んだんだ劇場2011年5月号 vol.148

No59−地震日記−

地震日記3

大地震から3週間がたって、もう4月に入ってしまった。正直なところ、いろんなストレスがたまりはじめている。なんでもかんでも被災地への「配慮」をしめし、支援を表明してからでないと行動や言論が前に進まない状況というのは、窮屈を通り越し、息苦しさを覚えるほどだ。手助けや援助は相手側から要請されるまでは静かにじっと待っ
て、何もしないつもりだ。
4月に入って、被災地に隣接しているとはいうものの山ひとつ隔ててほとんど被害のなかった秋田では、日常が戻っている。皮肉なことに便利なはずのコンビニだけが、いまも無残にタナは空っぽ、無用の長物のように11日の悲劇を物語る展示場になってしまっている。
3月中旬にお届けする予定だった「春の愛読者へのダイレクトメール」はずっとペンデングで、郵便事情が回復するまで待っていたのだが、ようやく昨日(31日)、ゴーサインが出た。多くの人たちのもとに届くのはさらに1週間ぐらいかかるだろうが、少しはほっとした気分。さて、今週も地震日記の続きである。

3月26日(土) ほうほうのていで山形から帰ってきた。新庄まで行ったが新幹線は不通、やむなく山形市まで車。ガソリンスタンドはほとんどが休業か長蛇の列。秋田では並ばなくても大丈夫なので完全に油断。山形の油は仙台経由なので補給が途絶えているのだ。福島ナンバーの車が「避難中」という張り紙をつけて走っていた。山形市内の飲食店は閑古鳥、ホテルは被災地に行くボランティアたちでごった返していた。ギリギリ帰りの秋田までガソリンはもったが、冷や汗もの。ちょっと軽率だった。反省している。

3月27日(日) 今日は男鹿三山の山登りの予定だったが、計画を変更、「山の学校」裏山の筑紫森登山。だったのだが、ちょっと疲れ気味。登らずに学校で留守番。薪ストーブを燃しながら手元にあったレザーノフ『日本滞在日記』(岩波文庫)を読み始めたら面白くてやめられなくなる。借りてきてしまった。薪ストーブと読書は相性がいい。

3月28日(月) あいもかわらず夜に昼に余震攻撃。昨夜、久しぶりに夜の散歩で市街地まで遠出した。いつもより車が多く出ていて、にぎやかな印象。もうほとんど街は表面的には正常に戻ったようだ。半面、コンビニはいまも食料品の棚が空。これはコンビニの物流が仙台経済圏にあるため。コンビニだけがまだあの「11日」をひきづっている。被害軽微とはいっても目に見えない被害はこれから出てくるだろう。形になって(倒産や廃業)秋田の経済に現れるのは5月6月あたりからか。恐ろしい。

3月29日(火) 知らず知らずのうちに怒りっぽくなっている。震災がストレスになって身体に巣くっているのだろう。何事もなかったように商品の営業に来る人、自分の都合だけで日程を変更しようとしない人、この災害をきっかけにひと儲けたくらむ人……いつもなら無視すれば済む連中の言動にいちいち腹が立つ。心の中に巣くった「何か」がストレスや苛立ちの原因なのだが、どこに向かう怒りなのかさえ自分でもよくわからない。はやくフツーの穏やかさを取り戻さなければ。

3月30日(水) なんとなく昼はバタバタしているので散歩は夜。自宅から駅まで行って帰ってくる約1時間5キロ。地震以来、なぜかカミさんには散歩ではなく「パトロールに行ってくる」と言うようになった。毎日駅のタクシー・ターミナルを見ていて気がついたのだが、やけに個人タクシーの割合が多い。車種もプリウスが多いようだ。どんな理由によるものだろうか。そういえば最近めっきりタクシーにも乗らなくなった。

3月31日(木) 電子書籍について訊かれると最近は「紙の本の編集者なので電子書籍はわからない」と答える。書籍という名前が付いているので誤解されやすいが、電子書籍は本とは別物だ。紙の本とは関係のない特殊な経験と技術をもった人たちが作るもので、自分にその能力はない。しかし同業者でも紙の本の延長に電子書籍があると誤解している人は少なくない。電子書籍はアプリケーションである。あなたにアプリがつくれるの? 

4月1日(金) 朝に夕にガアガアと鳴き声がかまびすしい。白鳥の渡りの季節がきた。空を見上げると6,7羽の編隊が事務所上空を飛行中。白鳥とわかるのは鳴き声が汚いから。仕事場の上空が彼らの渡りルートなっているのだろうか。もう4月だ。雪や冬という言葉が死語になってほしいのだが、そう甘くはない。白鳥は見切りをつけたようだが、われわれはもう2,3度、確実に雪との格闘が待っている。春はまだ、もうちょっと先だ。


地震日記4

あの3月11日からほぼ1カ月が過ぎ、被災地ではないとは言いながらも秋田ではだいぶ落ち着きを取り戻し、平常に近い形に戻りつつあるところでした。それがこの7日未明の震度5強。また振り出しに戻るのか、と一瞬青ざめました。まだなにも終ってはいない。すべてはこれからなのだ、と気を引き締め直しました。
あの11日の前と後ではまるで仕事を取り巻く状況や環境が違ってしまいそうです。その不安も誰もが抱え込んでいるのですが、まずは明日のために歩み始めるのが一番大切なこと。「いつも通り」にゆっくりと静かに歩いていきたいと思っています。
そんなわけで、今週からは「地震日記」ではなく、いつものコラムを書く予定でいたのですが、ついさっきまで停電で、やはり地震日記の採録になってしまいました。あまりに重い事実の前に、他のことを書いても、なんとも薄っぺらに思えてしまうのです。申し訳ありません。

4月4日(月) 4月の声を聞くと同時に念願のDM発送。郵便局からようやくOKが出た。大量のメール便なので、郵便局側の事情でペンディングされていたもの。これで少しホッとしたが、身辺の閉塞感はあいかわらず。自粛ムードが充満していて、うっとおしい。週末は思い切って近所の岩谷山へ。やっぱり山はいい。マンサクが咲き始め、イワカガミもあと一息だ。春の山を歩いていると希望がふつふつとわいてくる。いい気分転換になった。来週は男鹿三山に行こう。
それにしても週末の駅周辺の混雑は「異常」だ。秋田ってこんなに人が居たっけ。仙台の駅や空港が不通になれば、こんなことが起きるのか。

4月5日(火) 義捐金にかんして糸井重里さんが興味深い発言をしている。義捐金の目安を「自分を3日間雇える金額」と考えたらどうだろう、というのだ。誰も言いたがらない領域に踏み込んだ勇気ある発言である。こういう具体的なことを言える評論家や学者がほとんどいなくなった。24時間テレビなどでタレント目当てに10円や100円単位のカンパをする若者たちを想定したものいいなのだろう。雑誌「BRUTUS」はその糸井重里特集。雑誌嫌いなのだが丸ごと1冊、雑誌を完読してしまった。同世代のトップランナーであり、表現者として天才的な力を持ったクリエーター。私はそう思っている。

4月6日(水) 元鷹巣町長の選挙違反事件に絡む判決公判。長い列に並んだが傍聴券を外してしまった。今朝の新聞で「有罪判決」を知った。想定内だが、やはりどう考えてもこの事件は村木さん以上に免罪の匂いがする。先に有罪が確定している現金収賄側が一転、買収側の証言に立ち、金は実は「買収ではなくアルバイト代」と発言を翻している。ところが収賄側の先の裁判と、今回の買収側の裁判の裁判長は同一人物(!)なのである。もし無罪判決が出れば、この裁判長は先の買収側の判決との整合性がとれなくなり、論理的にも倫理的にも破たんする。想定内というのはそういう意味だ。控訴審も通い続けるつもりだ。

4月7日(木) 韓国のドキュメンタリーのような不思議な味わいの映画『牛の鈴音』を観た。その前日は佐川光晴『牛を屠る』を読み、そのまた前日には一人で焼肉屋に入って牛肉を食べた。さらにその前日には網野善彦『歴史を考えるヒント』を再読。すべてはその10日前、上原善広著『日本の路地を旅する』という本を読んだのがきっかけだった。映画や焼肉屋は、まあこじつけである。今日は佐川のデビュー作で屠殺場の日々を描いた『人生の設計』という小説を読む予定。

4月8日(金) いま(8日午前11時半)、ようやく電気がつきました。昨夜は11日よりも動揺しました。11日は散歩中だったのですが、昨夜は風呂上がりの寝間着姿。テレビに地震予知警報が出た瞬間、グラッときて外に裸足で飛び出しました。海に放り出されたように景色が波打つっていました。すぐ電気が止まったので恐怖は一入。数日前ヘルメット(工事用)を購入したので、さっそく役立ちましたが、ラジオ(手巻き発電)がダメ。便利そうな物ってホント役立たない。それとアイフォンって肝心な時に通じなくなる電話なんですね。これにも失望。朝一でカミさんの実家(無人)の倒れたレンガ塀修理のため職人さんと実地検分。今日中にどうにかなりそうだ。


大地震5

地震日記も5回目か。震災のことだけで日々が構成されている訳ではないのだが、書くことはけっきょく震災関連になってしまう。それほど大きな事件だったのだろう。震災以外にもこの週は『秋田内陸線、ただ今奮闘中!』と『秋田県民は本当に〈ええふりこぎ〉か』の2冊の新刊が出て、事務所のテレビも新しくなり、夜、カミさんと食事に出て、昼のパトロール(散歩のことです)も欠かさなかった。来週も山はあるし、新刊と増刷が2点できてくる。外にお話しをしに行く予定だし、モモヒキーズの舎内飲み会も計画中だ。震災以外のことも平常通りやっているのだが、そこらへんを活字化する気力が起きない、というのが正直なところだ。


4月9日 夜の秋田駅はほとんど無人で不気味。一昨日の地震で電車が止まったせいもあるが週末の混雑ぶりとは対照的。これは仙台駅の不通がもたらした一時的な迂回渋滞だったのだろう。3・11以前と以後では世界が全く違ったものになるのは、だれもが感じていることだろう。飲食店や観光サービス業ではそろそろ音を上げるところが出始めているようだ。夜のパトロールをしながら、いろんな思いが脳裏に去来する。

4月10日 快晴。今日は男鹿三山に花(福寿草)を見に行く。この山が秋田で一番早く花が咲く。天気はいいし寒くもない絶好の山行日和。出かける間際に選挙もあることを思い出し、とたんに憂鬱。高額な給与ももらえる期限付き職場争奪戦の様相を呈している地方議員選挙に、ほとんど何も期待していない。でも棄権だけはしない。どんなことがあっても投票には行くが憂鬱だなあ。史上まれにみる静かな選挙戦で助かったけど。

4月11日 目に見えない大きな閉塞感にからめとられ少々うっ屈気味。男鹿・毛無山のカタクリ、イチリンソウ、フクジュソウは素晴らしかった。お上から自粛しろだの、自粛は控えてとか、あれこれ言われる筋合いはないので山行後はカミさんと外に食事に行く予定だったが、帰りが遅くなり、けっきょくは家で食事。県議選は「落ちるだろう」と予想した人たちがみごと落ちていた。こういう予想、選挙に興味ないくせにけっこう当たるんです。

4月12日 ヒンシュクを買うかもしれないなあ。「焼き海苔保温器」を買ってしまった。ずっと欲しいと思っていた「無意味で無用」な代表のような料理道具だ。蕎麦屋ではよく使うのだが、まあ、わからない人はわからないままでいい。それなりに高価なもので、火力には炭を使う。カミさんにはしばらくみせられない。事務所の飲み会でみんなにはやく見せびらかしたい。しかし「かっぱ橋」はさすが何でもある。うれしい。

4月13日 不幸中の幸い、というのは当たらないか。被災地のある著者の安否を尋ねる手紙(ファックス)をドイツ文学者・エッセイストの池内紀先生からいただいた。「無事のようです」と返事をしたら、また先生から感謝のファックスが届いた。敬愛する作家の自筆のファックスである。それも実に味のある文字群で、ミーハーと笑われそうだが机の前にずっと貼っている。ほんとうは額装したいくらいだが、そんなことを一番嫌う方なので、かろうじて思いとどまっている。

4月14日 DM(ダイレクトメール)の返信注文が少ない。例年の半分、いやそれ以下かも知れない。愛読者の多い被災地への通信はひかえたのだが、この傾向は一過性ではなく「平準化」していくのかも。右肩下がりの時代をどうやって生き延びるのか。前から考えていたことだが、いざ現実が目の前に立ち塞がると、けっこううろたえる。右肩下がりのライフスタイルやビジネスモデルへの下準備はしてきた。でも実際にギアチェンジするには勇気がいる。若者たちの未来に泥を塗ったような後味の悪さもぬぐえない。

4月15日 山仲間の女性薬剤師が被災地に派遣されることになった。遊び仲間としてはちょっと誇らしい気分になる。手に職を持っていたり、他者から望まれる技術を持っている人は羨ましい。つくづく自分の仕事があってもなくても誰も困らない「虚業」であることに思いいたる。朝、50羽近い白鳥の迫力ある「渡り」を目撃。例年より「渡り」も遅い。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次