んだんだ劇場2012年7月号 vol.162
遠田耕平

No124 ポリオワクチンキャンペーン始まる

モモの死

モモが死んだ。 塚本先生、通称モモは僕の赴任する1年前までハノイのオフィスで予防接種の仕事を2年間してくれた前任者だ。 彼の風貌は一度見ると忘れない。頭の側面を刈り上げ、真ん中はポニーテールにして、黒ぶちめがねをかけている。猫背の長身で、ぶらりと目の前に現れると、風貌はどう見ても怖いパンクロックのお兄ちゃんだ。ところが話し始めるや、少しおどおどした眼差しで、か細い声が薄い唇から漏れてくる。このギャップがたまらない。 誰よりも生真面目で、純粋で、繊細で、優しかった。 

生真面目すぎて、任期の終わりころに眠れなくなった。それで辞めた。それでも、ベトナムが大好きで、体調が回復してからは何度もベトナムに戻って働きたいと連絡を受けた。僕はストレスの多いこの仕事はモモには無理だと言って、NGOの仕事を勧めた。でも、この夏にはまたハノイに遊びに来るからと連絡をくれたところだった。 そのモモが死んだ。まだ40歳半ばで。独身のままで。 仕事のことなんかどうでもいいから、ただ、モモをベトナムに呼んであげればよかった。僕はバカだ。いつも遅すぎる。本当にバカだ。 ごめん、モモ。 彼ほど真面目で純粋で繊細で優しい人はいないのに。 組織のためでも社会のためでもなく、僕たちにとって、大事な人を失った。 こうして僕はまた死んだ人間に借りを作る。


ポリオワクチンキャンペーン始ま


マニラで3日間の会議を終えたあと、朝4時起きでマニラを発ち、そのまま丸一日かけて現地に直行した。ホーチミンから車で6時間近い道のりを走ってポリオキャンペーンの現場に着く。 ここは、前回、前々回この紙面でもお話した変異ポリオウイルスで麻痺した子供の見つかったメコンデルタの、ソクチャン県のビンチョウ郡だ。接種所の様子、キャンペーン直後の子供たちのワクチン接種状況を2日間かけて調べて歩く。 

人口17万ほどの郡で、5歳未満の子供1万8千人を対象にポリオワクチンを投与する。 この郡には10のコミューンに10の保健所がある。その下には100余の村があって、村々に230ほどの接種所を設けて、4日間で1万8千人のワクチン接種を完了させる。


てんやわんやの接種所

朝7時、学校や村の集会所、クメール寺院などに設置された接種所はお母さんたちでごった返している。木陰に机を引っ張り出して、4−5人ほどの保健所のスタッフと村のボランティアが用意をしているが、どうも手際が悪い、お母さんたちは子供をなだめながら気長に準備を待っているが、一時間以上も汗をかきながら待っているお母さんもいる。忙しいお母さんは帰ってしまう。 接種所の手際が悪いもうひとつの原因は栄養プログラムの活動を併用しているからだ。

ごった返すワクチン接種所

通知の紙を持ってやってくるお母さんたち
栄養プログラムは、ビタミンA、駆虫剤(メベンダゾール)の配布、さらに身長、体重を計測して記録する。 ポリオワクチン接種の記録を調査した子供の名前のリストと合わせるだけで、てんやわんやの保健所のスタッフたちなのに、もう接種所は大騒動。

それでも、家事や、畑仕事を一休みして、定期の予防接種を受けたことのないだろう子供たちを3人も4人も連れたクメールのお母さんがたくさん集まってきてくれるのを見ると、なんだか嬉しくなる。定期予防接種を受け損ねていた子供たちが村の人たちと一緒に家族に連れられてたくさんやってくる。これがキャンペーンの大事な意味である。


それでもワクチン接種に漏れる子供たち

それにしても実際どれだけの子供が今回ワクチンをちゃんと受けることができたのか気になる。計画書と報告されてくる接種率を見比べながら、接種率の悪そうな村を見つけ出し、行ってみる。 貧しいクメールの人が多く住む村、広大なえび養殖場の広がる村、海沿いの村などに行き、一軒一軒、家々を訪ねて20−30人の5歳以下の子供たちのポリオワクチンの接種状況を聞いて回るのである。

ポリオワクチンを口に2滴

体重測定
貧しいクメールの村では、ベトナム語がちゃんと話せない、わからない人が予想以上にいっぱいいる。その人たちはワクチンキャンペーンがあることも知らない。さらに、子連れで遠くの畑に働きに行っていて、接種所にこれなかった人もたくさんいる。そこでは接種率は50%程度しかない。

えびの養殖池が地平線まで広がる中に点在する家では、移動して住みついた人たちが多い。中にはやはり連絡が受け取れず、ワクチンキャンペーンを知らない家族もいる。そんなところでは接種率は80%を下る。

週末をはさんだキャンペーン4日目、最終日の夕方、郡の衛生局の薄暗い部屋で、接種率を集計する。 薄暗がりの中で、蚊に刺されながら計算してみると、接種率は75%しか達していない。つまり25%の子供は、キャンペーン最終日を終えた今も、まだポリオのワクチンを受けていない。 受け損ねた子供たちにどうやってワクチンを届けるのか? 郡の課題は残る。 ポリオのワクチンは一ヶ月間隔をあけて2回受ける。7月の2回目のキャンペーンでは、かなりの工夫が必要となりそうだ。


えび、えび、えび、消えた田園とマングローブ

話は少し脱線するが、ソクチャンは20年前、広大なメコンデルタの田園地帯だった。海側には塩田もあった。ところが、それは今、どこにもない。一面、見渡す限り、地平線に至るまで、えび養殖池が何十、何百と続いているのである。 子供たちのワクチン接種を調べるためにその養殖池の間に点在する家々を歩きながら気がついた。それらの池の多くが水草が生えて養殖に使われずに放棄されているのである。いったいどうしたんだろう。

えび養殖池でワクチン接種を聞いて回るフォン先生

ワクチンを受け損ねたクメールの家族
現地の人に聞いてみると、えび養殖は10年くらい前から大ブームになったらしい。農家は競って、銀行からお金を借りて農地を養殖池に変えていく。何百年も培った肥えた農土を掘り返し、池にして、回りを粘土質の泥で固め、水が溜まりやすくする。さらに土中の細菌を殺す薬を撒き、えびが太るように抗生物質を混ぜ、えびが高値で売れるようにあらゆる投資をした。日本も韓国もEUもそのえびを高値で買ったという。 

ところが2年前からえびの病気がどんどん広がって、えびが大量に死んだ。薬を買うお金のない家や、まだ銀行に返済の残っている家は大変なことになった。もちろんお米も野菜ももう作れない。掘り返した肥えた農地をもとに戻すには何十年もかかる。もうえびしか作れない。池だらけの荒野だけが残った。自分たちはそれほどえびは食べないのに。そして、多くの家族が夜逃げして、都市に流れ込んでいるという。一方で、えび養殖を夢見て今も移り住んでくる人もいる。人口は人間の欲望を原動力とする経済原理にかき回されて、流動する。

海岸線に沿っても、えび養殖池は延々と広がっている。そこを歩いていて気がついた。緑の木々がところどころに残っている。よく見るとマングローブの木だ。 隣の土手をよじ登って 前を見るとそこはもう海。土手から海までは10メートルほどしかない。そこにマングローブの林がある。ところがその林の半分以上が枯れているのである。 海岸線の枯れかけたマングローブは波で浸食され、土砂を削りとり、海はすぐそこまで迫っている。 

その時、やっとわかった。目の前に広がるえび養殖池は、以前は広大なマングローブの林だったんだと。真水と海水の交じり合うところでマングローブは生育する。そして、それが海の幸を育み、波から陸を守る自然の堤防になる。 この10年で、金儲けの経済原理がそのマングローブを引っこ抜き、広大な養殖池に作り変えた。 マングローブは枯れ、海の侵食はそこまで来ている。海水が土手を破って養殖池に流れ込む日はそう遠くないかもしれない。儲ける人もいるだろうが、失う人もたくさんいる。はっきりしていることは、田園もマングローブももう戻らないということだ。

ワクチンを受け損ねた出稼ぎの家族

侵食される海岸線の枯れたマングローブ

心よ、目覚めてあれ
時間を巻き戻すことはできない。そして僕らの宿命は時代の流れの中でしか生きれない。目の前をいろんなものが通り過ぎていく。その変わり行く姿を僕という小さな生命体の記憶に刻み込む。忘れまいと。こんなことがあったのだと忘れまいと。時がそれを忘却の彼方に消し去ることに抗うかのように。僕らにはほんの数世代の記憶しかない。親と祖父母の記憶、子供とそしてまたその子供の時代の予感。 変わり続ける流れの中で、変わらない何かがあるのだと伝えたいのかもしれない。変わらない何か。それは何だろう。なんかありそうなんだ。何かぼんやりとしているけど、何かありそうなんだ。 それはなにか、生きていてもいいんだよと教えてくれるような、なにか希望のようなものかもしれない。 それは、なにか明るいもののようにぼんやりと感じるのである。 子供の、そしてそのまた子供たちに伝える何かだ。 


僕の心よ、はっきりと目覚めてあれ。
変わりゆくものすべてを、しっかりと見つめて、心に刻め。
そしてまだ見ぬ子供たちに光る希望のしずくを探し出せ。


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