んだんだ劇場2013年9月号 vol.176

No87−勉強中デス−

毎日おさんどん、でも苦ではない

8月3日 先週はいろんなことがあった。いいことは少なかったが、それでもちゃんとフツーに時は過ぎていく。もう8月。来年からこれまでの仕事のやり方を大幅に変え、大きな節目の年にしようと思っている。が、それも少し前倒しになりそうだ。そろそろその節目のための準備に着手しなければ。これから秋にかけて、のんびりとはいかなくなりそうだ。何でも自分で決めて、自分でやるしかない仕事を、好きで選んだのだから、いまさら泣き言をいってもしょうがない。若いころのように試行錯誤をしながら、自分を信じて、前に進む道もまた楽し。

8月4日 日曜日毎に大きな山に登っている。焼石岳2回に岩手山、和賀岳に今日は虎毛山だ。みんな秋田では難関とされ、初心者は敬遠する山ばかりだ。特に今日の虎毛山はハードな割に面白みに欠けるせいか登山者がめっぽう少ない山だ。日曜日だというのに単独3名の登山者にしか会わなかった。2時間ぶっとおしの登りで、しかも景色がほとんど見えない林の中を、ひたすら黙々と歩きつづけなければならない。。さすがにきつかったが、登り終えて、なんだかこの山が好きになった。シャレで阪神タイガースのファンがこの山に登って優勝祈願をしたら本当にその年、阪神タイガースが優勝した、といういわくつきの山だそうだ。無愛想だがシャイで寡黙な山だ。

8月5日 夏はやっぱり焼酎がうまい。オンザロックがいい。もう40年以上前から乙類の焼酎ファン。当時は日本酒王国秋田では、入手することすら困難で、焼酎ファンであることを告白しただけで、苦笑されたり、露骨に憐みの表情を浮かべられた。冬になるとやっぱり日本酒が恋しくなるが、ビールを飲まないせいか夏はもっぱら焼酎だ。体重が増えないのも、どんな肴にも合うのも、いい。そういえば昔、焼酎のミルク割(牛乳)に凝っていたことがあった。これはスイスイ呑めるが、カロリーがバカ高い、と指摘されやめたことがあったっけ。都市部では日本酒より焼酎が好まれる。これは経済的な理由ではなく、カロリーの高低に寄るもの、という説を聞いたことがある。本当だろうか。

8月6日 30年も前に作ったスーツが今も捨てられない。性格なのでいかんともしがたい、と思っていたのだが先日、断腸の思いで1着、生活ゴミに紛れ込ませて捨てた。ふんぎりがついた。その3日後、2着の古いダブダブの背広を捨てた。本当はもらってくれる人がいると一番いいのだが、30年前の背広をもらって喜ぶ人などいるはずもない。つくったはいいが着る機会がほとんどなかったので2,3度しか袖を通していないものも何着かある。暫時、間隔をおきながら処分していくつもり。まだ心のどこかに痛みを伴った「もったいない」が疼いている。定年退職したサラリーマンの人たちは現役時代の背広をどうしているんだろう。

8月7日 夕食を終え夜の散歩へ。近所を大きく半周しノースアジア大学に出たあたりで、ガスレンジをつけっぱなしだったことに気がついた。アサリの深川煮を弱火で炊いていたのだ。家までは2キロ。全速力で走りだした。散歩開始から30分は経過している。2キロは長い。鍋から引火、もう煙が出ているのでは。いや報知機が鳴り続け、近所の人が消防署に連絡……と悪いことばかりが脳裏に浮かぶ。奇声を上げながら(苦しくて)走り続け、土足のまま家に上がり込んだ。……火は消えていた。ちゃんと消して出たのだ。ホッとしたが、それから1時間、なぜか身体から汗が出続けクーラーも効かない。一人暮らしのリスクって、これか。

8月8日 仕事もバタバタしているのだが、それ以外に、ある講演会の会場探し、舎屋の改修工事、家の倉庫撤収、屋根の葺き替えなど雑事が立て込んでいる。交渉事が多いのに、ちっとも進まない。これではどれも中途半端で終わってしまう。自分だけでやろうとするからダメなのだ。いろんな人に相談したら見事に物事がスムースに動き出した。学生時代から何でも自分でやるのが一番と妄信してきた。でも不得手な渉外などの分野は年と共にしんどくなるばかりだ。他者にゆだねて、甘える、というのもアリだ。これからは甘え上手になろうかなあ。

8月9日 アマゾンのユーズド(古本)で本を買おうと思いクリックしたら、忌まわしい記憶がよみがえった。裁断され、全ページ単票化された、輪ゴムでとめた紙の束が送られてきたことがあったのだ。もう一度サイトをよく観るとやはり「裁断済み本」と書いてあった。急いで取り消した。ご丁寧に「スキャニング用です」とまで明記している。本はここまで来てしまった。大部の研究書の「ハイライト部分のみ」といって章単位で切り取られた「部分売り」もアリだな。背貼りを切り落とされ本の態をなさないものが流通してしまう世界に私たちはいる。そろそろ「本」という概念を変えなければならないのかも。


経理と受注管理の勉強中デス

8月17日 9月から経理と受注管理をやることになった。この数週間、ほとんど新人研修期間のような日々を送っている。毎日特訓を受けているだけでなく、家に帰っても頭の中で数字や複雑な操作をシュミレーション、勝手にパニクっている。土曜の今日も特訓。午前中は前任者に休日出勤してもらいレッスン。この年になってまったく新しいことを覚えるのはシンドイ。でもなんだか新入社員になったようなフレッシュな気分も味わっている。就職したことないから新入社員の気持ちなんて分からないんだけど。

8月18日 日曜日は2週間ぶりに山へ。青森・深浦にある白神岳。標高は太平山と同じくらいだが、山が深いので登りだけで4時間、下りも3時間半とけっこうしんどい山だ。全国区の山なのにわずかな登山者にしか会わなかった。これは天気が悪かったからかな。雨は降りそうで降らず蒸し暑さとアブとの戦い。下山後、温泉に入ってのんびり、とはいかず急いで家へ。今日は長女の家族が帰省中なので一緒に夕食をとりたい。どうにか間に合った。明日は飛行場まで送っていく予定だが、珍しく朝からびっしり来客の予定。その合間を縫っていくしかない。白神の山なかでも、経理と受注テーブルの数字が頭の中に渦巻いていた。この戦いは今月いっぱい続く。しんどいけど頑張るぞ。

8月19日 今週は間違いなく「経理と受注テーブル」の日々になりそうで憂鬱。でも新しいことを覚える喜びもちょっぴり。それにしても自分のやってきた会社の中身が「こんなふうになっているのか」と気がつくことも多い。って40年もやってきた人間のいうことか。ま、いかに人任せ、ノーテンキな経営者だったかということだ。
16日、「青空文庫」の創立者の一人、冨田倫生さんが亡くなった。難病で、アメリカでの手術を受けたと聞いていたが、享年61、若すぎる。最近では山本周五郎と吉川英治の著作権が切れ、電子テキスト化できることをことのほか喜んでいたらしい。先日の戸井十月さん同様、いつでも会えると思っているうちに、またひとり身近で尊敬する人がいなくなってしまった。

8月20日 友人の山岳ガイドRさんがクマに襲われた。かなりひどく顔に傷を負ったようだ。ドクターヘリで運ばれ現在秋田市の病院に入院中。見舞いに行った人の話だと「事故前より元気」だそうだ。よかった。Rさんはその辺の山ガイドとはランクの違うプロ中のプロ。マタギの血をひく山人なので、登山道のある道を歩いたりはしない。クマの巣窟を選んで歩くような人だ。だから襲われたと聞いても誰も驚かない。驚かないばかりか、「これで10年はRさんの武勇伝を聴かされる」と嘆くものあれば、「襲ったクマのほうがかわいそう」と心配する人も。Rさんなら復讐に向かうのはまちがいないからだ。クマに襲われたことが勲章になってしまう人が、秋田にはまだいる。これってすごいことだよね。

8月21日 毎日が新入社員状態。なのに長女家族の帰省に続き、今度は長男が唐突に帰ってきた。昨夜は市郊外の河原でキャンプ中のSシェフの陣中見舞いに顔を出した。そのまま宴会に参加する予定だったが、途中で返ってきた。息子を連れ近所の寿司屋へ行くためだ。その夕食をすませ、2人だけでもう1軒をはしご。帰って早々と寝床に入ったのだが、山口果林著『安部公房とわたし』を読みはじめ、けっきょく眠られなくなり読了。そんな面白い本ではないのだがゴシップ好きの血が騒いでしまった。安部公房に関する本だが、巻頭に著者のヘアヌード写真(安部が写したもの)が載っている。すごいのか、やり過ぎなのか、これまた唐突で、よくわからない。

8月22日 朝晩ちょっぴり肌寒さを覚えるようになった。お盆が終われば秋、という雪国の格言は生きている。毎日、雑用仕事を午前中に片付け、午後から「新入社員」になって3週間近くになる。経理も受注テーブル管理も何度教わってもスムースにできない。教える人の舌打ちが聞こえるほどだ。なんとも辛い。ずっと人を使う立場だったので気がつかなかったが、使われる身の厳しさと憐憫(自分への)がいや増すばかり。それでも昨日あたりから少しずつ全体像が見えてきた。やっていることの細部しか見えず、自分の作業の意味がわからないというのが実感だったが、ようやく数字と手順と成果が結びつくところまできた。早く鼻歌まじりでパソコンに向かえるようになりたい。

8月23日 昨日は複雑なデータによる伝票操作の方法を教えてもらった。まったく理解できない。基礎的な経理や受注管理すらできないのに、これは高度すぎ。でも実際には9月から私一人でこのデータ管理をしなければならない。時間はない。他にも覚えなければならないことが山積み。今日はスキャニング(ポジやスライド写真の)と事務所の書類置場の位置確認(それも知らないのだ)作業。毎日、夜になると、こんなんで大丈夫かジブン、と不安になり、眠られなくなる。生まれて初めて味わう「新人社員になった」気分だ。多くのサラリーマンはこんな体験をしながら大人になってきた、と思うことにして、しばらく必死に食らいついてみよう。


事務のお勉強の反動で、外に出てばかり

8月24日 家も事務所も老朽化が激しい。特に屋根の傷みがひどい、と専門業者に指摘された。家のトイレや風呂、洗面所も30年以上そのまま、そろそろリフォームが必要な時期だ。和室の畳やカーテンも30数年前からそのままだ。今までよく持ちましたね、と業者からは驚かれるのだが、これは共稼ぎだったため。日中だれも家にいなかったので傷みが少なかった。これらすべてのリフォームを今やるとなると400万円近いお金がかかるそうだ。ここ2,3年かけて優先順位の高い場所からやっていくしかない。となれば「屋根」か。生活備品(風呂や給湯器、ストーブやトイレなど)の耐久年数は10年から15年だそうだ。やれやれ内憂外患の日々。

8月25日 1000年以上も前に開削された秋田(東成瀬村)と岩手(胆沢町)を結ぶ街道跡(仙北道)約13キロを8時間かけて踏破。山登りではないが、いくつもの渡渉があり、ワイルドな「山歩き」。山の中はすっかり秋だった。古代から軍事の道として、生活の道として、旅や歴史的人物たちの逃亡の道として、多くの人たちが往来した「歴史の道」が仙北道だ。いわば近代化する以前の秋田の文化の玄関口なのだ。ここから当時の最先端の暮らしの形が生まれた、と言っても過言ではない。この歴史を後世に残したいと、秋田、岩手の人たちの20年にもわたる努力が「現地踏査イベント」として結実した。その会に念願かなって参加。岩手側で催された交流会にも出てきた。朝3時に起き、家に帰ってきたのは夜の10時。こんなに長かった1日も珍しい。

8月26日 ダイエットをはじめてからは雨や風が吹こうと夜の散歩を欠かさない。散歩しないと夜寝付けなくなることもある。短パンにTシャツ、備忘録レコーダーと小銭、小さなヘッドランプ持参だ。この頃は出るときに晴れていても途中で確実にひと雨来る。だから携帯傘も必携。家のあたりと山沿いの地域では天気も微妙に違う。歩いている最中はメガネをはずす。近眼だが老眼はそれほどひどくない。夜に眼鏡をはずし遠くを見ながら歩くと、なんとなく目の疲労がとれたような気分になる。この1年で運動靴を1足つぶした。2足目のズックがうまく足になじまない。

8月27日 今週は相次いで名古屋と札幌から友人夫婦が来秋する。名古屋のFさんは、もう30年以上前、アマゾンの牧場で会って以来の友人。その後、日本に出稼ぎに来て名古屋に居を構えた。奥さんも日系2世で彼の波乱万丈の物語を書こうとアマゾンや名古屋まで何回も取材に出かけたが、小生の力量では無理だった(まだあきらめていないが)。札幌のU夫妻は大学時代の遊び仲間。同級生同士で結婚し今は札幌に居を構えている。ずっと同じ場所でかわり映えのない仕事を繰り返している「まるで公務員のような自分」を見つめなおす、いい機会になりそうだ。なんていうと「お前のどこが公務員だ」と突っ込まれそうだが、20代から延々と同じ場所で同じ仕事を続けているんだから公務員のようなものだ。

8月28日 夜中に左足の「こむらがえり」で3回飛び起きた。このごろは山に行ってもめったに起きないのに、よりによってなにもない日の夜に、なぜ? こむらがえりはふくらはぎの筋肉が伸縮する発作、神経や筋疾患系の障害によるものだ。突然の発作の原因として考えられるのは、散歩途中で雨に降られ筋肉が冷え切ったこと。お酒をけっこう飲んでいたので風呂に入らなかったこと。数日前から便秘薬をやめ便通が悪くなったこと……しか思い付かない。もっとも説得力があるのは、3日前からやめた便秘薬の影響だ。身体のなかで何らかのバランスが崩れたためではないだろうか。それとも3日前の仙北道の山歩きの後遺症? まったくもって厄介だ。山での痙攣を克服したと思ったら日常生活で予期もしない痛みに襲われもんどり打つ。人生はままならない。

8月29日 一日中外に出ていることが多くなった。それでもできるだけ外食は避けている。外に出たついでに買い物をするのもルーティンだ。リンゴとカンテン(具材も)、玉ねぎは毎日食べるものなので欠かせない。この3つの食の定番があるから外食しないし、買い物も必要になるわけだ。店に行くと「何とかカードお持ちですか」とかならず訊かれる。買い物袋は持参するがカード類は持たない主義。コンビニで訊かれるのは儀式なので聞き流せるが、スーパーではもう常連客なので一瞬心動く。というか、毎回毎回煩わしい。持ってしまえば出すだけでいい、と心動くが、やっぱりつくる気はない。

8月30日 愛用しているモンブランのボールペンのインクがなくなった。ネットで検索しても、どこでも売ってない。近所の文房具屋さんに注文してもらおうと出かけたら、ちゃんと在庫があった。1000円。ちょっと見直してしまった。ノリの粘性の強いシールも欲しいのだが、ついでに訊いておけばよかったなあ。あの店なら、ハイあります、と出してくれたかも。ネットにかまけているうちにブラックホールに入ってしまっていた。ネットにないものはお店にもない、と。一番良く使う文房具は新聞スクラップなどに使用する「1枚切りカッター」。これは10年程前、20枚をまとめ買い。外国製なので販売中止が怖かったためだ。これも国産でいいものが出ているのかも。でも日本製はデザインが凝り過ぎ、華美、過剰で使う前からゲンナリする。

8月31日 雨もたいしたことはなく刈和野の撮影も午前中で終わった。午後からは札幌から遊びに来ているU夫妻らと合流。県南部をちょこちょこ動き回ってきた。県南地方は今かなり面白い。大手の酒蔵が倒れ、それに伴って新しいムーブメントが起こり、センスのある雑誌が創刊され、秋田市にもないようなおしゃれで美味しいレストランが流行っていた。県南といえば穀倉地帯でお酒の名産地。そのお酒(酒蔵)に変革の嵐が吹きまくっている。ご当地の専門家に訊いたのだから間違いないのだが、「うまい」「まずい」「売れる」「売れない」といった既存の境界が一挙に崩壊するような、そんな酒蔵の内部変革のただなかにあるのだそうだ。ちょっと注視する必要がありそう。


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