●アイルランド舎員旅行日記

アイルランド舎員旅行

7月7日(月)
 朝10:25成田空港発のKLMオランダ航空で日本を出発。今回アイルランドに行くことになったのは、無明舎から鐙、富山、島田、そしてフリーライターの永井登志樹さんの4人だ。無明舎出版の舎員旅行なのだが、今年は希望制にして、行きたい人プラスいつも無明舎の仕事をしてくださるライターの永井さん、というメンバーになった。小人数なので、家族旅行のような気軽な旅になりそうだ。あとから参加申し込みをした永井さんだけVAで行くことになり、ダブリンのホテルで合流する予定。
 KLMの機内は空いていたので、ゆったりと座ることが出来た。私は2回の食事とその間の軽食のとき以外はほとんど寝ていたので、機内の様子をよく覚えていないけれど、鐙はほとんど寝ずに読書、富山は映画を見たり寝たりしていたようだ。
 約12時間のフライトのあと、オランダのアムステルダムに到着。日本とは約7時間の時差があるので、まだ昼間の3時だ。1時間後にエアリンガスでアイルランドに向けて出発、1時間半でついにDublin(ダブリン)に到着した。現地時間は夕方の5時半。
 バスでダブリンの中心部に行き、ホテルにチェックインしたあと永井さんが到着するまで1時間ほど3人で近くを散歩した。ホテルの前を流れるリフィ川に、白いしゃれたデザインの橋が架かっていた。名前を見るとHA'PENNY BRIDGE(ハーペニー橋)とある。これは、鐙が以前行ったことのある仙台のアイリッシュパブと同じ名前なので、もしかすると有名な橋なのかもしれない。かわいい小物がたくさん並ぶお土産屋さんや、CDショップなどを覗き、7時ごろホテルに戻ると、少しして永井さんも到着した。

白くておしゃれなHA'PENNY橋

馬に乗った警官
 4人そろって夕食&ギネスを飲むために町に繰り出した。ホテルは、カフェやパブ、レストランなどがたち並ぶTemple Bar(テンプル・バー)というにぎやかな場所にあり、すぐ近くの「TEMPLE BAR」というパブで9時半から生バンドの演奏があることがわかった。アイルランドのパブでは食事が出ないので、ギネスを飲みながら演奏を聞きたい鐙、永井さん、私と、食事がしたい富山は別行動をすることにした。この日から1週間、鐙と私(時々永井さんも合流)のギネス&アイリッシュミュージック三昧の夜更かしがスタートするのだが、それについては鐙のレポートにまかせることにする。
 何といっても夏のアイルランドは夜が長い。夜10時でも空はまだうっすらと明るく、完全に暗くなったのは11時近かったと思う。この夜は、長時間の移動の疲れもあってか11時半にホテルに戻った。

7月8日(火)
 今日は1日、自由行動でダブリンを観光することにした。夜7時にホテルのロビー集合と決め、昼食は、正午にホテル前に集合した人だけ一緒に食べることにした。
 ホテルの朝食は、フル・アイリッシュ・ブレックファーストが食べられる!という期待に反して質素なものだった。セルフサービスのバイキング形式で、シリアルやパン、チーズ、ジャム、ジュースなどが並んでいるだけなので、どう考えてもこれでお腹いっぱいにするのは難しい。早くも納豆ご飯が恋しくなってしまった瞬間だった。朝食をとりながら、それぞれに行きたいところを教えあったけれど、皆微妙に違うことがわかったので、完全に1人で行動することに決めた。
 9時ちょっと過ぎにホテルを出て、まずSt.Stephen's Green(セント・スティーブンス・グリーン)という大きな公園へ。広さは9ヘクタールもあり、青々とした芝生広場や色鮮やかな花壇、石造りのちょっと変わった小庭など、いろいろに変化があっておもしろい。有名な作家ジェイムス・ジョイスの銅像もあった。犬の散歩やジョギングなどをしている人もいれば、通勤、通学の途中らしい早足の人もいて、ダブリンの人々の生活を垣間見たような気がした。

St.Stephen'sGreen
 すぐ近くにTrinity College(トリニティ・カレッジ)があるので、Grafton St.(グラフトン・ストリート)を通ってカレッジへ向かうことにした。グラフトン・ストリートは、ストリート・ミュージシャンや芸人などが多く、おしゃれな店が並ぶ楽しい通りだとガイドブックに書いてあったので期待していたのだが、まだ朝だからか、ミュージシャンは一人もいなかった。でも、道の両側にはカラフルな壁色の店が並び、花屋の屋台なども出ていて、楽しい雰囲気は十分に味わうことが出来た。
 トリニティ・カレッジは、16世紀にイギリスのエリザベス1世によって創設された大学で、その古い図書館は『ケルズの書』が展示されていることで有名だ。『ケルズの書』は豪華な装飾が施された4つの聖書で、アイルランド人のルーツでもあるケルト人による、最高峰の芸術といわれている。また、図書館の2階には、古い時代の姿をそのまま残したロングルームがあり、本当はそれが見たくて来たのだけれど、ちょうど観光バスの団体とぶつかってしまい、体の大きなおばさま軍団のパワーに負けてなかなか2階にあがることができず、「これじゃあ2階に上がっても何も見えないんだろうな……」と、今回はあきらめることにした。
 カレッジのはす向かいにBank of Ireland(アイルランド銀行)が建っている。これは、18世紀にアイルランド自治議会の議事堂として使われていた建物で、イタリアやフランスで設計を学んだ人が設計をしたらしく、装飾のある柱が立ち並ぶ姿が、イタリアの建物に似ていると思った。銀行として使われているのは1室だけで、他にもたくさんある部屋はオフィスなどとして使われているようだった。銀行としては決して使い勝手のいい建物ではないだろうけれど、古い建物を大事に使っている様子に感動した。

アイルランド銀行
 次の目的地はDublin Castle(ダブリン城)。人通りの多い大きな通りを、店を覗きながら歩いていった。13世紀に建てられたダブリン城は、それ以来7世紀もの間のイギリス支配の歴史ともいえる。40分間のツアーに参加して、城の内部を見学することにした。
 17世紀に火事で焼けてしまい、今のダブリン城のほとんどは復元されたものなので、古さや歴史を感じることが出来なかったのが少し残念だった。
 大雑把なアイルランドらしく、ツアーが時間通りに終わらなかったので、みんなとの昼食の待ち合わせ時間に間に合わず、昼はサンドイッチを買って簡単にすませてしまった。大通りを歩きながら、Christ Church Cathedral(クライスト・チャーチ大聖堂)を覗いたり、かわいい小物を売っている店を見つけてはひやかしたりしながら、西の方にあるGuiness Store House(ギネス・ストアハウス)に向かった。
 アイルランドといえば、何といっても「ギネス」。色の黒いビールでコクと甘味があって飲みやすく、極めつけはきめの細かいクリーミーな泡。ぬるくなっても十分おいしいどころか、旨みが増すようなビールは、ギネス以外にはないだろう。そのギネスの製造工場の中に、製造過程や歴史などを説明するギネス・ストアハウスがあり、7階の展望バーで、ギネスを1杯無料で飲むことが出来る。内部の展示はまあまあだったけれど、広い工場の敷地を一望できる展望バーでのギネスは、とてもおいしかった。

ギネス・ストアハウスの7階展望バーから工場を望む
 もう一度市の中心部に戻り、General Post Office(中央郵便局)へ。ここは、1916年、イギリスの統治から独立しようとする「イースター蜂起」の時に司令部となったという、歴史上有名で重要な意味を持つ建物で、古く重々しい雰囲気がある。でも今は普通に郵便局として使われているので、中は郵便を出しに来た人などでにぎわい、そのギャップがちょっとおもしろい。
 郵便局を出て、ショッピングセンターをうろうろしているうちに、少し足が疲れてきたので休憩しようとホテルに戻ると、フィルムを交換しに来た鐙とバッタリ会った。グラフトン・ストリートへ行くというので、朝ストリートミュージシャンを見れなかったことを思いだし、一緒に行くことにした。なぜか、夕方なのにまたしてもストリートミュージシャンの姿はなかったが、地面にクレヨンのようなものできれいな絵を描いている人や、大道芸人などがいた。

道路をキャンバスにする人
 7時のみんなとの待ち合わせの前に、ジェームス・ジョイスが通ったというパブで1杯ギネスを飲み、ホテルで富山、永井さんと合流。パブに行く前に、レストランで夕食をとることにした。富山と私は、一度食べてみたいと思っていたアイリッシュシチューを頼み、具だくさんの素朴な味に大満足。永井さんの頼んだハムも、ちょっとしょっぱかったけれどおいしかったのだが、鐙の頼んだチキンは、日本人の私たちの口には合わないものだった。

7月9日(水)
 朝8時にホテルを出て、タクシーでレンタカー会社へ。借りたのはボルボのステーションワゴンで、新しくてなかなかいい車だ。さっそく、遺跡として有名なHill of Tara(タラの丘)経由で今日の宿泊地Belfast(ベルファスト)を目指す。でも、大きな地図ではなく細かい道がたくさん乗っている小さい範囲の地図ばかり見ていたので、なかなかダブリン市内から出ることが出来ず、気づいたら海が見えてきて反対方向に来ていたことがわかり、市内でうろうろ迷ってしまった。やっと道が見つかって、なんとか幹線道路N2に乗ることができたのは30分後。あたふたとしたスタートだったが、ダブリン市内のドライブをしたということにしておこう。
 タラの丘は、紀元前200年ごろアイルランドに移入して来たケルト人の遺跡。少し歩くとSt.パトリックの像が立っていたので、記念撮影。さらに歩いていくと、石塔や墳墓などがあった。びっくりしたのは、遺跡なのに普通に羊が放牧されていること。丘を歩きながら、糞を踏まないよう皆でうつむき加減で歩く姿に、少し笑ってしまった。

タラの丘の石塔
 タラの丘からさらに北上すると、Newgrange(ニューグレンジ)という大きな古墳がある。日本でも古い時代には古墳を作っていたけれど、遠く離れた交流もない場所で、同じようなことをしていたのが不思議でおもしろい。しかも、古墳の一番奥にある墓には、1年に1度、冬至の日の夜明けに、通路を通ってまっすぐに陽の光が入ってくるように設計されているのだ。ガイドさんと一緒に古墳の中に入り、ライトを使ってそれを再現してくれたけれど、ライトと知っていても何だか神秘的な気持ちになってしまった。冬至の日だけ日が当たる、という太陽崇拝のようなものは日本にもあるらしく、永井さんの説明によると「冬には生き物の生命力が弱まるから、太陽の光から力をもらおうという考えらしい」とのこと。なるほどなぁ…と感動。ケルト人と日本人は、精神的な部分で似ているところがあるのかもしれないと思った。

ニューグレンジの古墳

ケルトの模様が刻まれた石
 ニューグレンジから東の海のほうへ向かって走っている途中で、おなかが空いてきたので、小さな町のコンビニでサンドイッチを買って食べた。サンドイッチの具を自由にオーダーできるしくみで、1種類しか注文しなかったら少し驚かれてしまったようだ。昼食後、Drogheda(ドロヘダ)という町を通りかかると、左手に大きな教会が見えてきたので、寄ってみることにした。なかなか大きな教会で、ステンドグラスもきれい。
 ドロヘダを出て一路ベルファストへ。ルートを決めるとき、「わかりやすいから」と幹線道路を選んでしまったため、道幅が広くて走りやすいのはいいけれど、景色にほとんど変化が無くて退屈してしまった。「英語の看板が無ければ、秋田自動車道を走っているのと変わらないよね〜」などと言いながら、ただただベルファストを目指して走った。明日からは、なるべく幹線道路を通らないようにしようと話し合った。
 途中、アイルランドと北アイルランドの国境があったはずなのに、大きな目印になるようなものは何も無く、気がついたら北アイルランドに入っていた。検問などは無いと聞いていたけれど、これほど何も無いとは思わず、皆、びっくりしてしまった。
 もうすぐベルファストに着くというころ、今日泊まるホテルはどこにあるんだろう…と調べたら、ベルファストの町なかからは20km近く離れた、ベルファスト空港の真ん前にあるということがわかった。地図を見ずにホテルをとってしまったのは、失敗だった。
 町なかに入るとまず、インフォメーションセンターに行き、ホテルの場所の確認をしたあと、古くて大きな教会はないか聞いてみた。紹介されたSt.Anne's Cathedralへ向かう途中、生バンドの演奏のあるパブがあるかチェックしてみたけれど、パブの数はそれなりにあるがバンドは入っていない。町の雰囲気も少し寂しいような感じで、夏期休暇で皆が遊びに行ってしまっていることもあるのかもしれないけれど、少しさびれたような印象を受けた。

ベルファストのシティホール
 茶色レンガのSt.Anne's Cathedralは、残念ながらしまっていて中を見ることは出来なかった。すぐ近くに小さな教会がもうひとつあって、宗派が違うようだ。宗派が違うと教会の外観もハッキリ違う。
 なかなかこれといったパブが見つからなかったので、今夜はホテルで飲むことにして、空港に向かった。今夜の宿はFitzwilliam International Hotel。ベルファスト空港はとても小さな空港だが、ホテルは予想に反してきれいないいホテルだ。荷物を置いて1階のレストランで食事をとった。ギネスは少し飽きたな〜と思いながらも、アイルランドにいるのにギネスを飲まないのはもったいないと、最初の1杯はギネスを注文。料理はなかなかおいしく、ギネスも進んだが、2杯目は鐙の選択でチリのワインを飲んだ。食後、夜の9時なのにまだ明るいので、ホテルの周囲を少し散歩してみた。でも、ちょっと歩いてすぐに、空港以外何もない、ということがわかった。そして、空港の中にお店などあるかと思って入ってみたら、すぐ目の前がチェックインゲートになっていて、飛行機に乗らないのにそこにいるのは場違いだ、という雰囲気にたえられず、結局すぐにホテルに戻ってしまった。

7月10日(木)
 空港の前のホテルだけあって、朝早くからレストランが開いているので、早めに出発するために6時から朝食をとることにした。ここでもやはり、フル・アイリッシュ・ブレックファーストではなく、シリアルや菓子パン、果物、ジュースなどのセルフサービス。でもウェイトレスに注文をしたら、ベーコンエッグやトーストを持ってきてくれた。
 食後すぐに出発し、海岸沿いを北に向かった。あいにくの雨模様だけど、昨日のような幹線道路じゃないので、周りの景色が楽しめて面白い。1時間半ほど走ってBallycastleという町で休憩。まだ8時半だからか、町の中心広場にもあまり人はいない。港へ行ってみると、小さな魚屋さんがあって、サケやタラなどの切り身が並んでいた。予想していたような、にぎやかな漁港ではなかったので少し戸惑った。夏期休暇のせいなのだろうか。
 水平線の向こうに長靴の形をしたRathlinという島があり、さらに遠くにもかすんではいるけれど島のようなものが見える。何だろう?と思ったけれど、たぶんイギリスだと思う。あとから地図で確認したら、この場所からだとスコットランドと20kmほどしか離れていないのだ。
 ふたたび海岸沿いを走り、途中、古い城跡を見つけて寄り道。駐車場から海辺のほうへ階段を降りていくと、海に突き出した岬に、ところどころ城壁の崩れかけた古城がぽつんと建っていた。途中の道で崖崩れがあったらしく、近くまで行くことは出来なかった。私たちが写真を取ったりしている間に、「Environment&Heritage Center」というロゴの入った車から何人かの作業員らしき人たちが降りてきて、なにやら修復作業を始めた。公共団体なのか民間団体なのかはわからないけれど、遺跡などを残し、後世に伝えるためにきちんと管理をしているんだな、と思った。

岬の古城

氷河が造った険しい崖
 10時ごろ、Giant's Causeway(ジャイアンツ・コーズウェイ)に着いた。インフォメーションセンターでマップなどをもらっている間に雨が降ってきてしまい、少しの間雨宿り。ここは、大昔の地殻変動の結果、海にせり出すように六角柱が並んでいるという不思議な地形が出来上がった場所。六角柱は柱状摂理と呼ばれるもので、マグマが徐々に冷やされて固まるときに出来るものらしい。雨がやんだのでミニバスに乗って六角柱の場所まで行った。ぎっしりとならんだ六角柱の上を歩いて岬の先端まで行ってみると、Camelというラクダのこぶのような形の大岩や、Grannyという石柱なども見えた。

六角柱がぎっしり並ぶジャイアンツ・コーズウェイ

林立する柱状摂理・Organ
 このGiant's Causewayには伝説があって、昔々、フィン・マックールという巨人が、スコットランドの巨人と戦うために石柱で海に通路を作ったそうだ。しかし、やってきたスコットランドの巨人はフィン・マックールよりもはるかに大きかったので、「このままでは負けてしまう」と思った奥さんがフィン・マックールに赤ちゃんの服を着せ、「これが私たちの赤ちゃんよ」とその巨人に見せた。その巨人は「赤ちゃんでさえこんなに大きいんだったら、フィン・マックールはとてつもなく大きくて強いんだろう」とびっくりして、スコットランドに逃げ帰ってしまったという。ちょっとお茶目な伝説だが、ここへ来て、海の向こうにスコットランドが見えるくらい近いのがわかり、なんとなくこんな伝説の生まれたのがわかるような気がした。
 いつの間にか雨はやみ、日がさんさんと照ってきた。すぐ近くのBushmillsという町で昼食をとることにして、小ぢんまりとしたレストランに入り、注文をしたけれど、客は私たちしかいないのになかなか料理が出てこない。注文を聞きにきたおばさんは、カウンターで自分の食事を始めた。結局、私たちの料理が運ばれてきたのは、そのおばさんが食事を終えた後だった。本当にのんびりした国なんだなぁ……。
 レストランを出て、世界最古のウイスキー工場「The Old Bushmills Distilery」へ。レンガ造りの風情のある工場で、中を見学することも出来るのだが、時間がないので記念撮影だけにした。アイリッシュ・ウイスキーは、くせがなく飲みやすくて、特に女性に人気があるという。ぜひ一度飲んでみたいものだ。
 海岸沿いを西に向かい、少し行くとDunluce(ダンルース)城があった。この付近を収めていた領主の城らしく、さっき見た城よりもずっと大きい。崖ぎりぎりまで城壁があり、突端は嵐で崩れた跡がある。風が強いし、こんなところに住むのは大変だっただろうな〜と思う。

海に突き出したダンルース城
 気がつくと時間は3時をすぎている。今日はSligo(スライゴー)まで行く予定なので、ここから少しピッチを早めることにした。30分ほどでLondonderry(ロンドンデリー)に到着。ここは、プロテスタントの人たちが町を守るためにぐるっと囲むように作った城壁で有名。歴史を考えるとこの城壁は重々しいものに感じられるけれど、実際には、門をくぐって城壁の内側に入るとショッピングセンターなどがある町の中心で、人がたくさん歩いていてとても活気がある。城壁の上からは町を一望でき、なかなか景色が良かった。これは、北アイルランド中どこでもそうだったのだが、自分の主義・主張をあらわす旗やペイントなどがあちこちにあり、まだまだ複雑な政治・宗教・民族の問題が山積しているような印象を受けた。
 ロンドンデリーを出るとすぐに国境があった。北アイルランドに入ったときと同様、国境の目印になるようなものは何もなかったけれど、ふと気がついたら周囲の雰囲気が変わっていた。立ち並ぶ家の色が明るく、北アイルランドにいる間ずっと感じていた、張り詰めたような空気がなくなったのだ。車のナンバーを見て、どうやらアイルランドに入ったようだと確認した。
 1時間ほどでDonegal(ドネゴール)に到着。鐙によると、ここはアイルランドを代表する音楽の中心地で、アルタンもここに住んでいるという。町の中心広場に車を止め、30分ほど自由行動をすることにした。町の中をEske(エスケ)川が流れ、古い城跡や教会などが建っている。また、パブの数も多く、人がたくさん入ってにぎわっていた。とても活気のある町だと感じた。
 目的地のスライゴーに向かう途中、左手に大きなテーブルマウンテンが見えた。たぶん氷河に削られて、山がテーブルのような形になったのだろう。
 やっとスライゴーに着いたのは6時45分。インフォメーションセンターはすでに閉まっていて、残っていたおじさんはインフォメーションの人ではないのでよくわからないという。自力で探すことにして町なかを走っていると、白鳥のたくさんいる川辺にSilver Swan Hotelというホテルを発見。すぐにフロントに聞いたところ、OKだったのでここを今夜の宿にすることに決めた。フロントの人はとても親切で、トラディショナルミュージックの演奏があるパブの場所を教えてもらうことも出来た。

スライゴーの町並み
 パブで演奏が始まるのは9時半なので、それまで自由行動で町を観光することにした。ここは詩人イエーツの故郷で、ホテルの前にはイエーツ記念館がある。鐙と一緒に、スライゴー修道院、教会、キリスト教の学校と寄宿舎などを見たが、にぎやかな町だと聞いていたのになんだかとても静か。夜だからということもあるのかもしれないけれど、さっき通ってきたドネゴールのほうがずっと活気があったような気がした。
 9時にホテルのフロントで集合し、今日は4人揃ってパブに繰り出した。バンドの演奏が行われるまん前の席を陣取り、めずらしく富山もギネスを注文。おおらかなアイルランド人らしく、9時半の予定だったが10時を過ぎて演奏が始まった。同じアイリッシュ・ミュージックでも、演奏する人によってリズムや雰囲気が全然違う。毎晩聴いているのに全然飽きないのは不思議だな、と思う。

7月11日(金)
 7時半にホテルのレストランで朝食。ベーコンエッグやトーストがついていたので、それなりに満足。朝食後に出発し、右手に海を見ながら南下。海のはずなのになんだか茶色っぽいなと思ったら、引き潮で大きな干潟になっている。そんな景色を見ながら走っていたせいか、道を間違えてしまい、気づいたらだんだん道が細くなっていく。地図を見て間違っていることに気づいたけれど、ちょうど行く先にCarrowmore(キャロウモア)という遺跡がある。せっかくここまで来たことだし、鐙も前から見たいと思っていたそうなので、このままその遺跡に寄っていくことにした。

途中で見かけたかわいらしい家
 ビジターセンターはまだ開いていなかったけれど、道の反対側にある遺跡には入っていけると言われたので、さっそく行ってみる。大きなストーンサークルや巨石で組まれた墓などがあり、圧倒されてしまう。機械のない昔に、どうやってこんなものを作ったのか、昔の人はすごいな、と思ってしまう。

巨石を組んだ遺跡

大きなストーンサークル
 Ballina、Castlebarを通り、再び海沿いの町Westportに着いたところで、昼食にすることにした。スーパーでパンやサラダ、ハムなどを買い、オクタゴンという中心の広場で昼食。人通りも多いし、活気のある町だ。
 町を出てすぐ、Ceoagh Patrick (クロッグ・パトリック)というきれいな三角形の山が見えた。聖パトリックがこの山で修行をしたことで、聖地とされている。山のふもとから山頂に向かって筋が見え、川なのか道なのか気になったけれど、よくみると道のようだった。聖なる山にあんなふうに道をつけるものなのか、釈然としないまま通り過ぎてしまった。

クロッグ・パトリック
 Westportを過ぎると、いよいよConnemara National Park(コネマラ国立公園)に入る。氷河で削られてなだらかな斜面が作られた山々。青々と茂る草の下からのぞく白い石灰岩。道の両脇には、泥炭を掘り起こした跡がたくさんある。見たことのない不思議な光景に、すっかり魅入られてしまった。羊もそこらじゅうに放牧されていて、誰の羊かわかるように背中に赤や青のペンキがつけられている。道に出てきている羊もいた。

U字谷のできた山々と羊たち
 石を積み上げて作ったヘッジと呼ばれる石垣があり、本来はこれで羊たちの行動範囲を決めているらしいのだが、羊たちはいつの間にか乗り越えてしまうのだろう。この、羊の囲いは、石の多いこの地方では石垣を作り、木がたくさんある地方では木で柵を作っている。
 峠道にパブが1件あったので、寄って行くことにした。中には農作業の合間にちょこっと寄ったという感じのおじさんたちや、小学生くらいの娘を連れた家族などがいて、日本で想像するパブとは大違い。日本人などめったに入らないと思うので、私たちは注目の的だった。コーヒーを一杯飲み、再び出発。
 コネマラの景色を楽しみながらさらに走ると、湖のほとりにKylemore Abbey(カイルモア修道院)が建っていた。石壁の古めかしい建物が、湖に反射して、背後の緑にも溶け込んで、絵のような風景を作り出している。内部に入るのには7ユーロも払わなければならないので、外から記念撮影。この修道院で作っているジャムがおいしいというので、どこかで見つけたら買ってみたいと思う。

カイルモア修道院
 半島の先端にあるClifdenというところに、かわいらしいお店があったので、入ってみることにした。アランセーターなどの手づくりの羊毛品、手づくりの小物類、ジャムなども売っていた。奥にカフェもあり、大きな窓からは壮大なコネマラの風景が見渡せた。半島をおり返したあたりから、湖沼郡が現れ始めた。大小の湖沼が、現れては過ぎていく。 Galway(ゴールウェイ)に着いたのは夕方6時。やはりインフォメーションセンターは閉まっていたので、B&Bを1軒1軒当たって宿を探すことにした。B&Bとは、Bed&Breakfastの略で、一晩寝るベッドと朝食を提供しますよ、という意味なのだと思う。子供たちが大きくなって家を出て行ったところのお母さんなどが、家をちょっとおしゃれに飾ってB&Bとして提供しているところが多いという。B&Bはアイルランド中に数え切れないほどあるが、清潔さや料理のおいしさ、もてなしなどのレベルを政府が調査し、「良い」と認めたところだけに政府公認のしるしである「シャムロックマーク」を与えている。「せっかくだから、シャムロックマークつきのB&Bに泊まろう」と、最初はマークつきのところばかり探していった。ところが、一般の民家を利用しているB&Bでは、ツインの部屋を2つ探すのは難しい。何軒も断わられてシャムロックマークはあきらめ、やっと、やさしそうなおじいちゃんがやっている普通のB&BでOKしてもらうことが出来た。
 鐙と永井さんは、お風呂とトイレが共同の上、バスタブがこわれているためシャワーが使えないという、アクシデントもあったけれど、気をとりなおして荷物を片付けた後みんなでパブへ。詳しいことは鐙のレポートにあるので省くが、この日のパブはにぎやかで友達も出来、この旅行で一番の思い出に残ったパブだった。3日目ごろに飽きてしまったギネスも、いつの間にかなくてはならないものになっていて、ギネスなしで夜をすごすなんて考えられない、と思うようになってきた。

7月12日(土)
 初のB&Bの朝食は、フルブレックファーストではなかったけれど、ベーコンエッグとウインナーを一皿一皿丁寧に作ってくれて、それなりにおいしかった。奥さんは農場で働いているので、おいしい牛乳や卵が手に入るのだと、きのうおじいちゃんが自慢をしていた。テーブルでは年配の夫婦と同席になり、2人は、きのう私たちが通ってきたロンドンデリーから来たという。お互いに今日の旅行の予定を教えあった。今日は、鐙と私はアラン島へ、富山と永井さんはゴールウェイ周辺を観光することになっているので、別行動だ。
 9時前にB&Bを出て、町の中心部に向かう。インフォメーションセンターに寄ってから、鐙と私はアラン島行きのフェリーが出るRossaveel(ロッサヴィール)へ。きのう予約をしておいたので、手続きは簡単にすみ、フェリーに乗りこんだ。想像していたよりもずっと大きなフェリーで、ほとんど揺れることもなく、約40分でアラン島の南東部にあるKilronan(キルロナン)に到着。さっそくレンタ・サイクルで島を回る。島の全長は約10kmなので、自転車で回るのにちょうどいい大きさだ。
 走り始めるとすぐに、アラン島の特徴である石垣に目を奪われた。勾配の険しい土地が、石垣によってものすごく細かく区分けされている。この石垣を造るのは並大抵の努力ではなかったと思うのだが、なぜこれを造ったのかがよくわからない。鐙は最初、「アラン島にはほとんど土がなく、昔、海から海藻を持ってきて腐らせて、長い年月をかけて土を作ってきた。だから、作っている途中の土が強い風で飛んでしまわないように、石垣で囲った」と教えてくれたが、だからといって石垣の中に畑が作られているわけではない。時々馬などが放されているだけで、ほとんど使われている形跡がないのだ。気になりながら、走りつづける。

島中に石垣が作られている
 15分くらい走ると、Dun Arann Heritage Parkが見えた。急な上り坂を一生懸命登ると、石の塔と小さな小屋のようなものがあった。せまい階段を上がって塔に上ると、人とすれ違うことも出来ないくらいせまい通路になっていた。アラン島の中で一番高い場所なので、島全体がよく見渡せる。しかし、何といっても風の強さは強烈だ。

石の塔
 石の塔から少し歩いていくと、何に使っていたのかわからないけれど、円形の石壁があった。ちょうど高校生の修学旅行らしい子供たちと一緒になり、彼らはぐるっと石壁の上にすわり、ウェーブをしたりして遊んでいた。石壁の上を歩くたびに、少しずつ石がずれたり、落ちたりするのがわかるので、こんな使い方を許していたら、この遺跡はなくなってしまうのではないかと、心配になった。
 Dun Arann Heritage Parkを過ぎると、こんどはなだらかに続く下り坂。上りより楽だが、石ででこぼこした道なので振動が大きく、すぐにお尻が痛くなった。でも、まっすぐに続く道から眼下に海を見下ろす光景はすばらしい。
 坂を下りきり、ビーチを横目に見ながら北へ走ると、Dun Angus(ドン・エンガス)への分かれ道。再び上り坂を一生懸命こぎ上がり、途中、駐輪場へ自転車をとめて、断崖までの道を歩く。アップダウンがあるし風が強く、しみじみと「こういうところで生活していくのは大変だろうなぁ……」と感じてしまう。断崖のところまでたどり着くと、何に使われていたのかわからないけれど、半円形の大きな石垣があった。さすがにここには「登ってはいけません」という注意書きがあって少しホッとした。
 切り立った崖は、飛ばされそうなほど風が強い上に、今にも踏んだ場所の石が崩れそうなほど不安定で、とてもこわい。寝そべって下を眺める人たちに並んで、怖いもの見たさで下をのぞくと、まるで強力ドライヤーのような風がびゅうびゅう吹きつけてきた。鐙によると「モハーの断崖はこれの2倍くらいある」そうだ。ものすごい風景なんだろうなぁ、と思った。

ドン・エンガスの断崖
 帰り道は下り坂で、粒の細かい砂利道なのでスピードも出せるしとても爽快。海を見ながらのんびり自転車をこぎ、フェリーの発着するキルロナンに着いたのは午後3時半。近くのスーパーでサンドイッチを買い、ちょっと遅めの昼食にすることにした。午前中は曇り空だったけれど、午後になってすっかり晴れ、ビーチでは泳いでいる人もいた。
 5時のフェリーに乗り、ロッサヴィールから車でゴールウェイに戻ったのは6時過ぎ。もうゴールウェイで空いているB&Bを探すのは難しいので、ゴールウェイから40kmほど南下したところにあるEnnis(イニス)という町で泊まることにした。イニスに着き、また、B&Bを1件1件たずねてあるく。ツインルームを2つというと、たいていのところは「部屋がない」と断られてしまうが、あるB&Bの奥さんが「ツインルームを2つ持っている友達を知っているから、紹介するわ!」とすぐにその場で電話をかけてくれて、OKをもらうことができた。
 紹介されたB&Bは、町の中心から1.5kmほど離れているが、かわいらしく落ち着いた雰囲気でいい感じ。奥さんはとても明るい人で、さっそく紅茶やクッキーで私たちをもてなしてくれた。「トラディショナル・ミュージックが聴けるパブに行きたいんです」というと、何枚もパンフレットを持ってきて「ここがおすすめよ、音楽も聴けるし、食事も出来るの。でもね、こっちのレストランもけっこうおいしいのよ…」といった具合に、どんどん店を薦めてくれるので、あっという間に私の記憶容量を超えてしまった。店の話が終わると、今度は明日のコースについて、「バレン高原には絶対行くのよ。とってもすてきだから」と、別の地図を持ってきて、おすすめルートを教えてくれた。
 楽しいひと時を過ごしたあと、タクシーに乗ってパブへ。この日も、B&Bに帰ったら1時を過ぎていた。渡された部屋の鍵にはちゃんと家のドアの鍵がついている。好きなだけ夜更かししてもいいよ、ということなのだ。アイルランド人にとって、パブで夜更かしは当たり前のことなのだろう。

7月13日(日)
 フルブレックファーストではなかったけれど、アイルランドらしい朝食を終えて、奥さんと一緒に記念撮影をして、9時ごろB&Bを出た。前の日とは大違いの快適さだったので、やっぱりシャムロックマークのあるB&Bは違うな…と実感した。
 モハーの断崖で有名なバレン高原に行くことを薦められたけれど、今夜はダブリン泊なのでちょっと厳しい。相談の結果、バレン高原はあきらめて、内陸の小さな町を通りながらのんびりとダブリンに向かうことにした。
 ダブリンに向かうには少し南に寄り道することになるけれど、Portumnaという小さな町に行ってみることにした。ここは、以前私の母が1年ほど住んでいたことがある。シャノン川の中流にある小さな町で、1日に数回、船が通る時間になると、橋は通行止めになり、回転して船の通り道をあける。母から聞いていたけれど、実際に見るまではどんな造りなのかよくわからなかった。この橋が通行止めになるのは朝と夕方なので、橋のせいで通勤ラッシュになるという。日本人だったらぶーぶー文句を言いそうだけど、おおらかなアイルランド人はおしゃべりしながら時間を待つのだろう。

回転する橋
 また、古い教会と城跡があるようなので、行ってみることにした。教会と古城の一帯は遺跡公園のようになっている。教会はけっこう大きく、ある部屋の入り口には人の顔が逆さに彫られた面白い石もあった。古城のほうは修復作業中で、外観が出来上がったところらしく、中はがらんとしていた。どうやらイギリスから来た王様が建てた城らしい。

逆さに顔が彫られている
 Portumnaを出てしばらく走り、川沿いの小さな町で昼食にすることにした。スーパーでサンドイッチの具を買い、買っておいたパンにはさんで食べる。川を目の前にしてベンチに座って食べていたら、突然犬の鳴き声が聞こえ、草むらからゾンビのようなお面をかぶった男の子たちが走ってきた。一瞬びっくりしたけれど、次の瞬間皆で笑ってしまった。記念撮影をさせてもらうと、とても照れていたが写させてくれた。
 日本では考えられないことだけれど、このあたりを流れるシャノン川は、島を横断するように運河でダブリンまでつながっている。島の北部と南部には山があるけれど、このあたりは平地が続くので、つなげることができたのだろう。洪水などもほとんどないらしく、川は護岸工事などまったく施されていなくて自然のままなので気持ちがいい。
 昼食のあと、しばらく西に向かって走り、途中から幹線道路に乗ることにした。あと少しでダブリンに着く、というところで、Leixlipという町でダンスパーティーのようなものをやっているのが見えたので、寄って行くことにした。生バンドの演奏に合わせて、10組ほどの人たちが簡易舞台でアイリッシュダンスを踊っている。どうやらコンテストらしい。アイリッシュダンスは、独特の軽快なリズムが心地いい。とてもかわいらしいし、踊っているほうも見ているほうも楽しくなってしまうようなダンスだと思った。

アイリッシュダンスのコンテスト
 ダブリンに着き、明日レンタカーを返すことを考えて給油をすませ、ホテルに入ったのは7時半ごろだった。荷物を置き、アイルランド最後の夜を楽しむために、4人でパブに繰り出した。結局、誰も名物のフィッシュ&チップスを食べていないし、鐙と永井さんはアイリッシュシチューも食べていないので、今日こそは食べようと、レストランを探したけれど、入ったところはちょっと上品なレストランで、フィッシュ&チップスという雰囲気ではない。残念だけどそこで食べることにした。味はけっこうおいしかった。

7月14日(月)
 永井さんは9時半初のBA、私たちは10時発のKLMで出発なので、朝食はとらずにホテルをチェックアウトし、空港で食べることにした。アイルランドは手続きがとても大雑把なので、細かいことを確認されたりせず、出国手続きもとても楽に終わった。朝食を食べようとレストランを探したけれど、カフェしかないのでサンドイッチを食べることにした。そろそろパン食がつらくなってきたけれど、それも今日で終わりだと思うと、旅行が終わる寂しさと、日本へ帰れるうれしさが入り混じった不思議な気持ちがこみ上げてくる。
 免税店でお土産を買い、行きよりもたくさんの荷物を抱えて飛行機に乗り込んだ。さすがに旅の疲れがたまっていて、飛行機ではほとんどの時間寝ていたような気がする。鐙は数時間寝たあとずっと日記を書いていたようだ。
15日(火)の朝8時45分、成田に到着。明日からまた、忙しい毎日のスタートだ。
(島)


Topへ ◆ 戻る