60代の大人が選択すべき道ではない。

最初でかなり出来上がった。2次会はデタラメな選択で、ネオン看板に「ヒマラヤ」という文字があった店へ。Kさんはネパールトレッキングはじめ海外登山歴もある。入ってみるとネパールの民族衣装を着た若い女性ホステス兼ダンサーが接客する、ネパール・クラブだった。ホステスのラマちゃんがかわいくて、山歩きの話で盛り上がった。そのいい流れのまま3次会に。これも近場のビルにあてずっぽうに入り、「ジャズバー」へ。気取った店でウヰスキーを2,3杯。店を出ると日付はもう翌日になっていた。「こんな機会はめったにないから」とKさん(女性ですよ)の号令で、今度はカウンターだけの戦前の居酒屋のようなおでん屋へ。ここでかなり珍しい知人と会ったが、それはまた後日。

こうして自宅に帰ってきたのは夜中2時を回っていた。寝ているはずのカミさんが指揮者の小澤征爾のドキュメンタリーテレビを見て、起きていた。


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