んだんだ劇場2011年3月号 vol.146
遠田耕平

No110 ベトナムのテト(旧正月)

日本の正月が明けて、脱腸の術後経過も良好、「さあ、やるぞ!」とばかりにハノイに戻ったのであるが、逆に僕の怠慢ダラダラ度は悪化した。 というのも、ハノイに戻るや数週間後には始まったテト(旧正月)のせいである。 一月の後半、ハノイに戻ってからの一週間はB型肝炎の血清調査で連日地方出張で週末もつぶした。ところがその後ぴたりと仕事が進まなくなった。 その理由が2月の第一週にあるテト(旧正月)である。 

ベトナム人にとってテトは特別な行事だ。 日本のお正月もかつてはそうであったが、お正月の間、お店はすべて閉まり、街は完璧な静寂となる。最近の日本では年末年始も無休がお決まりで、24時間営業し続ける店も増えたが、ベトナムでは、完璧に閉店する。そのせいで、テトの一週間前は街中が買い出しに動くのである。お店が値段を吊り上げても、群集心理も働いて物はどんどん売れる。買うほうもなぜか必要がない物までどんどん買う。 とにかくテト一週間前は街は騒然となり、保健省のスタッフも落ち着かず仕事にならないのである。

ベトナムのテトに絶対に欠かせないものが二つある。その一つが、北では「バインテト」、南では「バインチュン」と呼ばれるもち米で作るお餅である。バインテトは立方形、バインチュンは円柱形でやや形は異なるが、どちらも、大きな葉っぱの中にもち米を敷き、その中央にダオサンという青豆を砕いたものを入れ、さらにその中心に豚肉を入れて葉を包む。それを沸騰したお湯に入れて中火で茹で上げて作るのである。 

最近はお店で売られているものも多いが、伝統的に手作りの家の味である。以前にホーチミンにいた時も大家さん、運転手さん、保健省の仲間から毎年食べきれないほどいただいた。しかし、真ん中に入っている豚肉の脂が臭かったり、もち米が硬かったりと、それなりにおいしいのではあるが、イマイチ。毎日食べるとさすがに辟易して最後はお手伝いさんに揚げてもらったりして、味を変えて食べた。 ところが、ハノイですばらしいバインテトと出会ったのである。 

ハンさんは以前ここでもご紹介した僕の娘と同じ歳のお手伝いさん。日本の工場で長く働いたこともあって日本語はとても堪能。ベトナムには珍しく物静かでシャイな女性である。「おとーさん、じゃぁねえ、またねー。」なんて、言われると、一日中保健省で自己主張の強いベトナム人たちにもまれた後ではなんだかホッとする。そのハンさんのお父さんの手作りのバインテトが絶品なのである。お父さんが一晩中火を絶やさずに温度を見ながら茹で上げるという。そのもち米は口の中でとろけるようにモチモチして、青豆はいい香りを出して、脂肪の控えめな豚肉はもち米に包まれてサクッと蒸しあがっている。少しお醤油をつけながら食べるといくらでも食べれる。 僕らが出会った現時点での最高のバインテトである。 食べきれない分は今、冷凍して小出しに楽しもうとたくらんでいる。

もう一つのテトの顔は「ホアダオ」と呼ぶ桃の花である。(南では「ホアマイ」という黄色い花が中心)ベトナムの人は花をつけた枝振りのいい桃をテトのために一斉に買うのである。この習慣は日本の門松と少し似ているのかもしれないが、身の丈あまりの枝木や植木から小振りのものまで、道路沿いの露天商でどんどん売れていく様は傍から見ていても楽しい。正直言うと、邪魔にならないかなあ思うのであるが、大きければ大きいほどいいらしい。お金持ちは間違いなく大きい植木を買う。お金のない多くの人たちも小ぶりな枝に付いた桃の花を道端のおばさんたちから買っている。この時期、特に花で一杯になるハノイの道端は普段よりも生き生きと息づいて見える。

僕らの住んでいるハノイ郊外のこの辺りは以前は広大な桃畑だったらしい。その桃畑をほとんど潰して今ある広大な住宅地を作った。わずかに残る桃畑が当時を偲ばせる。バイクの後ろに大きな桃の枝木を括り付けたり、後ろに乗る人が必死で抱きかかえたりして街を走り回る姿はなんとも楽しそうである。 先日驚いたのは飛行機の中に大きな枝木を抱えて持って入ってきた人がいた。テトの時はそれもOKらしい。そう言えばチェックインで大きな桃の植木を預けていた人もいた。 まあ、激しく変化するベトナムで、テトの伝統が生き生きと見られるのはなんだか嬉しい。いつか日本のように色褪せていくのかもしれないが。。。


プノンペンへの里帰り

テトのこの一週間は僕らも休みになる。去年は家に泥棒に入られた後で、今いるアパートにせっせと引越しをしてテトを潰してしまった。今年は、女房と一年半ぶりに懐かしのプノンペンに里帰りすることにした。 プノンペンの飛行場に降り立つとなぜかホッとする。もちろん熱帯の暖かさのせいもあるが、何よりもカンボジア人の笑顔のお陰だといつも感じる。もちろん今のベトナムの人に20年前の表情の厳しさはないが、それでも、随分と違うのである。迎えに来てくれたカンボジア人の一番の友達のナリンと抱き合って再会を喜ぶ。

街中を見ると、一年半前とあまり変化がないことに却って意外な感じがする。二年前のカンボジアはバブルで、家賃も跳ね上がり、これからどうなるのか心配だった。その後リーマンショックが起こる。一方、ベトナムはリーマンショックの影響をほとんど受けることなく激しい発展と投資バブルが今も続いているのであるが、プノンペンではバブル投資が一気に冷えたらしい。お陰で街中の雰囲気はカンボジアらしくのんびりしている。街の中心に建て始めていた最高層ビルの40階建てのマンションも資金不足で30階止まりとなったという。それでも王宮の正面の遠く後ろに高層ビルの陰が二つ見えるようになった。プノンペンの広い空もいつかは狭くなっていくのだろう。

通い慣れたプールのあるホテルに行くと、驚くことにガードマンから受付、レストランの人たちまでみんなが僕を覚えていてくれて笑顔で迎えてくれた。プールでは当時の顔馴染みのカナダ人やオランダ人がいて予期せぬ再会を喜んでくれた。感動していると、女房が「6年間あれだけプールに通い詰めていたんだから嫌でも覚えているわよ。」と。確かに。。。僕は本当によく泳いでいた。本当にバカだから泳いでいれば嫌なことも辛いことも軽くなるのである。

6年間一緒に仕事をした保健省の予防接種の責任者のスーン先生は僕らを自宅に招いてくれて、暖かくもてなしてくれた。ここでも何度か紹介したが、この先生の人間的な深さと暖かさは一口では表せない。あれほどの辛い時代を超えてきた人なのに、例えようもなく暖かいのである。仕事をしないスタッフでも我慢して面倒をみる。怒らない。責めない。自分で勉強する。ベトナムでもあるだろう、そんな人間との出会いがこの仕事の大きな魅力の一つかもしれない。 

午前中はメコン川を望む泳ぎ慣れたホテルのプールで体がふやけるまで泳いだ。脱腸手術後で4ヶ月ぶりの泳ぎだったが、思ったよりいい泳ぎで満足。昼下がりには、かつて住んでいた家の周りを女房と散歩した。ここには昨年6月に天国に行った愛犬ビスキーとの散歩道で、思い出が一杯残っている。僕らを黙って見守っていてくれた愛犬に感謝しながら、留守にすることが多くて寂しくさせてごめんねと謝りながら、暑い陽差しの木陰を歩いた。女房は持ってきた遺灰の一部をホテルの裏のメコンの見えるヒマワリの下にそっと埋めた。 午後はユネスコ所長を定年退職したばかりの日本人の親友、Jさんご夫妻宅でギターを弾き、歌を歌い、深夜まで歓談した。 いい時間だった。


西湖のお寺、テトの続き

曇天のハノイに戻ると、テトが明けた。2回もお正月を過ごして申し訳なく思っていたがハノイの人たちのテトは実は続いていたのである。ハノイ最大の湖の西湖に突き出ている古いお寺に散歩に行くとお寺は参拝客であふれていた。 テトから2週間以上経っているのにおや?と思ったのだが、ハノイのテトはどうやら2月一杯は続くらしい。 街中のどのお店の棚もいつまで経っても空っぽである。2月の終わりになってやっと入荷が始まる。お店もテト明けの一ヶ月で溜まっていた在庫がはけるので却って喜んでいるのかもしれない。新聞では「テト明けの労働者不足」なんて記事が載る。テトで田舎に戻った建設労働者や、お手伝いさんや工場労働者たちが現場に帰ってこないというのである。何ヶ月も帰ってこない人もいるらしい。田舎に帰ると、お見合いをしたり、恋人といたり、家の手伝いをしたりと、たっぷりと時間がかかるらしい。この辺もハノイらしい。 ハンさんはテト明けにすぐ戻ってきてくれてよかった。 


ハンさんの風疹

そのハンさんからさっき電話があって「オトーサン、顔に急にボツボツが出てきて、風疹になってしまったよ。お仕事やすみますねー。」と。熱はほとんどなくて、元気そうだ。何よりもハンさんが妊娠していないようでよかった。実は麻疹の大流行がワクチンキャンペーンが奏功しておさまってきた一方で、風疹の流行がベトナムで顕在化してきている。

風疹は日本では「三日はしか」とも呼ばれ、麻疹との混合ワクチンが定期予防接種で使われているので流行はすでになく、みんなは病気の怖さを忘れている。しかし、日本でも1950−60年代、大流行があった。風疹は比較的症状の軽いウイルスによる病気だが、妊婦、特に妊娠初期の3ヶ月の妊婦が感染すると、お腹の胎児に影響が出る。もし胎児がその時期に感染すると70-90%の確率で目、耳、心臓などに先天疾患を引き起こし、生涯にわたって障害を残すことがわかっている。日本では1960年代に多くの聾学校ができたのはそのためだと、生前、聾学校の教師だった母親が教えてくれた記憶がよみがえる。 僕はベトナムが喫緊に定期予防接種に導入すべき新しいワクチンは風疹ワクチンだと思っている。 この話はまたの機会にゆっくりしましょう。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次