GWは緊張の日々
4月27日 毎日のように本を買う。仕事でもあるし長年の「習癖」だ。金額を計算したことはないが月5万円前後になるのかも。ジャンルも版元も千差万別だが、ここ数カ月間に買った本に、かなりの含有率で「毎日新聞社」が入っている。ある時期に特定出版社の本が多くなるのは、よくあることだ。その版元が自分好みの本を量産しているわけだ。過去にも洋泉社やバジリコ、みしま社や光文社新書などが、そうした版元だった。新聞社の本が目立つのは意外だが、これはたぶん単行本の編集部に意欲的な編集者が入ったのだろう。そういえば朝日新聞出版も最近、単行本に意欲的だ。
4月28日 珍しいW登山。県北部の大館市にある羽保屋山(593m)と鳳凰山(520m)だ。天気ももってくれ、雪解けの春山を堪能。県北地方の山は遠いのでなかなか行く機会がない。行けるときにいっぺんにやっつけてしまおう、というわけだ。それにしても2つ合わせて6時間近く山中をさまよったわけで、たっぷり疲れてしまった。後に登った鳳凰山は大館市民にはなじみの深い「大文字焼き」の山。これがけっこう登りっぱなしできつい山だった。花はまだ先だが、芽吹きの始まった春の山は華やぎがあり、気分がいい。
4月29日 唐突に野菜料理に凝りだした。「ルクエ」(シリコン製スチームケース)の電子レンジで作るやつだ。先週、出張の折に泊まった酒田のホテルで食べたバイキング野菜料理がうまく、はまってしまった。夜も外で会食だったが、ホテルの同じ夜バイキングに変更したほど。野菜だけで腹いっぱいになり、体重もほとんど増えていない。蒸しただけの野菜がこんなに甘いとは驚きだ。さっそく家に帰って冷蔵庫の有り合わせをチン。ウヒャ、メチャ美味い。ドレッシングを工夫すれば、どんな酒にもあわせられそうだ。すごいぞ野菜。
4月30日 カミさんもいないのでゆっくり朝寝。10時半、事務所に行くと普通通り仕事をしていた。あれっ、GWはカレンダー通りの休みだったから、今日は休みじゃなかった。まいったねどうも。昨夜は明日は休みだと勘違いして、夜遅くまでアメリカ文学界で話題の(いろんな賞にノミネートされている)中村文則『掏獏(すり)』(河出文庫)を読了した。これがそんなに面白いかなの、という印象だったが、この作品、単行本で出た09年当時、話題になったので読んだ記憶が……弟子入り志願の子供が出てくるあたり既視感がある。いやぁ私、ボケが始まった模様。ダメだね、これじゃ、引退も近い。
5月1日 散歩の途中、靴のかかとのゴムが取れかけた。駅前の靴修理店に駆け込むと、「貼りは明日までかかる」の一言。オレ何を履いて帰ればいいの。困惑している客を前に、店側はパソコン画面に向かってあとは知らんぷり。「仮張りしておきます。後日ちゃんと靴を持ってきてください」ぐらい言ってくれると思ったが、甘かった。秋田では競合店がない。殿様商売の典型だ。困っているなら何とかしてやろう、という気がさらさらないところが見事というかモーレツに腹が立つ。
5月2日 大学4年生のH君と学食で食事。就職活動で寝る間もない忙しさだという。これはオーバーではない。地方大学生にはハンディがあり、この時期、東京にアパートを借りて1ヶ月間ぶっ続けで就活する仲間もいるのだそうだ。H君は秋大生だが、国際教養大の若者たちからは逆に深刻な就職問題の悩みを聞いたことがない。彼らは1年間の海外留学を義務づけられている。そのことで頭がいっぱいだ。それに就職率100パーセントを自慢するのは本意ではないのだろう。まるで東大生が「ぼく東大です」と言わないように、彼らは就職話はタブーと思っているのふしもある。若者の未来を決めるスタートの岐路が、こんなに違うのも驚きだ。って、一度も就職したことのない私が言うセリフではないか。
5月3日 今日は鳥海山登山の予定で、数日前から体調管理に努めてきたが、荒天予想のため中止。何もすることがないので、急きょSショフと五城目の高岳山に花を見にいくことに。といっても雨の中。でも小さな山なら雨のハイキングもまた風情がある。そういえば、ここ数日雨模様だが、毎日欠かさずレインウエアーを着て散歩にでかけている。新しい雨具を着るのがうれしくてたまらないのだ。鳥海山は明後日の5日に延期。もうなんだかGWは鳥海山ひとつのためにあるような気分だ。
5月4日 いま最も売れっ子の物書きといえば宗教学者の島田裕巳ではないだろうか。その新刊の多いこと。オウム事件でパージされ長い間、言論の世界から消えていた。完全復活したとたん売れっ子になるのだから、時代に待望されていたのだろう。「葬式は、要らない」「浄土真宗はなぜいちばん多いのか」「新宗教儲けのカラクリ」「人はひとりで死ぬ」「神道はなぜ教えがないのか」「キリスト教入門」「脱しきたりのススメ」……絶妙の書名で、難しい宗教テーマを軽妙にわかりやすい語り口で説く。オウムの頃はやたらTVに出たがる尻軽評論家風だったが一転、宗教を切り口にした人生論風エッセイの大家として、時代のてっぺんに駆け上がりつつあるようだ。高齢化社会にマッチした「作風」が受けたのだろう。人の人生って、わからない。GW中はずっとこの人の本を読んで過ごしている。
|