んだんだ劇場2011年2月号 vol.145

No56−腰痛−

腰痛について

2011年は何事もなくスムースに……と言いたいところだが、お正月休み中にも何度か不快な電話があった。訳のわからない注文やわがまま自費出版依頼、無理難題の類。昔の知り合いからの連絡というのもなぜかこの時期多くある。みんなが休んでいるときに電話をよこすということ事態が非常識ともいえるので、こんな時に事務所で机に垂れこめているほうが、問題なのかも。

去年の10月頃から、なんとなく腰が痛い。60年の人生で腰痛は経験なし。それがここに来て腰が重苦しい。原因はすぐに分かった。寝室をリフォームして大型テレビを入れ、そこで過ごす時間が多くなった。ふだん使うことのなかったソファー椅子に長時間お世話になるようになった。それが問題だった。腰への負担が急に増えてしまったのだ。年末からはその椅子をやめ、リクライニングの腰位置の浅いものに変えた。腰痛はだいぶ治まった。

そんなこともあり年末、駅前の書店をブラついていて「腰痛」について書かれたヘンな新刊に、過剰に反応してしまった。冒険作家である高野秀行著『腰痛探検家』(集英社文庫)だ。なぜ単行本にしなかったのか、ふしぎなほど、おもしろ本だった。高野さんの本は何冊も読んでいるが失礼ながらこの本が一番面白く、興奮した。私の大好きな「ご近所ドキュメンタリー」(私の造語です)の傑作である。身辺のささいな出来事や事件を徹底的に追い詰めていく。腰を治してくれる医者や施術者たちとの、やりとりが抱腹絶倒だ。本のテーマなんて、作家の力量さえあれば、どんなことでも大丈夫ということを証明したような本だ。

『腰痛探検家』のコーフン冷めやらぬまま、お正月用に買っておいた内澤旬子著『身体のいいなり』(朝日新聞出版)を読みだした。正月休み用にとっておいたのだが『腰痛』があまりに面白かったので、病気本(?)として、なだれ込むように読み終えてしまった。『腰痛』以上の面白さ、いやおもしろいというのは失礼か。すごい、という形容が大げさではない。さすが内澤さん(うちの仕事もしていただいたことがあるイラストレーターです)、よくぞここまで書いてくれました。実はこの本も実は腰痛から話ははじまる。腰痛つながり本である。

とまあ腰痛本の話なのですが、先日、スキーに行ってきました。山登りよりも腰への負担が……なんて考えていたのですが、まったく何の問題もなし。やっぱり小生の腰痛はあのソファー椅子が原因だったようで、もう問題なしのようです。


ひきつづき腰痛の話

15日(土)は「山の学校」のある岩見ダム周辺のスノーハイク。腰がだるく(痛いほどではないが)、それでも5キロを歩きとおした。こんな状態なのでラッセルは勘弁してもらったが、温泉に入っても寝床で休んでも、腰の重苦しい感じは消えない。
16日(日)は友人と2人で田沢湖にスキーに行く予定だったが、腰が痛い。とても無理。いや無理すれば滑れなくもないのだが、途中でリタイアしたりすると友人に迷惑をかけそうなので直前にキャンセル。
16日17日の両日とも安静に家から外に出ない。山の友人のAさんが「とっておきの治療法がある」といって膝縛り睡眠法なるものを教えてくれた。文字通り膝を腰ひもで縛って固定、そのまま寝てしまうという原始的な治療法である。迷信は信じないほうだが、こうした「超」プリミティブな発想というか方法は案外すき。2日間試したが、効果のほどは期待できなかった。
18日(火)椅子から立上がったり、食卓に座るとき痛みがある。寝たり歩いたりは何でもない。カミさんに「8日のスキーにいったあたりから様子が変だった」と言われる。そういえば年末年始とずっと毎週のように山に登って、その上さらにスキーに行った。調子に乗って、身体が悲鳴を上げているのではないか。近所の整骨院へ行く。案の定、身体のとくに背筋が異常に堅くなっているといわれた。疲労が集中して腰にすべておぶさってきたのかもしれない。

この日以来、毎日、整骨院通い。もちろん即効性のある治療を期待している訳ではない。入念なマッサージと電気治療をしてもらうだけなのだが、このマッサージで身体のコリや疲労がずいぶんとれているような気がする。

というわけで、いまだ完治とまではいかないが、「疲労による症状」という意識が芽生えてから気分はずいぶん楽になった。このまま腰痛が悪化して何のスポーツもできず寝たきりになったら、という恐怖心に心奪われていたからだ。
それにしても、腰痛に苦しむようになってから外に出る仕事が増えた。何という皮肉だ。盛岡日帰り出張あり、今週末は鳥海山麓の観音森スノーハイク、その翌日からは2泊3日で東京出張。いやはや。人生はうまくいかない。


靴磨きと芥川賞作家

東京での用事を済ませ文京区春日のホテルから歩いて東京駅へ。丸の内の丸善前に靴磨き屋が出ていた。ちょっと異様な感じだったのは靴磨きが20代の身なりのいい男女だったこと。さらに代金が100円と大書きしてある。「これは何か事情があるな」と思い、ムクムクと持ち前の好奇心が。女性を指名し磨いてもらうことにした。
こちらから事情を聴く前に、その若い女性は自分が靴磨きをやっている事情を雄弁に語りはじめた。
この2人、実は北海道・釧路にある自動車ディーラー会社の社員だった。社長発案で、新人研修の一環として靴磨き出張を命じられたのだという。東京の路上で1泊2日の靴磨きをし、その売り上げで飲食を賄う。
私は2人目の客で、靴磨きの技術はともかく、彼女の話は面白かった。おもしろかったが、こんなことを考える社長というのは個人的に嫌い、というかお里が知れる、という感じだ。急成長した新興企業が、よく朝の朝礼でしごきに似た挨拶をさせたり、路上で体罰まがいの特訓をするのに似ている。こういう会社は押し並べて長続きしない。貧相な未来が透けて見えてくる。
それでも女の子は、楽しそうにおしゃべりしながら一生懸命仕事をしていた。100円を渡すと、やおらバックをまさぐりだし「お釣りがない」とあわてだした。目の前のドーナツ屋にかけ込んで工面してきたが、こういう初歩的想像力のなさのほうがビジネスマインドとして問題ではないの?

帰りの新幹線で話題の芥川賞、西村賢太著『苦役列車』(新潮社)を読んだ。ふだんは話題の新刊を読むということはないし、ましてや今が旬の芥川賞なんて、まあ絶対といっていいくらい手にはとらない。前日、息子と食事をしていたら、彼が「あの男、ちょっと面白そうだね」と言い出したので、その言葉に引きずられて駅中書店で買ってしまったのだ。おもしろくなければ息子に送ってやればいい。中身は若い港湾労働者の友情と孤独を描いた陰々滅滅としたものだが、文章はなぜかスラスラと読める、ふしぎな軽さがある。
この本には表題作のほかに「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」という併収作がある。こっちはナントまたしても「腰痛」小説だ。腰痛をこらえながら山に登り、東京出張をしている我が身に照らして読むと、この切実感がよく理解できた。それにしても、いつまで腰痛本は自分につきまとうつもりなのか。


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