んだんだ劇場2011年12月号 vol.144
No78
母親に教わったイカの塩辛

皇帝ヒマワリと皇帝ダリア
 房総半島、千葉県いすみ市の家の門口に今年、父親が植えたヒマワリがやっと咲いた……と言うと、「この初冬に、なんでヒマワリ?」と思う方が多いはず。そう、普通のヒマワリではなく、「皇帝ヒマワリ」を父親は植えたのである。
 中南米原産のキク科の植物で、和名を「ニトベギク」というそうだが、3〜5メートルにも成長する巨大な草なので「皇帝」の名が冠せられたらしい。日照時間が短くなると開花する性質で、11月下旬になってようやく花が咲いた。

はるか高いところに咲く皇帝ヒマワリ

2階から見た皇帝ヒマワリと道路
 父親は今年、「皇帝ダリア」というのも植えた。これも、人の背丈以上に育って花をつける。実は昨年かみさんが、今年「皇帝ヒマワリ」を植えた場所にこれを植えたのだが、強風で倒れて、結局咲かなかった。畑の隅に父親が新たに植えた「皇帝ダリア」は、手の届く高さに、薄紫色のきれいな花を咲かせた。

皇帝ダリア
 2種類の大きく育つ花を見て、両親がまだ福島にいた頃のことを思い出した。父親が、近所の人に苗をもらって観賞用の菊を育てた話である。
 父親はそれを、花壇に植えた。たっぷり肥料をやり、水やりも怠らず、精魂こめて世話をしたおかげで、菊はどんどん育ち、父親は1メートルほどの支柱を立ててやった。が、菊はまだまだ育ち続けた。それで父親は、夏が過ぎる頃には2メートル以上の支柱を立てた。ところが、菊は生長をやめない。とうとう、10月に見事な花を咲かせた頃には、見上げるばかりの高さになっていた。
 観賞用の菊は、途中で先端を切り取って刺し芽し、花をつける頃にちょうどよい高さになるよう調節するのだそうだ。品評会で、びっくりするような丈の短い菊が出品されているのも、そういう技術の成果なのである。そんな菊づくりの方法を、父親は知らなかったのだ。
 父親が失敗した菊を、私は見ていない。父親はその話をするたびに、「あのなぁ、どんなに立派な菊の花が咲いたって、下から見たのでは、ちっとも面白くないぞ」と言って笑う。「皇帝ヒマワリ」は、やはり下から見上げるばかりで、父親は気に入らなかったようだ。が、「皇帝ダリア」は来年も作ると言っている。
 けれど私は昨年、単身赴任宅のある愛知県稲沢市内で、見上げる高さに育った「皇帝ダリア」を何か所かで見た。それに比べて、どうしてわが家の「皇帝ダリア」は丈が伸びないのだろう、肥料が足りなかったのかと、不思議に思っていた。もしも来年、父親が大事に育てて、「皇帝ダリア」がはるかな高みに花を咲かせたら、父親はどんな顔をするのだろう……私は今、内心でニヤニヤしている。

柚子が豊作
 今年は柚子が豊作だ。かみさんが苗木を買って植えてから、初めて実を結ぶまで7年かかったが、以後は毎年欠かさず実をつけ、今年は数十個と、昨年の倍くらいの数になった。

たわわに実をつけた柚子の枝
 11月19日に東京で用事があって、その夜遅く家に帰ったら、冷蔵庫に皮をむいたイカの胴があった。「刺身の準備をしていたのか」ときくと、かみさんは「違う」という。父親が柚子の豊作を喜んで、「柚子の皮を切り込んだイカの塩辛を作ってくれ」と、かみさんにリクエストしたのだそうだ。イカの胴は塩辛用で、私とかみさんの深夜の酒盛りには、ゆでたゲソが出て来た。
 翌日の夕食には、「仕込んだばかりだけど」と、イカの塩辛が出た。塩気が強いのは、イカワタひとつに塩を大さじ1杯(私のレシピは小さじ1)入れたのと、まだ塩がなじんでいないためだが、「3日もしたらうまくなるだろう」と父親が言った。かみさんは「イカワタが足りないかもしれないので、あなたの作り置きも入れたけど、塩が多かったか」と言った。
 「あなたの作り置き」というのは、冬にイカを買った時、私は、その季節には大きくなっているワタを切り取ってさっと塩を振り、網の上に30分ほど置いてちょっとワタの水気を出してから、ラップで包んで冷凍庫に入れておくのである。酒のサカナがない時は、これを取り出して凍ったまま切り分け、ワサビと醤油で食べる。北海道のルイベの刺身と同じで、口の中で溶けていく感触がなんとも言えず、うまい。わが家の冷凍庫には、いつでもそれが5、6本入っている。
 3日目の昼、かみさんは、あったかいご飯にイカの塩辛をのせて食べた。「これ、おいしい」と、初めて自分で作ったイカの塩辛に満足そうな顔だ。結婚した頃は、こういう生臭系は苦手だったのに……と思う一方で、刺身のように皮をむいた胴を使ってていねいに作ったんだから、そりゃあうまいだろう、とも思った。
 名古屋へ帰る際に柚子を持ち帰ったので、私も単身赴任宅で久しぶりに塩辛を作った。容器にイカワタをしぼり出し、イカワタひとつに塩小さじ1杯、刺身にはしないゲソやエンペラを切り分けて入れ、箸でかき混ぜるだけである。これが、亡くなった母親から教わった方法だ。1日に1回、箸でかき回して全体をなじませ、3日目ごろから十分にうまくなる。もちろん今回は、柚子の皮を薄くそぎ切って入れ、香りも楽しんだ。

私が作ったイカの塩辛
 塩辛を作りながら、私は昔、母親に教わった大切なことを思い出した。
 「イカのワタを真っ暗な所で見て、なんにも見えなかったらいいけど、ちょっとでも光っていたら古くなっている証拠だから、そんなので塩辛を作ったら食中毒を起こすよ」と教えられたことだ。
 魚も動物も、内臓から傷みが始まる。牛や鶏のレバ刺も、鮮度が決め手である。イカもワタは要注意。その見分け方を、母親は私に教えてくれたのだ。
 が、新聞記者になって魚のうまい秋田に住み、東京へ戻って築地へ取材に通っているうちに、イカの鮮度は一目で見分けられるようになった。母親の「知恵」はいつしか、不要になっていた。
 私が育った福島市は海から遠く、私が子供の頃は物流も発達していなかったので、鮮度のよい魚は貴重品だった。だから「イカのワタを真っ暗な所で見た」のだろう。今からみると、そんな「知恵」を必要とした時代が、ちょっと悲しい。
 同時に、今は誰も言わない、そういう基本的な「知恵」を教えてくれた母親には、感謝している。

忘れられようとしている野菜
 先日、単身宅の近くにある農協ストアで、珍しい野菜を見つけた。芽キャベツである。小学校の給食では時折、シチューに入っていた記憶があるが、最近はめったに見ない。自分で栽培したこともない。もしかしたら20年ぶりくらいかもしれないと思って、すぐに買った。

久しぶりに見た芽キャベツ
 芽キャベツは、もちろんキャベツの一種で、突然変異でできたといわれている。キャベツなのに茎が伸び、そこにびっしりと出たわき芽が球になる。16世紀にベルギーで栽培が始まり、品種改良も進んだ。19世紀にはアメリカへも伝わり、日本へは明治の初めに渡来して、「ひめきゃべつ」とか、「こもちはぼたん」と呼ばれたそうだ。が、一般的な野菜としては普及しなかった。
 青葉高の『日本の野菜』(八坂書房)によると、東京中央卸牛市場の取扱高は、「昭和29年の160トンから昭和39年には1062トンに増加した。しかしその後はむしろ減少し、昭和55年の取扱高は305トン」だという。昭和39年は東京オリンピックの年で、私は中学校1年だった。そこが生産のピークだったとすれば、私の小学校時代は、新しい野菜として、学校給食の担当者が積極的に導入していたのかもしれない。
 が、味の記憶もおぼろげになっていたので、さっそく塩ゆでにして食べた。
 ほんのちょっと苦味があって、まあ、全体としては青菜のような……そう、キャベツのいちばん外側の、青くて堅い葉をゆでた味だった。
(2010年12月5日)



来年はウサギ年

キクイモの醤油漬けに脱帽
 ある農業雑誌に頼まれてキクイモを栽培したのは、10年ほど前だっただろうか。北アメリカ原産のキク科の植物で、10月に花が咲き、そのころには地下に手の親指から拳(こぶし)大のごつごつしたイモ(塊茎)ができている。イモなのにでんぷんはなくて、イヌリンという自然のオリゴ糖をたくさん含み、血糖値を上げず、食物繊維のような働きをする「健康野菜」として注目されているから、栽培して、その記録と、何か料理を作って写真を撮り、原稿を書いてくれという注文だった。
 それが、今年も咲いた。

家の裏に咲いたキクイモ
 栽培してみたら、やたらとたくさんイモができて、とても食べきれないので、2年目からは畑に植えるのはやめて、家の裏の土手とか、道路向かいの荒地に移植し、あとはまったく世話もしないのに、毎年ちゃんと花を咲かせてくれていた。
 今年は気まぐれに、花のあと、地面を掘り起こしてみたら、これが、まあ、ちゃんとイモができていた。しかも、掘ったのは道路向かいにあった5、6株なのに、驚くほどの量がとれた。

こんなに収穫できたキクイモ

驚くほど大きなかたまりに成長したのもあった
 キクイモは、英語では「エルサレム アーティチョーク」という。なぜエルサレムなのかは知らないけれど、アーティチョークに似た味がするというのでこの名がついたらしい。とは言え、キク科の植物で、アザミの仲間のアーティチョーク(日本名は「朝鮮アザミ」といい、大きな花のつぼみを食べる)自体が、フランスやイタリアではポピュラーでも、日本ではほとんどお目にかからない野菜だから(私も1度しか食べたことがない)、キクイモの味が似ていると言われてもピンと来ない。
 フランスの家庭料理の本を見たら、いくつか調理法があって、最初の年、その中でも簡単なフライを作ってみた。表面のでこぼこをちょっと削って、そのまま油に放り込む素揚げである。油から上げてすぐパラパラと塩を振るだけという料理で、サックリとした味わいだった。
 日本へは江戸時代の末に渡来し、荒地でも育つので、飢饉に備える作物として広まった。が、食べ方はなぜか、ほとんど味噌漬けである。これも、やってみた。3、4日塩漬けにしてから、水にいれて塩を抜き、あらためて味噌に漬けなおして半年、そのままにしておくというレシピだった。これだと、ご飯のおかずにはいいけれど、しょっぱすぎて、イモ自体はそうたくさんは食べられないし、手間がかかるので、以後は花を見るだけでイモを収穫したことはなかった。
 久しぶりに収穫したキクイモをかみさんに渡したら、薄切りにして、低温の油でじっくり揚げ、チップスを作ってくれた。ホクホクして、これはうまかった。

ホクホク仕上がったキクイモチップス
 で、キクイモ料理はこんなもんか、と思っていたら、先日、思いがけなくキクイモに再会した。私がいま勤めているNEXCO中日本(中日本高速道路)の子会社で、サービスエリアの商業施設を運営する中日本エクシスが12月14日、東京で開いた「第3回メニューコンテスト」(決勝大会)である。
 愛知県内を通る東名高速下り線の上郷(かみごう)サービスエリアのレストランが出品した「黒カレー」に、「キクイモの醤油漬け」が登場した。福神漬けやラッキョウではなく、カレーの付け合わせに出て来たのだ。すっきりした味わいで、これはうまかった。
 キクイモは今、長野県伊那地方や、熊本県の阿蘇山周辺の山間地で、地域起こしの食材として注目されている。けれど、生産量は微々たるものだ。コンテストのテーマのひとつに「地場産品を使う」があったが、愛知県の山間部でも栽培されているのを、どうやって知ったのだろう。味ばかりでなく、そういう目立たない食材を取り上げたことにも、審査員の一人だった私は脱帽した。
 ほかにも感心することがいろいろあって、7作品がエントリーし、「おいしゅうございます」の岸朝子さん(米寿で、お元気)も審査員を務めた今回のコンテストでは、この「黒カレー」が優勝した。審査が忙しくて、キクイモの醤油漬けのアップは撮っていないが、お見せする写真(審査会場で撮った、下手な写真だ)のカレーの皿の向こう側、4つの四角い小鉢の1つにキクイモがある。まあ、機会があれば食べてみてほしい。

第3回メニューコンテストで優勝した「黒カレー」

審査員の岸朝子さん

ウサギの狛犬
 来年はウサギ年。それで、滋賀県大津市の三尾神社を思い出した。2007年9月、所用があって出かけた大津市で、前々から訪ねてみたいと思っていた三井寺(園城寺)に立ち寄り、寺院のある山から下りて来た際に、ふもとで足を止めた神社である。なぜ足を止めたかと言うと、門前にウサギの置物があったからだ。

三尾神社の門前にあったウサギの置物
 神社の祭神は、『古事記』の最初に登場するイザナギノミコトなのだが、神は卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方角からこの地に現れたという言い伝えがあり、ウサギは神様の使いとされているのだそうだ。だから神社の紋も、正面から見たウサギで、それは幔幕にも描かれていた。そしてこの神社は、卯年生まれの人の守り神なのだという。この新年は、さぞや多くの参拝客が訪れるだろう。

三尾神社のウサギの紋の幔幕
 ところで、この写真の幔幕の下から、向こう側の狛犬がちらっと見えるだろうか。立派な狛犬が鎮座している。
 その狛犬が、ウサギの姿だったのに驚かされた神社がある。静岡県磐田市の淡海国玉(おうみくにたま)神社である。社殿の前に一対の狛犬があるのは当たり前だが、それがここではウサギだった。片方は親子のウサギである。

親子ウサギの狛犬
 この神社の祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。ウサギの狛犬は、神話「因幡の白ウサギ」に由来するのだという。
 説明板によると、「因幡の白ウサギ」は、大国主命の妻になった八上(やがみ)姫がウサギを使者として結婚相手を探していたら、ワニザメに皮をむかれた白ウサギを助けてくれた心やさしい大国主命にめぐり逢えた、という物語でもあるのだそうだ。だからこの神社は、縁結びの神様でもある。
 淡海国玉神社はかつて、ここにお参りすれば遠江国(とおとうみのくに)のすべての神社にお参りしたことになるという「総社」の格式があって、参拝者が絶えなかったらしいが、現在は、神主が常駐していない。そんな神社になぜ行ったのかというと、隣にある「旧見付学校」を訪ねた際に、偶然足を踏み入れたのである。
 「旧見付学校」は、明治5年(1872)に学制が発布されて3年後、小学校として建てられた。当初は4階建てだったのを、明治16年、5階建てに改築した。その後、いろいろな学校として使われたが、建物はそのままで、現存する日本最古の洋風木造校舎なのである。5階は望楼で、磐田市の市街地をはるかまで見渡すことができた。

日本最古の木造校舎「旧見付学校」
 「旧見付学校」は、磐田市を紹介するほとんどの案内書に載っているので、「ウサギの狛犬」を見たかったら、まず「旧見付学校」を探せば間違いなく行ける。
(2010年12月19日)


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