イヤハヤなんでもありの師走の初め
12月1日 明日は山(房住山)なのに夜中の2時まで呑んでしまった。二日酔いは久しぶり。山仲間でもある教養大のY君が1年間リトアニア留学するので、その送別会。他3名も秋大新聞部の学生。20歳前後の若者と張り合って夜中まで飲み続けてしまうというのも、大人の理性が疑われる。焼き肉屋でたらふく肉を食ってから事務所で2次会、で気がついたら翌日で2時をまわっていた。今日は朝11時起き。12月1日は学生にとって「特別の日」。今日の午前10時から就活の「会社エントリー」が解禁になるのだそうだ。そんな日に老人に付き合ってくれて、ありがとう。
12月2日 昔のニシン漁のことが知りたいと思っていたら絶好の本があった。なかにし礼『兄弟』(文春文庫)だ。破滅的に生きる兄のことを書いた実録小説だが、この詐欺師の兄が3日間だけニシン漁の網を買う場面がある。ニシン最盛期には投機として船単位での権利売買が行われていたのだ。これで一獲千金を果たした兄は、さらにニシンを北海道から秋田能代港に自前の船で運ぶ賭けに出て夢破れる。以後、なかにしは半生にわたって稼いだ金のほとんどを兄に吸い取られることになる。兄に翻弄されながらも、肉親への哀切の感情から名曲『石狩挽歌』は生まれた。あの歌はなかにしの壮絶な半生の苦渋と愛情が閉じ込められていた。曲もいいけど、小説もなかなかのもの。
12月3日 有名な五城目の朝市だが、じつは一度も行ったことがない。その歴史的意味や背景は文献で知っている。エラソーに原稿を書いたこともあるのだが、実際に行ってないのだから、恥ずかしい。昨日の山行(房住山)の前、1時間早起きして念願をかなえてきた。が、冬の朝8時ではまだ準備中、市の通りは閑散としていた。山行の帰りにも寄ってみたのだが、午後にはすべての店が撤去されていた。まったくついてない。これだけモノの流通が整備された今でも、「市」が隆盛なのは現代的にどんな意味を持っているのか興味津津だったのだが、またしてもその機会を逃してしまった。
12月4日 ある人のメール通信を読んでいて考えてしまった。エスカレーターの乗り方についてだ。一般的に左側に寄って、急ぎの歩く人は右側(大阪や仙台は逆のようだが)。それが常識だと思っていたのだが、この人によるとエスカレーターは、歩く(走る)のが危険な行為で静止して乗るのが礼儀。歩く人のために右側を空ける行為はかえってスムーズな流れを妨げる(左だけ混むので)。道路で2車線のうち1車線しか使えないのと同じ理屈だという。非効率だし、アブノーマルな歩く人の犠牲になるいわれはない。なるほどねえ一理ある。
12月5日 友人と言っても孫ほど年の離れているAIU(国際教養大学)の雑誌部の学生たちが「私の青春E判定」というインターネットラジオ番組を作っている。早速聴いてみると、音はクリアー、なかなかしゃれている。山仲間のY君が秋田の山についてしゃべっていた。「おじいちゃんおばあちゃんは、山にケーキや稲庭うどん、ワインまで持ちこんで騒いでいる」ってオレたちのこと? それにしてもまあだれでもいつでもデスクジョッキーの時代。こうした情報発信は活字しか知らない「紙オヤジ」にはムチャクチャ刺激的だ。番組内で自虐的に暴露していたがリスナーはまだ7人、うち4名は身内とのこと(笑)。イヤイヤ、おれも聴くから続けてね。
12月6日 昔の歴史上の人物には難読な名前の人が多い。何度か目にしたり、声に出すうちに読めるようになるが、「役小角」だけはダメ。いつもすぐには出てこない。7世紀、持統天皇や藤原不比等の時代の人物で「えんのおづぬ」と読む。山中に棲むマタギのような呪術師のような、山賊の親分であり、北のアテルイに似た、西の反権力指導者だ。で、この小角だが彼を主人公にした小説がある。山本兼一著『神変(じんべん)』(中央公論新社)。この本を読むと主人公の名前は1ページに3度は確実に出てくる。読み進むうちに自然に読めるようになるのだが、逆に数ページ登場しないと、すぐにまた読めなくなり、冒頭に戻ってルビを確認しなければならない。いやはや小説を読むのにこんなに苦労するとは。
12月7日 山登りをはじめたころ、ツェルトはどんなときにもかならずザックに入れておくように言われた。その教えを守って3年間、ザックの隅っこに入れていたが、ついに一度も使う機会がなかった。それが昨日、地元の太平山・前岳の山頂で友人のツェルトの世話になった。積雪30センチ、氷点下の吹雪の中でツェルトはホント暖かかった。そうか、こんなふうに使うのか。今度からちゃんと持っていこう。氷点下の山では水筒の水は凍るし、ストックのストッパーも凍りつき役目を果たさない。鼻水も汗も凍るし、手足の指に血が通わなくなる。低山でもこんなに厳しいノダ。でも雪山にしかない楽しみがある。夏の暑い山より、じつは雪山のほうが好き。
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