んだんだ劇場2013年8月号 vol.175
No108
奇跡のリンゴ

無農薬、無肥料のリンゴ
 かみさんと何年かぶりで映画を見に行った。東宝系で公開された「奇跡のリンゴ」である。岩木山のふもと、青森県弘前市の旧岩木町のリンゴ農家、木村秋則さんが無農薬、無肥料でリンゴを実らせるまでの苦闘をルポした『奇跡のリンゴ』(石川拓治著、幻冬舎文庫)を読んで感激したからだ。

「奇跡のリンゴ」の映画ポスター

幻冬舎文庫『奇跡のリンゴ』
 房総半島、千葉県いすみ市のわが家にも姫リンゴの木がある。7年くらい前にかみさんが買って来て植えた。木は少しずつ大きくなっているが、実がたくさんなったのは最初の年だけだった。その後は5月に花は咲くが、1個か2個実るだけで、梅雨を過ぎると茶色に変色して落ちる葉が多く、枝には皮がめくれてにボサボサになる部分があちこちにできる状態が続いている。昨年の春、JAの人に「雨がやんだら、すぐにボルドー液を散布するといいですよ」と教えられた。「リンゴも梨も、木全体が真っ白になるくらいボルドー液をかけるものです」と言うのだ。ちなみに、千葉県は梨の大産地であり、リンゴも梨もバラ科の植物だ。雨の中には雑菌がいろいろあって、それがさまざまな病気を起こす。19世紀にフランスのボルドー大学の先生が発見したボルドー液は、広範囲の病気に効く古典的な農薬だ。
 木村家に婿入りした秋則さんも、当たり前のようにボルドー液を散布していた。それだけではなく、リンゴには年間に16回もいろいろな農薬を使えと農協が指導していた。ところが、妻の美千子さんは農薬に弱く、散布後に寝込むことが多かった。木村さん自身、ボルドー液を散布すると、露出した部分がやけどのようにかぶれ、皮膚がべろりとむけることもあった。なにしろボルドー液は、硫酸銅の溶液と生石灰を混ぜて作る強アルカリ性の液体なのだから。2種類の材料を混合してボルドー液を作るのも、農家自身なのである。
 木村さんは3年かけて、農薬散布を年1回にまで減らした。それでもリンゴの収量は思ったほど減らなかった。「これなら、無農薬でも行ける」と考えたのが大間違いで、翌年、農薬をゼロにしたら、8月末には葉が全部枯れ落ちてしまった。その翌年には害虫が大発生し……リンゴの収穫ゼロが10年続いた。税金はもちろん、小学校へ通う3人の娘の授業料も払えなくなり、娘たちは1個の消しゴムを3つに切って分けた。貧乏のどん底で、木村さんは自殺しようと岩木山へ登る。そこで……
 山の中に、見事に育ったリンゴの木があった……実際には、どんぐりの木だったのだが……木村さんは「肥料も農薬もないのに、どうして山の木はちゃんと育つのだろう」と考え、そして「地上ばかり見ていて、土の中を見ていなかった」と気づく。落ち葉が分解されて積もった山の土は、ふかふかで、よい香りがした。
 それから木村さんは、リンゴ園の雑草を刈るのをやめた。肥料の代わりに、根粒菌が窒素を固定してくれる大豆をリンゴ園一面に育てた。周囲からは、「とうとうリンゴをあきらめたか」とか、「豆腐屋でもやるのか」と言われた。
 無農薬、無肥料という、リンゴ農家から見れば無謀な試みを始めて11年目の春、木村さんのリンゴ園は真っ白な花で覆われた。リンゴの木が、肥料や農薬に頼らず、自分の力で大地の奥深くまで根を張った結果だった。
 文庫本『奇跡のリンゴ』を読んでいて、私は何度も涙が出た。この本は4度読んだが、読み返すたびに同じところで、やはり涙が出た。それは、「頑張ったのは私じゃない。リンゴの木が頑張ったんだよ」と言う木村さんの、自然の力を信じ続けた意志の強さに感動し、また、そこまで木村さんを支えた家族、周囲の理解者の人の情けに感激した涙だった。
 映画では、木村秋則さんを阿部サダヲ、妻の美千子さんを菅野美穂、貯金を全部おろして木村さんに渡す義父を山崎努が演じた。
 映画を見る前に、木村さん自身が書いた『リンゴが教えてくれたこと』(日経ビジネス文庫)も読んだ。具体的に、木村さんが実践した農法について書いた本である。リンゴだけでなく、米、モモやプラムなどの果樹、各種の野菜も、木村さんは自然の力を生かす栽培方法を確立していた。私はこの本に大きな衝撃を受けた。2度目に読んだ時には、忘れてはならない部分に赤い傍線を引き、そのページに付箋を貼った。
 わが家の菜園では、亡くなった父親が雑草など1本も生えさせない、昔で言えば「篤農」を理想とする野菜づくりをしていた。私も、それが当然と思っていた。農薬はできるだけ使わないようにしていたが、皆無ではなかった。周囲の雑草を刈って堆肥を作り、冬の終わりにばらまいて鋤きこむのが通例だった。
 しかし、それでは、木村さんのような野菜はできないのだ。
 この本に、自然栽培のキュウリと、新JAS法に基づく有機栽培のキュウリを輪切りにして、広口ビンに入れて放置しておいたら、新JAS法のキュウリは2週間で腐ったのに、自然栽培のキュウリは原形を保ちながら、最後は干からびたという実験が記されていた。「自然のものは枯れていき、人がつくったものは腐っていく」と、木村さんは言う。木村さんのリンゴは、いつまでも腐らず、水分が抜けるけれど芳香を放ち続けるという。
 わが家の野菜は、どうなのだろう。怖くて実験していないが、たぶん、腐るものの方が多いのだろう。

付箋だらけになった『リンゴが教えてくれたこと』

レイチェル・カーソンの『沈黙の春』
 『リンゴが教えてくれたこと』の最初の方に、ボルドー液に関して「こんなことをやっていたら土が変わってしまう。土を土として見ないのが現代農業なのかと思いました。まさにレイチェル・カーソンの『沈黙の春』の世界だと感じました」という一節があった。
 『沈黙の春』(新潮文庫)は、アメリカの女性海洋学者、レイチェル・カーソンがDDTをはじめとする化学薬品による環境汚染の恐怖を訴えた本だ。その存在は知っていたが、読んだことはなかった。「読まなくちゃ」と言うと、思いがけずかみさんが「あるよ」と言った。ずいぶん前に買ったが、最初の方を開いただけで読み切っていないという。それで、すぐに本棚を探してもらい、読み始めた。
 1962年に出版された本だが、本質的なところは現在も変わっていない名著だった。この本がきっかけで、全世界的なDDT禁止運動が起きたのもうなずける。日本では農薬パラチオン(今では製造禁止の劇薬)で自殺する人が多い、ということも書いてあった。強力な殺虫剤が登場しても、ほどなく害虫に耐性ができて、また別の殺虫剤を開発するイタチごっこは、この本が出て50年経ったいまも続いている。
 木村さんのリンゴ畑では、害虫が増えたら、それをエサにする益虫も増えて、自然のバランスがとれるようになった。人間の力で自然を押えつける思想からは、無農薬、無肥料のリンゴは生まれないのである。
 ボルドー液について調べたら、農薬会社が「新JAS法有機農産物に使用できる農薬」と解説しているのに遭遇した。化学合成物ではなく、銅イオンにいろいろな効果があるためだと思う。が、皮膚をただれさせるような薬剤を使っても「有機農法」だとは……納得しかねた。
 さて、木村さんの2冊の本に、かみさんも共鳴した。ある週末、わが家の菜園が雑草で覆われているので、「雑草は、このままでいいかな?」ときくと、かみさんは平然と「自然農法だよ」と答えた。
 確かに、そう見えるが、「まだ苗の段階で雑草に覆われると、日が当らなくて野菜が育たないぞ」と言ったら、かみさんは、伸びすぎたと思われる雑草を刈り始めた。木村さんも、1年中雑草を伸ばしっぱなしにしているわけではない。自然農法は、その辺の見極めが難しいようだ。

育て! カマキリ
 5月の初め、かみさんが「カマキリ、カマキリ、カメラ持って来て」というので、慌てて室内に戻ってカメラを手にした。かみさんが見つけたのは、生まれたばかりのカマキリである。コンパクトカメラのピントが合わせにくく、いささか不鮮明であるが、かみさんの手と比べるとカマキリの大きさはわかるだろう。

生まれたばかりのカマキリ

カマキリの卵
 秋が深まったころ、わが家ではあちこちにカマキリの卵を見つけることができる。ミカンの木だったり、アケビのつるだったり、総じて日当たりのよい場所に、カマキリは泡状の卵塊を産みつけるようだ。
 最初は白っぽい卵塊が、次第に茶色になって春を迎える。中から何匹もカマキリの赤ちゃんが出て来るはずだが、まだ、その瞬間を見たことはない。かみさんが「カメラ!」と言ったのは、この世に生れ出て間もない姿に違いない。
 7月の初めになって、手の小指くらいに成長したカマキリを見かけた。もう少しすると、モンシロチョウくらいは鎌で捕らえられる大きさになるだろう。
 さて、カマキリが多いということは、エサになる虫も多いということだ。
 今年は畑を歩いていて、蜘蛛の巣が多いことも気づいている。朝早く畑を見に行くと、あちこちで顔に蜘蛛の巣がひっかかる。これも、エサが多いからだろう。
 蜂もブンブン飛んでいる。先日は、スズメバチがまっすぐ私に向かって来て、ぶつかりそうな目の前で方向を変え、肝を冷やした。
 『奇跡のリンゴ』と『リンゴが教えてくれたこと』を読んだ今年、かみさんは畑で殺虫剤をまかず、酢を薄めた液を散布している。これで害虫が死ぬわけではなく、一時的に逃げるだけだが、同じ場所にすぐには戻って来ないようだ(木村秋則さんは、酢を薄めた液を病気予防に噴霧している)。
 イモムシ、毛虫は見つけると、割り箸でつまんで取り、地べたでつぶす。温州ミカン、柚子の苗などのかんきつ類にはキアゲハの幼虫が食いつく。小さいうちは黒い幼虫が、成長すると緑と黄色の縞模様になり、箸でつまもうとすると、頭から黄色いツノを出して威嚇してくる。キャベツなどについたモンシロチョウのイモムシは、取りきれないほどたくさんいる。映画「奇跡のリンゴ」では、家族総出でリンゴの木に群がるシャクトリムシを、1匹ずつ手で取って、スーパーのポリ袋に放り込むシーンがあった。そこまでは行かないが、わが家にもその危険がある。それを回避してくれるのが、カマキリ、蜘蛛、トンボ、テントウムシなどの益虫と、虫を食べる鳥たちだ。
 カマキリ頑張れ、と声をかけたくなる。
 が、先日、ナスの葉を食べている巨大なイモムシを見つけた。

巨大な、黄色いイモムシ
 とにかく、大きい。長さは10センチくらい。太さは私の手の親指より太い。たぶん、蛾の幼虫だと思うが、調べてもわからなかった。そのままナスの葉を食べさせるわけにはいかないので、割り箸でつまみとって、家の道路向かいの空き地に埋めたが、かなりの重さを感じた。
 田舎暮らしには、そして木村式自然農法を実践するには、ずぶとい神経も要る。

特許許可局と鳴く時鳥

 房総半島、千葉県いすみ市の家で、今年初めて時鳥(ホトトギス)を聞いたのは、5月半ばである。

谺して山ほとゝぎすほしいまゝ 久女

 古来、数多くの詩歌に詠まれた時鳥だが、この句ほど、時に「絹を裂くような」とか、「鳴いて血を吐く」と評されるその鋭い鳴き声を、真正面から捉えた作品はないと私は思っている。
 杉田久女は大正時代、高浜虚子主宰の『ホトトギス』に台頭した多くの女流俳人のトップランナーだった。福岡県と大分県の県境にそびえる英彦山(ひこさん)で詠んだというこの句は、山本健吉『現代俳句』(角川文庫)によれば『ホトトギス』では落選したが、昭和5年、東京日日、大阪毎日両新聞共催の「日本新名勝俳句」に応募し、同じ虚子が風景院賞に選んだという。
 昭和11年、久女は突然『ホトトギス』同人を除名され、終戦後、孤独不遇のうちに没することになる。「谺して……」は久女の、絶頂期の作品かもしれない。
 わが家の周辺には、谺が返って来るような高い山はないが、盛夏ともなると朝の暗いうちから時鳥が鳴く。
 さて、その鳴き声だが……。
 中学校の国語の教科書に載っていた寺田寅彦の随筆には「テッペンカケタカ」と書いてあった。以来、そうか、そう鳴くのかと思っていた。だが、房総半島に移り住んで、たくさんの鳥の声を聞くようになったものの、そんな鳴き声には気づかなかった。
 鳥の姿もよく見かけるので、名前を調べようと買った野鳥のガイドブックを読んでいたら、「ホトトギスの鳴き声は、トッキョキョカキョクと聞こえる」と書いてあったのがピンと来た。確かに、そう鳴く鳥がいる。しかも、飛びながら鳴くじゃないか。私の耳には「テッペンカケタカ」なんて、聞こえたためしがない。今では「特許」と鳴いただけで、遠くでもすぐわかる。時には四方から、何羽もの声が谺のように聞こえることもある。
 でも、何年も聞いていて、疑問がわいた。だからある時、頭上を飛び過ぎて行った時鳥にきいてみた。
 「おーい、どうして特許許可局の前に、東京って鳴かないんだ〜?」
 すると、時鳥が戻って来て答えた。
 「だって、東京から始めると、舌、噛んじゃうんだもん」
(これは、俳誌「杉」7月号に掲載したエッセイだが、「房総半島スローフード日記」愛読者なら、最後のオチが記憶に残っているかもしれない。「んだんだ劇場2011年7月号」に収録されている「日記」とほぼ同じだから。まあ、俳誌の読者には初めての話なので、ご勘弁を。それにしても今、わが家の周囲では朝から、やかましいほどに時鳥が鳴いている)
(2013年7月25日)


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