んだんだ劇場2012年3月号 vol.158
No92
チェーンソーの目立て

父親が作った目立て台
 100メートルは離れている家から、「庭の立木を切り倒したから、薪(まき)にするなら持って行って」と連絡があったのは、昨年の11月だったと思う。ストーブで焚く薪はいくらあってもいいから、ありがたくいただくことにしたが、父親の入院、その後の在宅看護と気ぜわしい日が続き、週末に房総半島、千葉県いすみ市の家に帰っても、その木を運び出す時間はなかった。
 チェーンソーを持ってその家へ行ったのは、1月下旬になった。太い幹は適当に輪切りされていたが、もう少し短く切らないと持ち上げられないものもあった。それは庭のその場で切ってから道路まで一輪車で運び、かみさんの運転する軽ワゴンで我が家の南側の空地へ運び込んだ。それから、幹の輪切りは大部分を斧(おの)で割ったが、樹種はわからないけれどおそろしく硬く、節目があるところは木の筋が複雑なので斧では割れなくて、ストーブに入る大きさにまでチェーンソーで切り刻むことになった。加えて、長さを切りそろえなければならない枝も大量にあった。
 我が家には、エンジンチェーンソーが2台、電動のチェーンソーが1台ある。どれも父親が買った。ここで暮らし始めてから、薪を作るのに必需品だったからだが、父親はよく、「刃がすり減ると、木が切れないで、息が切れる」と冗談を言っていた。
 父親もチェーンソーを使うのは初めてで、何年かは、切れ味が悪くなった刃を金物屋に頼んで研いでもらっていた。のこぎりだから、「目立て」と言うべきだろう。「目立ては、素人じゃ難しい」と思っていたのである。
 ところがある時、近所の人から「専用のやすりがあれば、誰でも目立てはできる」と私が聞き、やすりを売っている金物屋を教えてもらった。やすりは細い棒状で、専用の金具にセットして使う。金具には、角度を示す線がついていて、その線をチェーンソーの刃を取り付けた金属板に合わせて、一定の角度を維持しながら刃にやすりを押し付けると、摩耗した刃が均一に研げるのである。

チェーンソーの刃にやすりの角度を合わせる

ほんとに小さいチェーンソーの刃
 と、まあ、理屈は簡単だが、実際にやってみると面倒で、根気の要る作業だ。なにしろ、チェーンソーの刃が小さい。手の小指の爪の半分もないくらいなのだ。その刃の一つ一つにしっかりとやすりを当て、一定の角度を維持しながら動かすのは、神経も使う。
 それに、どこにチェーンソーを置いても、やすりに力を入れすぎるとチェーンソー自体が動いてしまう。
 そこで父親は考えた。チェーンソーを固定できないかと。
 で、作ったのが目立て台である。きれいに輪切りにした木の断面に、チェーンソーが乗るくらいの板を打ち付け、小さな、ねじ式の万力を取り付けただだが、これがすぐれものだ。チェーンソーの刃が回転する金属板をねじで固定すると、やすりにどれだけ力を入れても、ぐらぐらすることがない。

父親が作った目立て台

チェーンソーをしっかり固定できる
 この家で暮らし始めた頃、木を輪切りにするのは父親、それを斧で割るのは私と、役割分担が決まっていた。そのうち、父親は眼が衰え、チェーンソーの刃を見定めるのが疲れるようになって、割った薪を乾燥させるために積み上げるのが専門になった。
 昨年末に父親が亡くなって、薪を作るのは今年から全部、私とかみさんの役目になった。
 新しく運びこんだ木を、薪の大きさにし終えたのは2月も半ばになったが、チェーンソーの刃を研いでいて、この目立て台を考案し、残してくれた父親のありがたさを感じた。

薪小屋に薪を運ぶ
 家の裏にある薪小屋も、父親が作った。3畳ほどの広さに簡単な床を張り、側面は波板で囲っただけの簡単な構造だが、重宝している。
 割った薪は、南側の空き地に積んで1年以上乾燥させてから燃やす。生木だと煤(すす)がたくさん出て煙突の内側に付着し、それが大量になると、「煙道火災」といって煤が燃えだす危険がある。だから薪は十分に乾燥させなければならないのだが、必要な分だけ、空き地から薪を持ってくるのは大変だ。それで父親が、この小屋を作った。ここだと雨の日でも、すぐに家の中に薪を持って来られる。

父親が作った薪小屋

半分あいたので薪を運んだ
 ひと冬に、この小屋で2つ分くらいの薪を燃やす。先日、半分ほどになったので、かみさんと2人で空き地から薪を運んで、小屋いっぱいにした。

手製のほうき
 薪が半分になった写真を見て、床にあるほうきに気付いただろうか。
 薪には木の屑がけっこうついていて、運び出す時にそれが小屋の床に散らばる。それでかみさんが、畑のすみに生えていたホウキグサを刈り取り、簡単に束ねて作ったほうきだ。その前は、父親が同様に作ったほうきがあったが、ちびったので、新しく作ったのである。
 ホウキグサは紅葉が美しい。その実は、秋田県では「とんぶり」にして食べる。「畑のキャビア」と秋田では称しているが、私は「とんぶり」の加工方法を知らないので、毎年実が落ちるのに任せ、翌年、勝手に芽生えたのをそのままにしているだけだ。枯れたのをこうして束ねると、なるほど「ホウキグサ」という名前がよくわかる。

ホウキグサを簡単に束ねたほうき

柄をつけるとほうきらしくなった
 かみさんは、柄をつけたほうきも大小2本作った。柄は、月桂樹の枝である。14年前に家を建ててすぐ、かみさんが植えた月桂樹が大きく育ち、枝が込み合って来たので、風通しをよくしてやろうとかみさんが何本かの枝を間引きした。その枝から出ていた小枝を私が鉈(なた)で払い、適当な太さ、長さの枝を選んだら、かみさんがホウキグサを束ねて取り付けたのだ。家の外回りの土埃などは、これで十分に掃除できる。
 それにしても……月桂樹の高いところにある枝を、かみさんは脚立に上り、のこぎりで切ったというのだが……田舎暮らしに慣れてたくましくなったものだと、妙なところで感心した。

干し大根
 1月の末に帰ったら、つい先日まで残っていた風船蔓(フウセンカズラ)のネットに、かわいらしい大根が干してあった。育ちの悪い大根をかみさんが抜いて、縦の切れ目を入れ、ネットにぶら下げたのである。
 実は、この冬の大根は、全部がこんなものだった。タネをまいたのはかみさんで、「まくのが遅かったから、育たなかったんだね」と言っていた。去年の夏は暑く、その暑さが長引いたので、ちょっと様子を見ているうちにタネのまき時を失したのだろう。加えて、寒くなり始めたらどんどん寒くなって、大根の成長を止めてしまったのだろうか。
 これから暖かくなると、花を咲かせる茎が立ってくるだろう。そうなったら、大根の中心が硬くなって食べられなくなる。干すのはいいアイデアだ。用事があって2月16日の木曜日に帰ったら、大根はすっかり干しあがっていた。これは水で戻して、豚のバラ肉のかたまりなんかと一緒に煮ると、おいしく食べられるはずだ。生の大根にはない独特の風味があるから。

育ちの悪かった大根を干す

カラカラに干しあがった大根
 2月18日の土曜日、大きな鍋で何か黒いものを大量に煮てあるのに気付いた。かみさんに聞くと、「去年作った干しナス」だという。食べきれないナスを薄く切って、天日で干し、保存しておいたのだ。しかし、なんだか味がものたりない。
 「ひき肉と、缶詰のトマトを入れて煮込んで、思い切ってパスタのミートソースにしたらどうだ?」
 「なるほどねぇ」
 19日の日曜、佐倉市の単身宅に戻る私に、そのミートソースをかみさんが持たしてくれた。会社から帰ってパスタをゆでるのは面倒なので、ゆでうどんで代用したら、これがけっこううまかった。
 干しナスにしても、干し大根にしても、わざわざ買って来てまで作るものではない。自分で野菜を作っているからこその、余得みたいなものだ。これが、また、楽しい。
(2012年2月24日)


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