んだんだ劇場2012年4月号 vol.159

No70−散歩は夜の田んぼがいい−

秋田にはイノシシもシカもいるようだ

2月25日 「自分で食べられなくなっても人って、生きていたいもんなんですか?」とホスピスで働く若い女性に訊かれた。「そういう状態になってみないと、わからない」としか答えようがないのだが、無反応で暗い老人たちを毎日見ていると、いろいろと考えてしまうのだそうだ。仕事をプライベートにまで引きずりたくない、と彼女は明日の東京マラソンに出場する。その歓送(完走)会を事務所2階で。いつものメンバーたちであるが秋大新聞部のH君も参加したので平均年齢は一挙に若返った。若い人と飲食するのは楽しいね。

2月26日  山に行く前日は10時前にベッドに入る。いつも寝付きがいいのに山行になると眠られない。修学旅行前の中学生か、ジブン。睡眠導入剤として本を読むのだが、こんな時に限って面白くてやめられない本に出会う。昨夜は内澤旬子『飼い喰い』(岩波書店)。最初から悪い予感がしたのだが「どんなにおもしろくても半分でやめよう」と決めていた。が、どうにも止まらない。できるだけ退屈な本を読むべきケースなのに、なんというざまだ。それにしても内澤さん、おもしろかったよ。

2月27日 湯沢市秋ノ宮でイノシシが捕獲された。このニュースにはちょっと驚いた。秋田には害獣であるシカやイノシシはいない。昔はいたようだが農作物被害が大きく駆除されてしまった。去年は八幡平でシカの目撃情報があったので秋田にはシカもイノシシもいる、のはほぼ確実。シカは岩手側から越境したもの。イノシシも「温暖化北進現象」で岩手や山形ではすでに確認されている。こちらも山を越えてきたものだろう。山に行く楽しみが増えたが、ま、遭うことはないだろうなあ。

2月28日 もう2月も終わりか。何度か長い休暇をとるタイミングはあったが、けっきょく「家」を選んでしまった。DVD映画もそんなに観たわけではないし、本も量的にはたいしたことがない。いったい何していたんだろう?自分でもよくわからないうちに時間が過ぎていく。なんとなくゴール(死)に向かってまっしぐら、といった感じだ。そういえば毎朝起きるとき「死」について考える。この年になると当然のことなのか。世の中、おもしろいことって、そんなにあるもんじゃない。1日が短いというのはゴールが近いってことなのかな。

2月29日 物忘れが心配になってきた。思い込みもひどい。今日の朝日の県版を見ていたら自分の原稿が載っていてビックリ。てっきり来週だと思い込んでいた。先日は山帰りの温泉に洗面道具一式を忘れて、とりに帰ったばかり。事務所宴会では必ず物忘れをする人がいて、バカにして笑っていたのだが、自分がこんなことになるなんて。でももっとひどい人たちもいる。自分が忘れ物をしたことをまったく忘れている、というか覚えていない人たちである。それを考えると少しは安心できる。

3月1日 ものすごく忙しかった(ような気がする)20年前と今では仕事量がどのくらい違うんだろう。30年前なら確実に1日15時は働いていた。でもそれは机に座っている時間が長いだけ。成果から逆算するとたいした仕事をこなしていたわけでもない。現在の正味の仕事量は1日5時間弱か。でも土日も同じペースで働いているし、昔のように飲み歩いたり、1か月も海外に出かけたり、出張と称して旅することも、少ない。情報通信の長足の進歩を考えれば、もしかして今のほうが仕事量は増えているかも。これに経済効果も計算上加味すると……う〜ん、複雑でよくわからない。

3月2日 「ノロゲンゲを食べたい」というE君の要望にこたえて、Sシェフが昨日事務所で「お吸い物」と「ムニュエル風」(片栗粉なのでなんというんだろう)の2品をつくってくれた。淡白で上品な味で、これは魚本来の味なのかシェフの腕なのか、比較材料がないのでよくわからない。ノロゲンゲは秋田では氷魚(スガヨ)というらしいがスーパーで5尾70円。その値段からもわかるように下魚としてほとんど秋田では食べない。次回は男鹿でとれる「すごえもん」(だっけ)を食べたいのだが、Sシェフいわく、たいしてうまい魚ではない、そうだ。


酒蔵・広告・冬のゴミ

3月17日 年に一度、友人と2人、県南の浅舞にある酒蔵にお邪魔する。できたばかりの自慢の酒を試飲させていただき、杜氏自らつくる数々の酒粕料理に舌鼓を打つ。地元の鍋倉太鼓の演奏付きなのだが、聴衆より演奏者が多いコンサートである。そういえば去年の余興は、蕎麦打ち職人が出前に出張してくれ、2人のために(だけ)蕎麦を打ってくれたっけ。なんともぜいたくで至福のひとときだが、こんなことを書くと各方面から怨嗟と怒りのメールをいただく。そのため書くのを控えてきた。ゴメンネ、うらやましいでしょ。

3月18日 前から気になっていたのだが、駅裏にある大きな駐車場(公営ではないと思うが)では、ほぼ絶対といっていいほど領収書を出さない。「領収書をください」といえば初めてレジから打ち出された2枚のうちの1枚を渡してくれる。「渡さない」ことを前提としている。これが釈然としない。そういえば秋田ではタクシーも同様だ。「領収書下さい」と言わない限り、領収書(これも機械打ちのただの紙)が出ることはない。大きな都市だと黙っていてもおつりと一緒に出てくるから、どちらが「常識」なのか、私にはよくわからない。先日、ここに書いたおかげでアウディの謎は解明した。また誰か教えて下さい、領収書の謎を。

3月19日 15日から毎日のように打ち続けた新聞広告も今日の岩手日報の一面全3段で一段落。それにしても今月だけで打った新聞広告費は……。つくづく出版は博打だ。売れるかどうか何の保証もない本にウン万円ものお金をマクドナルドのハンバーガーを買うように、深く考えることもなく無造作に打つ。そんな暮らしを長く続けたせいか、パチンコにも宝くじにまったく興味がない。あんなもん出版の世界では赤ちゃんプレーさ、なんてうそぶいている間に馬齢を重ね、もしかして宝くじのほうがよほど効率いいのでは、という疑念も浮かんでくる今日この頃である。パチンコもやってみようかな。

3月20日 もうここで何度も書いていることだが、同じようなテーマの原稿が、なぜか同じ時期に集中する傾向がある。たとえば県北地区の著者が何人も続いたり、酒の原稿が入れば似たようなテーマが3本4本と入ってくる。現在は動物だ。というかアウトドアか。クマの話、サルのこと、渓流釣りから伝説の登山家の伝記……といった具合。でもこれも錯覚の一種で、たまたま似ているテーマが集まった時期が強く印象付けられているだけなのかもしれない。でもなあ、40年近くこの仕事を続けていて、これだけはいつも不思議に思っていること。解明不可能だしね。流行り言葉でいえば「超常現象」ってやつですか。

3月22日 週2回の冬のゴミ出しはつらい。今日は雨。2個のゴミ袋に傘、手袋も必需品だ。無事に出し終え出舎。したのはいいが、なぜか自分の部屋のゴミを入れた手提げ袋を手に持っている。この袋には本来ペットボトルと読み終えた文庫本と電子辞書がはいっているはず……しまった、捨てる袋をまちがえた。急いで集荷場所に戻りゴミ袋を探す。目印は森永アイスの袋。これはある特定の場所でしか売っていない稀少商品だ。その袋を目印に探すと、すぐに見つかった。それにしても、いかに寝起きといっても、大チョンボだ。最近こんなことが多くなっている。老後が怖い。

3月23日 なんとなく仕事も一段落、外に遊びに行きたい気分。なのだが野山はともかく夜の巷に出ていくのは億劫で気後れがする。一人で外飲みするには勇気がいる年になってしまった。かといって事務所の一人酒もなあ……どっちつかずの気分をもてあそんでいたら、タイミング良く朝一番で東京のSさんから秋田に来ているという連絡。渡りに船って、ちょっと違うか。駅前のおしゃれな焼肉屋を予約。かくして昨夜はSさんとその弟さん、私の男3人のガハハハ・ノーテンキ宴会の開幕とあいなった。こんなにタイミング良く事が運ぶことって、なかなかない。すこしは運が向いてきたかな。


年度末に休みが取れて

3月24日 今週末は珍しく事務所に閉じこもってお仕事。それもデスクトップの前でひたすら手紙を何通も書く、というものだ。7通ほどの手紙を書く予定だが、中身はすべて「本にできない理由」や「出版した際の問題点」「書き直しのお願い」や「出版条件の変更」といった内容だ。ま、要するに出版依頼への回答書のようなもの。私のルーチン・ワークといっていい仕事だ。手紙を書くのはそんなに苦手ではない。昔は本当に嫌だったが、形式から自由になると、しゃべるよりも手紙のほうが意思を伝えやすくなる。

3月25日 雪が消えたので夜の散歩コースを「駅往復」から定番の「まっくら田圃コース」に戻した。人とすれ違うこともないし、車も通らないし、風景が見えないのが、なによりもいい。目に見えたもので思考を邪魔されない。この時期は白鳥の北帰行も盛りだ。編隊を組んで真っ暗な空をガーガーと鳴きながら飛んでいく。うるさいほどだが、私の住む広面地区は渡りのルートなのだろう。星もきれいに見える。やっぱり散歩は夜の暗闇の田んぼがいい。

3月26日 大宮エリーの『生きるコント』という文庫本を読んでいたら、のっけに学生時代、試験が嫌でブラジル・リオに旅に出たことが書いてあった。開放的なカリオカ(リオっこ)にならいバスにビキニ姿のまま乗って乗客にドン引きされ、夜になってもその姿で「世界一治安の悪い街」を走り回る。行った人でないとわからないだろうが、夜に女が一人で街に出られる街ではない。男ですら身ぐるみはがされる。それを若い女性が半裸で駆け回るのである。笑いもひきつってしまったが、彼女が読者に与えた最も大きなインパクトは「東大生って、こんなにバカなの」というイメージかも。才能があるというのはうらやましい。

3月27日 外は吹雪や雨や曇天。気分も似たように晴れない。朝起きると外が一面銀世界なんて、この時期、情緒も何もあったもんではない。悲運を嘆きたくなるが、ここは我慢のしどころ。机に向かう。大きなヤマは越したばかりなので集中してやる仕事もない。でも机に座っていないと不安だ。こまった性分だが、これで40年生きてきたのだからしょうがない。仕事をするというよりも何かをずっと待っている。待つことしかない。何を待っているのだろう、と自問自答してみるが、よくわからない。S・ベケットの『ゴドーを待ちながら』をもう一度読んでみたくなった。

3月28日 昨夜は久しぶりに十文字にある居酒屋の「蕎麦打ち宴会」。友人と参加。楽しく飲んでいたらグラングランと平屋の建物が大きく揺れはじめた。このお店は線路脇にある。揺れと同時に列車が通っていたので、しばらくは列車の振動だと思っていた。あれっ、いつも電車が通るたびにこんなに揺れたっけ? 地震だ、と誰かがいう。震度4は確実な揺れだ。他人の家で味わう「揺れ」は恐怖が違った。半端じゃない横揺れだった。住んでいる環境で地震の恐怖というのはかなり差がでる、ということがわかった。

3月29日 ようやく気持ちを決めた。2日間休みをとることにした。仕事をしなくても、机の前に座っているだけで安心できる……こうした体質をそろそろ改めないといけない。のだが何十年もかけてつくりあげられた「慣習」や「性癖」は、そう簡単には「改変」できない。でも少しずつ変えていかないと、いつの日か、突然奈落に落ちていくような「変化」と遭遇する羽目になる。それはイヤ。年と取るたびに頭を柔軟にしていく努力をしなければ。

3月30日 というわけで木金と休みをとって安比高原にスキー。初日は快晴で、生まれて初めて大きなゲレンデにコーフンしながら、おもいっきり滑り倒した。その日は盛岡のホテルで1泊。今日も朝から滑る予定だったが、ものすごい雨。吹雪ならまだしも雨はちょっと……。で予定を変更、帰ってきた。午後の3時にはこうして机に座って仕事をしている、のだから情けない。でも1日半、仕事のことを忘れて存分に楽しんだ。これで十分満足だ。

3月31日 今日で3月も終わり。お役所は明日から新年度。公官庁の仕事をしていないので年度末がどうこうという話とは無縁だが、ちょっぴり気になるのは教科書のサブテキスト本の注文がこの時期に集中する。その数が気になることぐらいか。こうしてだんだん世間との溝が深くなり、忘れ去られ、消えていくのだろう。まあそれも世の常、流れに抗ってどうこうしたいということもない。3月に出した『全訳遠野物語』の増刷が決まった。うれしいニュースだが増刷がほとんど売れ残ることもある。ままならない世の中だ。光の見える方向に歩むことだけでもしんどい、なんていう時代を誰が予測しただろうか。


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