忙しさの連鎖から抜けて
11月6日 山形市で出版パーティがあり泊まり。次の日、蔵王に登って新庄に寄り、連泊予定だったが、どうにもいろいろ気がかりの仕事が後ろ髪を引き、幸い朝から雨模様だったので蔵王、新庄をキャンセル、急遽帰ってきた。さっそく仕事。なんだか事務所にいると緊張していた気持ちがユルユル溶け出し和んでくる。自分でも何とも説明できないヘンな感情である。どこにも出かけず、だまって仕事をしていなさい、ということなのかな。
11月7日 今週は2冊の新刊ができてくる。春の終わりからずっとあたふたしていた仕事が今週でほぼ方がつく。長かったなあ。本はなかなか売れない。でも、つくる本があるというだけでもありがたい。といいながら、実は昨日、断腸の思いである「震災本」の出版依頼をお断りした。いい原稿だったのだが、うちでなければ、という仕事でもない。残された時間は多くないから「やらない」という選択肢も重要、と最近ようやく思えるようになってきた。
11月8日 30万キロも乗ったボロ車が12月にようやく廃車、新しい車が来ることになっていた。が、タイの洪水で部品が届かず納期が来年に延びそう、と連絡が入る。新車が来たらすぐに山行で汚れてしまう。その前に年末遠距離ドライブでも、とひそかに楽しみにしていたのだが。世界を驚かせている大事件が、まさか極北の田舎に住む自分と絡み合うなんて……。方向音痴なので車の運転は苦手なので、ドライブなんて言う発想はめったに出てこない。そういう意味では惜しいチャンスを逃してしまった。
11月9日 「50歳を過ぎると、希望を持って朝を迎えるという日は、少なくなるばかり」。昨夜読んでいた小説の中に出てきた一節。もう40年近く前の小説なので、50歳を60歳に置き換えてもいいだろう。確かにこの言葉に実感はある。あるのだが立ち直りもけっこう早いよお、中高年は。「本は売れなくなる一方だが、今つくってる本は別。これはひょっとして売れるかも」……寝起きのボンクラ頭で、懲りずに中高年はニンマリしたりする。そうか、この飽くなきバカさ加減が、わが仕事の持続の源泉であったのか。
11月10日 そろそろ来年の手帳やカレンダーを買う時期だ。もう5,6年同じ会社のものを使っていて、それは「ロフト」でしか販売していない。直接注文すると郵送料が高いので、出張で東京や仙台に行った時に買ってくる。今年から秋田駅前に小さな「ロフト」店がオープン、そこで買えるようになった。さっそく昨日、買い求めてきた。便利だなあ。でも簡単に買えるようになると、ありがたみも薄れる。同じ会社の手帳やカレンダーをこんなに長く使っている理由はただ一つ、書くスペースが広く、カレンダーの文字を消せる(変更できる)、ということに尽きる。
11月11日 今年予定していた本はほぼ出そろった。ちょっとのんびりしたい気分だが、「いつものんびりしてるじゃないか」という外野の声も聞こえそう。昨日土曜日は大館市にある竜ケ森という山に登ってきた。県北部の山は遠いせいもあってなじみが薄いのだが、若々しいブナに囲まれ落ち葉でフカフカの道を堪能してきた。調子に乗ったのか、浮かれていたのだろう、帰りの温泉でタオルを忘れてきてしまった(問い合わせたら、着払いで送ってくれるそうだ、うれしい)。
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