んだんだ劇場2012年6月号 vol.161
No95
マグロの中落ち

新東名高速が開通
 建設計画が決定してから25年、待望の新東名高速道路が4月14日午後3時、開通した。開通区間は静岡県内の御殿場ジャンクション(JCT)〜三ケ日JCT間162qで、この区間に設けられた13か所のサービスエリア(SA)、パーキングエリア(PA)も同時に開業した。
 ひと昔前、高速道路のSA・PAと言えば、トイレに寄る場所であり、たまたま昼時なら「何か腹に入れようか」という程度の存在だった。たいていのSAで、「人気ナンバーワンはカツカレー」という時代が長く続いた。SA・PAは「全国均一のメニューとサービスを提供する」のが大方針だったためでもある。それが徐々に変わり始めたのは、2005年10月に旧日本道路公団が3分割、民営化されて以後である。まずトイレがきれいになった。それから食事メニューが豊富になり、土産品も多彩になって来た。近年、その変貌ぶりは加速されている。
 それを誰でもが実感できるのは、新東名だろう。13か所のうち、東京から名古屋へ向かって駿河湾沼津SA(上下線)、清水PA(上下集約)、静岡SA(上下線)、浜松SA(上下線)の7か所は「NEOPASA」(ネオパーサ)というブランド名がついた大型複合商業施設になった。そのどれもが個性的である。
たとえば、開通の日に私がいたNEOPASA駿河湾沼津(上り)は、地中海の港町をイメージしたという建物である。

NEOPASA駿河湾沼津・上りの外観
 ここからは眼下に、駿河湾や伊豆半島を一望できる。今ごろの季節には、2階レストランのテラス席で食事をしたくなる。1階フードコートのメニューも実に多彩だ。
 それだけではない。1階のショッピングコーナーの奥では、毎日、契約農家からその日に収穫した野菜が届く。さらに、沼津漁港に揚がった鮮魚も売られている。そして、そこでは毎日、生マグロの解体ショーさえ行われるのだ。
 マグロはまず、頭を切り落とす。頭の中には、俗に「ノウテン」と呼ばれる、断面が三角形で細長い肉が2列入っている。トロに近い味わいで、築地のマグロ仲卸の社長から「オレはここが一番好きだ」と聞いたことのある部位だ。私も、いつも「ノウテン」を置いてある居酒屋に通い詰めたことがある。それを解体ショーでは、「きょうは特別」(と毎回言いながら)「ただでいいよ」と叫ぶ。見守る客は、一斉にどよめく。ほとんど全員が「ほしい!」と手を挙げる。そこで全員のじゃんけんが始まり、勝ち残った一人がいただく。
 次に、カマ(あごの部分)が2つ切り分けられる。ここの肉はちょっと筋っぽいが、脂があってまさにトロの味。これは1個100円。再び歓声が起こり、またじゃんけん。さらに、3枚におろした残りの骨を高々とかかげ、「中落ちだよ。スプーンでこそぎ取ると、たっぷり食べられるよ。これも100円!」

高速道路のSAでマグロの解体ショー。「中落ち、100円!
 実はここまでが「客寄せ」で、そのあとはマグロの肉をかたまりに切り分けて、相応の値段で売るのである。が、解凍ではなく、沼津の魚市場で仕入れた近海の生マグロだから、クロマグロでなくてキハダマグロでも、ビン長マグロでも、うまい!
 それにしても、どうして肉は骨にへばりついている部分がおいしいのだろう。牛の骨付きカルビ、豚や羊のスペアリブ、鶏の手羽肉……私は、魚も骨をしゃぶるように食べるのが好きだ。毎週、築地へ取材に通っていた頃、午前8時半から9時ごろになると、鮮魚店や料理屋相手の商売を終えたマグロの仲卸が、その時刻から場内に入り始める素人向けに、骨の間の肉をスプーンでこそぎ取って「中落ち」を作っている光景を何度も目にした。中落ちは適度に脂があって、柔らかい、上質な赤身である。
 では、解体ショーのじゃんけんに勝たなければ骨についたままの中落ちは食べられないのかと言うと、そうじゃないんだなぁ。
 先日、20代からの友人、ジュンペイさんに「久しぶりに一杯、どう?」と誘われた。場所は「江東区住吉」だと言う。音楽関係の仕事をしているジュンペイさんは、韓国と日本を行ったり来たりしていて、2か月に1度くらいの頻度で不意に電話が来る。最近は葛飾区の金町(かなまち)とか、江東区西大島とか、隅田川の川向こうばかりで、今回は都営新宿線と東京メトロ半蔵門線が交わる住吉駅で待ち合わせ、連れて行かれたのが「まぐろ専科」という看板の居酒屋だった。
 で、店に一歩入って驚いた。男性1人、女性2人が囲むテーブルに、あのまぐろの骨がデーンと置かれていたのだ。あんまり驚いて、先客の顔も見ずに「すみません、これ、写真に撮らせてください」と、バッグからカメラを取り出した。手をつけようとしていた3人が慌てて手を引っ込めたので、「お客さんの姿は撮りません。この骨だけです」と断って撮影した。この店ではスプーンではなく、ハマグリの貝殻で中落ちをこそぎ取るという演出をしていて、これがまた食欲をそそる。

居酒屋で出されていたまぐろの中落ち
 私とジュンペイさんは、赤身、中トロなどいろいろな部位を盛り合わせた「まぐろ尽くし」の刺身で酒盛りを始めたが、先客を横目に見ながら「2人であの中落ちは食べきれないな」と考えていた。
 でも、3人以上いれば、あれを食べて、飲める。たぶん酒代も含めて5000円くらいはかかりそうだが、同好の士を募りたい。

くじらのベーコン
 娘が高校1年の時だったと思う。誕生日を前に「何か、ほしいものはあるか?」ときいたら、「私ね、一生の間に、どうしても、もう一度食べたいものがある」と、大仰なことを言い出した。
 それは、「くじらのベーコン」だという。
 捕鯨が年々制限され、シロナガスクジラやナガスクジラ、マッコウクジラなどは禁漁になっていた時代だが、毎週通っている築地の魚市場にならベーコンはあるはずだ。「よし、わかった」と、さっそく築地に行ったら、確かにあった。しかし、片手に乗るくらいのかたまりが2万円もした。見るからにうまそうなベーコンだったが、私の小遣いで買うにはちょっと痛い値段だ。
 それで、よく取材に行っていたN水産に相談したら、「ありますよ。安く分けてあげましょう」という。おかげで、築地の10分の1程度の値段で、くじらのベーコンが入手できた。誕生日、娘は大喜びだった。
 が、2切れほど食べた娘が「私が食べたかったのは、このベーコンじゃない」と、思いがけないことを言い出した。
 「じゃあ、どんなベーコンなんだ?」
 「渋谷のね、くじら屋で食べたベーコン」
 私は、娘の舌の記憶力に脱帽した。家族で「元祖くじら屋」へ行ったのは、娘が小学3年生か4年生の時だったと思う。娘がくじらのベーコンを食べたのはその1回だけで、それから5、6年経っている。だが娘は、「あの時のベーコンは、もっとおいしかった」と言う。それは間違いのないことだったので、私は「脱帽した」のである。
 娘の誕生日のために入手したベーコンは、ミンククジラのものだった。当時、ミンククジラは禁漁の枠外にあって、かなりの量を捕獲していたと思う。N水産から分けてもらった時、「ベーコンはナガスクジラが最高なんだけど、今は獲れないから、ミンククジラで勘弁して」と言われていたのだ。それを娘は、舌の記憶だけで選別したのだ。
 そんな娘は今、ワインのソムリエとして働いている。
 さて、先日、単身宅のある佐倉市から、房総半島、いすみ市の家へ車で帰る時に立ち寄ったスーパーで、くじらのベーコンを見つけた。50gで398円。調査捕鯨副産物とパッケージに書いてある。安いとは言えないけれど、白い脂肪部分が赤身に入り込んでいる模様が、なんだかナガスクジラのベーコンに近いように見えたので、思い切って買った。

パッケージに「調査捕鯨副産物」と書かれていたくじらのベーコン

皿に盛り付けたベーコン
 かみさんがそれを染付の皿に盛り、パセリを飾ってくれたら、それだけで豪華に見えた。しかし、そこで悩んだ。くじらのベーコンは、どういう調味で食べるのがうまかったかなぁ。なにしろ、娘の誕生日に食べたベーコンから20年ぶりである。
 私が子供のころ、父親の晩酌のつまみに、くじらのベーコンはしょっちゅう登場していた。そのころ我が家では、味の素をパラパラとふりかけ、醤油をちょっとつけて食べていた記憶がある。
 新聞記者で秋田にいたころ、秋田大学の近くにあったカウンターだけの、「オサムの店」と常連が呼んでいた酒場でも、くじらのベーコンをよく食べたが、そこではマヨネーズが一緒に出てきた。ここには深夜にしか行ったことがなく、常に酔っ払い状態だったが、くじらの脂身であるベーコンにマヨネーズという「コテコテ味」が、不思議にうまかった。
 どこかの店では、酢醤油で食べた覚えもある。
 今回は「専用たれ」というのがついていたが、なめてみて感心しなかったので、まず、何もつけないで食べ、次に醤油とからしで食べ、それから古い記憶をたどって、ごま油を1滴、醤油に落として食べたら、これがいちばんうまくて、ロックの焼酎をぐいと、のどに流し込んだ。
 と言っても、なんだか、子供のころに食べたのは、もっとおいしかったように思えた。
 それは、ベーコンの厚みのためかもしれない。目の前にあるベーコンは、たった50gを何枚に切り分けているのだろう。よくもこんなに薄く切れるものだと、感心させられたが……これは珍味の部類だという気がした。
 かたまりで買って来て、母親が切ってくれたくじらのベーコンは、もっと厚みがあった。だから、「噛んでいると、脂がしみ出してくるような感覚があったなぁ」という思い出がよみがえった。
 くじらが庶民の味であり、日常食だったころの記憶である。
(2012年5月8日)



薪の間に鳥の巣

薪の山を引っ越した
 房総半島、千葉県いすみ市に土地を求め、家を建て、福島の家を引き払った両親と同居を始めたのは1998年である。「老後は雪の降らない土地で暮らしたい」という父親の希望をかなえるためだった。確かにここでは、雪はめったに降らない。けれども、冬はやはり寒い。「暖房は、絶対に薪ストーブだ」と主張したのは父親で、当初は薪がなくて苦労したが、幸い、近隣で樵(きこり)をしていたAさんが、木材市場で売れない木を運んで来てくれるようになり、それで薪には不自由しなくなった。
 2004年秋の台風による水害で、我が家では、わきを流れる落合川に面した地面の一部が崩れた。その後の河川改修工事で、そこにあった樹齢200年はあろうという椎の巨木が2本切り倒されたのをもらいうけて、これもチェーンソーで切って、斧(おの)で割り、乾燥させるために積み上げた山がいくつもできた。
 そういうことができたのは、南側に300坪ほどの空き地があったからだ。ここは、我が家と同時期に土地を買った人が、「しばらくは何も建てないから、自由に使っていていい」と言ってくれたからで、父親は「それなら、雑草など生えないようにしておいてやろう」と、夏には2、3回、草刈り機できれいに雑草を刈り払っていた。木材を輪切りにしたのも、斧で割ったのも、薪の山を作ったのもこの空き地である。

隣の空き地に積んでいた薪の山
 ところが今年になって、「薪の山を片づけてほしい」と、私が土地を買った不動産屋が言ってきた。空き地の所有者が不動産屋に土地を売ることになったそうで、不動産屋はそこに倉庫を建てたいというのである。ただし、売買契約に時間がかかるといい、「急ぐ話ではない」というのでそのままにしていたら、4月の半ばに「売買契約ができることになった」と、不動産屋から連絡が来た。こっちは新東名の開通直前の、めちゃんこ忙しい時期で、家に帰る時間もとれない日々だった。「連休になんとかするから」と返事しておいて、かみさんに「引っ越し大作戦」を立案させた。
 薪は何年も積んだままになっているのもあれば、まだ1年も乾かしていないのもある。樹種も、火力は強いがすぐに燃え尽きる杉の木もあれば、じっくり燃える広葉樹もある。この際、これをうまく組み合わせて新しい山を作ろうと言っておいたら、私が留守の間に、かみさんが薪小屋を古い薪でいっぱいにしてくれていた。そして「南側の防風ネットの内側と、川沿いの雪柳の垣根の前」と新しい場所も決めていた。それだけでは足りないし、薪小屋に運び込む手間を考え、「裏の駐車場にも積もう」と提案した。
 結果として、その3か所に3つずつ、計9つの新しい薪の山を作った。

駐車場には3つの山
 と言えば、運んで積み直しただけと思われるかもしれないが、連日、ヘトヘトになった。父親は、薪の下を風が通るように太い竹で土台を作ってから積んでいた。地面に直接置くと、下の方から腐ってくるからだ。空き地の薪を崩すと、地面にめり込んだ土台の竹には腐っているのもあった。まだ大丈夫なやつを運んで並べ、丈夫なビニールひもでしっかり結び付け、それから薪を運んで積み上げる。防風ネットのわきや、雪柳のところは地面が平たんではないので、鍬(くわ)でデコボコを削り取り、それから土台を作った。土台を作るのと、出来上がった山に屋根をかけてひもでしばりつけるのは私、薪を運んで積み上げるのはかみさん。なんとか連休の最終日には、空き地から薪の山はなくなったが、いつもなら夜は2人で一杯やるのが楽しみなのに、簡単な夕食をとって、バタッと寝てしまう日が続いた。
 ところで、空き地の薪の山を崩していたら、薪の間から鳥の巣が何個も出てきた。

鳥の巣が何個も出てきた
 かわいらしい巣である。スズメだろうか。外側はしっかり丈夫に、中心には柔らかそうな素材を集めていて、卵にも、孵化したヒナにも居心地のよさそうな巣だ。
 薪を積む時、外周は同じような大きさの薪をきちんと並べて崩れないようにするが、中央部には不揃いの薪を入れる。そこだと思いがけない空間ができて、巣作りにも好適だったのだろうが、よく、そんな場所を見つけたものだと、小鳥の知恵に感心した。
 新しい薪の山に、そんな空間があるだろうか。
 あったらいいな、と思っている。

チョウチョも来ればハチも来るミカンの花
 玄関の前には大きな甘夏の木、玄関のわきには、それほどの大きさではないが八朔の木がある。どちらも父親が買って植えた木だ。「福島ではミカンの類は育たないから、写真を撮って、福島の知り合いに送ってやる」と、房総半島の暖かさを自慢したくて植えたのである。
 それが今年、たくさんの花をつけた。甘夏の方は、ヒヨドリに花をついばまれたり、病気になったりして、さっぱり花をつけない年もあったが、今年はすごい。
 そこへ、黒いチョウチョがやって来て、しきりに蜜を吸っている。カラスアゲハかと思ったが、図鑑の写真とよく見比べてみたら、オナガアゲハらしい。

たくさん咲いた甘夏の花

甘夏の花に来たオナガアゲハ
 八朔の方も満開で、甘夏にも、こちらにもハチが集まって来た。
 ひときわ羽音が大きいのは、クマンバチ(熊蜂)である。この肥満体を浮遊させるには、ほかのハチより激しく羽を動かさなければならないのだろうか。リムスキー・コルサコフの名曲「クマンバチの飛行」を、ついつい思い出してしまう(原題は、熊蜂ではなくマルハナバチだそうだが)。
 少し小型のハチも来ていた。昆虫にはそれほど詳しくないので、たぶんハナバチの仲間だと思うが、なんというハチなのかはわからない。ともあれ、チョウチョやハチが飛び交う季節になったのだ。

八朔の花の蜜を集めるクマンバチ

熊蜂よりちょっと小さいハナバチの仲間
 ところで、父親は、「クマンバチには、甘い蜜があるんだぞ」と、よく言っていた。子供のころに戦中戦後の飢餓の時代を過ごした父親は、飛んでいるクマンバチを、なにかでたたき落として、「お尻のところを吸うと、蜜が出てきて、そのころは甘いものがなかったから、うまかったなぁ」というのである。
 図鑑の説明によれば、熊蜂もハナバチの一種で、スズメバチのような凶暴性はなく、人間などには無関心だそうだが……私はやはり怖くて、父親のまねはできそうにない。
(2012年5月27日)


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