んだんだ劇場2011年11月号 vol.154

No65−カメムシ豊作の年−

酒うまく、食欲の秋に

9月23日 朝早くから事務所が騒がしい。中高年の女性たちの嬌声だ。今日から3日間、倉庫の引っ越し作業でアルバイトの人たちである。レンタカーのトラックと運転手、総指揮のWにアルバイト女性陣。みんな1か月前から今日の段取りを打ち合わせてきた。心配は天気で午後からは崩れる予想。小生の出る幕はない。昨夜も友人と二人、事務所で到来物の酒(一四代)を飲んでしまった。ノーテンキなもんだ。途中でのぞいたメールに重要な連絡が入っていて一挙に酔いがさめたが。今日はその処理に没頭しなければならない。

9月24日 仕事をするということはさまざまな問題やトラブル、誤解や齟齬、不安や戸惑いといったものと毎日向き合うこと。仕事が楽しいのに「早く引退したいもんだね」と同業者たちはよく言う。仕事のおもしろさは年々増していくのに、その局面にかならず付着しているこうした「問題」と向き合う気力や体力が、年々萎えていくからだ。仕事がなくなったら、という不安は付きまとうが、あればあったで厄介なトラブルも同伴する。トラブルも仕事の楽しみの一つ、という達観まではとても遠い。

9月25日 紅葉シーズンで山が賑わう前に静かなブナ林を飽くまで歩きたい。というわけで真昼岳。大好きな山だ。赤倉口から3時間の登りだが、岩場も急登も藪もない歩きやすい山。とにかくブナ林が圧巻で、派手さがなく、ひっそりたたずむ、ちょっぴり寂れた風情がいい。四人の山行だったが、ひとりバテ気味。体が重く最後まで苦しかった。ブナ林は相変わらず見事だったが、体調は最悪で腹立たしい。疲れるほど仕事なんかしてないんだけどなあ。

9月26日 朝、出舎すると玄関にお米が置かれていた。新潟産コシヒカリの新米だ。山仲間が朝早くに来て置いて行ってくれたもの。彼は朝4時ころに起きるそうだから、9時といえばもうフルスルットル走行中の時間帯なのだろう。それにしても秋田で他県産のお米をプレゼントされるというのは珍しい出来事かも。「秋田の人は自分のところのものが何でも一番だと思ってるようだけど、日本はもっと広いんですよ」と、いつも彼は行動で教えてくれる。こと味覚に関して彼から教えてもらったことは少なくない。60の手習いで果実酒造りまではじめてしまった。

9月27日 この頃気をつけているのは「ひとり飲み」。夜、飲みに行く機会はめっきり減ったが、カミサンが留守の時は夕食を作るのが面倒で外に出る。それは問題ないのだが、ふだん机に座って無言で仕事をしているせいか、周りに人がいるとやたらと饒舌になる。それが問題だ。二日酔いよりもひどい「自己嫌悪の明日」を再生産しているようなもの。酒の力も借りてハイテンションでしゃべっている自分を「やめろバカ」と叱っているもう一人の自分もいるのだが、おしゃべりの誘惑に勝てない。どうしてこう自制心がないのか。

9月28日 同業者が書いた『紙と共に去りぬ』という本があった。この書名は含蓄がある。震災以後、パタリと電子書籍云々の議論が消えた。「紙の本」と「電子出版」の間には黒電話とスマートフォン以上の差がある。両者にはデジタル文化という短くない時間が介在している。紙の本の編集者がいきなり電子出版のつくり手になれる、というのは幻想だ。電子本には、これまでになかった新しいスキルと知性を持つ「別物の編集者(出版者)」が必要だ。彼らだけが開拓できる特殊な分野といっていい。その能力のない私は、どう考えても紙(活字)と共に去るしかない。

9月29日 あきらかに例年とは違う。事務所の冷蔵庫に果物が常備されるようになった。「常備される」って、自分で毎週買いに行き補充しているだけなのだが。ミカンに梨、ブドウに桃、李やバナナまでがびっしり。恥ずかしい話だが果物を自分で買って食べるという「習慣」は自分の人生になかったこと。家で出されたものを食べるだけだった。それが今年に入って急に「果物っておいしい」と気がついた。遅い! そんなわけでおやつには甘物を極力控え、果物をたっぷり食べている。糖分、大丈夫だよね。

9月30日 長生きはするものだ。昨夜「わさび飯」なるものを初めて食べた。アツアツのご飯に1センチほどの厚さで粗くすりおろした馬わさび(ホースラディシュ)を敷き、その上に海苔をたっぷりのせる。あとはお醤油を回してアフアフと掻きこむだけ。最初は間違いなく辛味が舌と鼻を直撃、むせてしまう。それに慣れると、あとを引く感じで、もっと食べたくなる。二杯で辞めたが、できればもうちょっと食べたかった。もともとは新宿にある高級料亭の名物のようだ。それにしても馬わさびって西洋わさびでしょ。ローストビーフとならわかるけど、コシヒカリと相性がいいなんて、びっくりするよなあ。


1週間は駆け抜けるがごとくすぎて

10月10日 明日も実は休みをもらっている。3連休の後にもう一日休もうというムボーな計画(理由は後に)。そのため連休最後の今日は朝から家で衣替えと大掃除。午後からは明日の分の仕事をかたずけてしまう予定だ。ひとつ難関というか悩みがある。ある業界誌に頼まれている書評。こちらで好きな本を選べるわけではない。業界紙で選んできた本を読み、書評を書くという仕事である。これまで2回は何の問題もなかったのだが、今回の本は正直なところ筆がすすまない。肌合いが合わないというか、本の内容に違和感のほうが強い。基本的に書評で悪口はご法度、どうにかして「良さ」を見つけなければならない。これがけっこうしんどい作業で、もう何日間も呻吟している。

10月11日 最低でも1か月前には新聞広告の出稿日は決まる。だからその近辺に出る新刊を予想、1カ月半ほど前に希望掲載日を代理店に伝えておく。しかし掲載日に本ができていない、というケースが結構多い。今月末は地元紙の一面と朝日、読売の全国紙に広告を出す予定。だが、その新刊三本のうち二本は「未刊」になりそうだ。広告というのは宣伝、予告。本が出ることさえ知ってもらえれば目的の半分は達したわけだが、広告を見て本屋さんに走っても本がない、というのはやっぱり問題かなあ。

10月12日 人に訊くのがちょっと恥ずかしい「疑問」は誰にでもある。昔の庶民の着物というのはどうして紺色ばかりなの? というのもその一つ。昨日読んでいた宮本常一の本に答えが書いてあった。藩命で百姓には厳しい「禁色」の令が出ていたこと。貴重だった山藍に代わって江戸時代に「だて藍」が渡ってきて藍が簡単に栽培できるようになり、ここから庶民の着るものはみな藍色になったこと。その後、少しは白が入ってもいいということになり絣(かすり)が織られ、小紋のような型染めへ発達していく。なるほどそうだったのか。馬と牛の、人間と労働への関わりの微妙な違いも宮本の本には書いてある。これも知りたかったことだ。

10月13日 もう蚊が入ってくる心配はないし晴天続きだし、と思って油断した。寝室の網戸のないほうの窓もあけ換気したら夜、羽音で目が覚めた。2匹のカメムシが侵入していたのだ。油断も隙もない。今年はカメムシ豊作の年と誰かが言っていたのを思い出した。臭腺から強い悪臭を放つあのヘコキムシである。叩き潰す時に力余って蛍光灯まで壊してしまった。夜は修羅場に。叩き潰した異臭が今日の朝まで残っていた。不愉快だなあ。

10月14日 いつも机の前でボーっとしているうちに1週間は駆け抜けるように遠ざかっていく。のだが今週はなんだかいろんな人に会い、歯医者や床屋に行き、電気屋さんが工事に入ったり原稿の締切りもあり、山まで登った。週末でないのに山行したのは栗駒山の紅葉を見るため。週末はイモ洗いのため3連休の翌日、臨時休業とったのはそのため、でした。これじゃ1週間も早いわけだ。正味3日しか働いてないんだもんな。でもようやく震災本のめどが立った。これが今週一番のニュースかな。書名は『3.11を超えて――夕刊コラムがみた東日本大震災』(河北新報論説委員会編)。売れてくれればいいなあ。


広告の時期、出張のバック

10月23日 いやはや寝室のカメムシ臭に寝不足の毎日だ。今日の朝、たぶん布団に原因があるのでは(日干しした時に付いた)と、布団を部屋の外にだしてみたが、まだ臭う。アッそうか、ここでようやく気がついた。暖冬用マットが犯人だった。外の倉庫に入れて置いたやつを1週間前に出してきて敷いた。これにカメ公の臭いが付いていたのだ。取り除いたら臭気は霧散した。一件落着だが大騒ぎをしたせいでカミさんには孫子の代まで言われそう。今日は美郷町で本のイベントがあり、長野県高遠町で古本で町おこしをしている人と対談のお仕事だ。山は2週連続パス。来週は出張だらけ。山は当分いけないかも。

10月24日 今週は出張続きだ。頭を悩ますのが旅行用バック。ジーパンでもスーツでも不自然ではない旅用カバンって、ないもんだろうか。ずだ袋系トートバックが好きなのだが、これは手持ち部分が長くて歩くときに負担が大きい。コンビニやネットの影響で旅そのものが軽便短小になっているので、取っ手の付いた紙袋が一番かなと思っていたのだが、最近仙台・丸善で丈夫なビニール製本入れバックと出あった(1500円)。大きさといい軽さといい丈夫さといい一泊二日の旅にはちょうどいい。当分はこれでいこうか。

10月25日 地元紙や全国紙への広告掲載も終わって少しホッとしている。来月も河北や岩手日報の1面全3広告が残っているが、これはまだ先の話。全国紙(朝日と読売だけだが)への出稿は値段が値段なだけに、枠は小さくても緊張感はかなりのもの。零細版元には年に1,2回が限度だが出すと決まって昔の友人や同級生、思わぬ人からお便りをいただく。これは広告効果の一つと言っていいだろう。今回はどうかな。まあ高いお金を出して年賀状を出しているようなもの。日頃のご無沙汰をお詫びする気持ちもあるしね。

10月26日 名古屋出張を終え、中部国際空港から飛び立って眼下を見下ろすと見たことのない巨大な山塊が広がっていた。快晴なので登山道までが見える。飛騨山脈のど真ん中を飛んでいたのだ。先日間近で見たばかりの白馬岳も見えた。乗鞍は見逃したが圧巻は妙高山、外輪がすぐ目の前にあった。鳥海山もよかったなあ。頂上付近は真っ白で最近雪が降ったのだろうか。最近しばらく飛行機とご無沙汰だったが、山を見る楽しみもあるんだよな。

10月27日 今日は新刊が2点できてくる。広告が先で本が後になるケースが多く、毎日発売日の問い合わせの対応をする日々だ。そろそろ冬の新刊の準備をしなければならない時期なのだが原稿は眠ったまま。いまひとつやる気がわいてこない。心身ともちょっと疲れているのかも。河北新報社の震災本(「3.11を超えて」)の緊急出版に忙殺された影響かも。この本は来週初めには出来てくる。でもやっぱり新聞広告が先行したせいで、すべてが急かされる結果になった。もっと新聞広告の時期を慎重に考えなければいけない。

10月28日 最後の出張(青森)を終え帰ってきた。明日は久しぶりに大石岳という山に登る予定。来週も週末には山形市に行く予定が入っているが当分、大きな出張はない。じっくり腰を据えて仕事場にこもって冬用の新刊造りに取り組めそうだ。なんだかんだ言っても自分で自分を忙しくしているだけのような気もしないわけでもないが、いま「1週間好きなことをしていいよ」と言われても、結局は仕事がらみの何かをやろうとするにきまっている。仕事以外の時間の使い方が、よくわからないのだ。これも十分問題ではあるよな。


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