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「沖縄には、なぜ出版社が多いのか?」
沖縄にはなぜ出版社の数が多いのか、その答えは現地に行って版元を訪ね歩くことによってしか見つけられない。しかし3泊4日の日程で50社を回るのは不可能である。そこで県内の出版事情に詳しいAさんに、個性的な6社を選んでもらい、そこを訪ねることにした。 最初に訪ねた版元は「ボーダーインク」。設立10年ほどの、まだ日の浅い出版社だが知名度は高い。もともとは他の沖縄の出版社で働いていた宮城正勝さんが独立し、それに若い新城和博君や池宮さんといった賛同者が加わって三人ではじめたものだが、「先生と呼ばれるような人と組んで仕事をするのはやめよう」という理念のもと、県内出版界の異端児として走り続けている。沖縄といえばどうしても戦記物の出版がメーンになりがちだが、ボーダーインクはサブカルチャー的な色合いの出版物が多く、若い世代に圧倒的に支持されている。現在は年間20点ほどの出版物を社長夫妻を入れた6人のメンバーで作っている。ここ数年のベストセラーは『カミングワ』という家相の本で、意外なことに著者も30代なら内容も若者が読めるように工夫されていて7刷り1万5千部のベストセラーになっている。年間に3冊ほど出している小冊子『ワンダー』の人気も高い。若者たちの雑誌といえば、昨今は金太郎飴のようなタウン誌一点張りでうんざりするが、若者向けでありながら内容が濃く読み応えのあるサブカルチャー誌が成立しているのは立派である。 いま沖縄でもっとも元気な出版社と言っていいだろう。 次に訪れたのは沖縄タイムス出版部である。沖縄タイムスは琉球新報と並んで沖縄を代表する新聞社だが、その出版部は文化事業局に属し年間14,5冊ほどの本を編集9人ほどのスタッフで作っている。他県の地方新聞社と際だって違うのは、出版部の人間は他の部署への異動がなく専門職化されていることだろうか。ここでは過去に『沖縄大百科事典』や沖縄戦記『鉄の暴風』といった数万部単位で売れたベストセラーを持っている。基本的には自社の新聞連載の単行本化を目的にしているのだが、最近は読者からの持ち込み原稿やブックレット、サブカルチャーにも門戸を開いている。 「毎年うちの新聞社が出している賞(沖縄タイムス出版文化賞)には県内から300点近い応募本がありますから、それだけの数の出版物があるということですね」 と出版部の新城安光さんはいう。なんと日曜をのぞくと1日1冊の新本が出ている計算である。この数字のなかには市町村誌(史)や字誌なども含まれている。 新聞の部数や記事ではライバルとして競っている琉球新報社も地元の出版物には好意的で、郷土ものは両社が積極的に書評で取り上げる。これも沖縄の出版事情を知る上では重要な意味を持っている。 3つ目の訪問先「ひるぎ社」の事務所はネオン街の真ん中にあった。 3年前に母胎となっていた南西印刷が倒産し、そこの出版部門の編集長をしていた富川さんがそのまま社名を譲りうけて出版を続けている。社員は富川さんの他に実の妹さんが経理、男性の営業員の計3人である。版元名をそっくり受け継いだのは倒産時に78冊まで刊行されていた「おきなわ文庫」を続刊したかったからだそうだ。新しくなった那覇空港で1ヶ月間に今も500冊は売れるというこの文庫が、ひるぎ社の目玉商品なのである。まだ倒産時の後遺症から完全に脱却できず年間4点ほどの文庫を出すのが限界で、「マイナスからの出発」と富川さんはいう。「資金があればね、金さえあれば企画はいっぱいあるし、すぐにも利益を上げてみせるんだけど、先立つもんが……」 文庫の平均発行部数は3000部、定価900円、著者には執筆料として10万円を払い原稿を買い切る形だ。なぜ、沖縄は出版が盛んなんでしょう、という質問に、 「とにかく画一化された本土とちがってテーマになる素材がいっぱいある。歴史、民俗、戦争、亜熱帯の自然や動植物、星や神社、台風、安保、そして自分史。なにをとってもここの特殊な事情と背景があり、テーマに困らないからですね」といいきった。なるほど。 次の訪問先は、那覇市内から車で30分ほど郊外の宜野湾市にある「沖縄出版」。ここは去年まで31人もの社員を抱える沖縄でもっとも大手の、17年の歴史を持つ老舗出版社だったのだが、目玉商品の大型本が売れなくなりリストラを余儀なくされ、今は12名の社員で維持されている。12名のうち営業は5名で、沖縄の自然誌や動植物の大型のカラー本を離島などの小中学校に売りに歩く、書店に依存しない直販方式の出版社である。今年の新刊は4点、それも高額本は売れないのでカラーでも3,4千円以内に定価を抑え、初版は5000部くらいからスタートする。学校や官庁、個人宅への飛び込みセールスで、公務員の給料日が近くなると社員全員が街にでて集金をする。こうした形の出版社が沖縄にはここだけでなく数年前まで数社あった。これを「沖縄方式の出版」と呼ぶ人もいたほどで20年前までは主流の出版の形だった。ちなみに去年の31人の社員のうち営業は15人で、営業マンは給料ではなく歩合制である。 実はこうした営業中心の出版社が那覇にはもう一社ある。那覇市内にある「那覇出版」である。15年ほど前、ここを訪ねたときは大型本全盛の頃で40人を越す社員が離島を駆けめぐり豪華本や戦争の写真集を売り歩るき、「お札を数えるために残業する」という伝説まで生まれていた。その那覇出版も今は当時の勢いはなく(後日、社長にお会いしたのだが)12人ぐらいの社員でどうにか経営を維持している状態のようである。 沖縄出版と同じ宜野湾市にある「熔樹書林」もユニークな出版社である。もともと「緑林堂書店」という古書店だったのだが、ここ数年、空手ものや人文、歴史物の出版を手がけ、資料性のある高額な本が多いせいもあって経営的にはもっとも安定している版元といえるかもしれない。古書店といっても店でただ客を待つそれではなく、大学を回り、稀覯本を探して、必要な研究者に届けるというアグレッシブで堅実な商法を実践している。実は経営者の武石和実氏は小生と同じ秋田県人である。若くして沖縄にわたり、今や沖縄の学術文献の世界は彼抜きでは語れないほど重要な地位にいる人物である。 「出版は失業の一時避難所か?」
今回の取材にはほとんどタクシーを使った。沖縄のタクシーは初乗りが450円で2、30分乗っても1500円どまり、本土に比べてかなり割安感がある。 最初に乗った70歳前後の個人タクシーの運転手は「 1ヶ月めいっぱい稼いでも12万ちょっと。これじゃ若いもんはやりません。ここのタクシーは年金をもらっている年寄りの仕事です」と不機嫌そうににいう。15年ほど前までは無線を積んで観光タクシーをしているだけで公務員の倍の稼ぎがあったが、10年ほど前から観光客が減り、くわえてレンタカー業者が観光タクシーに取って代わるようになった。カーナビゲーションの普及で観光客が自分で簡単にドライブできるようになったせいである。 「サミットなんて土建屋さんを儲からせただけ。私らには何の恩恵もなかったし、飲み屋も厳戒態勢のおかげで閑古鳥が鳴いていた。政府のやることってひどいもんだね」 沖縄の失業率は本土よりも2パーセント以上高い。賃金は東京のちょうど半分くらい。その失業率の高さと関連があるのかどうかは不明だが、沖縄では県の条例で「1万円払って1ヶ月の研修を受ければ2種免許がもらえる」という女性を対象とした制度があり、もちろん試験はあるのだが主婦でも簡単にタクシー運転手になることができるのだそうだ。 そういわれれば全く道を知らない若い女性ドライバーがいた。車内から行き先に携帯電話をして道順を教えてもらっているにもかかわらず、角を曲がるたびに「お客さん、この道でいいんですよね?」と振り返って不安げに私たちに訊いてくる。離島出身者の老人ドライバーも多く、彼らも那覇の道に不案内である。行き先の住所と社名を告げても「知っている」と答えた人は皆無だった。沖縄ではタクシー運転手は専門職ではなく一時的な失業者の避難所になっているのかもしれない。 沖縄は年間300点もの本が出版され、版元は40社を数える「出版王国」といわれている。しかし、よく調べてみると300点のうち約半分の出版物は、わずか7,8社の「大手」でつくり、残りの半分を8割強の30社の零細出版社がつくっている。その30社も多くて年間3,4点、少ないところでは1点の本しか出していない。 ここから推測するに、たぶん出版そのもので生活が成り立っている版元はほとんどないと考えてよさそうである。趣味でやっている人、印刷所の延長でつくらざるを得なかったもの、郷土史グループのボランティア、内職博打のつもりで出した1発勝負もの、本業のかたわら遊びや副業的に出した物……こうしたものが圧倒的に多いようなのである。それらのほとんどが事情はどうであれ「出版社」を名乗っている。あるいは、ある出版社からの枝分かれ、独立組というのもかなりの数に上っている。とりあえず机と電話さえあればできるてっとりばやさが魅力なのかもしれない。 幸い、本土に比べて沖縄は本を出したいと願っている個人がたくさんいる(これは自分のアイデンティティを探りたいという意識が他県よりも強いせいのようだ)し、家庭の中でも本は大切に扱われている。そのため出版社はタクシー運転手同様の「失業の一時的避難所」になっている側面もあるのではないだろうか。 こう考えてくれば、人口130万人に40社もの出版社がひしめき合っているという構図も少しは納得できる。さらに7,8社の「大手」から新聞社系の2社をのぞけば出版で生計をたてている出版社の数は5,6社という「実像」が姿を現してくる。 市内のど真ん中にある百貨店「パレットくもじ」内の書店・文教図書の壁面いっぱいに沖縄もの出版物が1000冊近く並べられている。あの棚を見せられると誰しもが、沖縄恐るべし、という思いに駆られてしまうのだが、その一方で沖縄大学前の三友堂書店のように、「沖縄の郷土ものは、ほとんどうちではでません」という書店もある。 40社すべての出版社が本を出して食べているわけでもなければ、沖縄のすべての書店が郷土ものをこぞって棚に並べているわけでもない。 それにしても郷土出版物の点数の多さは本土に比べるまでもなく圧倒的である。これを冗談めかして「供給があるから需要があるという反経済的な現象です」という関係者もいたが、やはり郷土を愛する強い気持ちの現れであり、本にたいする文化的な畏敬が生きている証拠なのだろう。本土のように画一化されない独自の文化が、いまだ暮らしの中に息づいているのである。 「沖縄出版王国」を訪ねる旅が、図らずも「失業一時避難所」にまで落ちてしまったのは、あくまで小生の個人的印象で他意はない。 沖縄に限らず地方出版というのは全国的に見ても、実は法人として国に税を払い、社員に給料を払い、銀行がお金を貸してくれる対象と認められる組織はきわめて少ないのが現状である。「出版社」と社名には冠しているものの、その内実は市民運動に毛の生えた程度の組織だったり、ボランティアの延長や、印刷所、古本屋、書店のサイドビジネスといったあたりが幅を利かせる世界なのである。野球でいえばノンプロの世界といったらわかりやすいかもしれない。専業で食べている出版社は指折り数えるほどしか存在していないのだ。 それに比べれば沖縄の出版状況は「隆盛」といって間違いはないだろう。 昔から地方出版は中央の画一的な文化支配から逃れた地域にこそ花が咲く、といわれてきた。要するに大都市から遠く離れ、交通の便が悪く、新幹線の通らないところに「独自の地方文化」が残り、それを栄養素に地方出版が花咲く、という理屈である。 これは小生の経験則からいってもそう大きくははずれていないような気がする(ここ数十年、日本の地方出版を領導してきた九州・福岡は大都市だが、精神的には中央文化への反発が強く、独自の文化に固執する特別な土壌がある)。 この伝でいえば、沖縄の経済が本土並になり、高速交通体系が整備されれば沖縄の「独自の文化」は破壊され、画一的な文化の流入により地方出版はいともたやすく勢いを失ってしまう、という可能性も出てくるわけである。 そういった意味では地方出版の運命は今後の経済動向にかかっているのかもしれない。 沖縄は、いま、どの道を進もうとしているのだろうか。 |