んだんだ劇場2011年10月号 vol.153

No64−上手な休暇の取り方−

上手な休暇の取り方

8月29日(月)時間が少しでも空けば、『ババヘラの研究』という自分の本のチェックに充てている。山に行かない土日はほとんどこの本に集中している。といっても、もうずいぶん前に(5年前!)書き上げたノンフィクションだ。なかに法律の記述が何カ所かあり、そこがどうにも自信が持てず、大きなネックになっていた。そこで思い余ってE弁護士に相談、予想通り、法的な解釈に関して「要注意」のチェックが何カ所か入った。そこで取材を根本的にやりなおし、大幅な書き直し。それが先週末ようやく弁護士からOKがでた。10月には本になる予定だ。

8月30日(火)曽我六郎氏が亡くなった。羽後町出身で享年80。といっても誰のことかわからないだろう。昔「たいまつ社」という業界では有名な出版社を経営していた人で、本名は大野進。その会社はとっくに倒産、ご本人とは電話で2,3度しか話したことはないが、著者の多くが重なっていた。晩年、羽後町に別荘を構えたときいたが、それは妻の川柳作家・時実新子が建てたもの。妻が突然有名になり、つられて夫もメディアに登場する機会が増えた。若いころ先輩編集者、出版社主として、ある種の憧れをもってみていた。そのころのことを訃報記事を読みながらつらつら思い出した。合掌。

8月31日(水)こまち球場で楽天対西武を観戦。1万人以上の人の塊をしばらくぶりに見た。そうか、こんなところに秋田県民はいたのか、と意味のない感激をする。でも、この人たちの99パーセントは、たぶん無明舎の本を読んでいない、という確信も頭をもたげてきた。生涯1冊の本を読まなくても生きていける人たちのほうが圧倒的に多いのだ。それはともかく、広くてきれいな野球場でビールを飲みながら大声をあげているのって気持ちいい。10年ほど前、後楽園で巨人対広島を観戦して以来だなあ。

9月1日(木)9月である。月があらたまればなにかがかわる、ってことはないが今月は別。これまでずっとバタバタし通しだったのでしばらくは(10日間ぐらい)は机の前を離れてフラフラする予定。とはいっても9月中に新刊4本、増刷2本の本が出る。9月に集中してしまった。いつものことながら工程管理の拙さに舌打ちしている。

9月2日(金)予定通り2泊3日で東北関東方面をフラフラしてきた。最初は盛岡を拠点に被災地を回る予定だったが、どうやらローカル列車がまだほとんど復旧していないので、車でないと無理、と訊いて予定を変更。仙台まで行き、被災地近辺を歩き、その日は大宮泊。よく日は信州まで足を延ばし1泊、翌朝、秋田まで一挙に戻ってきた。昔と違って旅も2泊目になると仕事のことが気になり、しきりに事務所に電話をいれてしまう。不思議に思うのは、昔は資金繰りが苦しいのに1カ月事務所を明けても全然平気だった。なのにいまは資金繰りの心配もないのに仕事のことが気になって3日と外でゆっくりできない。仕事、資金繰り、年齢、休暇……この4つにどんな相関関係があるのか。仕事がなくなった老後のことを考えると背筋が寒くなる。


夏休みは信州・白馬で

ちょっと遅すぎるような気もするが、ともかくも夏休みがとれた。
別に休みなんかとらなくても、週末には必ずどこかに出かけているし、その都度、用事があれば外に出ている。現にこの1週間前も東京、長野に2泊3日で小旅行(仕事がらみだが)している。
それでも「夏休み」はちょっと別。この魅惑的な言葉の響きに誘われ、5日間も休みをとってしまった。春先から仕事が忙しく、その仕事のピークは通り過ぎたが、ここで思い切って仕事から自分を引きはがしてしまうためだ。
このままダラダラ机の前に垂れこめていると、忙しさの波がまた近いうちに襲ってきて、けっきょくどこにも出かけず仕事三昧、というのはこわい。

9月7日(水)朝6時、車で出発。酒田で友人夫妻を乗せ長野県白馬村へ。ここで大阪から来た友人も加わり、4人でペンション「500マイル」に投宿。自分の車でこんなに遠出したのは初めてだ。酒田のカメラマンSさんの義弟が経営するペンション500マイルはスキー宿、予想よりもずっと大きくてきれいだ。ここをベースキャンプに3日間、白馬周辺をトレッキング三昧の予定。
8日(木)今日は栂池高原を歩いた。白馬岳の大雪渓のみえる場所までトレッキング。2932メートルのこの山頂を「いつか登ってやる」と思うのだが、そのあまりの巨大な山容に怖気づいてしまった。
数年前、高校、大学時代に何度かここのスキー場でアルバイトしていた息子は何度か登頂している。電話すると「大雪渓の落石がひどくて、山頂ではテントが吹き飛ばされた」とのこと。やっぱり自分には無理かな。栂池はまだいろんな花が見られた。
9日(金)昨日に続き天気が良い。今日は戸隠、鬼無里方面を歩く。塩の道をのぞき、奥裾花自然公園を散策。女性陣から「獣(クマ)の匂いがする」とのアピールがあり、早々と散策を切り上げる。戸隠でそばを食べ、鬼無里をブラブラ。
10日(土)今日も快晴。申し訳ない。今日は白馬五竜へ。テレキャビンを使い小遠見山(2007メートル)へ。初級のトレッキングコース。テレキャビンの登り口にトランポリンをする若者がいた。その横にプールが? スキー場にトランポリンとプール。山から下りてくるとモーグルの選手たちが練習していたのでようやく意味が分かった。そうか、ここで上村愛子らが練習していた訳だ。午後からは姫川源流を散策。
11日(日)朝早くにオリンピックのジャンプ台を見に行ったら、運よく高校生たちが練習中。ノーマルヒルのジャンプを見ることができた。大阪の友人を駅に送り、一路、酒田へ。6時間で酒田着。いつものホテルに投宿し、夜は友人夫妻と、これまたいつもの中華料理「香雅」で打ち上げ。

とまあ、以上のような夏休みでした。


物見遊山の被災地めぐり

遅まきながら3連休を利用して被災地を訪ねた。といっても釜石と宮古の町を通り過ぎただけだが、驚いたのは中心部の信号がまだついていないことだった。交差点が来るたびに肝を冷やしながら車を運転するハメになったが、地元の車はもう慣れているのかスイスイ自由自在、この事実にまずはショックを受けた。
先々週、仙台周辺の被災地を見たとき、ボランティアをやっている友人から「例え物見遊山でも実際にその町に行って、すさまじい腐臭や消毒薬の匂いが充満した町を感じるのが大切だと思います」といわれた。しかし、仙台では被災地までてっきり復旧したローカル電車で行けるもの、と思いこんで油断、運転免許所も持たず行き(レンタカーが借りられない)、これも友人に失笑されてしまった。

今回の岩手行きは自分で車を運転して行った。信州夏休み旅行で長距離運転にちょっぴり自信を持ったからだ。これまで車で県外に出ることなどほとんどなかった。被災地に入るとさすがに秋田や東京でよく見かける「がんばれ日本」やら「がんばれ東北」といったあいまいきわまる標語はどこにもなく、ほぼすべてが「がんばれ岩手」。これならだれにでも意味がわかるし納得できる。岩手の人たちが、ともすればくじけそうになる自分たちを鼓舞するためにこの標語が必要だったのだ。とすれば秋田に乱立する「がんばれ東北」なるものは、いったい誰が誰を鼓舞しているのか、これがよくわからない。

友人には、日本全国から警察官が被災地に集結していて宿泊が難しいよ、とも言われていた。なぜ警察が全国から集まっているのか意味はよくわからない、とも言う。行ってみて意味が分かった。交通整理のためだ。信号が動いていないんだから当たり前だ。町に入るとパトカーの数が尋常ではない。その多くが県外ナンバーで、注意深く見ていくと「大阪(なにわ)」ナンバーがやたらと多い。ついで札幌、青森、地元岩手はほとんど見かけなかった。

宿泊地は友人の言う通り、まったくとれなかった。地元の宿屋やホテルに電話をしてもほとんどが「満室」で、おまけに宮古ではお祭りがあって町の中心部はごった返していた。もう夕時だったが野宿する訳にもいかず、急きょ盛岡まで戻って泊まることにした。運よく駅前のビジネスホテルがとれたが、禁煙はなく喫煙の部屋だった。盛岡の街も駅から繁華街にかけ人で、それも若い人でごった返していた。3連休の初日で、震災関連のイベントや野球の大会があるため、とホテル側は説明してくれたが、夜8時過ぎの繁華街の混雑は同じ規模の秋田市では考えられないほどの「雑踏」で、今日は竿灯か、と突っ込みたくなる賑わいだった。そういえば途中の遠野市でもお祭りの真っただ中だった。

次の日は盛岡から宮城県の被災地に向かう予定だったが、雨と宿泊と求人の混雑が怖くて秋田に帰ることにした。3連休を選んだこちらのミス。実は宮城県のある町に友人をたずねる予定だったが、まあしょうがない。この友人は20年も前、秋田で知り合った人だが、その後の消息がわからなかった。それが最近ある雑誌で宮城にいることがわかった。秋田から宮城に移り住むまで様々な放浪をつづけた様子が彼の書いた本から推察できた。会う前にその彼の書いた本を読むのが礼儀だと思い、盛岡のホテルで読了したのだが、正直なところまったく面白くない本で会うのがおっくうになってしまった。「面白くない」というのは、こちらの知りたいことがひとつも書いていない、という意味だ。
人生は絵に描いたようにはいかない。


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