んだんだ劇場2013年5月号 vol.173

No84−ステテコ記念日−

GWは緊張の日々

4月27日 毎日のように本を買う。仕事でもあるし長年の「習癖」だ。金額を計算したことはないが月5万円前後になるのかも。ジャンルも版元も千差万別だが、ここ数カ月間に買った本に、かなりの含有率で「毎日新聞社」が入っている。ある時期に特定出版社の本が多くなるのは、よくあることだ。その版元が自分好みの本を量産しているわけだ。過去にも洋泉社やバジリコ、みしま社や光文社新書などが、そうした版元だった。新聞社の本が目立つのは意外だが、これはたぶん単行本の編集部に意欲的な編集者が入ったのだろう。そういえば朝日新聞出版も最近、単行本に意欲的だ。

4月28日 珍しいW登山。県北部の大館市にある羽保屋山(593m)と鳳凰山(520m)だ。天気ももってくれ、雪解けの春山を堪能。県北地方の山は遠いのでなかなか行く機会がない。行けるときにいっぺんにやっつけてしまおう、というわけだ。それにしても2つ合わせて6時間近く山中をさまよったわけで、たっぷり疲れてしまった。後に登った鳳凰山は大館市民にはなじみの深い「大文字焼き」の山。これがけっこう登りっぱなしできつい山だった。花はまだ先だが、芽吹きの始まった春の山は華やぎがあり、気分がいい。

4月29日 唐突に野菜料理に凝りだした。「ルクエ」(シリコン製スチームケース)の電子レンジで作るやつだ。先週、出張の折に泊まった酒田のホテルで食べたバイキング野菜料理がうまく、はまってしまった。夜も外で会食だったが、ホテルの同じ夜バイキングに変更したほど。野菜だけで腹いっぱいになり、体重もほとんど増えていない。蒸しただけの野菜がこんなに甘いとは驚きだ。さっそく家に帰って冷蔵庫の有り合わせをチン。ウヒャ、メチャ美味い。ドレッシングを工夫すれば、どんな酒にもあわせられそうだ。すごいぞ野菜。

4月30日 カミさんもいないのでゆっくり朝寝。10時半、事務所に行くと普通通り仕事をしていた。あれっ、GWはカレンダー通りの休みだったから、今日は休みじゃなかった。まいったねどうも。昨夜は明日は休みだと勘違いして、夜遅くまでアメリカ文学界で話題の(いろんな賞にノミネートされている)中村文則『掏獏(すり)』(河出文庫)を読了した。これがそんなに面白いかなの、という印象だったが、この作品、単行本で出た09年当時、話題になったので読んだ記憶が……弟子入り志願の子供が出てくるあたり既視感がある。いやぁ私、ボケが始まった模様。ダメだね、これじゃ、引退も近い。

5月1日 散歩の途中、靴のかかとのゴムが取れかけた。駅前の靴修理店に駆け込むと、「貼りは明日までかかる」の一言。オレ何を履いて帰ればいいの。困惑している客を前に、店側はパソコン画面に向かってあとは知らんぷり。「仮張りしておきます。後日ちゃんと靴を持ってきてください」ぐらい言ってくれると思ったが、甘かった。秋田では競合店がない。殿様商売の典型だ。困っているなら何とかしてやろう、という気がさらさらないところが見事というかモーレツに腹が立つ。

5月2日 大学4年生のH君と学食で食事。就職活動で寝る間もない忙しさだという。これはオーバーではない。地方大学生にはハンディがあり、この時期、東京にアパートを借りて1ヶ月間ぶっ続けで就活する仲間もいるのだそうだ。H君は秋大生だが、国際教養大の若者たちからは逆に深刻な就職問題の悩みを聞いたことがない。彼らは1年間の海外留学を義務づけられている。そのことで頭がいっぱいだ。それに就職率100パーセントを自慢するのは本意ではないのだろう。まるで東大生が「ぼく東大です」と言わないように、彼らは就職話はタブーと思っているのふしもある。若者の未来を決めるスタートの岐路が、こんなに違うのも驚きだ。って、一度も就職したことのない私が言うセリフではないか。

5月3日 今日は鳥海山登山の予定で、数日前から体調管理に努めてきたが、荒天予想のため中止。何もすることがないので、急きょSショフと五城目の高岳山に花を見にいくことに。といっても雨の中。でも小さな山なら雨のハイキングもまた風情がある。そういえば、ここ数日雨模様だが、毎日欠かさずレインウエアーを着て散歩にでかけている。新しい雨具を着るのがうれしくてたまらないのだ。鳥海山は明後日の5日に延期。もうなんだかGWは鳥海山ひとつのためにあるような気分だ。

5月4日 いま最も売れっ子の物書きといえば宗教学者の島田裕巳ではないだろうか。その新刊の多いこと。オウム事件でパージされ長い間、言論の世界から消えていた。完全復活したとたん売れっ子になるのだから、時代に待望されていたのだろう。「葬式は、要らない」「浄土真宗はなぜいちばん多いのか」「新宗教儲けのカラクリ」「人はひとりで死ぬ」「神道はなぜ教えがないのか」「キリスト教入門」「脱しきたりのススメ」……絶妙の書名で、難しい宗教テーマを軽妙にわかりやすい語り口で説く。オウムの頃はやたらTVに出たがる尻軽評論家風だったが一転、宗教を切り口にした人生論風エッセイの大家として、時代のてっぺんに駆け上がりつつあるようだ。高齢化社会にマッチした「作風」が受けたのだろう。人の人生って、わからない。GW中はずっとこの人の本を読んで過ごしている。


ステテコ・賞味期限・大名行列

5月12日 なんだかちょっとリバウンドな気分。体重が減らないばかりか、徐々にわずかずつだが増えている。まずい。暴飲暴食しているわけないのに増えているのは便通が悪いから。禁じ手なのだが今日、便秘薬を服んだ。これを服むと効果テキメンだがクセになる。服まなければ出なくなるから悪循環なのだ。避けたかったのだが背に腹は代えられない、って例えが違うか。ダイエットに対しては、とやかくいう外野が多いが、ずっとデブを背負ってきた人間のコンプレックスというか、うっとうしさのようなものを理解する人は少ない。デブって本当にいろんな悩みを抱えているのだ。そこのとこ、ちょっと、わかってほしい。今日の鹿角の五ノ宮岳、いい山だったなあ。

5月13日 今日は「ステテコ記念日」。生まれて初めてステテコを穿いた。去年ユニクロの派手なステテコを3本買っていたが、実は勇気がなくてはけなかった。いや勇気というか、穿く意味がよくわからなくて、と言ったほうが正確か。件のモモヒキの驚くべき健康的効用に目覚めてから、「いつかはステテコにも挑戦してみよう」と心に期していたのだが、夏場にもう一枚下着を重ねるのもなあ、と躊躇していた。落語でステテコの言葉の由来は知っていた(辞書では中途半端な説明しかしていない)。もともとは高座で踊る際の落語家の見栄えから考案されたモモヒキの変形なのだが、これも病みつきになったらどうしよう。

5月14日 賞味期限のきれた食品を捨てられない。カミさんも少々カビの生えたものなら洗い流して食べてしまうタイプで、その影響も少なくない。事務所のなかには賞味期限の切れた食品や薬品がいっぱい。山行の度に携帯し消費に努めているのだが、なかなかなくならない。そこで昨日、思い切って食品のあらかたを処分。今日は薬品類を捨てる予定だ。そんなの当たり前だろう、と言われそうだが、昔からの癖だからすぐにはなおらないのだ。仕事をはじめて40年、たまりにたまった賞味期限切れのゴミ(書類や手紙、文房具や備品の類)に関しては、ここ2年ほどかけ整理中。毎週水曜日、事務不要品を専門に収集してくれる業者さんが来てくれる。もう2年以上捨て続けているのだが事務ゴミが途切れることはない。早く身軽になりたい。

5月15日 長く本を作る仕事に携わってきたが、ここ数年で世間の「本」に対する意識はすっかり変わった。地元新聞には毎日のように、どこかの地域の普通の人たちが、まるで野菜を作るかのように本を作った、というニュースが載っている。誰でも簡単に「本」は作れるようになったのだ。売る意志などはなっからないから、背伸びの必要はない。例え1冊でも、「本を出した」という事実が重要なのだ。ほんの少し前まで、「本」は特別なもので、プロ(私たちですね)に相談してから作るパターンが一般的だった。今はそんなケースは皆無。この現象は何かに似ている。出版社は着物を着なくなった時代のゲタ屋さんとそっくりだ。いやいや個人経営の喫茶店状態かな。 レコードからCD、そしてネット配信へとシフトしてきた音楽業界と同じ道をたどるのは、どうやらまちがいないようだ。

5月16日 いつのまにか5月も半分が過ぎてしまった。何にも仕事してないのに時間だけが猛スピードで過ぎていく。読みたい本は溜まり続け、ほっとかれたまま。時間はあるのに本を読む集中力が生まれない。やらなければならないことはグズグズ理由をつけ先延ばし。そのくせ気ばかり焦る。集中力が持続するのは「食べる」ことだけだ。夕食は毎日、蒸し野菜中心。TVCMにはだまされないが、「蒸し鍋ラーメン」はけっこういける。ヨーグルト(Sシェフ製)も山菜も、最近は食卓の定番だ。午後3時を回ると夕食のことばっかりを考えている。なにやってるんだジブン。

5月17日 大名行列に関する本を読んでいたら、当時の最大の浪費というか権威的行列の代表として「お茶壷道中」のことが書かれていた。京都の宇治茶を将軍に献上するため、千人近い侍が行列したというのだ。童謡「ずいずいずっころばし」の「茶壷に追われて とっぴんしゃん」は、この行列を皮肉ったもの。「とっぴんしゃん」とは行列が来ると面倒なため、庶民は家の戸を閉め外に出なかった擬音表現。茶壷道中は吉宗の倹約令で廃止されたが、大名行列に殿様以外のものが運ばれていたとは、知らなかった。意味もわからず「茶壷に追われて とっぴんしゃん」なんて歌っていたが、教えてくれた大人たちも意味がわかっていたのだろうか。ネットで調べると、この童謡には「性的」な意味もあり不純異性交遊の歌だったという説もあるようだ。


今週もまあいろんなことがありました

5月18日 久しぶりの好天。今日は5時起きで岩手県にある「なめとこ山」に登る予定だったが、行って見ると林道のゲートが閉まったまま。通行止め、1週間早かった。花巻市内で前から行きたかった産直「だぁーすこ」で買い物、だんご屋を冷やかし、これまた賢治でおなじみの物見山で昼を食べ、帰ってきた。花巻市内は、店といい商品名といい宮沢賢治一色だ。賢治最中なんて、なんだか美味しくなさそう。これもまあ考えようによっては秋田県人が何にでも「こまち」とつけるのと同じ。エラソーに批判する権利はないのだが、個人的には賢治の童話はよく意味がわからない。とくに「なめとこ山の熊」はなにがどうなっているのやら、何度読んでも意味不明だ。

5月19日 いつのまにか下水整備がすすみ近年は町内の下水掃除が年1回になった。今日はその日だ。町内一の若手(?)である小生が側溝ブロックの持ち上げ係り。この日ばかりはどんなことがあっても休めない。参加しなければ作業が進まないのだ。昨日に続いて今日もまた5時起き。下水掃除が片付いたら、そのまま太平山奥岳登山だ。雨はどうやら持ちそうだ。御手洗から上はアイゼン着用の直登。この時期だけのルートだ。なじみの夏道を恨めしげに横目に見ながらの3時間。たっぷりと汗をかいて気分爽快。下水掃除がいいストレッチ効果をもたらしてくれた。昨日も今日も、とりあえずは事務所や仕事から離れ、ストレスとは無縁の2日間だった。

5月20日 太平山奥岳はけっこうハードだったが、気持のいい山行だった。いまも体中に心地よい疲れがじんわり残っている。山を歩いている仲間から見せてもらったのだが、スマホのアプリが急速に進歩しているのに驚いた。100キロ以内ならGPS機能で山の名前が、スマホを向けたと同時に表示される「山名アプリ」とか、スマホで撮った山の花の名前を、その場で確認できる「花名アプリ」とか、一昔前まで10万円近くした携帯GPSとほぼ同じ機能をもった「地図系アプリ」が、いとも簡単に無料で入手できるのだ。出張に行く時しかケーターを持たないのだが、なんだか山に行く時だけはスマホを持って行きたくなった。本末転倒もはなはだしいが、それほどビックリするようなアプリがいろいろあるようなのだ。いっそ知らないで死んでいったほうがよかったのかも。

5月21日 東京で学術系出版社を経営するMさん来舎。久しぶりに業界の深い話をいろいろ聞かせてもらった。事務所から夜の街に出て、最近よく使っている比内地鶏屋さんで食事。おしゃべりが弾んで2次会。ここも最近よく行く川反のバーで洋酒をけっこう飲んだ。店を出たのは深夜2時。またしても二日酔いなのだが、今朝体重を測ったら昨日より1キロ減。いつも不思議なのだが、洋酒系をのんだ翌日はなぜか体重が落ちている。これはどんな生理的メカニズムによるものだろう? ま、明日になればちゃんと元に戻っているのだが、朝の体重減は気分がいい。今日も1日がんばるぞ、という前向きな気持ちになれるからだ。単純だね。

5月22日 毎晩、寝床で手をしびれさせながら重い文庫本の谷崎潤一郎『細雪』を、ちょっとずつ読んでいる。改行のほとんどない、句読点も少ない、小さな活字を追うのは苦痛だが物語の面白さに曳きずられ半分まで読み進めた。面白いといっても物語は4姉妹のうちの雪子(三女)と妙子(四女)のお見合いと恋愛騒動の2つだけ。それしかまだ「事件」は起きない。それだけのことに原稿用紙何百枚も費やす、この執念。現代人の理解を超えている。それにしても登場人物たちの使う関西弁の美しさにはうっとり。吉本のお笑い芸人によって植えつけられた「関西弁の下品さ」は、この本を読めば完膚なきまでに粉砕される。大阪から東京に転勤になる長女の夫の引っ越し風景は、ほとんどいまの海外転勤を思わせる物々しさ。いたるところに時代を感じるが、古臭さはまったくない。

5月23日 秋田大学新聞部が「秋大新聞を追え」という特集を組むので、取材を受けた。学生時代のことはできるだけ思い出さないようにしているのだが(恥ずかしいから)、彼らの取材によると、新聞は昭和46年から47年の2年間に3号のみ発行されている。今と違い学生自治会の一機関として全学選挙で編集長が選ばれる仕組みで、の前後は、民青(共産党系)VS反民青のイデオロギー対立で、新聞発行は確認できなかったようだ。ジェジェジェ、その3号はまちがいなく小生が編集長として発行したものだ。その新聞に何を書いたかまで実は克明に覚えているのだが、顔から火が噴き出しそうなので、記憶からは意識して消していた。今も実物を見るのはごめんだが、取材にはちゃんと協力してやるつもりだ。長く生きていると何があるか分からない。 

5月24日 毎日、駅中を通過して事務所まで戻ってくるコースを散歩するのだが、最近は腹の立つことばかり。駅構内の大型テレビで「あんべぇいいなあ」という、あの秋田県観光キャンペーンの歌がエンエンと繰り返し流されている。語感が汚く品がない。方言として豊潤な意味があるわけでもない。心なごませる安定感や脱力的ユーモアさえ皆無、嫌悪感だけがヒートアップする。さらにポポロードでは集団で威圧するように革新系政党が署名を強制し、歩く人たちをドーカツする。道ぐらい自由に歩かせろ。いたるところに無分別に貼られたポスターはセンスのカケラもない。金をもらったのでしょうがなく作ってみました風のものばかり。景観を汚す役割しかはたしていない。なにもない、静かで落ち着いた、大人の駅でいいじゃないか、別に。


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