んだんだ劇場2012年6月号 vol.161

No72−やってみようかみまいか−

本と映画とフェイスブック

5月5日 ipodにipad、iphoneとフェイスブックにアイチューンズ、そしてツイッター。よく飲み込めない機能やツールに囲まれている。使いこなせなくても、意味不明でも、十分生き延びては行けるのだが、それらを横目にみて不安や不満、焦燥を感じてしまうのも事実。昨日、国際教養大のY君にきてもらい初歩的なソーシャル・メディアのレッスンをしてもらった。興にのり5時間近い授業になったが、ようやくなんとなく、いろんなことが納得できた。でもツイッターもフェイスブックも自分でやるか、といわれるとウ〜ンとかんがえてしまう。

5月6日 GW最後の休み。見事にどこにも出かけず映画(DVD)や本を読んでダラダラ8日間をやり過ごした。といっても山は太平山2回、秋大や教養大の学生たちとも仲良くなる機会にも恵まれたし、フェイスブックやツイッターをやりはじめたりし(続かないと思うが)、ipadもどうにか使えるようになった。どうせどこに行っても人だらけ、そんなところにわざわざ出かける必要はない。昔からそう思っていたから、今年のGMはけっこう収穫の多い充実した長期休暇だった、といってもいいかも。さあ、明日から仕事がんばるゾ。

5月7日 ようやくGWが終わってくれた(笑)。今週は忙しくなりそうだ。でもこれはどこも同じか。たまたまGW明けに夏の愛読者DMの印刷・発送時期が重なった。休みの間、意識的に仕事をしなかったのも大きいなあ。忙しいほうがテンションは上がるし、仕事好きだから問題はないが、体力の衰えは、やっぱり感じる。昨夜はGW最後の日、親しくしている大学生たちと発作的に飲み会。2次会まで強行してしまい、いささか二日酔いぎみ。

5月8日 フランスで60年代初頭につくられた映画『穴』をレンタルしたつもりだったが観たらイギリスの同名のホラー映画(01年製作)。名門バブリック・スクールの4人の男女の殺し合いサスペンスで思いもかけぬ内容に驚いた。実はアメリカ映画にも児童文学の傑作を映画化した(ひたすら子供たちが穴を掘り続ける)同名の映画があるようだ。予想以上にイギリス映画が面白かったから文句はないのだが、これからはこの手の「単純ミス」がいろんな場面で増えそうだ。映画の中でよく意味のわからないところがあると、ネットで調べると、たちどころに答えがわかった。ネットって本当にすごい。本屋がなくても困らないのも、本当に助かっている。でもネットのなにもかもいいわけではない。たとえばフェイスブックは、今のところ何がいいのかちっともわからない。同じネットでもこれは自分には無理かも。

5月9日 昔から、本好きたちは「8ポ2段組みの分厚い本」を愛した。原稿用紙(400字詰)で千枚をゆうに超す長編の多くは8ポ2段組み。内容的に面白いのはまちがいないのだが、読みだすと読了まで時間がかかり他のことができなくなる。増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)は、まさにその手の本。2段組みで700ページ、普通の本の4冊分。買って「積読」していたのだが、ついに我慢しきれず一昨日から読みだした。昨夜で3分の1まで読み進んだが、読了までは今週いっぱいかかりそう。その間、何もできない。えらいことになってしまった。やめておけばよかったかなあ。

5月10日 だからいわんこっちゃない。徹夜してしまった。何年ぶりだろうか。心配していた通り『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を最後まで読んでしまった。確信と本音が最後の最後に書いてあるんだもん、ずるいよ。昨日はテレビでナイターを観た後、映画「ソーシャル・ネットワーク」。主役が悪人というアメリカ映画も、ちょっと珍しい。フェイスブックって「名鑑」という意味だったんだ。映画を楽しんだ後、寝床にはいり8時間ぶっつづけで「木村〜」を読み続けた。もうフラフラ。なにやっているのジブン、いい年をして。

5月11日 朝起きたら5分後にはご飯を食べている。こんな生活を長く続けてきた。最近ご飯がのどに詰まるようになった。むせてしまうのだ。食道ナントカ逆流炎?……と疑っているのだが、もっとひどい状態になっているのかも。まずは無理な朝食の取り方をやめることにした。朝は食べないことにして今日で1週間がたつ。朝ごはんをとるのは人間として原則、のように思っていたのだが、ブランチ(朝昼兼用)にしたら、なんだかちょっと、いろんなことから自由になった。決めつけないでいろんなことを試してみよう。残り少ない人生だもの。


奇跡のラーメン屋、ついにオープン!

5月13日 土曜日だが、夏のDM発送作業のため、私以外の人たちは出舎。ご苦労様です。で、私は八森町にある水沢・薬師ハイキングへ。あいにくの雨だったが豊かな森を満喫。実は日曜の今日も連チャンで太平山・奥岳だったのだが、少々疲れ気味でキャンセル。昨日山で採ってきた(もとい採ってもらった)山菜(ワラビとわさび)の下処理をしたり、映画や本をじっくり読む予定。料理も2,3品チャレンジしたい。ま、のんびり休日である。ところで、このところびっくりするほど「良い本や映画」に当たり続けている。このツキを逃したくないなあ。やっぱ、山より芸術ですよ、ナンチャッテ。

5月14日 散歩の途中に何年も看板を掲げているのに休業中のラーメン屋がある。「開店休業」というのは客が来ない状態をいう。店は閉まっているのに看板を下ろさない不思議な店である。そのラーメン屋が去年暮れから店頭に「×月×日オープン」という開店告知を出しはじめた。この告知は半月ときには週間単位で延期告知に替わり、えんえん半年が過ぎてしまった。この延期告知を見るのが散歩の楽しみだった。たぶん永遠にオープンしないのでは、と思わせるほど、たえまなく書き換えられるので、今度はいつかな、と見るのが楽しみになってしまった。ところが先日、ついに「2日後オープン」という具体的告知に。結局それも2日間ぐらい延び、昨日見たら告知板そのものが消え「準備中」の札がかかっていた。ドキドキハラハラしていたのだが、本当に開店にこぎつけたようだ。楽しませてもらったので一度はいってみようかと思っている。

5月15日 フェイスブックやツイッターに「果敢に」挑戦する予定だったが、断念した。物事はやってみないとわからない。やってみて、自分には不向きなことを実感した。映画「ソーシャル・ネットワーク」の影響もあるのかもしれない。ザッカ―バーグの生き方やフェイスブックの成り立ちに違和感があった。この「今日の出来事」が私のツイッターでありフェイスブックだ。これ以上なにか言いたいことはない。「仕事場のブログ」というシバリがあるので「書けないこと」への抑制が効く。でもフェイスブックやツイッターは、その境界をいとも簡単に越えてしまう。少し遠まわりしてしまったが、「断念」というより「回避」という表現が当たっているかな。

5月16日 5月はプロの登山家・竹内洋岳が八千メートル峰の最後の14座目にアタックする月のはず。どうなっているんだろうか心配だ。フェイスブックの株式上場も5月のはずで、ミーハーにはその資産価値も気になるところだ。で、先日のラーメン屋だが、奇跡と言っていいのだが、本当にオープンしていた。散歩の楽しみがひとつ消えてしまった。オオカミ少年でもここまではやらないだろうという、たびたびの延期告知をつぶさに目撃してきた身には感慨深いものがある。今日あたり食べに行こうと思っているのだが、ウ〜ン、やっぱ行かないほうがいいかな。

5月17日 なんとなく閉塞感に息苦しくなると、近所にある秋田大学の生協食堂へランチに行く。ここはまるで〈秋田〉と対極にある無国籍のような場所だ。秋田では若者たちの群れを見ること自体珍しいし、外国人はいっぱい歩いている。自転車のプレートを見ても日本中の高校名や地名が散らばり、さながら歩いて旅してる気分になる。学生の会話も「東北の人ってさァ」とか「〜は秋田にないんだよね」といった声がいたるところから聞こえてくる。そうか、今は新入生の季節だもんね。賑やかでアナーキーで空々しいが、目に見えない穏やかな秩序がちゃんとある。この人混みの中に紛れてランチをしていると、いっときだが閉塞感からゆるやかに解放される。

5月18日 昨日、あるお店でばったり知りあいの若い男性にあった。あちらから声を掛けられ、「や、久しぶり」と会釈して別れたのだが、実はいまだに「どこの誰だったか」わからずに、悶えている。確かに顔には見おぼえがある。かつ好印象を持っている人なのも確かだ。山関係か飲み屋か仕事上の付き合いの人だが、まったく思い出せない。縁遠い知り合いならしょうがないが、この人はもっと近い親しい間柄のはず。もう2日間考え続けているが思い出さず、彼の顔だけが脳裏にちらついている。これからこんなことが日常茶飯事になるのか。うすら寒い風が身体に吹き抜けていく。ホント、誰だっけかなあ。


山菜テンプラで蕎麦を打つ

5月19日 フェイスブックが上場。企業価値を示す時価総額は8兆3千億円だそうだフェイスブックを自分でやってみて初めて分かったのだが、これはプライバシー保護上、かなり問題がある。なにせ実名、顔写真、略歴付。「なかよしクラブ」の回覧板なら問題ないのだがが、逆にブログのような「枠」がない分、言葉が一人歩きする危険性に満ちている。このツールは世界の大きな「抗えない流れ」なのか、それとも過渡的な流行にすぎないのか、そこまではよくわからない。GMの広告出稿取りやめや株価の暴落、アメリカの利用者の半分以上がフェイスブックを信用していない、という調査結果も合わせて読むと、その「危うさ」にはかなりのリアリティがある。

5月20日 今年一番の快晴、と言って見たくなる青空。朝6時から町内のドブ掃除。町内一の「若手労働力」なので、側溝ブロック揚げという力仕事が小生の受け持ちだ。一汗かいた後、そのまま刈和野の黒森山へ。山歩きというよりワラビ採り。夜はその山菜でいっぱいやる予定。とにもかくにも、こう天気がいいとそれだけで気分がいい。明日あたり、ドブ掃除の影響で、ふだん使わない腕の筋肉がパンパンに張っていそうだ。身体を動かす、汗をかく、何も考えない。日が照っている、緑が濃い、空気がうまい。これがすべて。

5月21日 この時期、秋田のスーパーやコンビニでは「タンサン」や「重曹」の袋が山積みで売られている。秋田の人たちにとっては当たり前の光景で、誰も疑問に思ったりはしない。が、他県の人たちから見れば「なに? これ」と思うにちがいない。炭酸水素ナトリウムは山菜のあく抜き必需品である。ワラビやぜんまい、ふきなどのシーズンには欠かせ「食品」なのである。それにしても、この年になってコンビニで「重曹」を買うというのは人生の設計の中にはなかったなぁ。熱湯にワラビを浸し、重曹を入れて一晩置く。これで完成だが、山菜でやる一杯というのは至福の時間だ。天ぷらもいいぞぉ。

5月22日 山の四阿でデジカメを拾った。念のため画像を確認すると、登る途中すれ違った母娘と小学生の三人連れ。ふもとの温泉に遺失届が出ている可能性もあるので、持って帰るが届は出ていなかった。しょうがないので家に持ち帰って近所の交番に。山仲間は「地元紙に画像を送れば掲載して探してくれる」というが、いくらなんでも個人情報を勝手に使うのは問題だろう。仲間でもっとも「常識の持ち主」であるS君に電話で相談すると、「掲載はまずい。交番に届けるのがベター」とのこと。そうだよな。これで落とし主が見つからないとデジカメは自動的に私のものになるらしい。ちっともうれしくない。早く落とし主が見つかってほしい。

5月23日 昨晩は就職が内定した友人の学生(秋大新聞部)のお祝いの飲み会。ひさしぶりに二日酔い。その帰りのタクシーで、ずっと「名前を思い出せなかった友人」の正体が、とつぜんわかった。スポーツクラブでよく顔を合わせた若者だった。でもよく考えたら、顔なじみではあったが、もともと名前も職業も年齢も知らなかった。これじゃ思いだすのに時間がかかるわけだ。日本人初の8千メートル級高峰の世界14座全登頂をめざす竹内洋岳のアタックはここ数日に迫っているようだ。読売新聞がスポンサーなので、読売を読んでいないと彼の動向はわからない。プロレスの試合じゃないんだから他紙も報道してほしい。ダウラギリ登頂に成功すれば他紙も報じてくれると思うが、最近の新聞の質の劣化は著しいから少し不安でもある。

5月24日 シャチョー室の西陽対策用2重窓が効を奏し、暑くなってもずいぶん過ごしやすい。今頃の季節は窓を開け放って風を入れる。これがまた昼寝にはベストな心地よさ。昔は熱が部屋にこもり昼寝どころではなかった。冷房のお世話になるまでの間、この心地よい風と昼寝を楽しめるのはうれしい。部屋にはウールのベストが用意してある。長く風に当たっていると身体から体温が奪われ、寒くなってしまうからだ。年のせいもあるのだろうが、山歩きのせいでとにかく体温調整には敏感になった。上は半そで、下はモモヒキなんていう、意味のわからないいでたちの時もある。もうなんでもありだ。

5月25日 山菜のテンプラがあまりにうまいので、十数年ぶりに蕎麦を打ってみようという気になった。本末転倒、である。2,3日前から準備して倉庫からほこりをかぶった蕎麦打ち道具を出し蕎麦粉を注文。昨日、Sシェフの指導のもと何とか食えるものを打つことができた。で、やっぱりメインは山菜テンプラで、それを美味しく食べるための演出としての蕎麦である。というわけで「本末転倒」だが、これから主役は徐々に蕎麦に移っていく予定だ。前は独学で、ビデオで覚えた蕎麦打ちだったが、やはり先生がいると技術は格段にうまくなる、ような気がする。


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