政治のカヤの外で
いつまで「地震日記」を続ける気だ、とおしかりを受けそうですが、しばらくはこの日記(「今日の出来事」)採録の形を続けていくつもりですので、よろしく。毎日書く「今日の出来事」で書くべきことは書きつくしているつもりなので週単位での総括は必要ない、ともいえます。しかし、時間がたつにつれて風化しそうな震災被害やその精神に与える苦痛やダメージを、その中心にいる人たちでなく周辺で普段通りに暮らしている自分のような視点から書いておくのもムダではない、とも思っています。テレビなどで報道される「おいしく味付けされた悲劇や激励」のニュースにうんざりしていることもあります。私の周辺でしか報道されていない、小さな震災の波紋を、たとえばそれは、学校現場の「義援金無理強い事件」、誰も注目しない零細企業の連鎖倒産、人知れぬ「夜逃げ」や「自殺」、といった事件も出来るだけ紹介していきたいと思っています。
5月31日(火) ついに1冊の新刊も出ないまま5月も終わり。それでも目の前のスケジュール表をみると、新聞全3広告3回、仙台や山形出張、県内にもいろいろ出かけている。新刊のちょうど谷間の時期だった。長いGW休みが入ると仕事が中途半端になるから例年こんな感じのペースだ。昔のように仕事がヒマになっても「とりこしくろう」で落ち込んだりしない。そのせいか5月の読書量はけっこうな数になった。それもまた収穫。
6月1日(水) 新聞の死亡欄に「清水昶」の名前が。学生時代に夢中で読んだ唯一ともいえる詩人だ。まだ70歳、そうか、あの頃の自分と10歳も違わなかったんだ。もう、ひとことの詩句すら記憶していないが、時代の生硬い空気をすくい取った抒情的な言葉の数々に当時はふるえた。長髪、痩躯の容貌も時代そのものを具現していた詩人だった。晩年はどのようにして食べていたのだろう。カッコいい人ほど「その後」は辛い。合掌。
6月2日(木) 著者や来客用にタクシー券を毎年買っているのだが、去年は1年で5枚、今年はまだ1枚しか使っていない。それも個人用に使ったもの。来年からタクシー券購入はやめるつもりだ。タクシーに乗るという発想が暮らしの中から消滅しつつある。市内ならほとんど歩くか自転車。車は週末の遊び用で車庫に眠りっぱなし。ときには自転車を使うのすら躊躇する「歩き好き」だ。通勤に10秒しかかからない職住近接が生んだ生活習慣だから、そんなに自慢することではないが。
6月3日(金) 第五福竜丸の被ばくで知られるアメリカの水爆実験でハワイが停電、核戦争が起きれば通信が途絶することを知ったアメリカが急いで構築、開発したのがITネットワークだった、と精神科医・中井久夫さんが書いている。長崎原爆の汚染はカナダにまで到達していたし、意外にも被災者の気持ちを最も癒すのは「ぜいたくな食べ物」だそうだ。北関東以北の県名を全部言える神戸の同僚医師は珍しく、東北とそれ以外の日本にひどい賃金格差があることをはじめて知った、と素直に驚いている。阪神淡路大震災の最前線で身体を張った医師の言うことだから一言一言がこちら側にしみ込んでくる。
6月4日(土) 大館市にある田代岳登山。親しい山友達3人のパーティで小生以外は「たけのこモード」で頭がいっぱい。私が「たけのこ」に興味ないのは採っても自分で全部調理しなければならないから。面倒くさいだけでカミさんもあまり喜ばない。山は近辺の集落の車がすべて終結したようなラッシュ。入山料1000円を払ったタケノコ採りでごった返していた。8合目で雨のため引き返す。というか頂上に行く時間がもったいないので、早めに下りてヤブに入りタケノコ探し。けっきょくほとんど採れず、プロ達から安く買ってしまう。もちろん「家には自分で採ったことにしよう」というコンセンサンス。
|