んだんだ劇場2011年10月号 vol.153
No87
10年前の9月11日

佐渡島と北前船
 9月10、11、12日の3日間、新潟市、佐渡島、寺泊、出雲崎を旅してきた。朝日旅行社が企画した「北前船(きたまえぶね)を訪ねる旅」の講師として同行したのである。
 北前船は江戸中期から明治30年代まで、大阪(江戸時代は大坂)と北海道を日本海航路で結んでいた商船である。が、単なる運搬船ではなく、立ち寄った港で商品を仕入れ、積んであった荷を売りながら瀬戸内海―日本海を往来し、1航海で今なら1億円もの利益をあげていた。日本海沿岸で暮らしたことのある人なら、名前ぐらいは聞いたことがあるはずだ。
「しかし、実際にどの港に寄って、どんな商売をしていたのか、誰にでもわかる本は今までない」という無明舎出版の鐙(あぶみ)編集長(当時)に誘われ、私は、鐙さんの運転する車で18道府県、182市町村、走行距離2万キロに及ぶ旅をして『北前船 寄港地と交易の物語』をまとめた。その後、北前船の歴史的な考察、船頭の暮らしなどに言及した『海の総合商社 北前船』も上梓した(いずれも無明舎出版刊)。
 その本に目をつけた朝日旅行の企画担当者が、「北前船を訪ねる旅をやりましょう」と、声をかけてくれたのである。
 最初の旅行地に「新潟―佐渡」を選んだのは、佐渡島に実物大で復元した船があるからだ。百聞は一見にしかず。本物の迫力の前で北前船の解説ができたら、旅行代金を払って参加してくださった方々にも満足してもらえるだろう、と考えた。
 その船は、佐渡島の南西端、旧小木町の宿根木にある。保存されていた設計図から復元した白山丸だ。全長23・75メートル、最大幅7・24メートル。米を500石、米俵に換算すると1250俵も積むことができる大きさである。馬で運べば、625頭も必要な米俵だ。鉄道が敷設される前、物資の大量輸送は船の独壇場だった。
「佐渡国小木民俗博物館」に収蔵されている白山丸は、久しぶりに見たが、やはり壮観だった。

舳先から見た白山丸

白山丸の船尾。異様に大きな舵が和船の特徴
 博物館のある台地から下った狭い谷間に、国の町並み保存地区、宿根木集落がある。びっしりと家が立ち並び、人がすれ違える程度の細い路地は、基本的に入り江に向かっている。集落は、まず、この路地から造られ、それぞれの家の敷地が決まった。そして敷地いっぱいに家を建てたので、中には三角形の奇妙な家もある。

宿根木集落の狭い通り

奇妙な三角の家
 ここに、最盛期は120戸、600人もの人々が暮らしていた。田畑がほとんどないここに、それほどの人々が居住できたのは北前船交易のおかげである。と言っても、小さな入り江にたくさんの船が出入りしていたわけではない。交易の場は、ここから北東に4キロの小木の港が中心だった。今は観光の「たらい舟」で知られる小木湾は、佐渡で精錬した金塊を積み出す港であり、北前船の時代は、信濃川の河口にある新潟港への中継基地でもあったから、千石船のような大型船が入港し、大量の商品が売り買いされていた。
 では、宿根木は、なんで栄えたのか。
 ひとつは、10軒の船主がいて、彼らの船が交易で得た金を持ち帰ったからである。幕末には、宿根木の船が長州沖で海賊に襲われて2千両を奪われた事件があった。今なら1億2千万円くらいの現金である。明治20年には、佐渡で8番目の多額納税者になった船主もいた。北前船はそれほどの利益を、この小さな集落にもたらした。
 もうひとつは、宿根木が造船業の基地だったからだ。船大工だけでなく鍛冶屋、桶屋、紺屋(染物)などの関連職種が集まり、集落を大きくしたのである。
 その遺産を集落の奥、称光寺に見ることができる。山門の左右の扉を見比べてほしい。

継ぎ目のない、称光寺山門の左の扉

縦に2本の継ぎ目の線が見える右の扉
 向かって右側の扉には、縦に2本の線が見て取れるだろう。つまりこの扉は、3枚の板をつなぎ合わせて作っているのだ。しかし、左側の扉にはそんな線は見えない。だったらこちらは1枚板かというと、実はこれも3枚の板なのである。
 たねあかしをすると、右の扉は家を建てる普通の大工が作ったが、左の扉は船大工が作ったからだ。船では、板の継ぎ目に隙間があってはいけない。寺の門の扉ではそこまでやる必要はないのに、船大工は当たり前のように継ぎ目のない扉を作ったのである。
 ところで今回、宿根木を訪ねたのは、9月11日だった。
 実は10年前、つまり2001年の9月11日も、私は北前船の取材で佐渡にいた。金鉱山があった相川の宿で鐙さんと夕食を食べ、自室に戻ってテレビをつけたら、ニューヨークのツインタワービルに旅客機が衝突した、というニュースが流れていた。
 そう、同時多発テロが起きた、その日である。
 ちょうど10年後に、また佐渡を訪ねることになったのは偶然だが、感慨深い。この10年で、私は母親を亡くし、サラリーマンに復帰し、名古屋で5年半も単身赴任生活……と、さまざまなことがあった。
 が、再訪した宿根木は、復元船の白山丸も、集落の様子も10年前とちっとも変わっていないように見えた。それが私を、なんだか、ホッとさせた。
 「北前船を訪ねる旅」の第2回は、11月の初めに、山形県の庄内地方へ行くことになっている。興味のある方は参加してほしい。できたら『北前船 寄港地と交易の物語』を携えて。本に掲載された写真と、本物を見比べて、おびただしい数の北前船が日本海を往来し、藩という「国境」などおかまいなしに日本の経済を一体化させた、あの時代の「海の活力」を実感してもらいたいから。

よくぞ名づけた「酔芙蓉」
 房総半島、千葉県いすみ市のわが家から海岸までは、直線距離で5キロある。海岸沿いを通る国道沿いのホームセンターまで、先日、かみさんと買い物に出かけた。
 JR外房線・大原駅の近くまで行けば、広い道路が続いているのだが、近道の集落に入ってすぐ、かみさんが「酔芙蓉(すいふよう)だよ」と言った。

ほんのりピンクの酔芙蓉

たくさん咲いた酔芙蓉
 2年前の夏、お隣さんの敷地に咲いていた槿(むくげ)の写真を「パソコンの壁紙にどうぞ」と、いろいろな人に贈ったら、NEXO中日本(中日本高速道路)のNさんから「今度は、酔芙蓉の写真がほしい」とリクエストされた。芙蓉は、アオイ科の植物。槿やハイビスカスの仲間だ。しかし、酔芙蓉という花を図鑑では知っていたが、実物を見た覚えがなかった。どこに咲いているのだろう……以来、気にかけていた。
 「これが、そうなのか?」
 「しぼんでいる花が真っ赤だから、間違いない」と、かみさん。
 それは午前9時半ごろで、たくさん咲いている花は、みな純白だった。それが次第に赤みをおびるという。中国では「酒を飲んで、ほんのり顔が赤らんだ楊貴妃」にたとえられるそうだ。そんな変化から、「酔っぱらいの芙蓉」という名がついた。
 買い物を終えて、正午少し前に同じ道を戻って来たら、なるほど、花にわずかなピンク色が現れていた。私は車を止めて、撮影した。
 この家は農家で、道路向かいの畑から戻って来たおばあさんが「きれいでしょう」声をかけてくれた。聞くと、苗を植えて10年以上たつそうだ。こぼれダネから毎年、たくさん芽吹くので、苗をご近所にわけてやっているともいう。
 「私にも苗をください。来年の初夏にもらいに来ますから」
 そう言うと、「はい、覚えておきますよ」と、おばあさんが言ってくれた。
 うれしくて、その夜は、私もかみさんも「酔芙蓉」になった。

ヘクソカズラとヨウシュヤマゴボウ
 佐倉市の単身宅から駅へ向かう途中の路地で、格子のフェンスにからまったヘクソカズラが花を咲かせているのに気づいた。漢字では「屁糞葛」と書く。奈良時代から「クソカズラ」という名で知られていて、『万葉集』にもこのつる草を詠んだ歌があるという日本古来の"由緒正しき"植物ではあるのだが、「糞の前に屁がついたのは、いつの時代だろう?」などと笑い話のネタにされるくらい、かわいそうな名前の雑草である。
 とんでもない悪臭があると知っているので、触ったことはない。葉でも、茎でも傷つくと細胞が壊れて、スカンクの噴出物と同じ成分のガスが発生するそうだ。
 が、花は、かわいい。筒のような形の花の中心部は赤くて、それがお灸を据えた跡のように見えるのでヤイトバナ(灸花)の別名がある(と、ものの本には書いてあるが、私はお灸を据えたことがないので、真偽に責任は持てない)。それより、花を摘み取って、赤いところにちょっとつばをつけ、鼻に立てて「天狗の鼻だ」という子供遊びで知っている人もいるかもしれない。
とにかく、かわいそうな名なので、私は昔……
名はヘクソカズラと言へど蝶来たる
……という俳句を作った。実際、チョウチョが長いストローを差し込んで蜜を吸っている姿を見かけたのである。
 花のかわいらしさは多くの人が知っていて、「屁糞かずらも花盛り」という言葉ができた。「鬼も十八、番茶も出花」と同意だから、まあ、全面的にヘクソカズラを賛美したことにはならないが……。
 さて、この植物はなぜ悪臭を発するようになったのだろうか。
 『身近な雑草の愉快な生き方』(稲垣栄洋著、ちくま文庫)によると、茎や葉を食べようとする虫を撃退するためだという。なるほどと思いながら読み進めていたら、それでも食いつく虫がいるというので驚いた。
 その名は、ヘクソカズラヒゲナガアブラムシ。
 「この昔の電報さながらにカタカナを長く綴った名前のアブラムシは、この悪臭成分をものともせずにヘクソカズラの汁を吸ってしまう」ばかりか、「なんとこの悪臭成分を好んで自分の体内にためこんでしまうのだ」という。すると「アブラムシの天敵であるテントウムシもこのアブラムシだけは食べようとしない」ことになる。
 「身を守る知恵」というより、生物多様性の不思議な連環、と言いたくなった。

ヘクソカズラのつると花

カキドオシの花
 ヘクソカズラに限らず、雑草でも思いがけずかわいい花はいろいろある。いすみ市の我が家の裏の土手には、夏になるとカキドオシというつる草がはびこる。隣の垣根の隙間から入り込んで繁茂する、というのでついた名だが、今年の5月、下くちびるを突き出したような花を見て「こいつもシソ科の植物だったのか」と気づいた。バジル、ミント、セージなど多くのハーブが属するシソ科の花は、どれもこんな形をしている。
 夏の盛りを過ぎた今でも、カキドオシは旺盛につるを伸ばしている。この草を干して、煎じて飲むと血糖値を下げる効果があるそうだ。それ以外にも昔から民間療法の薬にされていたというが、まだ試したことはない。
 その土手に、今年は巨大な雑草が育った。ヨウシュヤマゴボウという。毎年、土手のあちこちに芽生えていたが、人の背丈を超えるほどに育ったのは今年が初めてだ。
 漢字で「洋種山牛蒡」と書くように、北アメリカからの渡来したヤマゴボウ科の植物である。在来のヤマゴボウもあるので、「洋種」と名づけたて区別したのだ。

大きく育ったヨウシュヤマゴボウ
 小さい花が点々と咲いて、実を結び、それが熟すると黒に近い紫色になる。この色素は染料として利用され、アメリカではインクベリーとも呼ばれている。果実の色が美しいので、雑草ではあるが、私は毎年そのまま育つのに任せていた。そう思うのは私だけではないらしく、先日、銀座の居酒屋で、入り口からまっすぐの通路の突き当たりに、ヨウシュヤマゴボウを活けた大きな花瓶があった。場所が銀座だから、どこかの花屋が持ち込んだのだろう。本来は雑草なのに、花瓶に入れるとなかなか立派で、私はうれしくなった。

ヨウシュヤマゴボウの花

熟した実は、一見おいしそうだが
 ところで、見た目は美しいが、この植物、全体に毒がある。特に果実の中の種子は毒性が強い。ブルーベリーと間違えて食べて、種子を噛み砕き、嘔吐、下痢、さらに意識障害や呼吸障害に至る事故が報告されている。だから私も、眺めるだけにしている。
 ところが、種子は猛毒なのに、それを包む果実部分には毒がないのだそうだ。鳥はよく知っていて、果実を食べ、消化されない種子は排泄する。毎年、どうしてあちこちに芽生えるのだろうと不思議に思っていたのだが、運び屋は鳥だったのだ。
果実にだけ毒がないのも、子孫を広範囲に残したいこの植物の知恵なのだろう。

佐倉の朝霧
 私は毎朝、5時半に起床し、6時半のラジオ体操の歌と共に単身宅を出る。9月15日の朝、いつものように起きてマンションの7階の窓から西の方を見ると、雲海の向こうに遠くの住宅街が浮かんでいた。

雲海のように見えた朝霧
 すぐに、これは朝霧だと気づいた。
 マンションの向かいの佐倉城址の山は、西側はすぐに終わって平地が広がっている。そこに、印旛沼へ流れ込む鹿嶋川の支流が南から北へと流れている。急に冷え込むと、温かい水面から立ち上った水蒸気が冷やされて、こんな霧が発生するのだ。15年前に、家族でこのマンションに住んでいたころは、初冬によく見た景色だったのを思い出した。
 その後も残暑が続いたが、秋は間違いなくそこまで来ていた。
(2011年9月25日)


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