遠田耕平
ハノイの街の周辺には沼が一杯ある。そこには毎年、この時期きまって蓮の花(ホアセン)が一斉に咲く。 咲き終わった後は翌年まで枯れた黒い枝が残るだけの侘しげな沼に戻るのでこの時期でないと蓮の池だとはわからないことが多い。今そのたくさんの沼はハノイの激しい開発の波をうけて、どんどん埋め立てられ、消えている。 その開発の波の中でかろうじて残っている沼が僕の住んでいるところのそばにある。
我が家には運転手として働いてくれているドゥック君という歳は息子と同じ頃の生真面目で律儀な若者がいる。その運転手のドゥック君が花好きの女房を気遣って、買い物の帰りに、少し遠回りをしてこの蓮池を傍を通ってくれたらしい。 実は女房も僕も去年、こんなに蓮池で花が咲き誇っていたことをまったく覚えていない。 何でだろうと不思議に思っていたら、そうだと思いついた。 愛犬がちょうど闘病をして、肺がんの脳転移で亡くなった頃だったのだ。 外の景色を見て、季節の移ろいを感じる心の余裕がなかった。 女房がそのことを下手なベトナム語と英語を混ぜて話すと、ドゥック君が習いたての英語でぼそりと返してきたそうだ。「マダムの犬はきっとマダムの大好きな花になったんです。」と。女房は急に胸が熱くなった。 ベトナムの人は犬のお肉をお食べになるけど、時折見事にほろりとさせてくれる。
ベトナムの少数部族と新生児破傷風 7月はまさに旅する月だった。 毎週遠く離れた県を歩いた。 その一つ南部の山岳部の県ビンフォックは僕が15年以上前にホーチミン市を拠点に小児麻痺の根絶の仕事をしていた時に訪ねたことのある懐かしい県である(当時はソンベーと呼ばれていた)。その頃は道路も悪く、夜になってカンボジアと接する山間で、油で揚げたヤモリを酒の肴に飲んだことを思い出した。ゲテモノは苦手な僕だが、森のヤモリはきれいでおいしいと言われて食べた。ヤモリ君たちには申し訳ないが確かに歯ごたえもよくおいしかったように覚えている。面白いので子供に見せようと家に持ち帰ったが、家の中で走り回っているヤモリの大家族たちに親近感を覚えていた子供たちには不評であった。 この県で新生児破傷風が相次いで報告された。新生児破傷風はここでも何度かお話したと思うが、赤ちゃんが産まれた直後に切るへその緒の断端が不潔にされることで入り込む破傷風菌による重篤な感染症である。この菌が体に入ると末梢の神経を冒して筋肉が際限なく緊張していく。頬の筋肉が引きつり、オッパイが吸えなくなり、体は弓なりに反り返る。集中管理をしないと激しい痙攣を繰り返し、最後は呼吸困難で死亡する。 これを防ぐには二つの方法がある。一つはへその緒を清潔に切って保つ。もう一つは母親に破傷風ワクチンを打つ。 すると、母親の体で出来た抗体が胎盤を通って胎児に入り、生まれたての赤ちゃんを守ってくれるのである。家で産むことの多い途上国ではへその緒が不潔に扱われることが多い。竹や貝殻で切った後に、灰や蜂の巣などをつける民間療法が残っていることはカンボジアの時のお話で覚えておられる読者もあるかもしれない。 ベトナムは途上国の中にあって病院や保健所を含めた医療施設での出産(70−80%)がもともと高い国の一つだった。さらに母親への破傷風ワクチンの接種率も高く、2005年にUNICEFとWHOで評価をした時点で、根絶の目標とした各郡(人口10万人程度)でも出産1000例に1例以下の新生児破傷風の条件をクリアーした。 しかしビンフォックではここ5年間で11例の新生児破傷風が各郡から報告され、今年に入って一つの郡から立て続けに2例の報告が続いた。驚くことにこれら13例全ての報告は人口の20%を占める山岳部の少数民族の村からである。
スチアン族のその子の母親は73歳になる、やはり少数民族のタイ族のお産婆さんの手を借りて家で産んだ。産んでから3日後に痙攣が始まり、ホーチミン市の感染症病院までなんとか辿りついて、一ヵ月半ICUに入院して一命を取り留めたという。 母は一度も破傷風ワクチンを受けたことはない。 もう一人いる子供も定期予防接種は受けていない。 それでも、この辺りの予防接種率は97%と報告されているから興味深い。 2人っ子政策の家族計画から算定した人口推定を使っているのか、予防接種の対象となる子供の数は少なく見積もられているようだ。 たくさんの子供で溢れている村を見ると、どうも接種率はあてにならないように思えてくる。 高い接種率で安心する傍ら、政府の保健サービスは思うように少数派の人たちへは届かず、重篤な感染症が起こり、報告されることで初めて僕らに問題を警鐘してくれるのである。サーベイランス(報告システム)の大切さがそこにある。 もう一人の子供は広大な丘陵地帯のなかのカシューナッツの木に囲まれた村にいた。ここも保健所からは決して遠くない。ここはマノン族の村だ。この子も前の子と同様、家で産まれ、4日目から痙攣が始まり、ホーチミン市の感染症病院に辿りついて一ヶ月間ICUに入院して一命を取り留めた。やはり母親も家族も予防接種を受けていない。 周りの子供たちも受けていない。
それでも道は険しい。保健サービスが目の前にあっても拒否する理由はなんだろう。恐れる理由はなんだろう。疑う理由はなんだろう。 どうしたらその壁が低くなっていくのだろうか。その答えをベトナム人、つまり多数派のキン族の人たちが見つけない限り解決はないのかもしれない。 蒸し暑いハノイに戻り、ちょうどそんな思いでいたら、北部のラオスと国境を接する山岳部のソンラー県で麻疹が再び流行しているようだと報告が入ってきた。 麻疹の感染は山間部の僻地のモン族の間に広がっているという。ここでも少数部族の問題が浮かび上がってきた。早速ソンラー県に車を走らせる。 この話はこの次にしましょうね。 |