んだんだ劇場2013年9月号 vol.177

No88−塀の上の9月−

たぶん例年とはまったく違う9月になる

9月2日 夜9時前に就眠、起きたのは朝7時半。10時間半の爆睡。おかげで気分のいい朝だが、まだ身体全体にかすかな疲れが残っている。昨日は岩手・早池峰山に登る予定で前日から滝沢村入りし、友人宅に1泊、翌朝早池峰山に向かった。登山口で監視員から、5合目あたりの風が強く危険、とアドバイスを受け、急きょお隣の鶏頭山へ登ることに。代替の山だが、きつかった。早池峰山よりずっとハードな山歩きで、最後はロッククライミングまであり。前日の深酒と寝不足もたたった。早池峰ぐらい、とおもってなめてしまったのだ。山をなめてはダメ、と猛省。今週は新体制で初めての週、なにかとあわただしくなりそうだ。

9月3日 一日12時間以上働いている。えばっているのではない、嘆いているのだ。8月末でTさんが退舎。その補充をしないで自分でやろう、と決めた。この10年間、事務仕事はすべてTさんがやってくれていた。ほぼ完ぺきにこなしてくれていた。その後任が小生というのだから、無理がある。少しずつ全体像が理解できてくるのは楽しいものだが、それにしても膨大な仕事量だ。経理や受注管理は1か月でワンサイクル。9月いっぱいはこんな状態が続くのだろうか。加えて9月は小舎の決算月。いやはやもう頭がとてもついて行けない。塀の上を歩いている心境だ。

9月4日 そうか決算だったんだよな。ふんどしをしめ直して、昨日一日でほぼ9割がた決算用資料をそろえた。やればできるんだナンチャッテ。予想以上に早くすんだので、台所や資料庫、棚の整理などやりだすが、とてもこれは一日では無理。仕事用の関連物を自分が使いやすくレイアウトしなおし、無駄を排し、できるだけシンプルな仕事場に替えたい。仕事以上に厄介な作業だが、これはまあ苦行ではなく楽しみの部類。それにしても同じ仕事場をこれまで何回模様替えしてきたことか。今回が最後だと思う。気合を入れてやるぞ。

9月5日 毎朝、ねぼけ頭で「今日の出来事」を書いている。書いているうちに頭がすっきりしてくるからコーヒーのようなものだ。ここ数週間、「山の記録」や他の書かなければならないルーチンの原稿が遅れに遅れている。余裕がない。事務仕事のトレーニングがいっこうに上達しないし、決算はあるし、今年4回目のDM発送の時期にもなってしまった。これで注文が来ると膨大な処理を一人でやらなければならない。気が重い、というか考えるだけで震える。試練というには年を食い過ぎてるでしょう。いろんなことから「自由」になりたくて、嫌な仕事も続けてきたが、今、自分は何から自由になろうと、こんなにあがいているのだろうか。よくわからない。今日は月一の税理士が来る日。めちゃくちゃ緊張。

9月6日 「新人社員」(私のこと)研修が続いている。息苦しい日々だが、昨晩モモヒキーズの恒例宴会があった。いつもの居酒屋で思いっきりはしゃいでストレスを発散してきた。持つべきものは友である。たまには息抜きは必要だ。宴会の名目は「S君の献血100回記念」。いや名目は呑む口実で何だっていいのだが、今回は本当に美談。100回も献血するって、できそうでできることではない。30年以上の時間をかけた大記録だ。この次の宴会の名目は、私の研修期間(経理と受注管理)終了記念、という話も出た。酔っぱらいたちの戯言だが、これにはちょっと食指が動く。ぜひ宴会を開いてもらいたい。でも終了がいつになるのか、自分でもまったく分からない。たぶん半年はかかるような気がするのだが。それでもいいですか。


戦後史の証人がまた一人いなくなった

9月7日 忙中閑あり、ではないか。昼に駅前映画館でフランス映画『愛、アムール』を観てきた。けっこう救いようのない暗い映画で、これは評価は分かれるなあ。研修期間中の忙しい新人事務員(私です)が映画館まで出かけたのは現実逃避といったほうが的を射てる。映画の余韻で暗い気持ちのまま帰って、研修を続行。夕ご飯を食べて夜の散歩。傘とヘッドランプ持参だ。ボーっとしながら暗い道を歩くのがサイコーのストレス解消になる。映画は観なくても我慢できるが、散歩を禁止されたら精神のバランスをとるのに苦労する。たぶん酒に逃げ込んでしまうだろうな。

9月8日 雨がやまない。夜中に雨音で何度か目が覚めた。朝4時起床。今日は鳥海山。土砂降りの中、集合場所に向かう。前日中止の連絡がない限り、どんな天候だろうと集合場所に向かうのがルールだ。やっぱり中止。こんな日もある。昨日、玉ねぎのスライスをつくっていて指まで削ってしまった。この痛みが残っていて、山に今ひとつ気持が集中できなかったので、ちょうどいい休養と思うことにしよう。たっぷり時間のある日曜日だ。やることは決まっている。事務処理のお勉強の続き。覚えなければならないことが山ほどある。ひとりで何もかもやるって、とんでもないことだね。

9月9日 快晴で気持のいい月曜日。だが気分はいまひとつ。やらなければいけないことが山積みで、いらつき気持の整理がつかない。DMの発送日だし、振り込みや経理帳簿も付けなければならない。倉庫の引っ越しのため打ち合わせに工務店も来るし、編集もラストスパートのものが2点ある。こんな状態はあらかじめ予想できたので昨日は一日中、準備作業をしたのだが、全然対応できない。実際の局面を前にすると、どんな価値判断で優先順位をつけるべきなのか、頭は混乱するばかり。延々とこんなことが続いたら頭がおかしくなる。まずは今日一日を何とか乗り切ろう。それしかない。

9月10日 わが窮状を見かね、昨日は何人かの友人が励ましに来舎。冷やかしじゃないの、という人もいたが、いやいや来ていただくだけで頼もしく嬉しい。PCのちょっとした操作や仕事の備品類のアドヴァイス、街場の最新情報など、教えてもらえるだけでも目の前が明るくなる。ひとと話すだけで何となくうれしいのだ。昨日は初の給与振り込みをやった。都合3回、銀行から不備を指摘され呼び出された。3回目は行内にハンコを忘れた。いかに不慣れ前後不覚に陥っていたか、赤面の至り。でも失敗すると2度と同じことは繰り返さなくなる、と信じたい。

9月11日  振込みでもできるのだが最後は通帳を持って自分で銀行に出かけなければならない。ひとりで何もかもやるようになって驚いたのは、銀行に行く頻度だ。書式の厳しさも想像以上。郵便も注文はがきは無料なので、その料金が配達の度に請求される。面倒極まりない。銀行はどうしようもないが郵便の場合、はがきの料金一括後払いシステムがある、という。昨日初めて知った。もっと早く知っていたらなあ。いろんなことを自分でやるようになって初めて知ることが多すぎる。いかに世間的アホだったかを思い知らされている。いい経験だが、この年になって社会のいろんな細部ルールを知ってもなあ。毎日緊張の連続なので、体調にも少し変化が出始めている。最も警戒すべきは「ストレス」だ。これはまちがいない。

9月12日 けっこう心配性だ。小さなこともウジウジと考え込んでしまう。これは死んだ母親の性格を受け継いだもの。まちがいない。いろんなことに悩んだり、不安があっても、それを表情に出すと母親に悟られる。悟ると母は本人以上に心配、体調まで崩してしまう。なにか問題があると、だから母の顔が目に浮かぶ。が、ああ、もういないんだ、と気がついて、このごろは少し安心。心配をかけなくて済むからだ。でも母の心配性は遺伝として確実に自分に引き継がれた。なんでそんな小さなことを大げさに、とあとあと後悔することが、これまでもしょっちゅうだ。やっかいな性格を遺してくれたもんだ。

9月13日 予想外のことが次々に起きる。ついこの間、名古屋から来た友人夫婦を男鹿に案内したばかりだが、そのFさん(夫)が脳こうそくで突然亡くなった、との報。彼とはブラジル・アマゾンの密林で出会い、以来、彼の半生を記録に残そうと取材を重ねてきた。が距離感を見誤り、いつのまにか取材対象者ではなく「友人」になってしまった。彼は戦後まもなく進駐米兵と日本人女性の間に生まれた混血孤児で、エリザベス・サンダースホームの出身だ。「まだ本を書くのはあきらめていないぜ」と秋田駅で別れ際、啖呵を切ったばかりだ。名古屋での葬儀に出るつもりだが、いまはただ茫然、頭の中が整理できない。合掌。

9月14日 名古屋に行くことになった。通夜に出て次の日のお別れ会、火葬まで立ち会うつもり。20代後半に地球の反対側で出会い、彼の半生を記録しようと葛藤を続けてきた。非力な自分には荷が重すぎるテーマだったが、60を過ぎて肩の力が抜け、書けるかもしれない、と思い始めた矢先だった。Fさんは戦後の日本が産み落とした混血孤児。進駐米兵と日本人女性の子供だ。誰かが彼の生涯を記録しなければ戦争の記憶は風化するばかり。書きたいが、その力が自分にないのもよくわかっている。まずは目の前のこの無力感をまず何とかしなければ。執筆に関してはそれからじっくり考えてみよう。


食欲の秋に、体重は減り続け……

9月21日 DM注文の打ち込みや発送作業でほとんど1日が費やされてしまう日々。注文が入るのは多ければ多いほどうれしいのだが、自分で受注作業をする身になると、1件でも少ないほうがいい、と思ってしまう現金さ。これはまずい。1日中PCの前にいるので肩こりがひどい。肩こりや腰痛と無縁なのが自慢だったが、これは単に負担のかかる肉体労働をやってこなかっただけ、と判明した。恥ずかしい。今日はPCの前を離れて11月にやるイベント、トークショーのポスターはりに。朝の雨も上がって空も明るくなってきた。さあひと汗流すぞ。

9月22日 雨で中止の鳥海山、友人の葬儀で参加できなかった山伏岳と、2週連続山はお預け。月初めの鶏頭山以来きっちり3週間ぶりの今日の山歩きは岩手・国見温泉側から登る駒ケ岳。秋田県側からだと8合目までバスで運ばれ1時間も登れば頂上なのだが、こちらのコースはたっぷり4時間以上の登り。快晴で山美しく、秋の清浄な空気がみなぎっていた。やっぱり山はいいなあ。ストレスの塊みたいな身体を森の中に解き放つと、ユルユルとその塊が溶け出すのがわかる。ムーミン谷・駒沼でランチをしながら、これだけは山に来なければ味わえない特権だと強く感じた。秋の山はいい。青空だとなおいい。

9月23日 ひとり出版社といっていい会社の、たかが経理帳簿や受注管理ができないと、この世の終わりのように落ち込んでしまい、夜も眠れなくなる。ストレスで胃まで痛くなる始末だ。本当に小心で心配性。1円単位で経理の数字が合わないと、おれなんか世の中で何の役にも立たないんだ、もう消えてしまおう、とどんどんマイナス思考に陥ってしまう。こういう性格を母親の遺伝のせいにするのもなんだが、やっぱり実に似ているなあ。はやくこの2軍生活のような苦しみを脱却したいのだが、しばらくはもがきつづけるしかないようだ。そんなわけで3連休最後の今日も机の前に垂れこめて経理のお勉強すッ。

9月24日 あたふたしていたらもう10月が目前。9月決算なので、いろんなことが集中した9月だった。パニックになったり落ち込んだり。でも10月になればこっちのもの、という根拠のない「確信」もある。この手の無駄な自信も「ダメな性格」のひとつなのだが一つぐらいの取り柄は大目に見てネ。今日も秋晴れ。当日になって朝からバタバタしないよう銀行振り込みや受注体制は昨日の休みに準備。あとは実践でミス(書き間違いとか)を犯さないこと。この単純ミスが多いんだな、ジブンは。これでいくつもの大きな迷惑をかけてきた犯歴がある。これからはこんなもん自慢にも戦傷にもならない。いやむしろ致命傷になる可能性も。

9月25日 昨日はDMの返信注文が100通を超えた。他の受注も合わせるとものすごい数の本を梱包出荷。が、こんな時に限って何かが起きる。特に最近その傾向が強い。忙しさのただなか、施設に入っている義母がベッドから落ちて足の骨を折り日赤に運ばれた、との連絡。ほら、きた。日赤の救急外来で待たされること2時間、ようやく入院手続きや施設からの引き渡しが済み、急いで事務所に帰って続きの作業。でも結局は半分までしか消化できない。そのぶん今日は早起き、朝からPCの前に座って注文入力作業。いや、これはこれで、嫌いではないけどね。それにしても60歳を超えて仕事が以前に増してハードになる人生って、なんだかおかしいよね。

9月26日 なんとかトンネルの先に、少しだけ光が見えはじめたような気がしないでもない。暗中模索状態からは抜け出せたという感じかな。とにかくいろんな人が手を差し伸べてくれる。それがうれしい。昨日は山仲間のSさんが来てくれた。引っかかりの多いPC操作について、いろいろ教えてもらった。これでずいぶん目の前が開けた。1階と2階にそれぞれ自分用PCがある。入っているデータが違うので行ったり来たり。面倒くさくてしょうがない。Sさんから重いデータをUSBで持ち運びすることを指示された。なるほど、そうだよな。昨日は車がパンクして落ち込んだが、代車で市内の高校に大口の売掛金の集金に行ってきた。すごいでしょ。

9月27日 久しぶりの体重報告です。誰も聴きたいと思っていないってか。このところの忙しさと重圧で酒も食欲も自然に抑えられている。そのせいなのか便通はあまり良くないのに体重は微減し続けている。去年の11月からはじめたダイエットだがトータルで現在まで13キロ減。特別な努力は何もしてない。欠かさないのは週1の山歩きと毎日の5キロ散歩。でもこれは前からの習慣だから、やっぱり食が細くなっている、としか考えられない。今日の夜はいつもお世話になっているSシェフご夫妻と外で食事の予定。できれば久しぶりに暴飲暴食したいところだが、気持はともかく身体(胃袋)がついて行かない。情けない。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次