んだんだ劇場2013年1月号 vol.168
No101
モズの早贄(はやにえ)

ガラス窓に鳥がぶつかった
 週末に房総半島、千葉県いすみ市の家に帰ったら、かみさんが「昨日、鳥が2羽、玄関のガラスにぶつかっちゃった」と、なきがらをタオルに包んで持って来た。1羽は、鳩くらいの大きさの黒い鳥で、時折、愛犬モモのエサ泥棒にも現れるヒヨドリである。が、もう1羽は、なんという鳥なのだろう。スズメよりちょっと大きくて、腹がオレンジ色のふっくらした姿だった。
 我が家は、玄関が2階まで吹き抜けで、表も裏口も天井までガラス張りになっている。太陽の高さがちょうどよい時間帯には、南側の表から裏の木立がくっきりと見える。そのせいで、これまでにも鳥の衝突事故はしばしばあった。脳震盪を起こした程度で、しばらくすると飛び去る鳥もいるが、運の悪い鳥もいる。
 2羽のなきがらは、私が庭の隅に穴を掘って埋めてやった。
 その1週間後の日曜の夜、NHKの『ダーウィンが来た』という、自然界の面白さを紹介する番組を2人で見ていたら、かみさんが「これだよ、この鳥」と言った。「ほら、ガラス窓にぶつかった鳥」。
 「そうだ、そうだ、あれはモズだったんだ」
 夏に高い山の涼しいところで過ごしたモズは、秋になると里へ下りて冬を越す。番組ではモズの気性の激しさと、縄張り意識の強さを紹介していた。ほかのモズが縄張りに侵入すると、すばらしい速さで飛び、攻撃する。あのスピードでガラスに激突したら、首が折れてしまっても不思議ではない。
 そして、ちょうど1年前の秋、家の東側に植えていた楓(かえで)の枝に突き刺されていたバッタを思い出した。いわゆる「モズの早贄」である。

楓の枝に突き刺されたバッタ
 捕らえた獲物をすぐには食べず、こんな形で置いておくのはモズの習性だが、どうしてこんなことをするのかは、まだよくわかっていないという。あとからゆっくり食べる、ということでもないのだそうだ。
 ともあれ、このバッタを見て、我が家を縄張りにしているモズがいることを知った。それは先日死んだ、あのモズなのだろう。
それからしばらくの間、ふと気付くと、無意識に「もずが枯れ木で」(サトウ ハチロー作詞、徳富繁作曲)を口ずさんでいる日が続いた。

刃向かっちゃいけないハムカツ
 居酒屋のメニューに「ハムカツ」があると、ついつい注文してしまう。何年か前、名古屋の「世界の山ちゃん 長者町店」で飲んでいるときに、私と同学年のHさんが「おお、ハムカツだ、懐かしい」と注文したのがきっかけだった。「世界の山ちゃん」は、名古屋ではやたらとあちこちにあるチェーン店なのだが、ハムカツを出していない店舗もある。以来、メニューに見つけると、なんだかうれしくなって「ハムカツに刃向かっちゃいけない」などとおやじギャグを飛ばして注文するようになった。
 このごろよく行く東京・門前仲町の、モツの煮込みがうまい居酒屋「だるま」(先日、カウンターの端で、ソムリエ世界一の田崎慎也さんが1人で飲んでいた)では、ちゃんと切って皿に盛りつけて出してくれる。時々行く、会社の近くの酒屋(酒の小売店が夜には立ち飲み酒場になる)でも、揚げたてを切り分けている。ここは、焼き鳥の缶詰を出すような店だが、極上の日本酒が安く飲めて、ハムカツは熱々なのが気に入っている。

「だるま」のハムカツ

八王子で食べたハムカツ
 ところが、1年ほど前に行ったJR八王子駅前の居酒屋では、ドンとそのまま皿に鎮座していた。3人で、箸でなんとか分割して食べたが、味はともかく、食べにくかった。まあ、庶民の味だからこれでもいいのだろうけれど、ハムカツがご馳走だった時代を知っている身としては、「もう少し、大事にしてやってくれよ」と言いたくなる。
 経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれたのは昭和31年7月で、当時、私は4歳だった。小学生のころの記憶にあるのは、近くの肉屋でコロッケが1個5円、ハムカツは倍の10円だったことだ。その値段は私が高校生になるまで続いた。たまたま私は高校2年の時に復帰前の沖縄に行く機会があって、その時、沖縄ではコロッケが1個5セントだった。1ドル360円の時代だから5セントは18円になるが、同じ「5」という数字に違和感がなくて、高いとも思わずに買って食べた。
 高いハムカツは、たまに食べると、うまかった。だがそれは、ハム自体がおいしかったからではなかったか、と今になって思う。高校生のころ、どこかからいただいたハムを厚切りのステーキにして食べ、凝縮した肉の味に驚いた記憶がある。
 日本人が豊かになるにつれて精肉も、ハム・ソーセージのような加工品も消費量が増えたが、でんぷんなどを混ぜ込んだ廉価品の占める割合が急拡大した。かつて、ウインナーソーセージは、フライパンに油をひいて炒めるのが常識だったが、それは、ソーセージの肉自体の油では、混ぜ物のでんぷんを調理するのに量が足りず、外から油を補ってやらなければならなかったからだ。大手メーカーが、ゆでただけでおいしいソーセージを売り出したのは25年ほど前になるが、一方で今もなお、油を補充してやらなければならない商品も出回っている。
 ハムは本来、肉のかたまりを塩漬けにした保存食品である。全く加熱しない生ハムが典型だが、加熱することによってさまざまなバリエーションが生まれる。その味が技術者の腕の見せ所のはずなのだが、高度経済成長期からは、どうも品質より「費用効果」(いかにコストを安く抑えるか)の技術力の方が優先されてきたようだ。もちろん「かなりうまい」ハムはたくさんあるけれど、高校生の時に食べたような驚きには、その後出会っていない。あるいは私が子供のころは、ハムに混ぜ物をする技術が未発達で、本来の作り方が主流だったのかもしれない。
 まあ、居酒屋のハムカツに「いわゆる高級ハムを使え」とまでは言わないけれど、まだまだ改良の余地はありそうだ。
 さて、このごろ、朝食は野菜中心のサンドイッチを通勤途中のコンビニで買って、会社で食べることが多い。コンビニにはたいてい「ハムカツサンド」も置いてあるが……ハムがあまりにも薄っぺらで、これには、どうも、手が伸びない。

手が伸びないハムカツサンド
あれから1年
 昨年12月31日未明、父親が満79歳で他界した。自宅療養を続けていた父親には、なんとか新年を迎えさせたかったが、及ばなかった。
 先週、12月15日の土曜日、厳密にはちょっと早いが1周忌の法要を済ませた。弟の一家4人が来てくれて、法要のあとは鴨川近くの旅館にみんなで1泊し、父親の遺影も食卓に置いて献杯した。
 主に父親が耕していた60坪の畑では今年、かみさんがいろいろな野菜を育てた。父親のようなこまめな作業には及ばないが、まずまずの収穫を得た。来年は春が来る前に堆肥を畑に入れ、今年より豊かな実りにしたい。
 「房総半島スローフード日記」は、今回で150回。1回に2〜3話書いているので、話の数としては400近くになったはずだが、畑の様子は毎年変わり、鳥が鳴き、虫が飛ぶ自然は興味尽きないので、「日記」は来年も話題に事欠かないだろう。
 今年は、これでおしまい。皆さん、よいお年を。
(2012年12月19日)


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