んだんだ劇場2011年7月号 vol.150
遠田耕平

No113 ハノイの夏、 早朝水泳と北島モデル

ハノイは夏である。 暑い。しかし、昨年のような息が詰まるほど蒸し暑く、腐って溶けてしまいそうな不快な暑さでは今年はないようだ。 ただハノイはもともと気圧が不安定で、時折、空は掻き曇り、突風とともに激しい雨が降る。 すると道路は冠水、街路樹の老木があちらこちらで倒れる。 そんな突風のあったある日、僕の愛用のスイムスーツが消えた。

僕は絶え間なく泳いでいないと脳みそが腐るというお話はここでも何度かしました。しかしハノイに移ってからというもの、高層のアパートの階下にそれなりのプールがあるにも拘わらず、もちろん冬は寒くて泳げず、夏もウィークデイでは帰りが遅くてどうもコンスタントに泳げないストレスが続いていた。つまり脳みそが腐っていた。 そこで、典型的な夜型の僕としては画期的な挑戦をしたのである。つまり、早朝水泳! 朝6時に起きて、眠い目をこすりつつ、スイムスーツを履き、階下のプールに飛び込み、30分ほど1000メートル余りを泳ぐのであるのである。 朝起きが大の苦手の僕が(この話も前にしましたね。)絶対に無理だと思ったが、やるしかないと思うと意外にもできるものである。 好きなことは出来る。。。

早朝水泳を始めて2週間ほど経ったある朝。 例によって夢遊病者の如く起きて、ベランダに干してあるスイムスーツを取りに出た。ところが、いくら探してもスイムスーツがない。しっかりと鉄格子の入っている12階(日本の13階)のベランダである。下着泥棒でもないだろう。しかし、いくら探してもない。頭が混乱して、ぐっすりと寝こけている女房を揺り起こして聞くと、突風で鉄格子の隙間から吸い出されて飛んでいってしまったのだろうという。。。 そんな。。。。皆さんは「いい歳をした男が、なにを、パンツ一丁で。」と思われるかもしれないが、あれは確か「北島モデル」とかで値段が高かった。 北島モデルは、深夜の突風に乗って、暗い空高く舞い上がり、ひらひらとハノイの空をどこぞに飛んでいったか。それからしばらく近所の木に引っかかっていないか、誰かが北島モデルを履いていないかと、注意してみているが、やはり空に消えてしまったようだ。
暗雲立ち込める嵐の前のハノイの空
今朝起きて、階下のプールを上から見て、驚いた。水が黄色い! また浄化槽が壊れたのかと思ったが、一応降りて行ってみた。 係りの人の話では昨夜の大雨の後、こんな色になったというのである。 浄化槽はちゃんと動いている。 水をなめてみたが、いつもの塩素の味だ。 僕は面倒なので、躊躇するベトナム人を横目に黄色く濁る水の中で悠々と泳いだ。帰ってきて女房にその話をすると、「中国から黄砂でも降ったか、ハノイの汚い空気が嵐の雨で流し出されたんじゃないの?」という。黄色く染まっていない僕の体を確認すると、シャワー室に誘導された。 午後、再び階下の黄色いプールを見るとすでにベトナム人たちでごった返していた。 明日の朝はどんな色かな?


ラオスの古都、ルアンプラバーン

メコン川上流の森の中に位置するルアンプラバーンは14世紀から16世紀までランサン王国の首都が置かれた。その後、フランス植民地時代を経て、1975年に共和制に移行するまで王宮が置かれた場所で、今は町全体が世界遺産に登録されて以来多くの観光客が訪れる人気の観光地になった。僕もカンボジアにいた当時の6年前、女房を連れて訪れたことがある。想像以上に観光客が小さな村に溢れていたので、気分が悪くなり女房と口喧嘩したのを覚えている。女房に「あんたも観光客なんだから文句を言うんじゃない。」といわれてカチンときた。でも、まったく女房の言うとおりだ。だから観光も観光地も嫌なのである。

今回はわが社の職員研修を、ラオス、カンボジア、ベトナムから職員を集めて一週間缶詰にしてやるというので、再び不承不承やってきたのである。これは僕のもっとも苦手とするところでなんとも気が重い。どうせならと、前回の穴埋めにと、女房も説得して同行させた。
ルアンプラバーン ワットシェーン
ルアンプラバーン ワットシェーン

わが社の研修

どんな研修かというと、まず社長のメッセージビデオから始まる。国連を取り巻く状況は、わが社の状況も含め、世界経済、ドナーの多様化で日々変化し、私たちもよくお勉強しないとダメだという。ドナーの数は10数年前の数十倍にも増え、その発言権はどんどん増えた。逆にわが社の発言権は減った。世銀や、Global Fund, GAVI、アメリカ、ヨーロッパの各国は今や途上国の保健政策にも関与してきている。私たちも出遅れることなく保健政策のお勉強をして、臆することなく保健政策に関与しましょうというのである。 途上国向けの保健政策、政治、行政をもっぱら研究して、山のようなレポートを書いている中央の連中が焚き立てたようだ。

もちろん保健政策は大事だ。長くフィールドで仕事をしていれば自然にぶつかるものでもある。 最前線の保健婦さんたちがどうしたらもっとまともな条件で効率よく働き続けられるようになるか、お母さんと子供たちにどうしたらもっと負担の少なく行き届いたサービスができるようになるか。思いは尽きることがない。ただ、これを決定していくのはあくまでもその当該国である。外国人の僕らではない。 
白い花びらのプレメリアはラオスの国花
メコン川の対岸にルアンプラバーンの町がある
あまり各分野の技術の専門にこだわることなくドナー間の横の調整にもっと時間をさきましょうというのであるが、それが僕らの本来の仕事だろうか。横の調整をする人たちがいてもいいのであるが、やはり僕らの基本は技術的なアドバイスと横ではなく縦の調整だと感じる。僕の場合であれば予防接種のアドバイスを通して、末端の保健行政の実態と問題をフィールドを歩いて知り、それを中央に持ってきてその国の政府の人たちに話し合ってもらう。結論は彼らが決める。僕らではない。僕らはそのために最善を尽くす。

研修は朝から晩まで、大学の講義のように、講義、テスト、演習、ロールプレー、と続く。若い大学生なら面白いかもしれないが、学生の頃から不良の僕はもう半日で音を上げてしまった。嫌だと思うと耳が英語を拒否してしまうから困る。ただでさえ得意でない英語が聴こえてこないのであるから本当に困る。 それでも逃げるわけにも行かず、訳のわからない政治、保健行政用語を山のように覚えさせられた。すぐ忘れたけど、、、、。 少し救われたのは、英語を母国語とする連中でさえも英語のニュアンスの違いが微妙過ぎてよくわからないと打ち明けてくれたことである。 

たとえば、"Lobbying(ロビー、根回し), Brokering(ブローカー、仲介する), Conveying, Communicating(伝達する), Coordinating(調整する), Negotiating(交渉する)………" という、似て非なる全ての言葉の意味がわが社の役目である、というのである。 もちろんこれに似たことは現場でやっているつもりであるが、英語の意味をはっきり言ってみろといわれると困る(日本語でもピンと来ないから。)。自分に100%はっきりとわからない言葉の意味を政府のカウンターパートに現地の言葉で判りやすく説明しろというのはさらに大変だろう。(いや、僕よりわかっている顔をしている参加者がほとんどだったから、たぶん杞憂かもしれないが。。。)

話の最後には、「国にはそれぞれの優先順位がありますから、尊重しましょう。国の自助努力が大事です。最後は国の政治ですね。」なんて、今日まで5日間のトレーニングはいったいなんだったんだ。というような結論で締めくくる。まあ、僕は内心ホッとするのであるが。。。。斯くの如きトレーニングに、活動経費の40%をカットしないと会社が潰れるとてんやわんやしている本社が、多大の旅費とお金をかけて全世界でやるというのだから、トップの社長は偉い。
森で散歩をしていたカタツムリ
カタツムリの子供、背中の殻はこれから大きくなる。
言い忘れたが、トレーニングを開催した場所がすごかった。なんと町外れのメコン川の向こう岸のロッジであった。ロッジが用意したボートがないと川を渡ってロッジに辿り着けない。つまり完全に僕らを孤立させたのである。初日、すっかり以前泊まった街中に泊まるとばかり思っていた女房は大いに落胆した。が、緑と花の好きな彼女はゆっくりと日中に本を読んだり、近くの村を散歩したり、外の雑音から思いがけなく隔絶された森の世界をそれなりに堪能したようだ。 

もちろん夜と休みには、船で町に渡り、以前訪ねたお寺をもう一度訪ねたり、ナイトマーケットでラオスの織物を見たり、地元の食べ物でラオビールを飲んで楽しんだ。 雨季の只中で天気が悪く、観光客が少なかったことも僕には幸いしたようだ。 お陰で怖い女房と勝ち目のない口喧嘩をしないで済んだしね。


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