んだんだ劇場2011年11月号 vol.154
遠田耕平

No117 ラオス国境、モン族の村の麻疹ワクチンキャンペーン

医者ともあろうものが、

また風邪をひいてしまった。3週間も咳が止まらなくなった。 始めは体がだるいので、冷たいプールでマジに泳ぎすぎたのかなあと思っていたら鼻水がタラタラと垂れてきて止まらなくなった。くしゃみも出てきた。 悪くしてはダメだと思い、賢い僕は、すぐにイソジンンで何度もうがいしたのだが、努力もむなしく、鼻水は流れ続け、喉の奥に流れ降りて、次第にひどい咳に変わっていった。いつもこのパターンである。情けないほどにこのパターンなのである。踏みとどまるということがない。風邪ウイルスは我が者顔で僕の弱っちい体の中を大行進していく。

仕事もなぜか一見忙しく、要領の悪い僕は、寝ているわけにもいかず、マスクをして、ティッシュペーパーの箱を抱えて、がんばった。薬も解熱剤、抗生物質、鼻水止め、咳止めと、持参する薬の全てを見事に飲みまくった。「医者ともあろうものが、、、」。これは見川鯛山氏の医者のヤブ医者たるべき真髄を教えてくれる名著であるが、僕は自分の風邪もろくに治せず、またしても自らの肉体を風邪如きに凌駕される自分を大いに嘆くヤブ医者である。そう言えばちょうど去年の今頃も同じような風邪にかかり、咳が止まらず、激しい腹圧のせいで脱腸になってしまったのであった。 結局、年の瀬に秋田に帰って手術をしてもらった顛末はここでもご紹介した。 おばちゃん看護婦に陰毛を邪険にむしりとられた例の話である。

薬は見事に効かなかった。副鼻腔炎に始まり、咽頭炎から気管支炎になり、昼も夜も激しい咳で悶えた。これは気管支喘息であるな、とヤブ医者は自らに診断し、友人からもらった体に貼る最新の気管支拡張薬テープなるものをやってみたが、これも効かない。一枚で効かないなら、二枚、二枚がダメなら三枚と、胸や、背中や、お尻にまで貼りまくり、実に医者らしからぬことをやってみたがやっぱりダメだった。僕が死ぬなら癌でも、交通事故でも、メタボでも、腹上死でもなく、この咳で死ぬんだなと諦めた頃、ようやく咳が治まってきた。今度はどんな薬を試したらいいのか、お医者さんに聞きたいなあ。誰かいいお医者さんを知りませんか? 


女房の歯

僕が咳で安眠できなかった頃、咳の騒音に加えて、女房は別な痛みで眠れなかったらしい。 「パパ、ちょっと診てよ。」と普段は僕をヤブ医者だとバカにして、僕の話を一切信用しない女房が、僕の前に自分の顔を突き出した。 見ると以前は美人だった(と思うが、忘れた。)女房の右の頬が、おたふくの様に腫れ上がっている。人間の顔は左右対称でないと変な顔だと脳が認識するらしく、自然に笑ってしまった。すみません。 歯だ。もう20年来も、何度も痛くなり、その度に治療していた女房の右上の奥歯の二本周りが本気で腫れ上がっているようだ。僕がかかっているハノイの歯科医に一度診て貰えと以前から言っていたのを、「ハノイの医者なんて。」と、まったく無視していた女房であるが、今回ばかりは素直に連れて行ってくれといった。

ベトナムに来て10年になるアメリカ人の歯科医のAさんは、アフリカやカンボジアでボランティアーをやっていたそうで、初対面のときから不思議と話が合った。その上、水泳が趣味ということで余計に気が合った。医者と患者の関係はこの気が合うかどうかが実は全てではないかと真剣に思うときがある。特に自分が患者の立場になったときにはそのことが実によくわかる気がするのである。皆さんどう思われますか?  

さらに感心するのは、彼の診療の仕方である。彼は患者の歯の全景をデジカメでしっかり撮って、スクリーン上でレントゲン写真と並べながら見せてくれて、こちらが納得がいくまで説明してくれる。自分の歯は見えないので治療されると実に不安である。どうしてちゃんと写真を見せて十分に説明してくれないのかといつも不思議であった。なぜか日本ではこういう歯科医に一度も会ったことがなかった。これは単に僕が不幸だったのか、日本中が不幸なのか。僕は日本の歯科医に見てもらっていたのに、自然に抜けてしまった不幸な奥歯を、彼に2年がかりでインプラント手術(人工歯根を骨に埋めて、人工歯を付ける)をしてもらった。2年ぶりに入った奥歯は、食事のたびに歯のあった頃の感触をよみがえらせてくれている。

おたふくの女房であるが、A医師に連絡すると彼は事の緊急性をすぐに察知したようで、急遽診察をしてくれた。レントゲンで見ると奥歯の二本の根元の骨が崩れている。何度も治療してきた結果だし、治療してもすぐまたおたふくになるだろうということで、歯は諦めて、2本を同時にインプラントしようということになった。さらにしっかり診るために、コーンビームCT(CBCT)という歯の3次元CTを撮ろうという。え、そんなのハノイにあるのかと思うとある。場末の個人病院の片隅に3千万円以上もするその機械は何気なく置いてあった。タバコを吸いながらテレビゲームとインターネットで遊んでいる若いお兄ちゃんがあっという間に撮ってくれた。20ドルでやってくれる。大丈夫かなと思ったが写真を見て驚いた。まるで頭蓋骨標本を手にとって見るように歯の全てが見える。もともと日本で開発されたようだが、日本でお目にかかったことがない。これも僕だけの不幸?

結局、女房はすぐに手術になり、2時間以上かけて、ダメな奥歯を2本抜き、人工骨を骨の溶けた部分に移植して、インプラント(人工歯根)を2本留置した。ゆっくりと骨が増殖し安定するのを半年以上待つ。 歯の手術でヘロヘロになっている女房と止まらぬ咳で悶え苦しむ僕で、二人はお互いを見つめながらポンコツになっていく互いの肉体を自覚するのでありました。

移植した所に力がかからないように、当分は左側の歯だけで咀嚼するように言われた女房は、毎日柔らかい野菜スープばかりを作る。咳き込む僕と二人でスープをすすっていると少し侘しくなってきた。 そんな僕を哀れに思ったのか、「あなた、スーパーで牛肉買っといたわよ。自分で焼いて食べなさい。」といわれた。僕は血の滴るような牛肉が好きである。スーパーの買い物につき合わされると、ステーキ用の牛肉をこっそりカゴに入れる。すると女房は目ざとく、「こんな高いものダメよ。」と、さっと元の冷蔵庫に戻すのが常であるが。。。。ステーキを食べてもいいということは、こんなヤブ医者でも生かしておく価値は少しありと思ってくれたのか。いずれ僕は牛肉のステーキが食べれる。歯抜けの女房には申し訳ないが、ポンコツの体に少しでも栄養を与えないといけないのだ。彼女に見事な歯が戻ったときに備えて。。。。。。。


山の民、モン族の村の麻疹ワクチンキャンペーン

以前ここでも紹介したが山岳地帯のソンラー県で、麻疹の流行が見つかった。8月に行ったときは村まで入ることを許されなかった。 今回はラオス国境の二つの郡で麻疹ワクチンのキャンペーンをやるというのでなんとか村まで連れて行ってくれと頼み込んだ。保健省の仲間たちは「僕らは事情を知っているし、話し合っても解決にならないから、トーダ、勝手に見ておいで。」という感じなのであるが、いろいろと尽力してくれて特別な許可がおりた。僕はバカなので自分の目で見ないと何も感じないとみんなも知っている。ありがとう。 この地域は98%までが少数民族のタイ族、モン族などで、統治する側のベトナム人(キン族)は極めて少数派である。そこで、政府に抗議する不穏な動きありと、外国人の立ち入りも含めて、政府は神経を尖らせている。
山の稜線にあるモン族のホイズン村
麻疹ワクチンの接種
ハノイからソンラーの町まで車で8時間近く。僕だけは警察から指定された宿で一泊して、翌朝ラオス国境のソップコップ郡までさらに4時間の山道を車で行く。途中いたるところで土砂崩れや崖崩れがあり、徐行しながら進む。郡の中心の町は山間の小さな平地と小川の横にある。 県の衛生局長のズン先生も同行してくれた。ついでに僕の行動監視で警察も動向。衛生局の人たちもくれぐれもトーダから目を離すことのないようにと言われているようだ。大した行動はしていないのだけどなあ。トイレまで付いて来るので疲れる。さらに疲れるのは食事だ。昼食も夕食も地酒の米焼酎をしこたま飲まされる。僕もがんばるが、衛生局も、病院も、警察も人民委員会もベロベロに酔っ払う。これも職務であるという認識だ。 

モン族の村、ホイズン村

その日は郡の衛生局と病院で麻疹の入院患者の記録を調べなおした。翌朝さらに2時間かけて車一台がかろうじて進める山道をモン族のモイズン村に向かって山道を登った。 途中、川で道が寸断され、ぬかるんだ泥でタイヤを取られ、心配の連続だったがなんとか辿り着いた。 モン族のホイズン村の家々は山の稜線に沿って見事に広がっている。36戸、300人の村だが、5月には30人近い麻疹の患者が郡に報告されている。実際はもっと多かっただろう。
モン族のお母さんと子供
モン族のおばあちゃんと子供
僕らが着くと村の集会場では郡の病院、軍隊の医療班などがすで来て1歳から10歳までの子供66人に麻疹の接種を終わるところだった。彼らも2時間以上かけてバイクでたどり着いている。この村は町には近いほうの村で、遠い村は片道丸一日以上かかるという。村の人たちの表情は思ったより明るい。子供たちも元気そうだ。一軒一軒回って麻疹の病歴を調べたいと思ったが、早く帰るぞとせかされて家を回れない。僕が動くと6人くらいが金魚の糞のように着いてくるので少々辟易する。 村長さんは少しベトナム語が話せるようだが、言葉がやはり通じない。衛生部のほうも誰もモン語を話せる人はいない。詳細な調査は諦めた。 でも村は面白い。山の稜線なのに水が来ているのである。不思議だ。いろいろ聞いてみると、隣のさらに高い山からパイプでひいてきている。すごい。山の斜面にトウモロコシ、米、キャッサバを作り、鳥、豚、七面鳥を飼い、谷では魚を養殖して何百年も生活している。山を知り抜いたものだけが出来る山との共存の生活だ。 細い電線とテレビのアンテナがあったので驚いた。電気をどこから引いているのかと思うと谷間の渓流に小型の発電機を設置して、わずかな電源を供給している。 大したものだ。 

コームー族の村、ホイラオ村

山間の悪路が途絶えるところに麻薬患者の教育施設だという不思議なところがあって、みんなで昼食をとった。やっぱり酒だ。僕は早く酔いを醒ますために必死で水を飲んだ。近くの村で家々を訪ねて、麻疹ワクチンの接種率を調べたいと思っていたからだ。所長のズン先生は酔っ払って昼寝をするというし、ハノイの保健省から嫌々付いてきた先生も気分が悪いと言うので、嫌がる酔っ払いの警察と郡のスタッフを無理やり連れて、近くの村でワクチン接種率を調べにいった。 
河を渡る車
泥の道を抜ける車
そこはコームー族の村である。衣装も言語もタイ族と似ているが、独立した民族分類の人たちである。 一緒に来た警察の若い男がタイ族の出身だというので通訳をさせたが、どうもちゃんと母親たちに訊いてくれていないようで、一向に埒が明かない。すると熊のような顔をした村の世話役の人と運良く出会った。 ベトナム語がかなりできるので助かる。 20人の10歳以下の子供たちの母親にやっと接種歴を訊ねることが出来きた。接種を知らなかったり、忙しかったり、子供が発熱していたせいで、3人の子供が接種していなかった。 多くの子供たちは十数キロはなれた保健所に定期接種に行ってはいないようだ。去年の5歳以下の麻疹のワクチンキャンペーンでもこの村にはワクチン届かなかったようにみえる。
コームー族のホイラオ村
コームー族のお母さんたち
静かな山間の平和な農村である。ズン先生は知っている、酔いの目を時折ぱっと見開いて、ここの問題は定期予防接種だという。 見た目には接種率が高く報告されるのは、推定人口が低く見積もってあるからだろう。彼は予防接種を受けられない子供がたくさん残っていることを知っている。山間に散らばる言葉の通じない少数民族の村は税や米の徴収はされても、保健サービスが届くことが難しい。衛生局長は「山で道は悪いし、少数民族ばかりだし、これ以上どうしろというんだ。」という。そして、ワクチンで防げる病気で再び流行は起こる。 民族と言葉の壁を越え、地理的な困難を乗り越えて、子供たちに等しくワクチンが届く日は来ないのか? 考えろ、もっと一生懸命に。もっと柔らかく。
コームー族の子供たち
コームー族のお母さんと子供


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次