んだんだ劇場2012年2月号 vol.157

No68−爆睡−

ドッコイショと、動き始めました

1月7日 一つ森公園は近所にある。でも市街地から離れているため、まったに行く機会がなかった。公園のそばに住んでいるSさんのガイドでスノーシューで公園をくまなく歩いた。そんじょそこらの山歩きが色あせるほど、雪景色の美しい魅力的な森だった。山もいいが森もすでがたい。いや冬は山よりも森がいい。森は冬のためにある。今冬はできるだけ森を歩きたい。

1月8日 5日と6日に仕事をしただけで年末からずっと2週間近く「休み」状態だ。こういう長いお休みも近頃まれだなあ。今日がその休みの最終日だ。そろそろ明日からの仕事の準備もしなければと思い始めたところだった。友人から大平山・前岳に登ろうと突然の電話、心と体は相反して快諾してしまった。日がな机の前に垂れこめている予定だったのだが、「仕事はいつでもできる、山は今を逃したらいつ行けるか分からない」と、わけのわからない理屈をつけて早起きした。さあ登ってくるぞォ〜。

1月9日 いよいよ本格的な一年が始動。が、実態はいつもと変わらない日々だ。ダラダラ、ユラユラ、フラフラしながら、机の前で鼻くそをほじくっている。それでも、いちおう年頭の決意らしきものはある。この一年、どう考えても爆発的に本が売れるようになったり、劇的に在庫がさばける、なんてことはあり得ない。せいぜい自分だけでも満足のいく原稿と一本でも多く出会いたい。と、まあ何とも情けない程度の「希望」である。さらに一回でも多く野外(アウトドア)で汗を流す機会が増えれば、それで満足だ。ま、自分のことはさておき、皆様に幸多い1年でありますことを祈念しています。

1月10日 今年のお正月休みはDVD映画をたくさん観た。テーマを決めてである。若いころから天の邪鬼だったので、実は大ヒットした映画は鼻先で笑って観なかった。そうして見逃してしまったヒット映画を、この長い正月休みにまとめて観ることにしたのだ。「ジョーズ」「007」「スターウオーズ」「インディ・ジョーンズ」「猿の惑星」「ジャッキー・チェン」「ブルース・リー」といったシリーズ化されたヒット洋画がほとんどで、その1作目だけを集中して観たのだ。いま見てもどれも面白い。やっぱりヒットするには理由がある。でも封切られた当時に観ていたら、どんな感想を持っただろうか。ときどき「青春時代の自分」を呼び出して、今の自分と比較しながら昔の映画を観る、というのも、なんだかこぞばゆいというか、乙な快感があるのを発見。

1月11日 仕事場の窓から、いつやむともわからぬ雪を見続けている。ユーウツな気分になる。雪が降っていないだけで、「いい天気だなあ」と思ってしまう雪国に住む私たちの感覚は、雪の降らない地方の人にはとうてい理解不能だろう。わけもなく、太平洋側の町に青空をみるためにだけ、無性に旅をしたくなる。去年もひどかったが今年も十分に雪は残酷だ。家の前の雪かきとツララ落とし、車が埋まらないように駐車場の除雪も欠かせない。これだけで1日のエネルギーの大半を使ってしまうのだから理不尽極まりない。

1月12日 11日のモモヒキーズ新年会に続き、昨夜は秋田大学の学生2人が訪ねてきて事務所宴会。連チャンでいささか疲れ気味のシャチョーである。それにしても18歳の女子大生と、向かい合って話すことができるなんて長生きしてよかった。若者と話していろんな発見があったが、なかでもおもしろかったのが「草食系」とか「肉食系」という、あの若者分類の話。最近「ロールキャベツ系」なる若者が登場しているのだそうだ。外は草食だが、なかみは肉食系の男女のこと。なるほどうまいもんだねネーミングが。おでん種できたか。


怪しい光

1月13日 寝床と事務所に加湿器をつけている。事務所のものは空気清浄機付属だが、寝床はペットボトルを着脱する簡易型。その割にちゃんと機能を果たしていて満足しているが、点けている間、青い怪しげな光を発し続けるのが欠点だ。LEDとかいうものなのだろうが、寝床周辺がうす明るく寝室全体に何やら隠微な空気感が漂う。機能的にはまったく意味がないのに「消す」ことはできない。余計なものの気もするが、ま、いいか。

1月14日 何が悲しいのか、昨日も吹雪の大滝山公園をスノーハイク。寒さに震えながら、とつぜん「カモ鍋が食べたい!」と思った。同行のSシェフに話すと、事務所でものの10分ほどで小鍋仕立ての鴨ネギ鍋をつくってくれた。醤油ベースの出汁に筒切りしたネギを煙突ふうに立て鍋にびっしり敷きつめる。真中に穴をあけ鴨肉を詰め込む。これだけである。鴨から抜けた脂を煙突ネギが吸い上げ、脂の落ちた鴨に旨みだけが残る。食材は本当にネギと鴨だけで絶品の味。鴨とネギを組み合わせた古人たちの知恵はだてではない。それにしてもSシェフ、恐るべし。

1月15日  年が明けてから半月。まだ今年を予測させるような派手な動きは何もない。わずか2週間ほどが過ぎただけなのだが、個人的には雪山歩きが5回、事務所宴会5回、ってこれは多すぎだろう。いちおう新刊も2点出ているが、新しい仕事らしい仕事は何一つしていない。特筆すべきなのは、このところ猛然とDVD映画を観ていること。1日2本平均!である。昨夜はウディ・アレンの「人生万歳!」。最新作だけあってユニクロやケータイが登場、でも作風は昔のまま。それでもファンとしてはたまらないアレン節全開。ライブドアのレンタルは品数が豊富で本当に便利だ。

1月16日 今週は外に出ている期間が長い。東京にも行くし仙台にも行く。つらつら考えるに、ほとんどこのところ外に出ていない。億劫なわけではない。いや億劫なのかな。用事があってもできるだけメールや手紙、電話で済ませてしまう。著者と一度も顔を合わせないまま本をつくる、なんてことが当たり前になってしまった。いいことではないが、年をとると仕事や人生の優先順位のようなものが微妙に変化する。仕事よりもしかしてプライヴェートに徐々に軸足を移動させつつあるのかもしれない。

1月17日 新幹線でゲホゲホとセキをする若者が隣の席に。仙台で降りたのでホッとすると、また隣にセキ男。マスクぐらいしろよ。ブチ切れそうになる事態だが、読んでいた角幡唯介『空白の五マイル』が面白く、セキ男どころではなくなった。チベット最深部の探検記だが、いやぁ、すごい。一年に5,6冊、こうした本と出合えれば、人生は豊かになるなぁ。

1月18日 もう30年以上前から無明舎の愛読者通信や文庫シリーズの名称に「んだんだ」という言葉を使っている。ある意味「無明舎」=「んだんだ」といっていいほど個人的には密接で親しみのある単語だ。基本的には秋田弁というより東北方言なのだろうが、新宿3丁目末広亭の隣に「んだんだ」という居酒屋ができていた。前はなかったのに。早めに商標登録でもしておけばよかったかナァ。ま、それは冗談だが、この居酒屋、秋田や岩手の食材をメインにする店のようでメニューに魅力を感じなかったので、入らなかった。

1月19日 3泊4日の出張を終え、今帰ってきたところ。仕事以外はこれといった目新しいこともないのだが丸善でビニール製の3ウェイバックを買ってしまった。バックなんていっぱい持っているのだが、ついつい手が伸びでしまう。なぜだろう。基本的にはトートバックで、ショルダーにもディパックにもなるタイプのもの。似たようなものを持っているはずだが、どうにも大きさと重さが気に入らず、ほとんど使っていない。で、丸善でこれをみかけて一目ぼれ。いまのところショルダーがことのほかいい感じ。旅に出るときはしばらくこれ1本で行ってみようか。でも年々外に出る機会は減る一方なんだけど。


1月2月はヒマですね

1月21日 去年ごろからアレレレッと思っていたのだが、週末になると12時間近く爆睡する。熟睡できるのは「若さ」だというのなら、なぜか急にこのごろ若返ってしまったのか。できるだけ週末も普段と変わらない規則正しい日常を心がけていたのだが、身体は思った以上に疲れているのかもしれない。今日も12時間こってり睡眠。もちろんカミさんの了解を得ての行為だったが、3回に1度は「自分のスケジュールが台無しだ」と敵は不機嫌極まりない。それと寝すぎるとその日の夜眠られなくなる、という問題をどうクリアーするか、課題だなあ。

1月21日 さすがに週のうち丸4日間も出張で空けてしまうと仕事は山積み。本来であれば今日は森吉山の樹氷ハイクの予定だったがパス。溜まった仕事も雑用もこの週末で一括処理するつもり。それにしても身体が異常なほど「甘もの」を欲しがる。たぶん疲労が蓄積しているせいだ。甘味を控えると同時に山も少しセーブして、毎日少しでもストレッチ体操(自己流)を習慣づけることにしよう。間食を控えるだけで体重の数キロはすぐに落ちる、はずだ。

1月22日 久しぶりに週末はびっしり事務所三昧。半分は仕事、半分は仕事場の掃除と整理整頓。自分のいる場所の掃除は自分でやるのが決まり。が最近、舎内宴会が増え、食料品(酒や食器類も)が増え整理が大変だ。資料と違い汚れや劣化、おまけに匂いや出し入れも激しく、周辺がすぐにとっちらかってしまう。仕事場に「生もの」が散乱しているのも問題だが、冷蔵庫と資料庫を使って人目に付かないように隠している。のだが、どうしても大ぶりの食器類は隠しきれない。シャチョー室は文献資料に代わって食器類が主役のような顔をして、いたるところに鎮座している状態だ。

1月23日 定番の夜の散歩が雪のため道路が消え、通れない。昼に駅前経由で帰ってくる5キロコースに変更。昨日は歩道いっぱいに歩く高校生(中学生?)たちと交差、危うくケンカしそうになった。2人の真ん中を割って通ろうとしたら「片側を通れっ」とガキに嘯かれたのだ。腕をつかみ、「謝れ」と説教したが、無言のまま逃げるように立ち去られた。家までついて行こうかと思ったが、こんなガキの親だから、輪をかけて親バカだと厄介だ。そういえばアメリカでは何にでもクレームをつける親のことをヘリコプター・ペアレントというらしい。世界中、親子の関係は似たようなもの。このガキ2人の顔は一応ちゃんと覚えている。

1月24日 打ち合わせのため高齢者のお宅のある八郎潟町まで出かけ、今日はデザイナーの住む能代まで出張。雪が多い日は車が四輪駆動でないから不安なのだが、こもっているとろくなことはない。積極的に外へ出ている。車は去年末に新車になった。が、雪のせいもありほとんど乗っていない。こちらでは車は必需品だ。なしでは済まされないものだが、市内の用事は散歩も兼ねて「歩く」と決めている。もっぱら市外用なのだが県外は長距離ドライブのため事故の危険性が増す。そこで「電車で」とこれもまた自己規制している。結局、車は無用の長物ということになるのだが、カミさんのアッシーや緊急用としてなければ困る、そう、例えれば消火器のようなものかな。

1月25日 1月2月は1年で最もヒマな時期。去年は例外でやたらと忙しかった記憶があるが、今年は例年通りヒマだ。それでも月2本ペースで新刊が出せそうなのでホッとしている。出版のマーケットはまちがいなく年々縮小を続けている。小さくなる一方のパイを分け合うという状態だ。奇跡の挽回策などあるはずもないし、ましてや劇的に本が売れだす要素など、どこにもない。欲張らず、過去の夢にすがらず、目の前の仕事をこなしながら、ソフトランディングを模索し続けるしかない。いくつか考えているプランがあるのだが、なかなか重い腰が上がらない。

1月26日 毎朝、新聞の切り抜きが仕事だ。今日はやけに仕事関連の切り抜きが多い。電子書籍や映画のスクリーン数の減少といったものはともかく、ヒトラーの「わが闘争」がドイツでは出版禁止になっている、というのは初めて知った。県内では県南の地域誌が廃刊のベタ記事。これはちょっと驚いた。元地元紙の記者が「鳴り物入り」ではじめた新聞だ。去年11月の創刊だからまだ2カ月も経ってない。その見通しの甘さには開いた口がふさがらないが、実はこの会社には知り合いの娘さんが就職していた。相談を受けたとき「いまどきそんな出版ビジネスはあり得ない」とアドヴァイスしてやれなかった自分が恥ずかしい。


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