遠田耕平
中国国境の山岳地帯の町、サパで予防接種の定例会議をやるから来いと保健省から連絡が入った。保健省の仲間はみんなハノイから夜行列車で行くというので、じゃ、僕もと、車で10時間もかけて行く山道では車酔いでゲロゲロの女房も夜行列車なら大丈夫だろうと説得して、彼女も一緒に行くことにした。 サパは2000メートル級の山に囲まれた盆地にある町で古くからモン族やザオ族の少数民族の交易の場だ。山の斜面には見事な段々畑があることから、近年は多くの旅行客が訪れるようになった。僕は麻疹の調査などの仕事で何度かこの町に来たことがある。観光化するとどこも同じようになるので好かないのだけど、その観光化もベトナムらしく中途半端で、来ればそれなりに面白い。車だとハノイから狭い山道を10時間近くかけてたどり着く。ところが列車だとハノイ駅を夜出発して、9時間で中国国境の町ラオカイに着いて、さらにそこから車で一時間、山道を上がっていくとサパがある。 日本では実家の母の世話、娘や孫の世話、息子たちの世話、秋田の家の世話と休まる暇のない女房殿だが、ハノイに来るとぼんやりして暇をもてあましている。僕は相変わらず出張続きで相手にならない。ぼんやりも悪くないけど、たまには互いに老化する脳に刺激を与えるべく一緒に行くことにした。問題は車酔いである。彼女は日本の新幹線でも酔う人だ。ベトナムの列車である。ましてや、ラオカイの町に着いてからやっぱり一時間は山道を車で走らないといけない。大丈夫かな?
またまたワクチン被害? 楽しかったけど、さすがに少し疲れた。週末は少しゆっくりしたいと思った。が、その魂胆が悪かった。ハノイに着いたその日、中部のクアンチ県の郡の病院で、B型肝炎ワクチンの予防接種を受けた産まれたばかりの赤ちゃん3人が同じ部屋で一時間以内にほぼ同時に亡くなるという事件が発生した。保健省のスタッフたちは休む暇もなく現地に直行した。 翌朝からメディアは一斉に「ワクチンの被害、また起こる。」という見出しで保健省の攻撃を始めた。ここでも話したが5種混合ワクチンのあとに亡くなった子供たちが今年の初めから問題になり、保健省とWHOで調査をして、ワクチンに問題なしという結論を出したものの、5種混合ワクチンは使用は一時停止になっている最中であった。追い討ちである。僕の携帯もガンガン鳴り出した。メディアからの質問攻めである。 ホーチミン市に出張の最中でも電話は鳴り続け、とうとう追っかけで、テレビのインタビューまでされる羽目になった。「英語が話せるスタッフがいないから、ベトナム語で答えてくれ。」という。「えええ、僕はそんなにベトナム語で話せないよ。」というと、「じゃ、ベトナム語で訊くから英語で適当に答えてくれ。」と言う。なんともベトナムらしい無茶苦茶な話だ。でも、何とか話をした。恐ろしくてその放送は見てもいない。 どうも状況から見るとワクチンの問題ではなさそうだ。警察がすぐに入って現場を押さえて、いろいろな薬剤の検査をしていると聞くけど、結果はまだなにも出てこない。3人の亡くなった赤ちゃんにはベトナムでは異例なことにすぐに解剖が実施され、その結果で何らかのアレルギー性のショックだと公表された。それでも、保健省は対面上WHOにワクチンの検査を依頼してきた。前回の5種混合はWHOが承認したワクチンだったので迅速に対応したが、今回のB型肝炎ワクチンは国内で生産されているもので、WHOの対応の仕方は自ずと異なる。基本的にはベトナムで解決することが望まれた。 B型肝炎はベトナムではまだ感染率が高く、B型肝炎陽性の母親から赤ちゃんに感染すると赤ちゃんが慢性化して、将来肝臓癌で亡くなって行く人たちはまだたくさんいる。そこでWHOは生後すぐにワクチンを投与し、されに継続してワクチンを投与すると母親から赤ちゃんへの感染も赤ちゃん同士の感染も90%近く防ぐことが出来ることがわかり、推奨してきた。もちろん日本のように母親の検査を徹底して、肝炎陽性の母親の赤ちゃんだけに限ってやればいいだろう思われるかも知れないが、ベトナムでは検査の整備されていない病院の多く、検査費用を払えない母親も多い。確実にワクチンを赤ちゃんに投与するには、全ての新生児に等しくやる方法がとられる。中国はこの方法で子供の感染率を1%まで下げた。ベトナムも2%まで下がった。 ベトナムでは1000人の新生児のうち一ヶ月以内にで20人近くが、先天性の理由を含めていろんな原因で亡くなる。そのうちの半分は生後24時間以内に起こる。B型肝炎ワクチンでは100万回に一人くらいが症状のひどくなる可能があるくらいで問題の比較的少ないワクチンの一つである。が、ワクチンとは無関係に何らかの理由で亡くなる新生児が同時に絶えずあることも事実だ。この辺がワクチン接種の難しいところでもある。ワクチンの稀な副反応で子供に深刻な症状を起こすことは稀にあるが、一方でワクチンと無関係な理由で子供たちはいつもどこかでワクチンのあとに亡くなっていることも事実だ。とにかく、子供が亡くなれば、最善の調査をするしかない。 とうとう発生から10日後には保健省に寄せられた質問は600件を越え、保健省は予防接種関連の現役および引退した責任者たち4人と頼りないこの僕を呼んで、一時間半の特別のテレビ番組を作って、質問に答えた。この放送もやっぱり恐ろしくて自分では見ていない。 この騒ぎの最中も中国国境の麻疹の発生は隣接する県に広がって、今も続いている。こっちも火消しが必要だ。ああ、それにしても今年のハノイの天気はどうも変だ。クソ暑い蒸し暑い日がいつまでも続き、そのあとは大雨が一日中降ったりして町が洪水になったりしている。ハノイの人も異常気象だなんていう。どうも、気候だけじゃなくて、いろんなことが異常に感じられてきた。僕の風邪もぜんぜん治らないで一ヶ月以上も咳が止まらない。。。夏なんて忘れていた。そういえば、秋田ではもう竿灯祭りが終わってしまったな。どうにも夏の気分にならない。なんだか頭がクラクラしてきた。酔ったかな? チィ先生秘伝の生姜汁でも飲むか。 |