んだんだ劇場2012年10月号 vol.165

No76−怠惰な生活−

熱中症で人生真っ暗

8月25日 今日から朝日カルチャーセンター主催の「気仙沼フォーラム」参加のため、気仙沼。震災直後に来た時に比べ信号がちゃんと付いているので車の移動は問題なし。昨夜は一関泊だった。ダイレクトで気仙沼に入るのは小生のドライブ技術ではまだ不安。一関の夜に入った焼鳥屋に見おぼえがあった。源氏鶏太の色紙で思い出したのだが、なんでこう、いつも意識せずに同じ店に入っちゃうの。シンポは聴衆そのものが新宿のセンターからそっくり移動した形。レベルも高く、緊張感もあり、けっこうスリリングな講座の連続だった。夜は近くの屋台村で打ち上げ。体調がそんなにいいわけではないので自制して早めに切り上げる。

8月26日 フォーラム2日目。ちょっと頭が重い。クーラーのせいかな。午前中で講座がおわり、午後からは陸前高田へ。テレビで何度も繰り返し流されたあの壮絶な風景が眼下に広がり、言葉が出ない。個人的には昔から陸前高田といえばライブハウス「ジョニー」のある場所として有名だったが、なんとそのジョニーが道路横プレハブで「ジャズ・タイム ジョニー」として営業中だった。八木澤商店を訪ねてお話を聞く。フォーラムの人たちと別れ、ひとり、ホテル観洋にもう1泊。ここで疲れをとるつもり。

8月27日 みんなより1泊多く気仙沼にとまり、温泉に入り、畳の部屋でゆったりとして夏の疲れをとる皮算用だったが裏目だった。夜寝られない。クーラーのせいだろうか。朝、どうにか起きだして風呂に入り、朝食を食べ、車で帰路へ。約3時間半で秋田着。信州から気仙沼と長距離ドライブのハードスケジュールが続く。会社について、いつものように旅行後の荷物を手際よく整理、これが終わらないと旅が終わった気がしない。2時間ほどで終え、さあ仕事をしようと思ったが、身体が妙にだるくて熱い。事務所のソファーでら横になるが、時間がたっても体調は悪くなるばかり。今日の夜は友人たちと飲み会がある。5時間で回復してやる、という気持ちでそのへんの栄養剤を飲みまくり、顔中に「冷えピタ」を張りまくる。飲み会は欠席せずに済んだが、顔が鬼のように真っ赤、とカミさんに笑われた。これで明後日からは東京出張だが、大丈夫かジブン。

8月28日 夜中に苦しくて何度も目を覚ました。体中が熱くてだるい。医者嫌いなので(というより信頼できる医者にまだ巡り合っていない)、ドラッグストアーに駆け込み症状を説明すると、典型的な「熱中症」とのこと。可能性の高いのは気仙沼からの帰途の車中ではないか、と店員さんはいう。車の中で熱中症になるんだ。ショック。冷えピタはやめ、氷枕ならぬ氷鉢巻をつくり、ひたすら寝る。じっと横になったら、あら、ふしぎ、おでこからぐんぐんと身体の汚泥が吸い取られていく気分になり、夕方にはかなり気分がよくなった。恐るべし氷鉢巻。でも相変わらず食欲はない。夜中にまた身体が火照ってきて眠られずモンモンとする。救いは東京行の予定をすべて日中にキャンセル手続きをしたこと。

8月29日 まだ食欲はない。頭の中で食べたい物をイメージしてみるのだが、うまく像が結ばない。かろうじて、卵かけご飯やお茶漬けが浮かぶが、わざわざ作って食べたいと思うほどではない。これは効いてるな、と思ったのは生理食塩水「OS1」。これだけはスイスイと入っていく。点滴と同じ成分です、とドラッグストアー店員が自慢するだけのことはある。仕事はできない。本には集中できない。テレビは疲れる。ただ眼をつむっているしかない。でも夜は無理を承知で(頭が痛くなるのを)、角幡唯介『探検家、36歳の憂鬱』読了。

8月30日 ずいぶんと身体が楽になった。夜中に地震があり、そのあとものすごい驟雨。このひとふりでさっと涼しくなったのがわかった。普通通り、朝ごはんを食べたが、昼は食べられない。確実に回復に向かってはいるのだが、頭のモヤモヤした霧は晴れない。でも峠は越した。なおったら思いっきり「ふくふくおにぎり」が食べたい。これは学生時代によく食べていた料理(?)で、アツアツのご飯の塩おにぎり。電気ガマから直接すくってにぎって食べるというところがミソ。火傷して手の皮がむけるくらいがちょうどいい。

8月31日 今日からは平常営業だ。なんともまあ無残な日々。脳と身体が暑さのため誤作動を繰り返し、しまいには全くかみ合わなくなり壊れてしまった。この間、ほとんど身体を動かしていないため、夜眠られないのも辛い。体調は良くないのに夜中までかけて吉田篤弘『木挽町月光夜咄』を読了。食欲はかなり戻ってきた。今日の朝は玉子かけご飯。食欲なし、運動なし、の日々だったので、どうしてもいつもより水分摂取を怠った。そのため持病の痛風がまた鎌首をもたげそうな気配。かすかに左足首のあたりに予兆がある。これが一番厄介だなあ。一難去ってまた一難。私の人生真っ暗だ。


芭蕉と酒田と新聞広告

9月15日 どんどんものが増えていく、という昔のような環境ではなくなったが、ちょっと油断すると資料という名の「紙ゴミ」はあっという間に増殖する。棚の天井に荷物は載せない、と決めているのだが、いつのまにか有名無実に。年2回、思い切って「捨てる作業」を実行する。物を増やさないのが空間をフレッシュで清潔に保つ唯一の方法だ。経験上これはまちがいない。今年は家の横に張り付いている不粋な倉庫を解体する予定だ。この倉庫はアウトドアの遊びグッズが入っている。これも整理してコンパクトに事務所2階に収納するつもり。事務所2階のカミ資料類や本は大量に処分する予定だ。

9月16日 標高差わずか200メートル。この200メートルを往復7時間半かけて登らなければならない山がある。十和田湖の外輪・白地山(1034m)だ。ほとんど登りはなくダラダラのアップダウン。十和田湖を観ながらのロケーションは抜群なのだが、歩行距離はなんと14キロ。きつくはないが、ゆるくもない。わが秋田にはこんなユニークな山がある。昨日登ったのだが、まだ病み上がりのせいか身体の切れはイマイチ。帰りの温泉で寒気と吐き気がした。それにしてもあまりにユニークで印象的な山なので、おもわず一句。「病み上がり 寝不足くわえて 白地山」。あッ、季語がなかった、お粗末。

9月17日 暑いのが元凶なのか身体の調子はイマイチ。9月後半にしてこの暑さは、さすが経験がない。いや不調といってもハードな運動をすると疲労が押し寄せてくる、という程度。日常をつつがなく送るには何の支障もない。身体の小さな変化に注意を払って日々を過ごすしかない。最近は本よりも音楽が聴きたいという欲求が強くなった。それもクラッシックがいい。これも何か身体からのシグナルかなあ。ある現代作家の本が面白かったのでネットのユーズドで既刊本を15冊、大人買いした。送料も入れて総額5000円弱。これが本15冊の値段(それも単行本)である。本は紙ゴミ? 本はもうビジネスの対象じゃないのかもね。

9月18日 ネットのユーズドで本が安く早く買えるようになったこともあり、事務所書庫の本はたまるばかり。それに加えて、これまで資料として集めてきた郷土史や歴史、料理、交通関係などの本を大量に処分しようと思っている。思ってはいるのだが、古本屋に売るのはしゃくだし、友人たちにただで持って行ってもらうには量が多すぎる。内容も専門的なジャンルのものが多いから、理想を言えば地域で私設の図書館などをやっている方にまとめて寄贈したい。のだが、そうした施設は意外に少ない。さらに公営施設への寄贈は手続きが面倒で、こちらがなにか悪いことをしているような気分になるのでイヤ。はてさて、どなたかいいアイディアはありませんか。あ、当方、子供向けの本はないので、そっち系はダメ。

9月19日 嵐山光三郎著『悪党芭蕉』と『芭蕉紀行』を立て続けに読了。一気呵成の読書の醍醐味だ。俳句に興味がなくとも引きづり込まれるほどにおもしろい。この短詩系文芸の背景にある古典や漢詩への驚くような素養もさることながら、職業としてのいかがわしい俳諧師の存在というのが印象的。死を覚悟した過酷な旅、そしてパトロンと衆道(ホモセクシャルのこと)、人口に膾炙した名句への衝撃的な新解釈……いやはや教科書的常識や日常に水をぶっ掛けられ、満腹になるほど楽しませてもらった。これだから読書はやめられない。もう「古池や蛙とびこむ水の音」なんて軽口を叩いて遊べなくなった。江戸のあの時代にペンネームが「松尾バナナ」って、名前からして普通じゃないもんね。「閑さや岩にしみ入蝉の声」が弟子の蝉吟への追悼の句だったなんて知らなかったなあ。

9月20日 久しぶりに山形出張。といっても酒田・鶴岡なので、まあご近所である。仕事を済ませて、まだ日の高いうちから「こい勢」というお寿司屋さんで一杯やりながらのどくろのあぶったお寿司。これがこの店の名物である。ハタハタや八つ目、ハマグリもうまかったなあ。お酒は「通ぶって」楯野川の「梅酒」。日本で一番おいしいといわれる梅酒である。寿司屋で梅酒というのも、すごいでしょう。夕方前にすっかり出来上がって夜の仕事前にホテルで仮眠。いい気分だったなあ。こんな日も必要だ。

9月21日 酒田では「リッチ&ガーデン」というホテルが定宿だ。ここの朝のバイキングは本当においしい。地元の野菜が主で、さすが「食文化の街・庄内」を標榜するだけある。、調味料もお米もみそも地場産の逸品ばかり。いつ行っても満席で予約の取れないイタリア料理店やフランス料理屋がある「東北の田舎町」って、すごいよね。ここにはもうひとつ、おいしい「香雅」という中華料理店があり、超お勧め。ひとりでなければ必ずここで宴会をするのが決まり。秋田にはこんな店が一つもないのは、どうしてだろう。私が知らないだけなのだろうか。

9月22日 明日(日)から断続的に1週間に3本の広告を打つ。毎日新聞一面38、河北新報全3、魁新報全3だ。多くの人から新聞広告の効果のほどを不審げに訊かれるが、長くこの商売をやってきてわかったのは「数字(売れ行き)だけで広告効果は測れない」ということ。広告には「物を売る」以外にもいろんな効用がある。そのいちいちをここで書く紙枚はないが、ま、そうとしか言えないから高いお金を払うわけです。新刊がなくても、だから新聞広告だけは打つ。静かな池に小石を投げたときのように、小さな波紋が広がるのを信じて。それでいいと思っている。


夏バテがまだ尾を引いている

9月23日 日曜日はうすぐもり。このところ調子の悪い小生と同じく、足の故障に泣いているA先輩と太平山へ。リベンジの健康再祈願登山である。太平山はご近所の山だが、登り3時間、下り2時間半の侮れない1200mの山。秋田市の人はトップクライマーも私たちのような初心者も、この山で遊び、トレーニングする。久しぶりの太平山だったが、驚いたのは若い山ガール達をけっこう見かけたこと。信州の山ではよく見かけるが秋田の山はジジババ・ハイカーの天下だ。なんかちょっと太平山が華やいで見えた。下山後は踏破祝いに山王歓楽街に。A先輩は「この踏破を家族としみじみ味わいたい」と珍しくキャンセル。おかげで雨にたたられた。

9月24日 日曜の毎日新聞一面38の広告はメールや電話注文もほとんどなし。想定内だが全国の書店にどれくらいの注文が入っているのか、結果が分かるまで数日かかる。明後日火曜日は河北新報全3広告。これも大きな期待はしていない。それでも、これからの本の売れ行きや書店動向を知るうえで反応は重要なデータになる。それにしても昔に比べて新聞広告や書評に対するレスポンスがめっきり遅くなった。出たとたん反応があるのは珍しく、1か月も経ってからゆっくり本は動きはじめたりする。国際情勢や経済はものすごいスペードで変化を続けているのに、本の世界は時代に取り残された遺跡のような、スローモーな感じだ。ま、それもまた情緒があっていいか。なんだか唐突だが、日本からプロの作家(物書き)という人種が消えるのは、案外早いのかもしれないなあ。どう考えても初版部数を想像すると、それで生活するというのは無理だ。

9月25日 年に1回、衝動的に身の回りの「モノ」を徹底的に処分したくなる。今がその時だ。暮らしのぜい肉をそげ落としたい。本や衣類、溜めてばかりで使わないグッズに文房具……この欲求は何に由来するものなのだろうか。自分では「心身ダイエット症候群」と勝手に名付けている。新陳代謝が悪くなり昔ほど暴飲暴食はしないのに体重はちっとも減らない。その腹いせ? なのかな。 罪のない身の回りの「モノ」に八つ当たりしているだけかも。幸い、本の処分先は決まりそうだ。問題は衣類。安物買いの銭失いで着ない衣類はたまるばかり。でもゴミにするのはいや。体重を減らすように暮らしの「ぜい肉」をそげ落として、心身とも身軽になりたい。

9月26日 ずっとこのところ「ひきこもり」の生活が続いている。仕事や個人的な事情などではなく、なんとなく、だ。仕事場や寝室にいるのが一番落ち着く、といえばカッコいいが、外に出たくない、というのが本音。外用に気持や外見を立て直さなければいけないのが、とにかく面倒くさい。幸いに雨。大音量でビートルズの「ラバーソウル」を聴きながら、繰り返し南伸坊『本人伝説』をみて笑っている。考えるのは「料理がうまくなりたい」ということ。もう私は老後モードに入っているのだろうか。美味しいものを食べたい、という欲求があるうちはまだ大丈夫のような気もするのだが。

9月27日 「何とか元年」といういい方がある。「電子書籍元年」というのはもう何年間も使い古され狼少年の域に達している。「元年」は知らぬ間に始まり、あっという間に終わる。たとえば過去のネット書店の隆盛はほとんど目に見えない形で進行した。その陰で地方の書店はバタバタと潰れていった。こうしたことを常に同時セットでみる複眼的な視点がないと、現象の核心は見えない。ずっと本を作り続けてきて、今年は確実になにか目に見えない地殻変動が起きている。新聞広告への反応の遅さ、首都圏からの注文の変化、地元書店の予測できない売れ筋……。そうした現象や予兆が積み重なって、出版や本の世界に起きつつある「変化」を感じる。それにしては本家本元の東京は、いつもと変わらないそぶりだ。これはちょっとうそくさい。いや東京から遠く離れた辺境だからこそ、感じられる「風」なのかもしれない。

9月28日 夏からの体調不良がまだ尾を引きづっている。身体がしゃきっとしない。気持が前を向かない。毎日ダラダラとソファーに寝っ転がってばかり。日中そんな怠惰な生活をしているせいか、夜よく眠れない。しばしば夜中に目を覚まして考え込む。といってもほとんど「休むに似たり」なのだが、来し方行く末を、うだうだと堂々巡りばかり。週末の山行もこの頃は苦行だ。行けば楽しいのだが、行くと決心するまでが時間がかかる。なんかちょっと更年期みたいな感じかなあ。困ったもんだ。


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