遠田耕平
山のキルト いま僕は、中国と国境を接する北部山岳地域の県のライチョウの、山の奥の奥のさらに奥の町、ムオンテーにいる。2000m級の山がいくつも重なるようにそびえ立ち、濁流が深い渓谷を刻んで、僕らの行く手を阻む。 それなのにその急峻な山肌にはことごとくと言っていいほどに、頂上にまで見事に人間の手が入っている。その痕跡は遠くから見ると、まるで山にでっかいキルトをかぶせたようだ。焼いた木々の四角、とうもろこし畑の四角、キャッサバの四角、休ませている草地の四角と、その巨大なキルトの作品は、つまり山の全ては、ここの山と生きている少数民族の人たちの作品だとわかる。 本当にすげーーー。
それにしても、県庁所在地に着くだけでもハノイから車で片道11時間もかかる。途中の曲がりくねった山道では雨が降り出し、道路はすべり、対向車線には大きなコンテナーを積んだトラックが狭い山道をセンターを越えてぎりぎりですれ違う。。。あああ、ドライバーだけが頼りのこんな旅を僕はどれほどしてきたことか。仕事は命がけって言うほど大した仕事じゃないけど、仕事の前に目的地にたどり着くだけで命がけです。とほほ。。。。ドライバーに「まったく命がけだよなあ」と話したら、「トーダ、心配すんな。インドでおまじないをしてもらった特別なお守りがあるから」と手首に巻いた怪しげな数珠をみせられた。ううう、僕らの命はこの程度です。 ライチョウの県から村へ 山に見事に囲まれた人影少ない県の衛生部で発生状況を確かめると、最初の発生から一ヶ月経ってもまだそれほど増えていない。県の病院で、入退院簿を調べても入院している新たなケースもない。まずは車で一時間あまり走った山の上の村から報告されたケースを見に行くことにした。道は思ったよりよくて、山を2000m近くまでどんどん登る。保健所はまさに山の上の斜面にある。ここから山肌に広がる10ほどの少数民族の部落を管轄している。近くに住むタイ族の村の1歳の子供は2週間前の発症で、今はすっかり元気になっている。保健所のスタッフの子供で、2ヶ月前にワクチンを受けたと言うから興味がある。他の家を回るとみんな遠くの畑に出ていて家に鍵かかかって人がいない。 山を一つ越えて400人ほどのザオ族の村に行った。ここでは41歳と1歳の二人の感染が同じ家で報告されたが、ここでもみんな遠くの畑に行って誰もいない。一ヶ月も帰ってこないという。村に残っているは老人と小さな子供たちばかり。斜面を上り下りしながら10人ほど子供を見つけた。発疹の出ている子供はいない。老人たちに訊いてもいないという。BCGの接種の痕がわかる子供も多く、定期接種はそれなりにされている。先週、すでに保健所が村の10歳までの子供に麻疹ワクチンを接種したらしい。 村は山の頂き近くにあって、谷に向かう急斜面に張り付くようにある。空が近い、すぐそこにある感じがする。高山の匂いと涼しい風が谷から吹き抜ける。村には水車が回り、小さな自家用発電機が回り、いろんな工夫がしてある。山の水は豊富だ。ザオ語でありがとう'ザムペアウ"と村の青年に教えてもらう。"ザムペアウ'と村の人に挨拶をすると、にっこりと笑ってくれた。 言葉って大事だなあ。 辺境のムオンモー保健所へ 翌朝は4時起きで、一番多くの患者が発生している場所に向かう。車で山道を4時間以上かかる。あいにくの雨だ。道路は工事中の部分が多く、土砂崩れの痕があちこちにある。ドライバーたちは緊張している。ぼくも居眠りできない。深い渓谷を片側に、岩の突き出た斜面をもう一方に見ながらひたすら山の懐深く進む。 ムオンモーの保健所はそんな山腹の道に沿った斜面にある。渓谷の底の河まで10メートルくらい。驚いたことに川が氾濫するとここまで水が溢れるという。人はこんなところにも暮らしている。厳しい、情け容赦のない自然の中にも、暮らしている。それがなんだかすごい。僕なら逃げ出すだろうな。 保健所の所長はタイ族の人で、もと兵士。20年もここにいるそうだ。雨期には入れなくなる村も一杯あるという。麻疹が流行しているコームー族の村は5キロほど先で、山道を小一時間歩いたところだ。雨の降る泥の山道はきつい。驚いたことに歩いて丸一日かかる30キロほど先のモン族の村で10人の麻疹患者の報告が新たに届いた。採血を拒否するので検査が出来ないが、モン族はワクチン接種も嫌がる人が多く、接種率が低く、大きな流行になる可能性はある。是非行ってみたいが、一日歩いていく暴挙は監視のつく外国人の僕には許されなかった。
麻疹のコームー族の村へ 小雨の中、コームー族の村まで泥の山道を歩いた。深い渓谷に架かる長いつり橋を渡り、焼畑の斜面を見ながら山の奥へ入っていく。保健所のスタッフがコームー族の出身で通訳をしてくれる。みんなが僕を気遣って、落ちている形のいい木を拾って、杖にくれた。これで僕は大いに助かる。それにしても雨に濡れ、全身汗だらけ、泥だらけになっても、村に向かっている気持ちは晴れやかだ。こういうときはアホだけど、体力だけはあってよかったなあと実感する。それにしても、現地の連中は元気だ。この草はおいしいとか、この木の実は食べれるとか、歩いていても森の話題に事欠かない。 400人ほどのコームー族の村は沢沿いの渓流の横にひっそりとあった。案の定、村人はほとんど遠くの畑に行っていて村はガランとしている。村の若い保健ボランティアーはいたが、酔っ払っている。 それでも、村に残っている10人余りの子供たちを診れた。キャンディーを二袋もって行ったので、すぐ集まってくれる。どの子も数週間前に麻疹に罹ったという。ほとんどの子供のお腹や背中の皮膚に脱色した小豆大の斑点が残っている。皮膚の色が濃い人たちには特徴的に残る麻疹の痕だ。感染の中心は小さな子供たちで、心配していた若い成人の感染はそれほどないようだ。定期予防接種や、3年前の麻疹ワクチンのキャンペーンでも届かなかった子供たちがいたと言うことだ。重症な子供がいないこと、感染のピークが過ぎたようであることはよかった。 ムオンテーの満天の星 ムオンモーの保健所からムオンテー郡の中心の町までさらに渓谷の山道を山奥に向かって2時間以上走ると山懐に小さな盆地が開ける。ここが、この辺境な郡の中心地である。麻疹の患者は現在コームー族の村からさらに100キロ以上離れた3つの別な少数民族の村にこの一ヶ月で広がった。どうして広がったのかなあ?こんな不便な山の中で。 山の畑のフィールドで出会うんじゃないかと、地元の人が言う。それにしても遠すぎる。二晩この山奥の町で地酒に酔いながら小さな脳みそで考えた。 酔っ払って夜空を見上げると驚いた。久しぶりに見る満天の星である。ここにあったのかあ。ハノイでは一度もみたことのない夜空である。 いやあ、まてよ、満天の星は昼間だってある。太陽の光で見えないだけだ。雲のあるときも、雲の上にある。見えないだけなんだ。でも、見えるって、嬉しいね。なんて、酔っ払いは、千鳥足で田んぼに落ちそうになりながら夜空を見上げている。
中国国境のパーベースーの保健所へ 今、北部山岳地帯は雨期である。5月から10月まで雨が降り続く。村の多くはこの時期、保健所のスタッフでも入れなくなると言う。 雨の中を中国国境近くまで山道を2時間ほど走るとパーベースーの保健所が渓谷の中にある。この近くの山の斜面に麻疹の子供が数人報告されたラーフー族の村がある。ラーフー族は少数民族の中でも人口2000人に満たない希少な部族で、山を移動し続け、洞窟で暮らしているとか、ハダカで暮らしているとか、説明を受けた。村に行ってみるとそんなことはない。モン族と同じような落ち着いた山の斜面に広がる村だ。村の人たちは優しく笑って、とても人懐っこい。持ってきたキャンディーにさらに笑顔がほころぶ。村にはキャンディーを持ち歩くのがやっぱりいい。ここでも10人余りの子供たちを診たが病院の検査で陽性が見つかった子供以外には広がっていていないようだ。さらに二人、数日前に発疹の出た子が今郡病院に入院しているというので、郡の町に戻って診るのが楽しみだ。ワクチンの接種キャンペーンも一週間前に終わっている。
ムオンテーの郡病院の消えた患者たち 夕方、ムオンテーの町に戻って、郡病院に急いだ。薄暗い、じめじめした壁に囲まれた古い病院の病室の中を探したが、麻疹の患者はいない。担当医に訊くと二人とも、昼過ぎに居なくなったという。「ええええ、、、」このあたりでは、少数民族は政府の支援で医療費は免除になっている。そのせいで、いつ入院しても、いつ退院してもいいらしい。担当医も言葉が通じないせいもあって、なんともしがたい。 ああ、がっくり。カルテを見る限りでは症状は重症化してはいない。結局ここまで苦労して村を歩き、病院を調べても、一人も急性の麻疹の子供たちを診なかった。何だか拍子抜けだが、これはよかったということなんだろうな。本当に大きな流行だと、村でも病院でも麻疹の患者で溢れるから。 ウイルス考 ウイルスはどう広がったか。小さい脳は考える。 県の中心の街から遠く離れたこの郡での広がりは、どうやらこの郡の中心の町が答えじゃないかと小さな脳は考える。遠く離れた村の人たちは物を買ったり売ったりするために必ずこの町に集まる。ひどい病気になれば郡の病院に来る。接点はここにある。つまり人が運ぶウイルスの接点もこの町にある。 この町でもしっかりワクチン接種をしたほうがよさそうだと、県の衛生部の担当者と話すと、うなづいた。 ウイルスの遺伝解析のデータも入ってきた。今回のベトナムのウイルスは、今年の中国雲南省から報告された麻疹患者のものとまったく同じだそうだ。面白い。中国とべトナムの間でウイルスを持った人間の行き来があることは間違いない。どうやら国境地帯と近隣の県も含めた複数のルートがありそうだ。 最後の夜 僕が帰る前の夜、郡の人たちが酒盛りをしてくれた。例の「猫りんご酒」だ。ここにはここの味がある。こんな辺境まで来て、村に行きたがる僕が彼らには少し不思議に映るらしい。ここの人たちは山だらけで、生活が大変で、貧しくて、と繰り返す。僕は村への道のりは大変だけど、山も川も木々も本当にきれいで、ベトナムで一番きれいだ。村の人たちの山の暮らしは大変だけど、素敵だなと下手なベトナム語で話す。するとみんな本当に嬉しそうな笑顔をする。それから一人一人、僕の目の前に来て、帰りの途の安全を祈って何杯も何杯も乾杯する。僕は心からありがたいと思って飲みほす。こんなとき僕は、この土地の不器用にみえるこの人たちに守られているんだなあと感じる。これは気持ちがいい。 今、この山奥の深く切り立った渓谷では、大型のダム建設があちこちで進行している。数年後には渓谷に沿って点在するいくつもの少数民族の村や保健所がダム湖の下に沈むという。これが発展ということらしい。山とともに暮らしてきた人たちの生活はどうなるんだろう? 時の流れは止められない。それはわかっている。膨れ上がるな都市人口を支えるために。でも、。。。 「見えない満天の星たちよ、この人たちはこれからどうなるんだろう。僕らはどこに向かっていこうというんだろう。」見えない星たちがこれから何千年も何万年も、この変化を見ていくんだろうな。これまで見てきたように。僕は曇り空を仰いで、その上の星たちを想った。 電動髭剃り 帰る朝、愛用の電動髭剃りが消えた。宿の誰かが持っていったらしい。なんで、髭剃り?と思うが、珍しかったんだろう。そんなものいくつでもあげます。一つしかなかったけど。。。。無事に帰れたらただそれだけでいい。 |