んだんだ劇場2013年5月号 vol.172
No105
軟白ウドは50点のでき

日光を完全に遮断するのは難しい
 畑の片隅に、山ウドが何株か植えてある。父親が福島から房総半島、千葉県いすみ市の家へ移る際に、あちらの庭にあった根を運んで来て植えたものだ。春に出て来る最初の芽だけ、日光をさえぎって育てると、いわゆる軟白ウドになる。この時期にしか食べられない野菜だ。独特の香りが、春たけなわを教えてくれる。
 私も今年、軟白ウドを育てたいと思い、ちょっと大がかりな仕掛けを作った。
 わが家では、ストーブで焚く薪を乾かすために積み上げてある。その山がかつては20個近くあったのだが、毎冬、山を3つぐらいは燃やしてしまうので、今残っている山は9つ。山の上にかけておいた雨除けのトタン屋根が余っていたので、それを2枚立てて両側の壁にし、上を黒い農業用のマルチシートで覆った。シートが風で飛ばないように、薪の山の土台にしていた太い竹を何本も乗せた。作ったのは3月半ばである。

軟白ウドを育てるための日除け

囲いの外側に緑色の芽が出てきた
 まだ早いだろうな、と思っていた4月6日の土曜日、囲っていなかった株から濃い緑色の茎が伸び、葉が開いていた。マルチシートの端をちょっとめくってみたら、すでに囲いの中ではひょろひょろとウドが育っていた。
 が、茎は真っ白ではない。葉もほんの少し、緑色っぽい。シートの端は粘着テープで囲いの木枠に貼り付けておいたのだが、雨で粘着力が低下し、強風であおられて日光が入り込むすき間ができていたらしい。が、根元の方は案外太くなっているようで、十分に食べられそうだ。

囲いの中で育っていた山ウド

収穫した山ウド
 軟白ウドは主要産地のひとつに、意外にも東京都がある。多摩地域では昔から栽培が盛んだった。ここでは、まず地面に縦穴を掘り、そこから横に穴を広げて、秋にウドの根を植える。縦穴の入り口を塞げば、完全な暗闇だ。春、地面が暖かくなると、地下の広場に軟白ウドがぞろりと生えて来る。
 わが家では父親が、新しい芽が出る前の2月ごろ、冷蔵庫とか洗濯機を入れる大きな段ボール箱をどこかからもらって来て、それでウドを囲い、イネのもみ殻で中を満たし、上にマルチシートをかけていた。これでも日光はまったく地面まで届かない。こうして年に1度だけ、我が家ではたっぷりと山ウドを味わっていた。
 ところが……たしか2005年の春だったと思う……ウドが全滅の危機に瀕した。父親がもみ殻の上にシートをかけ忘れ、もみ殻に吸い込まれた雨水がいつまでも抜けず、新芽ばかりか大切な根まで腐らせてしまったのだ。幸い、別の場所に1株だけ残っていた山ウドを移植し、株を殖やして翌年からまた食べられるようになったのだが、あの時の父親は本当にがっかりした顔をしていた。
 2009年の春に収穫したウドの写真がある。先端の葉の緑色が濃いのは、そこが日光に当たっていたからだ。が、根元は太く、真っ白で、皮はきんぴらに、茎は味噌漬けにして食べた。

2009年の立派なウド
 これに比べると、私の大仕掛け栽培の軟白ウドは、モヤシみたいだ。父親が90点なら、私のウドは50点だろう。どうしたら、父親が育てたような太いウドができるのだろう。芽が出た時に暗くしておけばいい、としか考えなかったのだが、それでは不十分だったということだ。よし、来年は……すでに、そんなことを考えている。

スズメよ、スズメ
 東京の今年の桜は、開花したと思ったらすぐに満開になった。だから、散るのも早かったかと言うと、その後に寒い日があったせいか1週間以上も見ごろが続いた。
 私が勤めている中日本エクシスの東京オフィスは、地下鉄日比谷線・神谷町駅からすぐの、虎ノ門トラストタワーという高層ビルの7階にある。

桜の向こうに見えるビルの7階に会社がある

神谷町の八幡神社境内が私の花見場所
 毎年この時期の1日、私は会社から5分ほどの、ちょっと小高い場所にある八幡神社でお昼を食べるのを楽しみにしている。何本もある桜を眺めながら、ベンチに腰かけてサンドイッチやお握りを食べるのである。ちょうど満開の3月22日にも、会社の若い人を誘って出かけた。屋外での昼食は気持ちがいい。
 それに、ここでは、飯粒とか、パンのカスを投げてやるとスズメが寄って来るのが楽しいのだ。1羽が気づくと、どこからか何羽もスズメが集まってくる……昨年までは、そうだった。ところが今年は、たった1羽しか姿を見せなかった。

今年は1羽しか寄ってこなかったスズメ
 ある研究によると、日本のスズメの数は50年前に比べて90%も減少しているという(2010年3月9日の東京新聞の記事)。現在、日本にいるスズメは1800万羽と推測されるそうで、20年前と比べると80%も減ったというから、近年、その減少率が急カーブを描いている、ということになる。
 まあ、これは、推測の話で、この研究には反論も多いらしい。
 しかし、つい先日、4月12日の読売新聞夕刊には、「都会のスズメ少子化」という記事が出た。親鳥の連れているヒナの数が、かつては平均4羽だったのが今では半分以下、というNPO法人の調査結果を紹介していた。
 その理由として、瓦屋根の隙間などに巣を作っていたのが、住宅構造が変わって巣作りに適した場所が減ったことや、都会ではえさ場が限られていて、ヒナにえさを運ぶのが大変になっている……などを挙げていた。しかしスズメにとって都会は住みにくいことはわかるが、少子化の理由としては、産卵する数が減ったのだろうか、孵化してもヒナが育たないのか、という視点が必要だろう。日本人の少子化については、晩婚化とか、働く女性のサポート体制が不備とか、いろいろな理由が言われているのだから。
 千葉県いすみ市は農村地帯で、えさには困らないはずだが、かつてはわが家の屋根に毎年巣を作っていたスズメを最近は見かけないことに私も前々から気づいていた。群れ飛ぶスズメは時々見かけるのだが、全体としてスズメの数は確かに減っているのだろう。
 さて、神谷町の八幡神社へは、4月4日にも行った。ソメイヨシノは葉桜になっていたものの、遅咲きの八重桜や、ちょっと緑色がかった桜が咲いていて、お花見気分は満たすことができた。
 スズメも、今度は3羽現れたのがうれしかった。

4月4日の八幡神社には八重桜など遅咲きの桜が咲いていた

種を蒔く
 房総半島、千葉県いすみ市の我が家の畑では、冬が寒かったせいか例年より遅く、やっとサヤエンドウが収穫の時期を迎えている。ソラマメの収穫は5月になってからだ。この時期、夏野菜の種を蒔いたり、苗を植えたりする作業が始まる。その中で毎年、思い出すのが日野草城の句だ。

物の種にぎればいのちひしめける 草城

 草城は昭和9年、新婚初夜を10句の連作で描いた作品「ミヤコホテル」が、俳句界に新風を吹き込んだと評判になった。が、「ミヤコホテル」は小説のような創作であり、他の作品も常にどこか世俗臭さを感じて、私は好きな俳人ではない。それでも、若いころに読んだこの句は印象深い。ただし、今になってみると、野菜づくりの立場からは若干、あいまいさを感じている。
 カボチャの種なら「にぎれば」という感覚が理解できるが、野菜には、くしゃみでも吹き飛んでしまいそうな小さな種も多いからだ。代表はニンジンだろうか。しかもニンジンの種蒔きにはコツが要る。
 ニンジンの種は、日光を完全に遮断すると芽吹かない。そして、発芽するまで乾かしてはいけない。亡くなった父親は種の上に、薪ストーブで出た木の灰を薄くまいた。これで、かすかに日光が種まで届く。発芽するまでは朝夕、じょうろで水をかけた。
 これくらいは私にもできる。が、まねできないのはその前だった。父親は土をならすと、5センチ間隔で縦横にきちんとした線をひくのである。そして、線の交差点にニンジンの種を2、3粒ずつ落とす。私は土にざっと指で線をひいて、適当にパラパラと種を蒔く。あとで、育ちの悪いニンジンを間引けばいいではないか。
 私がそう言うと、父親は「こうすれば、間引かなくてもいいから、種が無駄にならないだろう」と、怒ったように答えた。
 畝をたてるにも、父親は畑にピンとひもを張って、それに合わせて土を寄せたから、いつもまっすぐだった。おおよその見当で鍬を使う私の畝は、途中で曲がっていたり、隣の畝との間が不ぞろいだったり。妻には、よく「親子でも性格はまったく違うね」と言われた。
 ところで、最近の野菜の種は一代雑種(F1)、つまり特定の両親をかけあわせ作った種子が珍しくない。その種からは、種苗会社のパンフレットどおりの立派な野菜ができる。だが、そのままおいて花を咲かせ、自前の種を採って翌年に蒔くと、少し違う形質が現れて来る。自然界は、親に似ぬ子ができるから面白いのだ。だからと言って、ウリのつるにナスビはならないけれど。
 ……と、ここまでは俳誌「杉」に掲載したエッセイに加筆したが、わが家の畑では、かみさんが蒔いた大根、ホウレンソウなどの種が芽吹いているのに、ニンジンはなかなか芽を出さない。古い種を蒔いたからだろうと、かみさんは新しい種を蒔き直したのだが、それもはっきりニンジンとわかる芽が出ない。やはり、ニンジンの種蒔きは難しい。
(2013年4月16日)


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