んだんだ劇場2013年8月号 vol.175
遠田耕平

No137 サパ! 夜行列車で行こう


中国国境の山岳地帯の町、サパで予防接種の定例会議をやるから来いと保健省から連絡が入った。保健省の仲間はみんなハノイから夜行列車で行くというので、じゃ、僕もと、車で10時間もかけて行く山道では車酔いでゲロゲロの女房も夜行列車なら大丈夫だろうと説得して、彼女も一緒に行くことにした。

サパは2000メートル級の山に囲まれた盆地にある町で古くからモン族やザオ族の少数民族の交易の場だ。山の斜面には見事な段々畑があることから、近年は多くの旅行客が訪れるようになった。僕は麻疹の調査などの仕事で何度かこの町に来たことがある。観光化するとどこも同じようになるので好かないのだけど、その観光化もベトナムらしく中途半端で、来ればそれなりに面白い。車だとハノイから狭い山道を10時間近くかけてたどり着く。ところが列車だとハノイ駅を夜出発して、9時間で中国国境の町ラオカイに着いて、さらにそこから車で一時間、山道を上がっていくとサパがある。

日本では実家の母の世話、娘や孫の世話、息子たちの世話、秋田の家の世話と休まる暇のない女房殿だが、ハノイに来るとぼんやりして暇をもてあましている。僕は相変わらず出張続きで相手にならない。ぼんやりも悪くないけど、たまには互いに老化する脳に刺激を与えるべく一緒に行くことにした。問題は車酔いである。彼女は日本の新幹線でも酔う人だ。ベトナムの列車である。ましてや、ラオカイの町に着いてからやっぱり一時間は山道を車で走らないといけない。大丈夫かな?

夜行寝台の通路

2段ベッドの4人部屋
僕の尊敬するベトナム語の個人教授でハノイ言語大学の教授だったチィ先生に相談してみた。すると、チィ先生も彼女の息子さんもひどい車酔いで苦しめられていたらしい。それがあれでピタリと止まったという。生姜である。生姜をみじん切りにして煮詰め、それにハチミツか砂糖を入れて、水筒に詰めて、車に乗る数時間前からチビチビ飲む。女房は頑固でなかなか人のアドバイスを聞かないが、今回はよほどサパに行きたかったのか、素直にパッと生姜を煮詰めて水筒に詰めてきた。味見をしたが、かなり強烈な辛さである。でも効きそうだ。あまり味見するとなくなっちゃうと叱られた。かくしてこの生姜療法が効いたのか、女房はハノイに帰るまですこぶる元気でした。

翌朝、ラオカイの駅に着く

ザオ族のおばさんと女房殿
ハノイ駅の夜は夜行列車に乗る人たちでごった返している。「サパに行く列車のホームはどっちですか?」と訊くと「あっち」というので歩いていくと、ホームがなくなってしまった。すると人がホームから線路にどんどん降りていく。僕らも仕方ないので線路に降りて列車の並ぶ後方の線路をいくつもまたいでは駅員たちにどれがサパに行くのか訊きながら歩いて、保健省の仲間たちを見つけて列車に何とか乗れた。列車に乗ると中は意外にもきれいである。寝台車は通路は人がやっとすれ違える程度で狭い。2段ベッドが向き合った4人用の個室が並んでいる。内装は木造で落ち着いている。ロシア式らしい。ゴトォンゴトォンという音が心地いい。よく揺れる。そしてよく止まる。それぞれの車両には車掌?お兄ちゃんが一人いて、切符の買えなかった人に個人的に椅子やござを貸して、車両の端の床に寝かして小遣い稼ぎをしている。この辺はベトナム的である。緊急と書いた箱がかかっているの開けたらカナヅチが一個入っていた。緊急時はカナヅチで何とかしろということらしい。

モン族の人たちの路上市場

サパの町を見下ろす
サパに着くと雨だ。5月から10月までは北部の山岳地帯は雨期である。山にはガスがかかり、雨がしとしと降る。でも、時折少し晴れ間も出る。会議の合間に町を一望できる山に登る。町の通りでは、少数民族のモン族やザオ族の人たちが野菜や果物や、蜂の巣や、野鳥や、いろんなものを持ち寄って売っている。刺繍や草木染を売るおばさんたちは観光客に慣れていて、ベトナム人や外国人の観光客にしつこくついてくる。村では用心深くて人見知りをする少数民族の人たちがしつこく寄ってくるのはどうも変な感じである。サパの町の市場に行くと2階がモン族とザオ族の民族衣装で一杯だ。少しかび臭いが、染めも織りも見事だ。売り場のおばさんたちは元気がよくてこっちは着せ替え人形のように着せられる。「買わないよー」って言うと思いっきりど突かれた。女房殿はおばさんたちの売り込み攻撃にもビクともせず、気に入った織り布を一枚きっちり値切ってさらりと買っていた。さすがである。

モン族の織物の路上市場

草木染で染まったモン族のおばさんの手
帰りももちろん夜行列車である。女房は生姜汁のおかげですこぶる元気。来たときの興奮も冷め、帰りは効き過ぎた冷房も、少々かび臭いベッドも、ひどい揺れもあまり気にならず、ぐっすり眠って、予定を2時間も過ぎて11時間かけて土曜日の朝のハノイに着いた。ベトナムの列車はのんびりである。夜行列車の旅も悪くない。


またまたワクチン被害?

楽しかったけど、さすがに少し疲れた。週末は少しゆっくりしたいと思った。が、その魂胆が悪かった。ハノイに着いたその日、中部のクアンチ県の郡の病院で、B型肝炎ワクチンの予防接種を受けた産まれたばかりの赤ちゃん3人が同じ部屋で一時間以内にほぼ同時に亡くなるという事件が発生した。保健省のスタッフたちは休む暇もなく現地に直行した。

翌朝からメディアは一斉に「ワクチンの被害、また起こる。」という見出しで保健省の攻撃を始めた。ここでも話したが5種混合ワクチンのあとに亡くなった子供たちが今年の初めから問題になり、保健省とWHOで調査をして、ワクチンに問題なしという結論を出したものの、5種混合ワクチンは使用は一時停止になっている最中であった。追い討ちである。僕の携帯もガンガン鳴り出した。メディアからの質問攻めである。 ホーチミン市に出張の最中でも電話は鳴り続け、とうとう追っかけで、テレビのインタビューまでされる羽目になった。「英語が話せるスタッフがいないから、ベトナム語で答えてくれ。」という。「えええ、僕はそんなにベトナム語で話せないよ。」というと、「じゃ、ベトナム語で訊くから英語で適当に答えてくれ。」と言う。なんともベトナムらしい無茶苦茶な話だ。でも、何とか話をした。恐ろしくてその放送は見てもいない。

どうも状況から見るとワクチンの問題ではなさそうだ。警察がすぐに入って現場を押さえて、いろいろな薬剤の検査をしていると聞くけど、結果はまだなにも出てこない。3人の亡くなった赤ちゃんにはベトナムでは異例なことにすぐに解剖が実施され、その結果で何らかのアレルギー性のショックだと公表された。それでも、保健省は対面上WHOにワクチンの検査を依頼してきた。前回の5種混合はWHOが承認したワクチンだったので迅速に対応したが、今回のB型肝炎ワクチンは国内で生産されているもので、WHOの対応の仕方は自ずと異なる。基本的にはベトナムで解決することが望まれた。 

B型肝炎はベトナムではまだ感染率が高く、B型肝炎陽性の母親から赤ちゃんに感染すると赤ちゃんが慢性化して、将来肝臓癌で亡くなって行く人たちはまだたくさんいる。そこでWHOは生後すぐにワクチンを投与し、されに継続してワクチンを投与すると母親から赤ちゃんへの感染も赤ちゃん同士の感染も90%近く防ぐことが出来ることがわかり、推奨してきた。もちろん日本のように母親の検査を徹底して、肝炎陽性の母親の赤ちゃんだけに限ってやればいいだろう思われるかも知れないが、ベトナムでは検査の整備されていない病院の多く、検査費用を払えない母親も多い。確実にワクチンを赤ちゃんに投与するには、全ての新生児に等しくやる方法がとられる。中国はこの方法で子供の感染率を1%まで下げた。ベトナムも2%まで下がった。 

ベトナムでは1000人の新生児のうち一ヶ月以内にで20人近くが、先天性の理由を含めていろんな原因で亡くなる。そのうちの半分は生後24時間以内に起こる。B型肝炎ワクチンでは100万回に一人くらいが症状のひどくなる可能があるくらいで問題の比較的少ないワクチンの一つである。が、ワクチンとは無関係に何らかの理由で亡くなる新生児が同時に絶えずあることも事実だ。この辺がワクチン接種の難しいところでもある。ワクチンの稀な副反応で子供に深刻な症状を起こすことは稀にあるが、一方でワクチンと無関係な理由で子供たちはいつもどこかでワクチンのあとに亡くなっていることも事実だ。とにかく、子供が亡くなれば、最善の調査をするしかない。

とうとう発生から10日後には保健省に寄せられた質問は600件を越え、保健省は予防接種関連の現役および引退した責任者たち4人と頼りないこの僕を呼んで、一時間半の特別のテレビ番組を作って、質問に答えた。この放送もやっぱり恐ろしくて自分では見ていない。


この騒ぎの最中も中国国境の麻疹の発生は隣接する県に広がって、今も続いている。こっちも火消しが必要だ。ああ、それにしても今年のハノイの天気はどうも変だ。クソ暑い蒸し暑い日がいつまでも続き、そのあとは大雨が一日中降ったりして町が洪水になったりしている。ハノイの人も異常気象だなんていう。どうも、気候だけじゃなくて、いろんなことが異常に感じられてきた。僕の風邪もぜんぜん治らないで一ヶ月以上も咳が止まらない。。。夏なんて忘れていた。そういえば、秋田ではもう竿灯祭りが終わってしまったな。どうにも夏の気分にならない。なんだか頭がクラクラしてきた。酔ったかな? チィ先生秘伝の生姜汁でも飲むか。


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