私にとって昨年に引き続き2度目となったアイルランド旅行。今回は舎員旅行なので富山、島田とフリーライターの永井登志樹さんが一緒だ。
アイルランドと聞くと、ほとんどの人が「名前は知っているけれど、いったい何処にあるの?」となる。イギリスの西隣にある島国で、島の大きさは北海道とほぼ同じで人口は約500万人。そのうち面積の2割弱(人口は3割)が北アイルランドとして分離されイギリスに属している。緯度は北海道より北になりサハリンとだいたい同じだが、島の西側をメキシコ湾暖流が流れているため比較的暖かい国だ。
ケルト、アイリッシュ・ミュージック、パブ、ギネス・ビールの国として知られ、とてもフレンドリーな人々が暮らす魅力あふれる島国だ。今回はレンタカーを借り去年回らなかった島の北半分を回ってきた。アイルランドではさまざまなことがあったが、特に思い出深かったのが夜毎われわれを楽しませてくれたパブ。今回の旅では10数軒のパブに飲みに行き、さまざまな人に会い、個性的なバンドが演奏するトラディショナル・ミュージック(伝統音楽)を聞いてきた。
パブではギネス・ビールと音楽を楽しんだほか、見知らぬアイルランド人や各国から来た観光客たちと乾杯し、おごり合い、大笑いし合った忘れられない7泊8日の旅だった。ここではパブとギネスと音楽の話にしぼり、思い出をつづってみよう。
パブ発祥の地アイルランド
パブというとロンドンが有名だが、実はパブが生まれたのはアイルランドが先だった。文献に残る記録の上で最初にパブの名が出てくるのは1688年といわれているが、実際にはそれよりずっと古くからあったというのが定説になっている。たとえば現存するダブリンのパブで一番古いのは1198年の開店といわれている「ザ・ブレイズン・ヘッド」。各地には開店から100年以上たっているような店はざらに残っていて、中には200年、300年以上などという店も多数ある。
家が10件ぐらいしかないような田舎の村にも必ずパブはあり、ドライブしていると周囲に家がないのにパブだけがぽつんと建っていて驚かされることがある。いったい誰が酒を飲みにくるのだろう。いくらアイルランドでも牛や羊はギネスを飲まないだろう、などと考えてしまうが心配はない。どこからか自転車に乗ったおじいさんや、畑から歩いてきた農夫が集まってきてカウンターにコインを置き、ギネスを「1パイント」注文する。
パブ「ザ・テンプルバー」の前に立つ永井さんと島田
パブはパブリック・ハウスの略で「公共の家」的性格のものだったようだ。初期は宿屋や村の集会所をかねたものだったらしいが、18世紀にビールがつくられ始め、次第に飲み屋専業になっていったといわれている。今でも田舎のパブに入ると村の老若男女が集い、ギネス・ビールやコーヒーを飲んだり、あるいは水だけでおしゃべりに夢中になったりと、村の集会所としての役割を果たしている姿を目にする。
パブの数はダブリン市内だけで1000軒以上、全国で6000軒とも8000軒ともいわれている。ここでの主役は常連の親父さんとギネス・ビールだ。おそらくアイルランド中探してもギネスを置いていないパブはただの一軒もないだろう。どこのパブにいっても昼からギネスのグラスを傾けている姿を目にする。彼らにとって、パブとギネスがない日々は想像することもできないほど生活に密着している。
人気のパブは立錐の余地もないほど混み合っている
首都ダブリンの人気パブ
われわれがダブリンに到着したのは7月7日。ダブリン空港からバスで今日、明日と連泊するホテル「フィッツサイモンズ」に向かった。予約は日本からインターネットで済ませてあるので安心だ。このホテルはテンプルバーというダブリンでもっともパブが集中している地区のど真ん中にあり、去年も私が泊まったホテルだ。2時間遅れの別便で到着する永井さんを待つ間、テンプルバーを3人で散策することにした。
日中はデパートやブティック、カフェなどがひしめくグラフトン・ストリートがダブリンの顔だが、夕方から深夜にかけてはここテンプルバーが主役になる。せいぜい300メートルほどの通りだが、地元の若者や国内外からの観光客、ストリート・ミュージシャン、大道芸人などで大変な賑わいだ。
私がここで見つけようとしているのは生バンドが演奏するパブ。当然音楽はトラディショナル・ミュージック(伝統音楽)となる。テンプルバーにはパブが40軒近くあり、いくら観光客が多いといっても個性がないと生き残れない。そのためパブはさまざまな工夫をするが、そのひとつがバンドを入れることだ。テンプルバーでバンドが演奏する店を見つけるのは容易だ。店の前に小さな張り紙が出ていたり、外に漏れてきたりする音楽目指せば良い。
観光客などでごった返すテンプルバー。空は明るいがこれで夜の10時すぎだ
入って驚くのはその店の大きさだ。テンプルバーにあるパブはたいがいが大型店だ。3階まであったり、増築を重ねて中が迷路のように複雑だったりするため、同行者とはぐれると探すのに一苦労するほどだ。そんななか「ザ・テンプルバー」というパブの張り紙で今夜の出演バンドに「ダブリナーズ」の名があった。CDを10枚以上出しているベテランのプロバンドだ。よし今夜はこの店からパブめぐりはスタートだ。
無事に合流した永井さんを誘い早速「ザ・テンプルバー」に向かう。富山は一切アルコールがだめなので1人でぶらぶらするという。店に入るとちょうどメンバーが店に着いたところで楽器の準備を始めている。まずはカウンターに行きギネスを注文する。この店のギネスは1パイント(約570ミリリットル)4.2ユーロ(1ユーロは約130円)。本場のギネスを手にバンドのすぐ前に陣取と間もなく演奏が始まり、バンドの周囲に人垣ができる。地元のバンドなので曲の合間に友人たちと雑談を交わすほどリラックスしている。
アイリッシュ・ミュージックはゲール語という古くからのアイルランド語で歌うところに魅力があるが、「ダブリナーズ」は英語の曲が多く、またバンジョーとギターが強いためアメリカのカントリー・ミュージックのようなので店を変えることにする。
パブ「ザ・テンプルバー」で演奏するバンド「ダブリナーズ」
店を出掛けに「ザ・テンプルバー」の店内をぐるりと回りながら観察してその大きさに驚かされる。フロアは6つに区切られていて複雑だ。すべてにぎっしりと人が入っている。2〜300人はいるのではないだろうか。
次に向かったのは我々が泊まるホテルの1階を占めるパブ「フィッツサイモンズ」。L字型の店内は長くて広いがやはり満員だ。ホテルのフロントで顔見知りになったガードマンに挨拶して入る。このガードマン氏、日本で言えば用心棒のようなもので、プロレスラーのような巨大な体と紳士的だが怖い顔をしている。どうも酔いすぎた外国人観光客を店から出したり、変な客を入れたりしないようにするのが役目のようだ。テンプルバーのパブにはほとんど付いていて、「フィッツサイモンズ」には5人もいた。
この店の人気はなんと行ってもアイリッシュ・ダンス。専属バンドが演奏するトラディショナル・ミュージックにあわせ、4人が一晩に3ステージほど踊ってくれる。バンドは5人編成でセッションではなく、ギグと呼ぶ練習を重ねたグループなので息は合っている。なかでもフィドル(バイオリン)の女性と、ロウホイッスル(縦笛)とウッド・フルートを操る男性の演奏が光っている。ここではステージに近いカウンターのハイチェアに腰掛け島田とギネスを傾ける。永井さんは旅の疲れで先に部屋に戻った。
パブ「フィッツサイモンズ」では毎夜、アイリッシュダンスが披露される
演奏が終了する12時までパブにいて3階にある部屋に戻るが、ホテルの隣にあるクラブは深夜まで営業していたようだ。3時頃目を覚ましたが酔客の声が部屋まで響いてきた。
ダブリン2日目の夜
今日は一日自由行動。それぞれアイルランド国立博物館やセント・スティーブンス・グリーン公園、ギネス・ストアハウスというギネスビールの博物館、市内に点在するキリスト教会などを訪ね歩いた。私は「ダブリン・ライターズ・ミュージアム」が印象深かった。
アイルランドはJ・B・イエーツはじめ4人のノーベル文学賞作家やジェイムス・ジョイス、オスカーワイルド、『ガリバー旅行記』のスィフトなど多くの優れた作家を生んだ文学の国で、小泉八雲もアイルランド育ちだ。それらの作家ゆかりの品や初版本などを展示している施設だ。付属のブック・ショップも充実していて、時間に余裕がないのにしばらくここに居てしまった。
夕方、島田と偶然に会いグラフトン・ストリートに名物のストリート・ミュージシャンを見に行くが、どういうわけか一組もいない。そこでギネスを飲もうということになり、選んだパブはグラフトン・ストリートから一歩横道に入った「ディーヴィ・バーンズ」。ジェイムス・ジョイスが「ユリシーズ」執筆中、毎日のように訪れ、定席があったという由緒を持つ店だ。外にも席が設けられ、日差しを浴びながらビールを楽しんでいる。我々も相席をさせてもらい、ギネスのクリーミーな泡と黒い液体をのどに流し込む。
グラフトン・ストリート近くにあるパブ「ディーヴィ・バーンズ」。
右の二人が「柿ピー」を喜んだスペインの夫婦
ところでアイルランドのパブには食べ物がないところがほとんど。店によってはパブ・ランチを出したり、つまみがあったりするところもあるが、ほとんどの店にはない。せいぜい「クリスプス」というポテトチップスの小袋があるぐらいだ。食事は家でゆっくり食べ、パブはとことん酒を飲むところ、というのがアイルランドの習慣。そのため夜の9時頃にならないとパブは混み始めない。
観光客はレストランやサンドイッチ・ショップなどで食事をとるしかないが、レストランに入ってしまうと腹いっぱいになってしまいビールがうまくない。このことで悩んだ去年の経験をふまえ、私は成田空港で「柿ピー」(柿の種&ピーナッツ)の小袋がどっさり入った大きな袋を買ってきた。案の定その「柿ピー」がギネスによく合い、ご機嫌のつまみになってくれた。
相席したのはイギリスのスコットランド出身で、現在はスペインに住んでいるという中年の夫婦だった。我々だけで「柿ピー」をつまむのもなんだから、二人に分けると「おー、これは大変おいしい」と大喜び。スペインではさまざまな料理でワインを飲むのが当たり前なので、彼らもアイルランドではつらい思いをしていたらしい。「柿ピー」という呼び名を覚え、記念に空の袋をポケットに入れて帰っていった。思いがけない国際交流となったし、この先々で「柿ピー」はパブで隣り合わせた各国の人たちに大人気となった。これからアイルランドに行く呑み助は「柿ピー」は必携ですよ。
二人が去った後、隣のテーブルに座ったのは僧服をまとったスマートな神父さん。どうどうとギネスを飲み干していた。
道を挟んだ真向かいのパブは「ベイリーズ」。1837年創業でレストランが併設されているため人気があり、会社帰りの人たちや観光客が外にまであふれて大変な盛況。ほとんどが若い客だ。
ディーヴィ・バーンズ」の向かいにあるパブ「ベイリーズ」。
若者に大変人気がある店だ
夜は4人で食事することにしていたためホテルで合流するが、食事をしたくなるような店が見つからない。テンプルバーは値の張るレストランがほとんどだし、入ってみたくなるような店もない。うろうろした挙句、テンプルバーのすぐ前を流れるリフィー川を越え、オコンネル・ストリートにあるパブ&レストランの「フラナガンズ」で食事を済ませた。さあここからはパブタイムだ。
テンプルバーに戻りとりあえず昨日も入った「ザ・テンプルバー」へ寄って見る。今日のバンドはギターにボタン式の小型アコーディオン、フルートの三人編成。昨日の「ダブリナーズ」より年齢は若く、演奏もシンプルで好感が持てる。曲もトラディショナルで良い味わいが出ていた。
もう少し違うパブ、違うバンドが見たくなりダブリンで一番古いという「ザ・ブレイズン・ヘッド」に足を向けることにする。途中「フィッツサイモンズ」をのぞくと、プロのアイリッシュ・ダンスが終わると同時に、飛び入りの小学生2人がステージに上がって、はだしになってアイリッシュ・ダンスを踊ったのには驚いた。まだ10歳にも満たないだろう女の子はなかなかの踊りを披露して、酔客からやんやの喝采を浴びていた。
パブ「フィッツサイモンズ」で飛び入りでアイリッシュ・ダンスを踊った少女
「ザ・ブレイズン・ヘッド」はリフィー川近くにある店で、独立した3階建ての建物が複雑に入り組んだ構造になっている。中庭にまでテーブルが並べられなかなかの盛況だが、テンプルバーのパブのように異常な混み方ではなく落ち着きが見られる。運良くバンド演奏も始まるところなので、早速ギネスを手にし席を確保する。
こちらに出ているバンドはギター、フィドル、バンジョーの3人組みで平均年齢は60歳ぐらいか。渋い歌声と演奏はかなりのものでこれは良いところに出くわしたと感謝。10時すぎに始まった演奏は延々と続く。12時頃には島田も眠くなったとホテルに戻ったし、客もだんだん少なくなってきて、1時に演奏終了したら客はあまり残っていなかった。
ダブリンで一番古いという「ザ・ブレイズン・ヘッド」の店内
ベルファストからスライゴーへ
翌朝レンタカーでダブリンを出て、「タラの丘」などに立ち寄りながら北上し、北アイルランドの首都ベルファストに着いたのは夕方の5時だった。早速ツーリスト・インフォメーションに行きベルファストの情報収集。もちろんパブ情報もゲットした。しかし我々が日本から予約した「ホテル・フィッツウィリアムズ・インターナショナル」は町の中心部ではなく、郊外にあるダブリン空港のすぐ近くと分かりがっかり。それでもタクシーで出て来ようか、という意見もありパブを物色に行く。
車で数軒回ってみて並んで建っている「ロビンソンズ」と「クラウン・リキュール・サロン」というパブがよさそうだということになる。うまいことに「ロビンソン」には今夜バンドも入ることになっている。
しかし実際にホテルに行ってみると町からあまりに遠いことと、ベルファストの町が長く続く紛争で荒廃した様子があちこちに見られ、安全とは言われているがトラブルがあると大変なので、今夜はホテルで食事をとることにする。ホテルはダブリン空港に隣接していて、現代的なデザインの素敵な建物だ。1階のレストランでシーフードやチキン料理を頼み、ギネスやワインを楽しむ。アイルランドとはずいぶんちがい洗練されたサービスだ。「やはりイギリスは違うね」と皆の感想は一致する。
ダブリン空港に隣接した「ホテル・フィッツウィリアムズ・インターナショナル」。
ここで食べた食事が今回一番おいしかった
4日目の宿泊地はアイルランドに再入国し、北西部を代表する町スライゴー。その前に立ち寄ったドニゴールの町が小ぶりだが活気があり、町の中心にある古城も魅力的だった。しかもドニゴールはアイルランドでも特に音楽の盛んなところ。去年仙台で見た「アルタン」や「エンヤ」、エンヤの兄姉がいる「クラナド」などこの地方に住んでいたり、出身だったりするミュージシャンは数えきれないほどいるし、魅力的なパブも少なくない。しかし明日以降のスケジュールを考えると、今日のうちスライゴーまで行ったほうが良い。
スライゴーのホテルは予約していなかったのでまずホテル探しから。ツーリスト・インフォメーションはもう閉まっていたので飛込みでホテルを探すしかない。幸いにも1軒目のシルバー・スワン・ホテルで部屋が取れた。道路の向かいは「イエーツ博物館」、ホテル横の川を挟んだ建物は「スライゴー県立博物館」で、その前に立つイエーツのブロンズ像を居ながらにして見ることができる。
ホテルから薦められたパブは「フォーリーズ・パブ」。毎日9時半からセッションが行われているそうだ。それまでまだ2時間ある。今夜は富山もパブに行きたいというのでそれまで全員自由行動。食事をする者、町歩きをする者さまざまだ。
スライゴーのパブ「フォーリーズ」。酒の小売店もやっている
9時半にみんな揃い一緒にパブに入る。店は手ごろな大きさでまだ満員ではない。カウンターに10人少し、フロアのテーブルに30人ほどの客。テンプルバーのパブはたいがいが巨大すぎるし客も多すぎる。このパブのおかみさんは気さくで居心地がよさそうだ。
我々はバンドのすぐ前に席を確保。それより少し遅れてメンバーが集まり始める。この頃ようやく分かってきたが、アイルランドのパブでいう演奏開始時間はメンバーが集まり始める時間。それから30分かけてギネスを飲みながら楽器を出し、客やほかのメンバーと雑談をして音が出るのはだいたい10時。この演奏が始まるまでの30分がとてもアイルランドらしくて心地よい。どんな楽器で演奏をするのか、アイルランドにさまざまある演奏方法のどれが彼らのスタイルなのか、始まるまで楽しみでしょうがない。
富山も初ギネスに挑戦。彼女はほとんどアルコールは受け付けない体質だが、あんまり我々が毎日飲むのでどんな味なのか興味が沸いたのだろう。ちびちびなめながら楽器の準備などを見ている。演奏が始まりそうになると興味がないらしい地元客が帰り始めるたり、奥にある別フロアの店に移動する。我々は「柿ピー」を食べながらメンバーの観察だ。
今夜はギター、ボタン・アコーディオン、フィドルの3人組。静かな調子の曲が多く聴いていていい気分になってきた。彼らは「セッション」で固定メンバーではないようだ。セッションの場合は次々と演奏するより、1曲終わるとゆっくりギネスを飲み一休みし、少したつとリードする誰かが音を出し始めるというパターンが多い。それはフィドルの場合が多いが、何百曲もあるというその地方独特のメロディーの中から1曲選び、音を出し始める。それにほかのメンバーがそれに合わせ、確認しながらだんだん音が重なり始める。
今夜のようにメンバーが3人程度だったら1分もたたないで音の確認が終わり演奏開始となるが、8人編成などとなったら始まるまで何分もかかることがあるし、曲をはっきりと知らない場合は飲み参加しないメンバーがいたりもする。これがセッションの醍醐味で、私はこの音合わせが好きでたまらない。
「フォーリーズ」の店内。地域に密着したパブだった
これに対して練習を重ねた固定メンバーで演奏するのが「ギグ」。パブなどの店に雇われ毎夜演奏するのだが、ミスのないように練習して演奏するので上手だが、やはりスリルに欠ける。この違いを見分けるには曲の始まり方を見ていればすぐ分かるので、馴れていなくても判断できる。
今夜も徐々に富山、永井さん、島田と順番にホテルに帰り、気がつくともう1時。演奏も終わり店内を見渡すと客は10人も残っていない。表の入り口はもう閉めたので、と裏口までおかみさんが案内してくれ「Good night」。夜風が気持ち良い。
夏休みに入っているので、外には男女高校生と思われる多くの若者がうろうろしていた。たいして大きな町ではないので、あまり遊びに行くところがないのだろう。
ホテルに戻る途中、「フューリーズ・シェラナ・ギグ・フロック!」という小さなパブがあり、外まで「ティン・ホイッスル」という金属製の小さな縦笛の音が聞こえて来た。ドアを開けてみると背の高い若者がぎっしり詰まっていて、身長170センチの私では中がうかがえない。しょうがないので入り口の外で聞かせてもらった。ティン・ホイッスル1本の独奏なのでシンプルだが、透き通るような音が出ていて聴かせてくれる。これは良いところにめぐり合ったと喜んだが、残念なことにこれが最後の演奏だった。
アイルランド人の血はギネスでできている
ちょっとここで、これをなくしてアイルランドは語れないギネス・ビールを紹介しよう。1759年にダブリンでつくられ始めたスタウト(黒ビール)で、アイルランドで飲まれるビールの8割以上はギネス、というほど圧倒的な人気を得ている国民飲料だ。
どうもアイルランド人にとってギネスはただの嗜好品ではなく、アイルランドという国、民族のアイデンティティーに関わる存在のように感じる。ソウル・フードならぬ、ソウル・ドリンクなのだろう。以前、何かの本で「アイルランド人の血はギネスで出来ている」という表現を読んだことがある。もし彼らは面と向かってそういわれても、怒るより喜ぶのではないだろうか。
ギネスの博物館「ギネス・ストア・ハウス」でもらったコースター。
6枚1組になっていてギネスの注ぎかたを写真で解説してくれる
大麦の麦芽をローストしたものとホップ、酵母、水だけでつくられる完全無添加のビールで、カロリーは牛乳の半分。アイルランド人はギネスこそ体によい健康飲料だと思って疑う事はない。パブリカンと呼ばれる熟練のカウンターマンの手により、ビール・サーバーから2度に分けゆっくりとそそがれると、クリーミーな泡がグラスの上部を2〜3センチほどおおい、まるで蓋をしたようになってカウンター越しに手渡される。
グラスの標準は1パイント(約570ミリリットル)で、日本の中ジョッキよりやや大きい感じだ。あまり飲めない人のために半パイントグラスもある。1パイントはダブリンが4ユーロ(約520円)ちょっと、田舎では3、3ユーロ(約430円)ぐらいだ。
ギネスはあまり冷たくしないでゆっくりと飲むのが普通で、日本のようにきりっと冷やしてごくごくと一気に飲むことはない。以前はせいぜいパブの地下にある冷所に置かれ、少し冷たくするぐらいだったが、最近はそれ以上に冷やしたギネスが若者を中心に好まれるようになってきた。この傾向は都会ほど強く、また観光客も冷たいギネスを好む人が多いという。ここにも観光客の急増による変化が出てきているようだ。
アイルランドのパブで一人で飲むのは至難の技。見知らぬ東洋の国から
きた客人を周囲がほおって置かない。ギネス片手にすぐ「ハーイ」となる
パブではギネス片手にトラディショナル・ミュージックのライブ演奏を聞いたり、どうでもよいような話を延々としたりするのが彼らの最大の楽しみになっている。もちろん旅人のわれわれも同じこと。毎夜、各地のパブをたずね、アイリッシュ・ミュージックに酔いしれ、たわいのない話をたどたどしい英語で交わし、深夜までホテルに戻ることはなかった。
ちなみに『ギネス・ブック』はこのパブで交わされた、「・・・の世界一はどれだろう?」という、酔っ払い叔父さんたちのたわごとから本が生まれたもので、現在もダブリンにあるギネス本社が申請の窓口になっている。
私が今回のアイルランドで飲んだギネスは50杯を超えた。少しは血にギネスが混じっただろうか。
若者でごったがえすゴールウェイ
石灰岩の岩肌がむき出しになっていて、どこまでも荒涼とした風景が続くコネマラ地方。この魅力的な自然景観を車窓から楽しみながら山中を走っていると、突然のように1軒のパブが現われた。近所に家は数軒しか見えない。
「ザ・カーライグ・バー」というこのパブでティータイムにしようということになりドアを開くと、3人の少女が店内でよちよちローラースケートをしている。客の顔ぶれは隠居したようなおじいさん2人、ドロだらけの農夫たち、胸まである長靴をはいた釣り客、近所の家族連れ、それに通りかかった観光客一家。この地区の人物カタログといったところだろうか。
1杯2ユーロの薄いコーヒーを持って窓際の席に腰掛けると、店内のお客たちが我々を気にしているのが感じられる。「こいつら何者なんだろう」とでも思っているのだろうか。なんとなく座った席がカウンターからもほかの席からも離れているので、いまさら声がかけずらい。店を出るとき「アディオス」と挨拶された。我々はスペイン人には見えないよなあ。
コネマラの山中にあったパブ「ザ・カーライグ・バー」。ここではコーヒーを飲んで休憩
夕方ゴールウェイの町に到着。実はこの町のホテル予約は取れていない。入手できた宿泊所情報ではどこも満員だったためだ。ツーリスト・インフォメーションも閉まっている。しょうがないのでB&Bが集中している地区で、手当たり次第に「Vacancy(空き部屋あり)」の表示があるB&Bのドアをたたく。しかしツインルームが2部屋空いているところは簡単になく、10軒目あたりでようやくOKとなった。
この町はアイルランド第3の都市。といっても人口は6万人程度。昔からスペインやアメリカなどとの貿易、移民港として栄えた町だ。そのためスペイン人の血が混じった人が多いし、アフリカの人やインド人、中国人などの姿もちらほら。ゴールウェイ大学を中心とした学生の町でもあり、開放的な雰囲気に誘われてヨーロッパ各地から集まった外国人が多い。
メーンとなるショップ・ストリート周辺を歩いてみると圧倒的に若い観光客が多い。ストリート・ミュージシャンや大道芸人も目に付くが、ダブリンのテンプルバーとはまた違う雰囲気が漂っている。しばらく4人でそぞろ歩き、レストランで簡単な食事をとって目星を着けておいたパブに入る。もちろん9時半からバンド演奏があることは確認済みだ。少し遅れて永井さんと富山が到着し、人を掻き分けて我々の近くに来る。店は大変な込みようだがいつもどおり演奏する席のすぐ前に何とか割り込む。
今夜は演奏が始まる前にすでに飲み仲間ができてしまった。アメリカから留学している若いカップルと、地元の酔っ払い親父、イスラエルからきたという中年夫婦などなど。ここでも「柿ピー」は喜ばれ、特にアメリカから来たカップルは以前、名古屋の大学に留学していたらしく、エーミーという女性は懐かしさに大喜び。
ゴールウェイのパブ。
左の2人がアメリカから、中央の2人がイスラ エルから来た夫婦。
店内は客でごった返していて、カウンターにギネスを注文しに行くのも一苦労。しかしアイルランドの人たちは親切で、通れるように声を掛け合ってスペースをつくってくれたり、ギネスを手渡しで運んでくれたりとやさしい。
バンドは6人編成の本格派。演奏が始まるとすでに酔っている客は大喜びだ。しかしバンド・メンバーも客に負けずに自分たちの演奏とギネスを楽しんでいる。ゴールウェイのようにエネルギッシュな町のパブでは、楽しむことを知らないミュージシャンはやって行けない。中心に座っているフィドルの女性がリードして、つぎつぎと魅力的な曲が続く。永井さんと富山は途中で帰ったが、我々のテーブルには10人以上の客がごちゃごちゃに座り、大変な盛り上がりを見せている。
ゴールウェイのパブで演奏するセッション・バンド。
中央のフィドルの女性が演奏をリードすると客も大喜びだった
1時に演奏終了。今夜も裏口から帰る。B&Bへの帰路にあり、ライブをやっているもう1軒のパブ「キングス・ヘッド」に立ち寄ってみたが、こちらも閉店の時間。明日は待望のアラン島へ行く日なのでこれ以上夜更かししないようB&Bに戻る。
中世の雰囲気漂うイニス
ゴールウェイの町歩きをしたいという永井さんと富山が、今夜の宿探しを引き受けてくれたで、島田とアラン島に向かう。途中、永井さんから携帯電話に観光客が多すぎて宿がないと連絡が入っていたので、今夜はゴールウェイに泊まるのは無理かな、と思いながら夕方までに町に戻る。あれこれ考えてもしょうがないので、3人に合意を求め、急遽予定を変更して50キロほど南に行ったクレア県の中心となる町、イニスに向かうことにする。
8時すぎにイニスに到着、外はまだまだ明るい。ホテルよりB&Bに泊まりたいというのが全員の意見だ。飛び込みで訪ねたB&Bには4人が同時に泊まる空室はなかったが、友人が経営するB&Bを紹介してくれた。イニス郊外にありイメルダ・ライアンさんがやっている「バラグハファーダ」という所。周囲には牧場が多くすばらしい環境だ。これはいいB&Bに巡り合ったと全員大喜び。
イニスで泊まったB&B「バラグハファーダ」。イメルダさんから紅茶をいただく。
さっそくイメルダさんから紅茶とクッキーを呼ばれ、彼女とおしゃべり。イニス周辺の様子を親切に教えてくれ、町に行きたいという我々のためタクシーを呼んでくれる。
実は私はこの町には去年も泊まっている。300年以上の歴史を持つ「クルージズ・パブ」という、古色蒼然としたたたずまいのパブで、バンド演奏を聞いたのは忘れられない思い出になっている。そのほかイメルダさんから「オールド・グランド・ホテル」で演奏をやっているはずという情報も得ている。今夜も楽しい夜になりそうだ。
イニスは人口が1万人にも満たない小さな町。アイルランドでは標準的な規模の地方都市だ。町の中央部でタクシーを降り、目抜き通りをぶらぶら歩くのは楽しい。特に1年前との変化は感じられず、懐かしさがこみ上げる。まもなく最初の目的、「クルージズ・パブ」が見えてきた。富山はその辺のレストランで夕食をとってからパブに来るという。
この「クルージズ・パブ」は、「トラディショナ・アイリッシュ・ミュージック・パブ賞」を受賞したこともあるパブの名店。実はイニスがあるクレア県は3日前に立ち寄ったドニゴールと並び、アイルランドを代表する音楽のメッカ。特にシャロン・シャノンなどボタン・アコーディオンやフィドル(バイオリン)などに名手が多い。
イニスの老舗パブ「クルージズ・パブ」のパンフレット
永井さんや島田はこのパブが持つ歴史にしばし唖然。床から天井、カウンター、暖炉などがかもし出す古さはまるで映画で見る中世の居酒屋のようだ。去年は中央の暖炉の前で演奏をしていたが、どうも今日は奥の部屋でやるようだ。そこでギネスを手に移動してバンドのすぐ前に席を見つける。店は適度な込みようで、立ち見の人が居ないので落ち着いた雰囲気で演奏が聴けそうだ。
今日のバンドはブズーキーというギリシャの古楽器を、アイルランド風に改造したものを中心に、マンドリンやバンジョー、ウッド・フルートなどの6人編成。珍しくボタン・アコーディオンとフィドルが入っていない。中が空洞になった小さな木のリズム楽器をスティックでたたくおじいさんがこのセッションの名物のようだ。70歳にはなろうかという年なのに若い女の子が好きらしく、女性たちに盛んに声をかけていた。
このパブに来る前、ライブがあるという張り紙があったパブに、永井さんと富山が行ってみたいと先に店を出る。私と島田は最後まで聴いてから、B&Bのイメルダさんから教えられた「オールド・グランド・ホテル」の1階にあるパブに行ってみる。12時をすぎているというのに満員の盛況。
「オールド・グランド・ホテル」(イニス)の1階にあるパブ。
右の少年がコンサーティーナの名人
客席の一角ではギター、バンジョー、コンサーティーナ(小型の六角型アコーディオン)という組み合わせで演奏が行われている。そのうちのコンサーティーナを操るのがまだ若い男の子。カウンターで隣り合った男性の話では、自分の友人の弟でまだ9歳だという。「えー9歳、本当かよ」と島田と顔を見合わせる。9歳よりは少し上のように見えるが、外人の年は良く分からない。彼は大変なテクニックを持っていて、めまぐるしく動く両方の指で次々と曲を繰り広げてゆく。日本で言えば早熟の天才三味線引きというところか。
5日ぶりのダブリン
アイルランド島の北半分を回ってスタート地点のダブリンに向かっている。高速道路のようなN4・N6という国道をただ走るのはつまらないので、田舎道を走りながらあちこち寄り道して、島を西から東に横断した。ダブリンの少し手前の町、レイクスリップで町の広場を会場にしてサマー・フェスティバルが開かれていた。
ステージには5人組みのバンドが上がり、即席のダンスフロアでは4組の男女が「セット・ダンス」や大勢の人たちが「ケーリー・ダンス」というアイルランドの踊りを披露している。どうもダンス・コンテストも兼ねているようで審査員も居る。日本で言えば盆踊りだろう。周りを観客が囲み、軽快な音楽に合わせてリズムを取っている。みんな本当に楽しそうで、アイルランドの音楽、踊り、陽気さの原点を垣間見たような気がした。
ダブリン近くのレイクスリップで開かれていたサマー・フェスティバル
夕方ようやくダブリンに戻った。今夜はアイルランド最後の夜になるので、4人揃ってテンプルバーで夕食を取ることにした。入った所は「ザ・パーム・ツリー・レストラン」という、アイルランドにしてはしゃれた店で、ムール貝やパスタなどをつまみにワインを飲むと、アイルランドの思い出話で盛り上がった。
さあ、最後のパブ・タイムだ。どこに行こうか迷ってしまったが、とりあえず必ずバンドが入っている「ザ・テンプルバー」に入って行くと、相変わらずの大入り満員だ。バゥロンという片面だけに羊の皮を張った太鼓の叔父さん、ティン・ホイッスル始め数種類の縦笛を吹き分けるおばさん、若きフィドル走者の女性という3人組み。あたりの喧騒は意に介さず、淡々と自分たちの音楽を演奏している。
「フィッツサイモンズ」で少しの間演奏を聞き、この前も行ったダブリンで一番古いという「ザ・ブレイズン・ヘッド」に向かってみる。今夜のバンドは2ギターにバンジョー、エレクトリック・ベース、ドラムスという構成のバンド。50〜60歳ぐらいの叔父さんたちがメンバーで、演奏はまるでカントリー・ミュージック。これは趣味じゃない。ギネス1杯で早々と退散することにする。先にこの店に行ったはずの永井さんの姿は見えない。もう帰ったのだろうか。
気に入ったパブを探してあちこちうろうろするが、結局テンプルバーに戻り、川沿いにある「ハーペニー・ブリッッジ・イン」というパブの2階に入る。外にまで音が聞こえて来たためだ。
なんと入ってみると演奏しているのはブルースではないか。60歳前後の2人組、パット・マ−ティンとダーモット・バイルニー(?正確に読めない)がアコースティック・ギターにエレクトリック・ピアノという組み合わせで、渋い音を出している。私はブルース大好き人間なので、これはまたいいところに来たと喜んだが、もうオーダーストップだという。しょうがないのでギネスなしで演奏だけ数曲聞いて店を出た。時間はもう12時を回っている。
今夜はもう終わりかな、と島田とテンプルバーをホテルに向かいながら歩いていると「ザ・オリバー・セント・ジョン・ソサーティーズ」(正確に読めない)という、3階建ての大型パブの2階でなにかやっていそうな気配だ。とことこ階段を上がって行くと、案の定バンドが入っているじゃありませんか。
パブ「ハーペニー・ブリッッジ・イン」の2階ではブルースを演奏していた
フィドルが3人にボタン・アコーディオン、ティン・ホイッスル、ギター、バゥロンという7人編成の大人数セッション・バンド。フィドルの3人がそれぞれ個性ある演奏をしているのが魅力的だ。うまい具合にバンドのすぐ横のテーブルが空いたので、ゆっくりギネスを飲みながら演奏を楽しむことが出来た。
テンプルバーのパブ「ザ・オリバー・セント・ジョン・ソサーティーズ」(正確に読めない)
では7人編成のセッション・バンドがすばらしい演奏を繰り広げていた。
100人は居るだろう客の一部は音楽に合わせダンスを始めている。なんとフロアの端ではパブの従業員まで踊っているではないか。本当にみんな幸せそうな顔をして楽しんでいる。
アイルランドは漢字で書くと「愛蘭土」。沖縄映画「ナビィの恋」では主役の平良とみオバアはアイルランドを「アイシテルランド」と呼んでいた。そのとおり「愛多き島」なのだ。とことんアイルランド人はやさしくて、気さくで、愛に満ち溢れた人たちだった。こんなに旅人をやさしく迎え入れてくれる国はほかにあるだろうか。
なんだかこの国にはまた来そうな気がする。そんなことを思いながら翌朝、飛行機の窓からアイリッシュ海を眺めていた。