んだんだ劇場2012年11月号 vol.166

No77−秣と紅葉とパエリア−

10月になり、来年のことを考える

9月29日 コンビニのおにぎりは山行では必需品だ。いつも2個買って山に入るのだが、その2個とも食べきったことはない。疲労困憊で飯がのどを通らない、と自分では思っていたのだが、どうやら違ったようだ。コンビニのおにぎりはほとんどが2等か3等米。ようするに割れ米が多い。コメが割れると炊いた時に澱粉が流れ出す。そうなるとコメの粒粒感が消える。ねっとりしたいやな食感だけが残る。これがまずいと感じる原因だそうだ。そういえば、家で握ってきたおにぎりをもらって食べたら、たしかに美味しかった。なるほど、そういうことだったのか。コンビニ問題だなあ。 

9月30日 今日は国見温泉から秋田駒ケ岳に登る予定だったが、台風を恐れて急きょ中止に。1日の予定がぽっかり空いてしまった。が、そこはうまくしたもの。その山行メンバーで、夜に駅前居酒屋宴会をやることに決定。それもただの宴会ではない。モモヒキーズのメンバーSさんの快気祝いと県内全山(57座)踏破祝いを兼ねた祝宴。でも夕方まではヒマ。雨の筋トレ散歩と、ひとり料理教室(カンテンと肉じゃがとトマトソース)でもやろうか。新ソバはまだちょっと早いし、鍋は簡単すぎるし、カレーはおおごとだ。とにかく甘いカンテンが食べたい。これで行くか今日は。

10月1日 台風はそれたのかな? 寝室が2階で、ちょうど頭側が風の通り道。雨風の音がけっこう増幅されて聞こえる。台風の時は気になって寝られなくなることもあるのだが、昨夜はぐっすり。お酒のせいもあるのだろうが、真夜中に通過するといわれた台風は跡形もなく、チャビチャビ雨音がしただけ。寝床のそばに脱ぎ捨てた衣類に、昨夜の「居酒屋の匂い」が強烈に残っていた。誰も煙草を吸わない個室での宴会だったのに、それでもこれほど匂いがつくのか。ところで昨日のカンテン作りはまた失敗。こんな簡単な料理がどうしてうまくできないのか、深く落ち込む。

10月2日 涼しくなったら体調もめっきり良くなった。現金なもんだ。夜はよく眠られるし、散歩は朝から一時的に夜に替え、早起きのプレッシャーから解放された。散歩の途中に赤ちょうちんに寄ったりする寄り道も楽しい。気持ちが前向きになると外への興味が開けてくる。旅に出かけたくなるし、仕事への意欲もわく。友と酒を酌み交わしたくなる。不調時と一番違うのは、やりたいことがムクムクと頭をもたげてくること。夏バテのころは、もうなにも浮かんでこなかった。ただただ一日が過ぎていくのをボーっと傍観している状態で、やることがないことに苦しんだ。今年の夏はやはり異常な季節だったことを。秋になって実感する。

10月3日 秋田県では絶滅種に指定されているニホンジカが湯沢にいるらしい。てっきり八幡平周辺が有力と思っていたので、これは意外だった。岩手県側から越境してくるわけだから八幡平の可能性は十分でも県南部というのは考えにくかった。近く探検(捜索)に行ってくるつもり。誰にも頼まれていないが個人的興味だからしょうがない。秋田でシカが見られれば、わが生涯でも特筆すべき出来事だ。3,4年前に屋久島で見たのが最後。それにしてもイノシシも湯沢で発見されたから、すごいね湯沢。「イノシシもシカもいる。ヘンな町・湯沢」ってキャッチフレーズ、どう?

10月4日 老朽化が進む事務所を、年1回改修工事(リフォーム)するのが恒例となっている。そのおかげで事務所は築32年とは思えないほど、しっかりしているのだが、今年は玄関前壁面の壁改修と2階の書庫の大改造を考えている。その工事が今日からはじまった。とりあえずは仕事場の顔である玄関壁面。朝からカンカンギーギーにぎやかだ。くわえて事務所周りのこまごまとして作業(草むしりや植木の手入れ)をしてくれるSさんも偶然作業中で、舎員より外で働いている人のほうが圧倒的に多い。賑やかなのは嫌いではないが、落ち着いて仕事はできない。今日は一日外に出ていようかな。

10月5日 朝から雷と雨。昨日のうちに玄関前の壁面改修工事は終了。だから雨はいくら降ってもいい。雨の日は考えごとに向いている。ふだんは考えないようなシリアスなことを、ぼんやりとだが思案中。そのひとつなのだが、来年の仕事の方針を突然の雷鳴のように決めた。新刊は極力抑え、既存本の販促にお金と時間をかける、というもの。ずっと新刊中心主義でやってきたのだが、時代の流れとそぐわなくなってきているのは確かだ。新刊を抑えるのはけっこう勇気がいる。既刊中心主義でどこまでやりとおせるか、うちにとっては大いなる冒険だ。次の展開がまったく見えない時代だが受け身でいることだけは避けたい。


紅葉シーズンがはじまった!

10月6日 鳴り物入りで始めた秋田市の巡回バスの平均乗車率が1日6人だそうだ。ズッコけたが、行政のやることだから、こんなもんだろう。行政と仕事をするたびに感じることだが、最初に巧妙な「責任逃れ」のエキスキューズがある。そこがすべてのスタート地点。失敗しても責任は誰もとらなくて済むようなスタイルができあがっている。「問題はあったけど、ともかくやりました」という構えが最初から優先される。それは政治の世界でも同じなので、過剰な期待はしないように自己鍛錬してきたつもりだが、ときに魔がさして、彼らに「期待」してしまう。そしてガックリうなだれるのだが、希望を語ることは重要な未来だ。若者にそこだけは残しておきたいのだが、それも風前のともしびだ。

10月7日 たぶん今週末が最盛期になるだろう紅葉だが、昨日(日曜)、まだ六割がたの紅葉の秣岳(まぐさだけ)をきっちりと堪能してきた。栗駒山のお隣の山だ。山そのものが燃えあがるような紅葉よりは、六割程度の「あざとさ」のない「程々の紅葉」が好きだ。山頂でのお昼もよかった。F校長の昼弁当がサフラン香るパエリアだったのだ。おすそわけしてもらったが美味だった。秣と紅葉とパエリアは一見ミスマッチだが、意外にこれがうまく調和、三位一体で強く記憶に残った。なぜパエリアなの? と訊いたら、 新米の季節なので残った古米を使ったとのこと。この「理由」もお米に精通した秋田の人らしくて、かっこいい。

10月8日 3連休の最終日。おとなしく事務所で仕事。少しは忙しくなってきた。

10月9日 快晴。気分がいい。昨夜はうまく寝付けなかった。ずっと考えている(悩んでいる)心配事があり、最悪の事態を想像して眠れなくなってしまった。でもそれも朝の快晴で文字通り「雲散霧消」。いや快晴のせいというより、あるアイデアを思い付いたら心配事がスーッと消えてしまった。消えてしまうと、「心配事」なるものが、かなりレベルの低い悩みであったことがわかり、そのことに愕然とする。それにしても10月は何かとあわただしい。HPに新連載をやる予定があり、その準備をしなければならない。いっぽうで山歩きは一番いい季節。明日は栗駒・秣の縦走登山の予定だ。紅葉のこの時期は駐車場が満杯になる。それを避けて、あえての週日登山である。お許しください。

10月10日 栗駒・秣岳を縦走する。日頃、週末も働いているから大目に見てね。って誰に謝っているのか。実は山仲間でビデオ機器関連の仕事をしている友人がいて、彼は週末になるときまって結婚式のビデオ撮影の仕事が入る。そのためほとんど山に行けないのだ。彼の無念さを思うとこちらも胸が張り裂けそうになる(ウソ)。それはともかく紅葉のシーズンは毎年こうして週日の山行になる。天気はいまひとつだったが、今年も紅葉の美しい山を歩くことができた。それだけで幸せだ。今週末には白神の紅葉(小岳)も歩いてくるつもり。週3回の山行というのも初体験だなあ。

10月11日 あらためて今夏がすさまじいい猛暑だったことを、しみじみと思い出している。現金なもので暑さが去ると体調は上向き、身体がよく動くようになった。ヒマだった仕事も徐々にだが忙しくなりつつある。顕著なのは来客が増えたこと。人の行動は実に正確に気候変動とリンクしている。でも、こうした自然現象ですべてを「わかってしまう」のも危険だ。例年と同じように「忙しい秋」が戻ってきたようにみえるが、実は去年とも10年前とも確実に微妙に何かが違う。その変化を見逃すと痛い目にあう。細部ではいろんなことが劣化しはじめ、目に見えないほころびから崩壊が始まっているような気がする昨今である。

10月12日 先日、山の帰りに入った東成瀬村の「さわらび温泉」は建物のつくりがシンプルで、浴場もおしゃれ。すっかり気に入ってしまった。町営とばかり思っていたが「簡保の宿」だった。それはいいのだが、家に帰ってから身体から異臭がする。カメムシの匂いだ。そうか露天風呂にいたカメの臭いが身体についてしまったのか。美しいバラには棘がある。2日間でカメの匂いは消えたが、どうにも周辺の匂いが気になってしょうがない。去年、カメの大発生で寝室にまで入られ、数カ月その匂いに悩まされた記憶が蘇ってくる。今年こそカメとは縁を切りたかったのに、山(自然)とカメムシは切り離せない関係なのだ。こまったもんだ。


世の中、病んでいるのかなあ

10月20日 出張疲れを取り除くのは山しかない。と勝手に決めつけ、岩手・雫石町の葛根田地熱発電所側から千沼が原へ登る。秋田県の乳頭山の裏っかわにある池塘が美しい湿原だ。全員が初めての山。天気も良く岩手山や乳頭(烏帽子岳)もきれいに見えた。が、こんなに登りが大変な山とは知らなかった。3時間余かけても目的地にたどりつかず、やむなく途中で引き返してきた。紅葉はまだだった。キノコあり、大きな沼あり、落ち葉のクッションが気持ちいい急坂の連続。これで夜は熟睡できると思っていたのだが、夜半ものすごい雷と雨で、何度も目が覚めてしまった。そういえば山から下りた直後あたりから岩手山には巨大な雨雲がかかっていた。登っている最中に降らなかったのが幸運だ。

10月21日 4日間の東京出張の翌日は山登り。今週は結局ほとんどデスクワークらしきことをしていない。だから日曜日は日がな机の前に垂れこめている。この5日間、新聞を読んでいなかったので知らなかったのだが、映画監督の若松孝二さんが亡くなっていた。若松さんとはピースボートでご一緒し、その後も「無農薬の玄米を食べたい」ということで何度か秋田の無農薬玄米をお送りしたことがある。見た目とは違って懐の大きなやさしい人だった。お返しに送ってくる上品なお菓子や佃煮にも繊細な心遣いが感じられた。学生時代も彼の作品の自主上映会のようなものを企画しているから、ずっと身近に感じていた存在だった。こうして周りから有能な人びとが櫛の歯が欠けるように消えていくのか。合掌。

10月22日 今夏の猛暑のせいか紅葉が遅い。10月に入ってもう4度も山に入っているが里も山中もまったくダメ。山行の車中でも紅葉の話題はこの時期の定番だが、みんな嘆息ばかり。ところで先日、テレビで「紅葉(こうよう)狩り」と言っていたが、これってどうなの? 「紅葉」と書いて「もみじ」と読むんじゃなかったっけ。「もみじ狩り」ならわかるよね。「もみじのような手」っていうのもヘンだよね。紅葉のような手ってどんな手? 「カエデのような手」じゃないの。楓の語源は「カエルの手」だし……と、しょうもないことばかり考えている秋の夜長です。

10月23日 昨日は職場訪問とやらで市内の中学生4人の訪問を受けた。毎年何組かの小中高生が訪ねてくるのだが(出版という職種が秋田では珍しいため)、説明するガイドのこちらが、いつの間にか熱くなって大人たちとするような出版論をぶってしまい、後からおおいに赤面。そんな自分に嫌気がさして、学生訪問はしばらく遠慮してもらっていたのだが、やはりこんな時代(出版の大きな曲がり角)、ちゃんと若い人たちに実状を伝えたくて引き受けた。でもやっぱり、こりずに新聞記者や大人たちに語るのと「同じ言葉」で、熱く喋っている。もういやだオレ。子供目線でわかりやすく話すトレーニングなんてしてないもんね。

10月24日 バタバタしている。いや相変わらず本業は静かなままなのだが、決算とか新蕎麦飲み会とか料理教室、HPの新連載用の原稿書きや事務所の改修工事といった本業以外のことにあたふたしている。年をとると物事の優先順位も変わってきた。もう仕事絶対優先なんていう価値観はゆるやかにだが消えつつある。根詰めて仕事をして得られるものと、残りの時間を秤にかけて、それなりの優先順位を決めている。唐突だが、なんだか世の中は大きな曲がり角にきているような感じがする。声にはならない「静かなうめき声」がいろんなところから聞こえてくる。

10月25日 事務所の前のイチョウはまだ色づかない。葉っぱがまっ黄色になり、冬が忍び込んでくると、風で葉は飛び散り掃き掃除の日々になる。これがけっこう面倒だ。で、今年からは木々をネットで覆った。近所迷惑防止である。話は変わるが、昔、友人の陶芸家を支援しようと大皿を個展のたびに買った。最近は事あるごとにそれらの大皿を使っている。日常品として使うと美しさに磨きがかかってきて、いとおしく見えるようになった。遠くない将来、割ってしまう可能性も大きい。それでもいい。いやそれのほうがいい。イチョウも陶芸作品も、自然作品には違いない。

10月26日 もう週末か。たいした仕事もしてないのに時間だけは飛ぶように過ぎていく。今月出した本はある自費出版の増刷1点だけ。その代わりと言ってはなんだが、意味のわからない電話だけはよくかかってきた。秋田や教育界への不満を聞いてほしいというものから、幼稚極まりない企画の売り込み、「秋田は寒いから引っ越ししたい」という相談から、うちで出した本を「借りたい」という見知らぬ人からの申し出まで、まあ多士済済。うちは悩み事相談所ではない。書かれたものなら読むが、電話で人生相談されても困ってしまう。世の中かなり深刻に病んでいるのかなあ。


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