遠田耕平
ぼんやり考えると 僕はあいも変わらずぼんやりと考えている。 泳いでいるときも、トイレに座っているときも、ベッドに横になっているときも、会議のときも、やっぱりぼんやりと考えている。 心を開放するってどういうことかなあって。どうやったら心を開放できるのかなあ。 どうやったら、とらわれない心、自由で広くて大きな心ができるのかなあ、なんて考える。 何でそんなことを考えることが必要なのか? よくわからないけど、必要なんです。 僕を縛っている何かから自由になること。 そして誰の真似でもない、みんながハッとするようななにかを創造すること。誰れかがみるとなんだかわからないけど、なんだか笑ってしまうようななにか。なんだかじわっと幸せな気持ちになってしまうような何か。そんなものを創ってみたいなあ。 そんなことをずっと考えていくと、それにはきっと常識的な意識の境が邪魔だと思えくる。 たとえば「真面目」と「不真面目」。これに境目がいるんだろうか。なくたっていい。 思いっきり真面目で不真面目をやる?不真面目にみえるけど真面目でもいい。何を言っているのかわからなくなるけど、僕にはこの一見対立する意識は行ったり来たりする同じ意識の線上にある。 「真剣」と「いい加減」もそうだ。同じ線の上に載っている。いい加減にみえるだろうけど、けっこう真剣というのもあり。いい加減な気持ちを真剣な気持ちの中に併せ持っている。「仕事」と「遊び」もそうだ。遊びといわれても仕事といわれてもいい。遊ぶように仕事をする。 仕事の中で遊んでいる。その意識、常識の境を自由に行き来できることがなんだか創造につながりそうな気がする。 僕は人生はやっぱり一種の芸術(アート)だと思っている。 社会的な様々なしがらみや制約、強制や強要、権力や権威、まやかしや見せかけ、常識と組織から解き放つ作業がどうしても必要になってくる。その意味ではやっぱり生きることはアートで、創造だろうと思える。 今のメディア中ではタモリや北野たけしは、かなりアートなんじゃないかなあ。あのこだわり、あのナンセンスさ、あのシャープさ、あの自由さ。 人気はそんなところから来るのかもしれない。とすると大衆の反応も、アートを意識していて、いい感じなのかもしれない。 僕はまだハノイで毎朝水温20度近くに下がった冷たい水に飛び込んでいる。筋肉も股間も縮みあがって頭は真っ白になる。呼吸がうまく出来ない。ああ呼吸が苦しいなあ、しんどいなあと思うときに、苦しいと思うともっと苦しくなる。酸素不足もあるけど、目の前が真っ暗になってきて死ぬかと思う。でも、そのとき少し楽しいことをぼんやりと考えると、なぜか呼吸が少し楽になる。力が抜けてきて、少しうまく泳げるようになる。このぼんやり考えてしまう不思議な心の余裕がうまく現れるといい。この違いはなんだろうとよく思うのだけど、うまくいえない。苦しくても楽になる、速くなる方法はあるということか。するとこれは極めてメンタルな作用だということになる。これも一見対立する感覚を自由に行き来する極めてメンタルな開放感の面白さの一例なのかもしれない。 僕は、奇抜なことをしたらいいということを言っているわけじゃない。 かえって逆である。奇抜なことなんかそうできるものじゃない。僕らは同じ作業をひたすら繰り返すのである。さらに言えば、愚直なまでに見える同じようなこと、日常的な繰り返しに見える中で、心は開放し、偶然との出会いをわずかに予感する。 だからこそ愚直に繰り返す必要がある。 偶然は本来、一見同じように見える繰り返しの中のその先にしか出会うことがないように僕には思えるのである。この愚直の道を通らない限り出会えない何かがある。 それは、ほとんど偶然のようで、それは必然でもある、でも当然じゃないなにか。 深い靄の中から急に視界が開けて山の稜線が見えるように出会う何か。ハッとドキドキするなにか。 それをぼんやりと今日もトイレにしゃがみながら想像するのである。 拡大ポリオワクチンキャンペーン 変異したポリオワクチンウイルスによる2例の麻痺患者の対策として、患者のいる2つの郡でポリオワクチンのキャンペーンが6月と7月に実施されたことは以前この紙面でもお伝えした。 今回は、患者のいる2県(ソクチャンとドンナイ県)とそれと接するすべての郡、19県79郡で、110万人の5歳未満の児童を対象に10月と11月の2回、ポリオワクチンの拡大キャンペーンが行われることになった。
ワクチン接種の作戦は3つ; 1) すべての接種所でお母さんたちを待たせずに、速やかにワクチン接種を行う。 2) すべての接種所での仕事が終わったら、同日にワクチンに来なかった子供たちを村に捜しに行ってフォローし、見つけたらその場で投与する。 3) すべての移動接種チームは、一番難しい場所に接種に行く。 さらに、接種がちゃんとされたのかを調べるために出来てなさそうな村に行って、20人前後の子供たちを家から家に訪ねて接種歴を調べる。
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