んだんだ劇場2013年10月号 vol.177
遠田耕平

No139 ぎっくり腰考


それは音もなく突然にやってくる。この数週間、僕の体調は極めて良好だった。朝の水泳もほぼ休むことなく、少し泳法を変えたせいもあるけど、肩と腰の負担がやや減ったようで、例年のような泳ぎ過ぎの痛みもあまりなく、快調であった。と、朝まで思っていた。

今朝もサクッと30分ほどで泳いで、シャワーを浴びてオフィスに向かった。オフィスの僕のデスクの横には冷水機がある。その上には20リットルの水ボトルが載っている。女性スタッフたちに代わって僕はその交換の手伝いをするのだが、ぎっくり腰には十分配慮している。腰を落として持ち上げる。今朝もそうしたはずだった。いやそうしたと思った。が、持ち上げる瞬間に背中で何かが動いた感じがした。「あ、やった。」と。まるでカンボジアの地雷原で地雷を踏んで下半身が吹っ飛んでしまったようなショックである。地雷原の中に確保された小道をあれだけ注意して歩いていたのに。。。僕の足先は地雷の上に立つ"どくろマーク"の旗に吸いつけられるように道をはみ出し、見事に地雷を踏んじまったという感じである。

一度ぎっくり腰が始まると、どんな体位をとっても苦しい。少し前には、これを我慢したためにオフィスの椅子からまったく動けなくなった嫌な経験がある。「トイビ ダウルン(ぎっくり腰になっちゃったよー)」と秘書のタインに目配せすると、「またやったのねー、」というなんとも哀れむ視線が返ってきた。幸い大きな会議は入っていないし、早く家に帰ることにした。運転手のドゥックを呼んでバックパックを持ってもらい、二人に支えられて、まるで遺体を安置するかのように車に乗せられアパートまで帰った。

アパートに戻ると、お手伝いのハンさんがまだ家にいて、目を丸くして「オトサン、どうしたの? だいじょうぶ?」と日本語でこれまた哀れみの視線。体を引きずって冷蔵庫を開け、痛み止めの坐薬をつかんで寝室に入る。ズボンを引きずり下ろし、お尻を突き出して肛門に坐薬を挿入するやベッドに倒れ込んだ。横になると今度は起きるのが大変だ。トイレに起きるには大きな勇気が要る。この様は類人猿が進化してやっと直立歩行を始めたネアンデルタール原人のようだ。(原人を見たことはないけど。。。)僕は腕が長くて、あごも出ているからかなり原人くさい。

ここまで来ると、これほど悩ましい「ぎっくり腰」とはいったいなんだろう、と思えてくる。医学書にも急性腰椎症の総称、なんていい加減なことしか書いていない。僕も初めはバリッという背部の感覚から筋膜の剥離か筋の断裂かと思った。だとすると、出血があって、治ると瘢痕になり硬くなって、再発は普通ない。椎間板のヘルニアと混同する人もいるが、これは椎間の軟骨が飛び出て神経を圧迫するために足に広がる神経の痛みを伴う。ぎっくり腰の痛みとは違う。繰り返すぎっくり腰にはやはりちゃんと機序があるはずだ。

僕のぎっくり腰の歴史は15年以上も前に遡る。バングラディシュにWHOのコンサルタントで行っているときだった。長い地方出張からやっと町に戻り、居候していた知人の家のきれいな水洗トイレで久しぶりにゆっくり用を足しているときだった。途上国によくあることだが、トイレットペーパーが真後ろに取り付けてあった。取るには上体を180度ひねって手を伸ばさないとならない。僕は上体をパッとひねって手を伸ばした。その瞬間である。バリッと変な音が背中からしたように感じた。次の瞬間、体が動かない。結局僕はお尻丸出し状態でトイレの床にうずくまっているところを知人に発見されたのである。とほほ。。。。

それから、インド、カンボジア、ベトナムとぎっくり腰は再発を続けた。でも何で再発を続けるのだろう。もう何年も前だが、僕の大学の親しい先輩で整形外科の教授とたまたま出会った。「ぎっくり腰が解明できていないのはけしからん。整形としては恥ずべきことだ。」と僕が言うと、「ありゃ、椎体関節の亜脱臼だよ。」という。背骨の本体である椎体はその後ろの部分に脊髄神経の通る水道管のような管がある。それを囲むように天使の羽のように後ろに伸びる棘突起と左右に突き出た横突起がある。その突起が上下の背骨(椎体)をつないでいて、その間に椎体関節がある。これがずれるんだろうと言う。つまり外れかけた亜脱臼の状態になると言うのである。

脱臼は痛い。以前医者をやっていたときに肩の関節を外した人が夜中の救急に来た。翌朝にちゃんとした医者が来るまで待ってくれと言ったのだが、痛すぎて朝まで待てないと言う。仕方なく教わったように自分の足を患者さんの脇の下に入れて、相手の腕を引っ張って、まるでプロレスのような格好で整復したことがある。患者さんは楽になって大いに感謝されたのであるが、翌朝、整形外科の部長に呼び出された。「おい、こら、腕が折れているぞ。ハハハ、よく入れたな。」と叱られたんだか、褒められたんだかわからないことがあった。つまりそれくらい痛いと言う例え。

関節が外れかけると、とにかく痛い。痛いとその周りの筋肉は収縮して縮み上がる。体はよじれる。するとさらにずれが出来てもっと痛む。するともっと縮むという具合に悪循環に陥る。この唯一の解決方法が痛み止めである。鍼も単に痛みを取っているだけだ。痛みを取ってずれが少しずつ戻ってくるのを待つ。

整形の先輩は、かつての恩師の教授が診察室でひっくり返っているのをみた。どうしたのか訊くと、ぎっくり腰で動けないと言う。断末魔のような声で、「腰椎の3番と4番の間の椎体関節に局所麻酔を打ってくれエー。」と指示したそうだ。それで、先輩は馬乗りになって見事にその場所にキシロカインの麻酔薬を入れると、その教授、スクッと立ち上がって、何もなかったように診察を続けたとか。。。うーーん。 やっぱり、亜脱臼か。

この椎体の後ろにくっついている横突起、実は本来サルや犬などの動物では椎体の前寄りから出ているらしい。それで、背骨が丸く保てる。ところがどこかで突然変異が起きて後方に離れて横突起が出てしまった。すると筋肉が縮むたびに背骨が反ってしまう。それで直立にならざる得なかったのが人類じゃないかと論じている解剖学者がいる。直立の宿命で背骨(椎体)には大きな力が絶えずかかる。人間の脳みそも意味もなく大きくなってしまったせいでその重みを首の背骨(頚椎)が必死で支えている。これも四足の動物から見れば実に不合理だ。

どうも、見る限り人の体は無理がある。無理のある社会で無理のある体。うーん、ちょうどいいだろうと皮肉でも言って見たくなるが、ぎっくり腰の苦悩はどうもそう簡単には言い切れない。坐薬と飲み薬と腰バンドで、痛みを我慢して、じっとり脂汗をかきながらベッドでこの原稿を書いている原人、いや現実。。。。 とほほ。。。



人間不信


実は、ぎっくり腰になる前まではこの題を書こうと思っていた。ずっと考えていたことがあった。ここ数日、とりつかれているようなこの強迫感というか、恐怖感というか、一種の絶望感はなんだろう。いったいどこから来るんだろうと。たとえそれがあの一件から発したとしても。

僕は人間が怖いのである。根っからすぐに信じてしまう性分だけに、豹変する人間を目の前にするとウッと息が止まりそうに驚く。(豹変する人間とは、リスクや不利益を被ったと判断するや、自分より弱い立場の人間を罵倒し、恫喝し、力を誇示し、責任を取らせて、保身を図る。が、得になると思いきや、たちまち卑屈になって恭順を示す。)そういう豹変する人間を、もしそれが人間の本性だとすると、人間が怖いと思う。そして、それが人間だと思えば、何だか逃げ場のないような絶望的な気持ちにさえなる。

僕は日常、人間が好きだ、と言いながら、実は豹変する人間の本性に怯えている。人間が怖いのである。豹変することで、僕に恐怖と絶望を植え付けた人間たちを僕は列挙できる。それはあの父親であり、あのときの教師であり、あのときの知人であり、いくつかの組織の中にいたあの人間たちであった。

それがもともと人間の本性であって、ある種の人間にはそれが簡単に露出してしまうだけのことだと思えばそれでいいのかもしれないが、僕にはどうしても許容できないのである。それは人間ではないと僕はどこかで思っているからである。人間はそんなもんじゃない。そんなものが人間じゃないだろと思いたいところがある。もしかするとこの強迫観念の犠牲者は僕だけじゃないかもしれないとふと頭に浮かぶ。するとこの社会の中にはその豹変する類の人間がたくさんいて、日々僕のように強迫観念でさいなまれる人間もたくさんいるということになる。なんだかとても辛くなってくる。

僕はそんな、もしかすると日常的であるかもしれないことのショックからもすぐに立ち直れない。驚いたり、びっくりしたりすると、いつまでも引きずってしまう。野生の動物が極端に驚いたりストレスがあるだけで死んでしまう理由がよくわかる気がする。僕もパタッといきそうだ。

そのせいというわけではないかもしれないが、僕は逃げ道を作ったり、寄り道をしたりするのが得意である。女房はそんな僕をグータラだと非難するのであるが、グータラにも一分の理由がある。もちろん、そのせいで前に進むのは当然遅いが、仕方がない。もっと言えば、寄り道していることで自分はそれなりにかろうじて生きている。

それにしても僕にはわからないことが多い。先週の続きのようだが、わからない類の人間たちが一杯いるなあ、と改めて知る。自分より弱いとわかると突然威張ったり、怒鳴ったり、罵声を浴びせたり、侮ったり、卑しめたり、相手を悲しい顔にさせると勝ち誇ったような嬉しそうな顔をする。僕には何で、嬉しそうな顔をするのかわからない。

人間が作り上げてきた社会はどうもそういうものが当然のようにある。そういう類の人間たちはいったん相手が自分より上位にあると判断するや、是も非もなく、再び豹変して平身低頭し、恭順を示す。僕にはそれもやっぱりわからない。違うなら違うとはっきり言うだろうし、間違っていると思うことに恭順することはすまいと思う。人間はそんなもんじゃないだろうと思っている。

ちょうど読んでいた岸田秀の「唯幻論物語」(文春新書)の中に面白いことが書いてあった。
「傲慢さは卑屈さに対する反動形成であり、卑屈なもののみが傲慢になるのである。傲慢なものが傲慢でありえるのは相手が卑屈であることを前提としており、そのことが予想できるのは自分の中に卑屈な面があるからである。傲慢なものは自分に卑屈に服従してくるものを必要としており、必要としていながら彼をやけに軽蔑するが、それは自分の卑屈な面への自己軽蔑をそらしているのある。自分の中に卑屈な面がないものは、相手が卑屈になる可能性を思いつかないので、自分が傲慢になることも思いつかないのである。」と

岸田は人間は人格が神経症的に二重構造になっている者と思考的に統一されているものに分かれるといっている。岸田は人間とは本来の本能を破壊された動物で、それでもなんとか生きるために、作り上げた自我と文化の中で生きる宿命のなんとも不完全な動物であると言っているのであるが。 

難しいことは僕にはよくわからない。ただ、僕らはこの神経症的な二重構造の人格に悲しい想いをさせられる所以も、制約を受ける必要性も本来ないんだと言いたいのである。僕たちはもっとまともに生きているはずだろ、っと。人生が芸術であるなら、自分を偽ることの意味は皆無である。例え信じやすくて、傷つきやすくて、野生動物のように壊れ易い心臓をしていても。そのことで社会では給料が安くて、いい役職にはつけなくても、それは人間としての根源的な意味じゃない。

人間不信の僕は、相反的に心のどこかで人間は捨てたもんじゃないと思っている。人はお金や社会的な地位では測れないもので生きていると強く確信している。僕は豹変する二重構造に驚き続けるだろう。でも、それが生きることへの絶望には繋がらないと言いたい。脅かしたければ脅かせばいい、悲しむ顔が見たければ見ればいい。しかし、本来、この苦渋に満ちた矛盾だらけの社会は、声のないもっとずっとまともな人たちで成り立っているのだから。


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