んだんだ劇場2013年1月号 vol.168

No79−低山見縊るなかれ−

イヤハヤなんでもありの師走の初め

12月1日 明日は山(房住山)なのに夜中の2時まで呑んでしまった。二日酔いは久しぶり。山仲間でもある教養大のY君が1年間リトアニア留学するので、その送別会。他3名も秋大新聞部の学生。20歳前後の若者と張り合って夜中まで飲み続けてしまうというのも、大人の理性が疑われる。焼き肉屋でたらふく肉を食ってから事務所で2次会、で気がついたら翌日で2時をまわっていた。今日は朝11時起き。12月1日は学生にとって「特別の日」。今日の午前10時から就活の「会社エントリー」が解禁になるのだそうだ。そんな日に老人に付き合ってくれて、ありがとう。

12月2日 昔のニシン漁のことが知りたいと思っていたら絶好の本があった。なかにし礼『兄弟』(文春文庫)だ。破滅的に生きる兄のことを書いた実録小説だが、この詐欺師の兄が3日間だけニシン漁の網を買う場面がある。ニシン最盛期には投機として船単位での権利売買が行われていたのだ。これで一獲千金を果たした兄は、さらにニシンを北海道から秋田能代港に自前の船で運ぶ賭けに出て夢破れる。以後、なかにしは半生にわたって稼いだ金のほとんどを兄に吸い取られることになる。兄に翻弄されながらも、肉親への哀切の感情から名曲『石狩挽歌』は生まれた。あの歌はなかにしの壮絶な半生の苦渋と愛情が閉じ込められていた。曲もいいけど、小説もなかなかのもの。

12月3日 有名な五城目の朝市だが、じつは一度も行ったことがない。その歴史的意味や背景は文献で知っている。エラソーに原稿を書いたこともあるのだが、実際に行ってないのだから、恥ずかしい。昨日の山行(房住山)の前、1時間早起きして念願をかなえてきた。が、冬の朝8時ではまだ準備中、市の通りは閑散としていた。山行の帰りにも寄ってみたのだが、午後にはすべての店が撤去されていた。まったくついてない。これだけモノの流通が整備された今でも、「市」が隆盛なのは現代的にどんな意味を持っているのか興味津津だったのだが、またしてもその機会を逃してしまった。

12月4日 ある人のメール通信を読んでいて考えてしまった。エスカレーターの乗り方についてだ。一般的に左側に寄って、急ぎの歩く人は右側(大阪や仙台は逆のようだが)。それが常識だと思っていたのだが、この人によるとエスカレーターは、歩く(走る)のが危険な行為で静止して乗るのが礼儀。歩く人のために右側を空ける行為はかえってスムーズな流れを妨げる(左だけ混むので)。道路で2車線のうち1車線しか使えないのと同じ理屈だという。非効率だし、アブノーマルな歩く人の犠牲になるいわれはない。なるほどねえ一理ある。

12月5日 友人と言っても孫ほど年の離れているAIU(国際教養大学)の雑誌部の学生たちが「私の青春E判定」というインターネットラジオ番組を作っている。早速聴いてみると、音はクリアー、なかなかしゃれている。山仲間のY君が秋田の山についてしゃべっていた。「おじいちゃんおばあちゃんは、山にケーキや稲庭うどん、ワインまで持ちこんで騒いでいる」ってオレたちのこと? それにしてもまあだれでもいつでもデスクジョッキーの時代。こうした情報発信は活字しか知らない「紙オヤジ」にはムチャクチャ刺激的だ。番組内で自虐的に暴露していたがリスナーはまだ7人、うち4名は身内とのこと(笑)。イヤイヤ、おれも聴くから続けてね。

12月6日 昔の歴史上の人物には難読な名前の人が多い。何度か目にしたり、声に出すうちに読めるようになるが、「役小角」だけはダメ。いつもすぐには出てこない。7世紀、持統天皇や藤原不比等の時代の人物で「えんのおづぬ」と読む。山中に棲むマタギのような呪術師のような、山賊の親分であり、北のアテルイに似た、西の反権力指導者だ。で、この小角だが彼を主人公にした小説がある。山本兼一著『神変(じんべん)』(中央公論新社)。この本を読むと主人公の名前は1ページに3度は確実に出てくる。読み進むうちに自然に読めるようになるのだが、逆に数ページ登場しないと、すぐにまた読めなくなり、冒頭に戻ってルビを確認しなければならない。いやはや小説を読むのにこんなに苦労するとは。

12月7日 山登りをはじめたころ、ツェルトはどんなときにもかならずザックに入れておくように言われた。その教えを守って3年間、ザックの隅っこに入れていたが、ついに一度も使う機会がなかった。それが昨日、地元の太平山・前岳の山頂で友人のツェルトの世話になった。積雪30センチ、氷点下の吹雪の中でツェルトはホント暖かかった。そうか、こんなふうに使うのか。今度からちゃんと持っていこう。氷点下の山では水筒の水は凍るし、ストックのストッパーも凍りつき役目を果たさない。鼻水も汗も凍るし、手足の指に血が通わなくなる。低山でもこんなに厳しいノダ。でも雪山にしかない楽しみがある。夏の暑い山より、じつは雪山のほうが好き。


崩壊の先に新しい未来は見えるのか

12月8日 夕方5時からSシェフの料理教室。といっても実は2人っきりのシャチョー室宴会。最近は出来合いの惣菜はまずいので、酒の肴は自分たちで作るようになった。作ったのは白菜鍋、白菜と柿のサラダ、たらこの炒め物に〆はちょっと珍しい梅酢そば。料理を作っている最中にラジオからビービーと異様な発信音。数十秒後にかなりの横揺れがきた。地震警報だったのだ。調味料のビンをもったまま屋外へ避難。なんで調味料のビンなのか今もってよくわからない。それにしても秋田は散々だ。連日の雨に雷に吹雪の日々。追い打ちをかけるように震度4の地震。もう何日も青い空を見てない。老朽化した舎屋は揺れ放題。同じ敷地に建つ2階建のプレハブ倉庫の倒壊も心配だ。来年は立て直そう。

12月9日 雪がしんしんと降り積もっている。運が悪いことにこれから北秋田市まで車で出かける予定。積雪に恐れをなして電車で行こうかとも思ったが、本数が少なく他にも問題がありすぎる。そこまで考えて初めて気がついたのだが、今秋は五能線にも内陸線にも鳥海山ろく線にも乗っていなかった。毎年、紅葉のベスト時期に1回は地元ローカル線に乗ることを「自分に義務付け」ていた。それがうっかりというか、いやまったく忘れていた。今秋は好天の日が少なかったこと、山に夢中だったことなどが理由だが、存続のためにローカル線に毎年乗ろう、という私にしては殊勝なボランティア魂の薄っぺらさが露呈してしまった。

12月10日 昨日は吹雪の中、北秋田市(鷹巣)までお話の仕事。凍りついた暗い道を、車で帰って来るのは怖かったがノロノロ運転で無時帰還。人前で話をするのはどうってことないが車の運転は苦手だ。今日からは書庫の整理で大工さんが入る。東京出張があり、山の学校のイベントやモモヒキーズの靴納め&忘年会もある。週日ほとんど外に出ている予定だ。事故や思わぬ出来事はこうした時期にきまって起きる。慎重に、調子に乗らないよう、落ち着いて行動しよう。何せ師走だもんね。一応は忙しそうなふりをしてないと見栄えが悪いが、忘年会なるものは何十年も前からほとんど欠席の常習犯で、もう誰も誘ってさえくれなくなっている。今日はダイエットちょうど1ヶ月目。体重はこのひと月で2・5キロ減。敵は忘年会だが、なんとか意固地になってがんばるぞ。

12月11日 今日から3日間は東京出張だ。出張は好きではないが、冬は何となく太平洋側の街に行けるというだけでホッとする。秋田のある程度の富裕層の老人たちは、冬の間は都会の親族をのもとに「季節移住」する人が少なくない。知り合いでも何人か冬期間だけいなくなってしまう。その気持ちが最近分かるようになった。とにかく青空が恋しいのだ。雪に邪魔されない「普通の生活」にあこがれるのだ。体力的な問題もあるのだろうが、雪に痛めつけられて、雪に恨みを抱いて死ぬよりも、一度は雪のないところで暮らして、そこでの苦楽を知りたい、という欲求もあるのだろう。私も生涯で1度くらい、まったく雪のない冬を経験してみたい。

12月12日 東京は3日間とも青空。もうそれだけで行った価値があった。このところ毎月のように上京しているのは「本」をとりまく状況が不安定で、そのへんの核心を自分の目で確かめたいという思いからだ。出版や活字を取り巻く世界は確実に大きな地殻変動のただ中にいる。が、なかなかその変化は目に見えない。よく行く東京堂という書店は一部が喫茶店になっていたし、三省堂では凸版印刷グループの電子書籍端末「リディオ」の店頭立ち売りが威勢のいい声をあげていた。リアル書店で電子書籍端末が売られる時代になったのだ。この辺の舞台裏は田舎出版社のオヤジには伺い知れないことだが、ふと思った。楽天のコボは持っているが、こうなったら思い切ってキンドルもリディオもリーダーもみんな買ってみようか。やけくそな気持ちだが、たぶん総計3万円ちょっとの投資で、もう本を買わなくても済む「劇的な未来」をえられるかもしれない。ってなことはないか。

12月13日 新幹線が仙台を過ぎたあたりから風景は一変、雪景色。冬に上京するといつも思うのだが、日本海側と太平洋側は「別の国」なのだ。年をとるごとに、ことに冬は自分の生まれた場所を恨めしく思ってしまうのは、老化で心身とも弱っていくからだろうか。帰りの新幹線の車中はいつも憂鬱な気分だが、今回は東京駅売店で買った村上龍の新刊『55歳からのハローライフ』が面白く、夢中で読んでいるうちに秋田に着いた。計ったように最後のページを読み終わったら到着のアナウンス。そうか自分は一冊の小説本を読むのに4時間ほどかけているのか。タクシーで家に帰る途中、選挙カーの大音響で現実に戻った。そういえば東京の選挙カーは秋田のそれより静かで落ち着いていた。がなったり怒鳴ったりは嫌われるからだろう。

12月14日 ハタハタが接岸し大漁のようだ。県民としては慶賀に堪えないが、獲れすぎたハタハタを網から捨てる漁民をテレビで見ながら、ふと思った。叱られるのを覚悟でいうのだが、長きにわたる秋田の経済的低迷を生み出したのはこの「ハタハタ」と「あきたこまち」ではないのか。いつまでもコメ依存から脱却できない農業、勝手に接岸する魚を網ですくうだけの創意工夫ゼロの漁業。「恵まれた自然」という安直なフレーズにすがって技術革新も変革も考えずにすんだ環境が、秋田をダメにした元凶ではないのか。デトロイトの自動車産業が崩壊したからビル・ゲイツは生まれた。自動車産業が生き延びていたら、ビルはただのカー・セールスマン、といういい方をアメリカ人はするそうだ。これはなかなか含蓄のある言葉だ。


靴納め・グーグル・検診・お漬物

12月15日 けっこうバタバタしている。なんでこうなるのか、よくわからない。本の注文は少ないし、出版依頼も今年の7月頃から目立って減っている。なのにバタバタ、ウロウロの連続だ。身も蓋もない言い方をすれば「お金にならない忙しさ」というやつだ。久しぶりにネット書店を離れ、東京のリアル書店で読みたい本を何点か買ってきた。のどから手が出るほど「いますぐ」読みたいのだが、時間がない。これは想定外。仕事と遊び、健康管理と料理、読書と資料読み、原稿書きと私的ブログ書き、といった暮らしや仕事のジャンルの垣根が消えてしまってせいではないのだろうか。ほとんど意味の違う、似たような行為が、身体の中で同価値になって自分の中に居座り始めているのだ。これは退行現象? それとも理想的な生活の形なの? 自分ではよくわからないが、当分こんな垣根のない生活が続くのだけは確かだ。

12月16日 モモヒキーズの「靴納め」。その年最後の山行をこのように言うのだそうだ。山は秋田市郊外河辺にある岩谷山と筑紫森のダブル。両方合わせて登り2時間弱、下り1時間の小さな山。山麓に「山の学校」があるので、昼はその屋内でとり、温泉に入って、夜は駅前居酒屋で忘年会。家に帰って山道具を整理整頓、着替えて選挙に行き、それでも十分間に合った。忘年会の出席者は10名。いつの間にか増えてしまった。うざい、しつこい、面倒くさい酒飲みがいないのが、この会のいいところ。今年の山は40座。近年の最多記録だ。たぶん来年も同じくらいの数になる予定だ。体重が落ちれば落ちるほど、山は楽しくなる、ということを実感した1年だった。

12月17日 年齢とともに漬物が好きになっていく。居酒屋で一番に注文するのは漬物。冬になると、いろんな方から自慢の漬物をいただくす。カミさんもいろんなところから、うまいと評判のプロの漬物を買ってくる。でも「これはうまい!」というものにはなかなかであわない。先日、「山の学校」のF校長から頂いた白菜と大根の漬物は絶品だった。うす塩で淡白な味わいが野菜の持ち味を引き出していて、延々と食べ続けられる。商品としての漬物は、どうしても保存優先のため保存料を使う。その保存料を消すため塩がきつくなる傾向がある。Fさんのものは自家製なので塩以外の余計な味が加わっていない。レシピを教えてもらって自分でも作ってみたい。

12月18日 東京の三省堂書店では電子書籍端末が紙の本の横で売られていた。紙と電子がどのように「住み分ける」のか興味津々である。もうひとつ、出版界の大問題だったグーグルによる「図書館プロジェクト」。館内の全蔵書をスキャンして電子化し全文検索できるようにするという革命的な事業だ。なにが革命的かと言えば、これが現実化すれば、まず並の作家は食べられなくなり、図書館はもとより出版社も書店も取次も、ほぼ不要になる。とくに印税で食べている作家業は成り立たない。で、日本ペンクラブはグーグルに異議申し立てをしていたのだが、「著者や出版社から要請があった書籍は除外」というところで和解したようだ。ちなみにアメリカの作家団体はまだ反対の立場を崩していない。日頃グーグルには一方ならぬお世話になっているが、このプロジェクトはあまりに「革命的」過ぎて正直なところ、私には善し悪しの判断がつかない。

12月19日 朝起きると世界は一面の雪景色。2日前の青空は奇跡だったのか。時間も金も友人がいなくても、とりあえず青空さえあれば人間は生きていける(ような気がする)。世の中の速い流れについていけなくなった老人としては、せめて山に行く週末だけは青空になってほしい。なのに、毎日が雪かき労働で過ぎていく。週末にはもう体力を使い果たし、ゲンナリしてしまう人生はまっぴらだ。でもこれだけはお天道様まかせ、人知ではどうしようもない。暖かい地方への移住(冬だけでも)という手もあるが、これはお金が絡むからなあ。じっと耐えるしか、我々には選択肢はない。

12月20日 新聞報道でちょっと気になる記事。高速道路での運転席と助手席のシートベルト着用率が秋田県は100パーセントで、だんとつ全国トップらしい。これは3年連続で偶然やフロックではないようだ。知らなかった。さらに、ここからが面白いのだが、一般道や後部座席といったふうに条件のハードルが下がってくると、一挙に着用率は全国平均を下回り、28位にまで落ちてしまう。お決まりの県民性云々と言ったお説教や分析をするつもりはないが、全国の警察とJAF(日本自動車連盟)が毎年実施しているというこの調査、県民性の性向調査には大きな意味を持っているような気がする。大学の先生あたりに県民性と結び付けて再調査してもらいたい。

12月21日 今日は健康診断。2日分の検便もあるのだが出なかった。体重のことを考え、食事制限したのが敗因だ。検診が近づくと1週間ほど前から緊張する。どんな結果がでようとも何十年も再検査なんかしたことがないのだが、なんだかやっぱり自分の悪いところを「数字で」指摘される嫌悪感というのは、なんともいえず、うっとうしい。そういえば昔、町内のドブ掃除の早起きも嫌で嫌でしょうがなかった。それが今では大好きになった。検診も早くこうなってほしいのだが、こればかりは無理か。


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