古書店・理系・二日酔い
3月2日 毎日新聞科学記者・元村有希子の『気になる科学』は面白かった。毎日新聞の読者間では有名な名物科学記者だが、新聞を読んでいないので知らなかった。同時に松原始『カラスの教科書』も寝る前に少しずつ読んでいる。おかげで街にいるハシブトとハシボソのカラスの違いはわかるようになった。岩波科学ライブラリーの本も最近けっこう買っている。なぜか理系の本ばっかり。理系の本は文章を読むこと自体が楽しみというより勉強だ。多くの新鮮な発見を含んでいてエッセイは楽しい。文系に比べて、逆に理屈っぽくない人が多いような気もする。さっぱりシンプル系の物書きが多い。相対性原理やiPS細胞などの原理を、わかりやすく中学生に教えられるようになったら、カッコいいよなあ。
3月3日 3月に入ってヒマな我が舎もなにかとザワツキはじめた。周辺に雑音が多くなるのは仕事の前哨戦。ここ半年ほどボーっとして過ごしているので、急に忙しくなっても困るのだが、それじゃヒマのほうがいいか、といわれると、それも問題だ。責任もない、金銭問題もない、締め切りはない。という「仕事」があれば一番だが、そんなものあるはずない。忙しくなれば悩みや苦しみがふえる。仕事は悩むものだし苦しいものだ。楽しい仕事なんて、やっぱりヘン。苦しさの種類は人によって違う。小生の場合は、例えて言えば山登りに似た「苦しさ」といえばいいだろう。乗り越えた後に達成感がある。それがあるから40年間やってこれたのだと思う。
3月4日 地元の新聞を読んでいると、最近小さな会社の倒産記事が目立つ。思いすごしだろうか。去年の夏ごろから劇的に本が売れない時期が続いた。他の業種のことは知らないが他業種も似たような苦しい状態だったのだろう。年を越せない零細企業が県内には山のようにあるのでは、と邪智したが、やはりそれが現実化しているのだろうか。街を歩いていても「楽しそうな光景」を目にするのはめったにない。みんなうつむき加減で暗そうな顔をして沈みこんでいる。昨日はひな祭りだった。森山(五城目)山頂で、女性たちが菱餅と野点で節句のサプライズがあった。こういうのって気持が明るくなるよね。
3月5日 近所を歩いていても、先日まで営業していた飲食店や小売店の廃業や休業中の張り紙が目立つ。つぶれてもニュースにならない小さなところだ。やはり確実に不況の波は続いているようだ。いや、大手出版社だってちょっとヘンだ。書名や著者に魅かれ文藝春秋の本を何冊かまとめて読んだのだが、どの本もスカスカの内容だった。一昔前なら文春では絶対手を出さなかったレヴェルの本なのだ。創立90周年で舞い上がっているのか、それとも企画にインフレが起きているのか。矜持や規範が大手から失われてきているのか。追い詰められているのかもしれない。よそ様のことを論っている場合ではないけど。
3月6日 古来からの伝統行事に少しは関心を持つようになった。若いころは、古臭くて暦だけの伝統行事など何の関心もなかった。それが今年はどうだ。3月は山頂で「ひな祭り」をしたし、昨日の啓蟄は、明日それにかこつけて友人たちとお酒を飲む約束までしている。14日はホワイトデー。先月のバレンタインに2名のご婦人からチョコをいただいたので、そのお返しを考えている。20日の春分の日は何をしようか。3月の後半はいつも仕事が忙しくなる時期だが、伝統行事はしっかり脳裏に刻み込み、その由来に思いをはせるのも悪いことではない。年だねやっぱり。
3月7日 久しぶりに市内の古本屋へ。急に必要になった昔出版した自舎本を買いに、である。こんな「バカなこと」をもう何年も続けている。自舎本といっても1千点を超えている。みな小部数の本だから保存本は一冊あるが、それに線を引いたり乱暴に扱うことはできない。というわけで古本屋のお世話になる。いい本だったなと思うものは、それなりの値段が付けられているのはさすがプロ。たまに稀少本で10倍の値段を付けても売れるものが定価以下だったりする。それは即お買い上げ。いや転売して儲けるわけでない。愛読者へのプレゼント用だ。東京の古本屋で領収書をもらうとき身元がばれ、怪訝な顔をされたこともある。古本屋で自舎の本を買う。この頻度はますます増しそうだ。
3月8日……くるしい。二日酔いだ。昨夜はモモヒキーズの宴会が市内某小料理屋で。そこではそこそこ自制が効いていたのだが、2次会でひとり入ったバーで自滅。そんなに飲んだ記憶はないが、勘定をいくら払ったかの記憶もない。昼になっても頭が痛くて身体に力が入らない。ずっと横になっていた。昔に比べて二日酔いがひどくなったのは、加齢もあるだろうが食べ物を食べなくなったことも原因だ。空腹で飲んでいるのだ。その証拠に翌日体重を計ると、飲み食いしたはずなのに、ほとんど体重は変わっていない(翌日増えているのだが)。しばらくは酒をみたくない。
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