遠田耕平
人間のレベルと仕事のレベル 水泳のシーズンが終わって、だぶついてくる自分の腹の肉を見るのは、脳みそが腐って鼻水と一緒に出てくるくらい嫌な気分だ。 12月1日、今年も水温が17度をきって、僕の泳ぎは終わった。 ハノイもぐっと寒くなってきた。 ハノイの冬は連日のじとじと雨と、一寸先も見えなくなるモヤとブルブル震える底冷えだ。 僕は再々再度、ポリオのキャンペーンでフィールドに出る。 今年はポリオに振り回された一年だった。 6月と7月に郡レベルの小規模キャンペーン、さらに10月と11月に100万人以上の5歳未満の小児を対象に大規模なキャンペーンを実施した。まったく我ながらしつこいと思うのだが、現場を見ないわけにも行かないし。。。やっぱり見たくないものも見てしまう。。。 フィールドでこっちの人たちと働いていて、よく思うことがある。かなりいい感じの人たちがいるなあ、と。人間のレベルがかなりいい感じだなあ、と思うのである。 一方お仕事のレベルは?となると、これは、かなりまちまちである。 やっぱり人間のレベルとお仕事のレベルはあまり相関しないなあと、再確認するのである。 僕の意味する人間のレベルとは、大きいということである。体ではなく、気持ちのことである。周りの人に細かく気配りをして、自然に周りを守っている感じ。なんとなく漂う安心感。見せかけでない優しさ。そして身近にいる人が命の危険に曝された瞬間に動物的にパッと身を挺してしまうような身のこなし。 それはもう脳からの伝達じゃない、脊髄反射のような何か。そういう厳しい環境で生きてきたから、今も生き抜いているから備わったもの。つまりそういう人は、自分が生き抜くことも大事に考えている人で、一面では、すごい自分勝手にも見える。こういう人を僕は嫌いじゃない。こういう人はベトナムではその辺にごろごろいるのである。保健局の人たちばかりでなく、路上のカフェのおっちゃん、自転車を直してくれるおじさん、道路のごみを清掃するおばさん、。。。みんなすごい。 ところがこういう人たちは、生存がしっかり確保されているときには、どうもマッタリと、大雑把で、なんだかいい加減に見える。 僕らのようにはじめから、生存を確保され、保障されている条件の上でだけ仕事をしてきた人間にはよくわからないところがある。 先進国的な結果主義で言えばもう仕事の結果はボロボロである。なのに、彼らは、「だから、なんなの?」というかんじである。 ところが、その彼らが真剣になる瞬間が存在する。目の輝きが変わる瞬間がある。大抵はお金の話だけど、どうやらそれだけでもなさそうだ。 いったいその彼らを真剣にさせるスイッチはなんだろう? お金?、昇進?、身の危険?、家族の危険? 上からの命令? ああ、わからない、まだよくわからないけど、そのスイッチがどこかにあるというのはわかる。 僕らはそのスイッチをなんとか探し出して、彼らの手でそのスイッチを押させないとダメなんだ、と思えてくる。 はっきり言えば、基本的に僕には仕事のレベルなんかどうでもいいのである。それより人間のレベルのほうがずっと大事なのだ。そしてこの国にはそんないい感じの人たちがいっぱいいる。それはわかっているのである。でも、でも、その人たちが、できるのなら、いい仕事をしてくれたらいいなあと思うのである。本当のいい仕事を。だからそのスイッチをどうしても探してみたくなる。そして彼ら自らの手で押させてみたいのである。 ああ、ダメだなあ僕は。。。仕事のレベルなんかどうでもいいと言いながら仕事にこだわるこの自己矛盾。 それにしても、なんだろう、一緒に仕事をしている時の、このまったりとした感じは? 仕事はまあまあ適当にやって、適当に結果の数字合わせをして報告して、あとは飲み会をして抱き合って終わってしまうこの感じ。 うーーん、悪くはないけど、なんともモヤモヤする。。。 今年最後のキャンペーン 今回はホーチミン市とそれに隣接するビンヅオンとビンフォックの3県を見て回った。ここは前回見てきたメコンデルタの県とは違う。 都市化の波とバブル経済の影響を受けて、新しい工場がどんどん建っている。 それらの建設現場で働く日雇い労働者の家族、レンガなどの建設資材を作る家族の中にワクチン接種から漏れている子供たちが一杯いる。 さらに大きな工場では、その敷地内に多くの家族が住んでいるところもあって、中に保育園が二つもあるところがある。そんなところでは保健所に登録されていないと、大量の子供がワクチン接種からも出れてしまうこともある。
ところでぜんぜん関係ないけど。。。 夜の海の星 少年は海岸からいつもぼんやりと光る沖の海を見ていた。 そこには貨物船もイカ釣り船もいっぱい見えた。 昼間の船は水平線にお行儀よく並んでいる。 夜の船は漁火をともして、水平線が光の線のように浮かび上がる。 それがきれいで、面白くて、好きだった。 少年が大人になったある日、彼は飛行機で夜の海の上を飛んだ。 眼下には満天の星があって、天と地がひっくり返ったと思った。 よく見るとそれは、漆黒の海に瞬くイカ釣り船の漁火だ。 光はあの時のように並んでいなかった。 船は漁場を確保するように広大な海の闇に見事に散らばって光っていた。 大人になった少年は気がついた。 あの時、丸い地球を見ていたんだと。 だから水平線に並んで見えたんだと。 少年は初めて丸い地球を体で感じた。 地球は丸いというお話。この前、飛行機に乗って夜の海岸線を飛んで気がつきました。 地球の半径を6500kmとすると、およそ150cmの僕らの目線から水平線に見える距離は大体5km位になる。それが接線方向に見えるので遠くの船は重なって見える。 地球は丸い。 僕らはその上でサーカスの玉乗り。 つまらない人にも、つまらない事にも、目くじらを立てるのは止めましょう。丸く行きましょう |