「大曲の花火」見学を終えた関西の友人たち8名を連れ、お土産を買うため秋田市アトリオン地下の「あきた県産品プラザ」に案内した。同じフロアーで「骨董市」が開かれていたので立ち寄ると、「秋田工場製造」とメモの入った「10円紙幣」が額装されて売られていた。値段は2万円。お札を秋田で製造、という意味がよく分からないが、好奇心に負け、半額に値切って購入した。
 事務所に帰ってさっそく紙幣の由来を調べてみた。次から次へと驚くべき事実や不可解な来歴が吹き出してきて、「こりゃ安い買い物だった」とひとりほくそ笑んでしまった。
 翌日は県立図書館にこもって、紙幣にまつわる記録を古い新聞記事(マイクロフィルム)から探しだすことに熱中した。
 紙幣の由来はこうである。終戦直後の昭和21年(1946)、GHQ占領下の秋田市・聖霊高女(現在の秋田聖霊高校)体操場で、造幣局の下請けである大日本印刷が10円札を専門に刷っていた。当初は大蔵省の管理工場として「ろ号10円券(旧10円札)」を刷っていたのだが、すぐに新円切り替えに伴い「A号10円券」の大量製造に変更された。太平洋戦争の激化で大蔵省印刷局の主要工場が空襲でやられ、優秀な技術者も戦場に駆り出され、民間パワーに頼らざるを得なくなったためである。もちろん印刷はすべて極秘裏に進められた。
 私が買った紙幣は図柄に国会議事堂が印刷された「A号10円券」で、右肩に赤色で「13224」という印刷番号が入っている。最初の「1」は俗に捨て番号で様式を示す。末尾の二ケタが製造工場を示す符号で「秋田=24」なので、秋田で製造されたものに間違いない。なかの「32」という数字は製造記号(グループ種類番号)だ。「一日の製造量は128万枚。秋田工場の延べ稼働日数は昭和21年1月末から同5月末まで、ざっと120日。印刷総量は一億五千三百六十万枚(十五億三千六百万円)」と、昭和63年(1988)12月16日号の「秋田さきがけ」紙は報じているが、この枚数も推測である。
 紙幣印刷については関係者の間で厳しく口止めされており、体操場の中も金網が張られ、廊下には警官の詰め所までつくられていたという。刷られたお札はいったん日銀秋田支店に納入され、量がたまると秋田駅貨物ホームから羽越線経由で東京・秋葉原まで運ばれた。
 紙幣の紙質は粗悪なパルプ再生紙。「こうぞ」や「みつまた」など良質の原料はわずか3パーセントほどしか混入されていないこともわかっていた。
 この10円紙幣には、まだまだ知られざる物語が秘められていそうだ。

5月×日 体調に不安を抱えたまま朝5時起き。矢島口から八塩山登山。やっぱり筋力は確実に落ちている。
5月×日 もう5月が終わる。目の調子が悪く、気分もクサる。
5月×日 日大アメフト問題で「昔の日大闘争って何ですか」とキャスターが解説者に訊いていた。日大闘争を知らないとは昭和は遠くなりにけり。
5月×日 朝から高齢者大学の講師。目の調子がよくないし、人前でしゃべるのは億劫で態度も横柄に。
6月×日 戦国時代にイエズス会士によって西欧に送り込まれた少年キリシタン使節4名の物語『クアトロ・ラガッツイ』(若桑みどり)を読んでいる。先日の新聞で、昭和天皇のキリスト教への接近の記事は興味深かった。あと一歩で改宗しそうなところまで行ったというから驚く。
6月×日 3泊4日で鳥海山周辺のトレッキング・ツアー。4日間の着る物や食べもの用意をするだけでも大変だ。
6月×日 昔に比べて電話の数がめっきり減った。スマホを持っていないのだが、PHSは近いうちに廃止だそうだ。弱ったねえ。
6月×日 目の調子が悪い。左目がかすんでぼんやりしている。
6月×日 駅前の眼科医に飛び込みで入る。予想通り「白内障」との診断。結果が出るとホッとした。手術は今月20日と来月4日に決定。
6月×日 市内の用事はほぼ徒歩だ。たまにタクシーに乗るがネイティブの私でさえ運転手の訛りのきつさに閉口する。タクシーと県外客とのトラブルが後を絶たないのだそうだ。
6月×日 風呂を沸かすと「熱いのでうめてくれ」と少年時代よく言われた。「うめる」は方言だと思い込んでいたら標準語だった。ある本に「定年後に必要なのは教育と教養」とあった。教育は「今日行くところ」、教養は「今日やる用事」なのだそうだ。
6月×日 いまお気に入りのTV番組は「セブンルール」。輝いている女性の日々に密着する番組だが、今回は意外にも校閲者をとりあげていた。
6月×日 寒がりになった。新陳代謝が落ちたので、昨日から筋トレをはじめた。スクワット中心のシンプルなやつだ。
6月×日 無事、左目の手術終了。眼帯も外して普通通り仕事をしている。
6月×日 徳川幕府の崩壊は薩長の武力だけでなく幕府の経済的無知に付け込まれた末の「通貨の流出」にあった、という佐藤雅美『大君の通貨』(文春文庫)を読む。実に面白い。
6月×日日 痛風っぽい痛みが左足首に。これで今年二度目だ。白内障に痛風と、ダブルパンチ。
6月×日 仕事がひと段落。この15年来(!)やろうとしてやれなかった冷蔵庫のクリーニングをはじめる。毎日お世話になっているのに何一つ恩返しをしていない。
7月×日 モモヒキーズのシャチョー室食事会。Sシェフの手羽先で代用したナンチャッテ・サムゲタン(命名は私)。美味しかった。
7月×日 連日ものすごい暑さ。これまでは暑くても日中に散歩できたのに今年はとても無理。一日中クーラーの事務所に閉じこもってる。
7月×日 右目の白内障手術完了。
7月×日 便所本(「置き本」というのは池内紀さんの造語)が半年以上替わっていない。永田和宏著『現代秀歌』(岩波新書)が便所本の不動の4番バッターになってしまった。
7月×日 「背どり」は棚にある本を買い、自分のところで高く売る古本屋用語だ。「瀬どり」は北朝鮮が海上で船を横付けし石油精製品を積み替えて密輸することだそうだ。転売するという行為は一緒だ。
7月×日 朝5時起き。青森県深浦にある崩山という940メートルの白神山地の北縁にある山に登るが、どこが山頂なのかよくわからないので、途中で引き返してきた。
7月×日 夜はDVD映画の日々。『にっぽん泥棒物語』は歯医者でもある泥棒が冤罪事件に巻き込まれるストーリー。山本薩夫監督の名作だ。木村功主演の『億万長者』はさえない税務署員の国家との戦いをコミカルに描いた市川崑監督作品。両方とも大好きなモノクロ映画。市川崑の『股旅』はカラーだが、ショーケンがかすむほど小倉の演技がいい。
7月×日 新入社員が早い夏休みをとって不在なので一人留守番。今度は左耳がよく聞こえない。
7月×日 国分拓著『ノモレ』(新潮社)を読みだしたら止まらなくなった。あの『ヤノマミ』の作者でNHKディレクター。「大アマゾン 最後の秘境」を作った人だ。今年最高の一冊。
7月×日 5月中旬から歯が痛くなり、歯が治ったら今度は白内障。7月中旬からは左耳が聞こえない。まるで病気のデパートだ。
7月×日 読者の方から「(耳は)突発性難聴ということもあるから」早めに治療をするよう助言をいただいた。さっそく近所の耳鼻科に行くと、いともたやすく耳垢の塊を全部吸い出してくれ、さっぱり。
7月×日 鳥海山麓の笙ヶ岳に挑戦。三峰全部に登って花を満喫し5時間半の山道を楽しんだ。毎日のストレッチと筋トレの効果があったようだ。具体的にはスクワットとカーフライズだ。カーフライズはふくらはぎのヒラメ筋と腓腹筋を鍛えるトレーニング。これが第2の心臓といわれるふくらはぎの血流を促し下腿筋を鍛える。
7月×日 ヘミングウェイ『武器よさらば』を読み始めた。背景の国際情勢がわからない。読みながら第一次世界大戦の基礎的なおさらいをする。日本は日英同盟の縁で中国に侵攻、中国のドイツ軍基地を攻撃して戦勝国になり、以後、中国侵略の泥沼にはまり込む。歴史的素養のない人間が古典を読むのは大変だ。
7月×日 一日中クーラーをつけっぱなしで毎日ソーメンだ。塩をなめながら水を飲んでいる夏なんて初めてだ。
7月×日 太平山登山の予定だったが左足首に痛み。まだ痛風が残っていると判断して中止に。もう体は暑さでガタガタだ。
7月×日 この1年間取材・執筆を続けてきた自分の本、『「学力日本一」の村』が出来てきた。長かったような短かったような。売れてほしいなあ。
8月×日 運動靴を買う。今年の夏はあまりに暑くて散歩は半ズボン姿だ。この半ズボンに合う靴がなかった。靴と椅子だけは安物はイヤですね。
8月×日 庭の剪定作業。若いのに几帳面な職人さんの仕事は丁寧で気持ちいい。イケメンの庭師のせいかカミさんの機嫌もいい。
8月×日 鳥海山登山の日。悪天候で登山口で中止を決定する。酒田・鶴岡の観光ツアーに急きょ変更する。古代の「城輪(きのわ)城跡」を見学し、庄内藩士たちの養蚕事業・松ヶ岡開墾場をブラブラ、庄内映画村を歩いて、帰りは山居倉庫、モンベル酒田店に寄り、夕方帰ってきた。
8月×日 「世界は水不足」なのだそうだ。これは「バーチャル・ウォーター」といわれる概念で、例えばコメ1キロを生産するには4千リットルの水が必要になる。私たちは輸入食料を口にするたびにすさまじい水資源を消費しているわけだ。地球上の水の量は一定だが淡水は2・5パーセントしかない。その限られた淡水資源を世界中で取り合っている。
8月×日 猛暑の中、湯沢市で両親の墓参りを済ませてから、お土産用に稲庭吉左エ門の「いなにわうどん」を買いに行くが品切れだった。家族に健康上の問題が発生し今後も入手は極めて困難、と県内唯一の販売店の人に言われた。ここでしか買えない超貴重なうどんなので、頭はまっしろに。
8月×日 お盆休みに入ると電話もメールも郵便もぴたりと止まる。金足農の甲子園フィーバーで町も閑散としている。
8月×日 山口県で古書店を経営し、歴史書の復刻出版で有名なマツノ書店の松村久さんが亡くなった。85歳。合掌。
8月×日 物語に出てくる海賊の船長はなぜ片目に眼帯をしているのか。ある本で「あれは片目を常に暗順応させて暗視視力を保持するため」だそうだ。出典はカラス研究家・松原始著『カラス屋、カラスを食べる』(幻冬舎新書)だ。本当かなあ。
8月×日 Sシェフ夫婦に誘われて西馬音内盆踊りへ。甲子園では金足農が勝ち進んでいてその話題で持ちきり。これで農業が見直されるなら少しはうれしいが、非科学的な猛練習や過激な精神論がもてはやされるようになるのは、怖い。
8月×日 駒ケ岳に星空を見に行く。山小屋に泊まって、翌朝は山にも登るつもりだったが、夜よく眠れず、けっきょく体調不良で登山は断念。
8月×日 甲子園の熱狂が終わった。前日、大手新聞社文化部から「負けても勝っても原稿を書いてほしい」と連絡があり、戊辰戦争と東北と金足農高の快進撃を絡めて書いてほしいという。適任ではないのでお断りした。
8月×日 日常品までネット通販で買うようになった。近い将来、この宅配を担っている人材不足が大問題になる。これがネット通販の現実だ。
8月×日 関西の友人たちが8人で「大曲の花火」見学のため来秋。県立美術館で藤田嗣治を観て、夜は川反「お多福」で郷土料理。今日は角館を回って大曲に。「大曲の花火」の入場者数は75万人。県人口の三分の二以上が雄物川河川敷に集まる。わが関西の友人たちは審査員席にまで繰り出し、知り合いの審査員・檀ふみさんを大声で呼び出し、勝手に盛り上がっていた。
8月×日 8月も終わり。金足農フィーバーのおかげで本はちっとも動かず、電話やメールの問い合わせも閑古鳥。まいったねェ。

*残暑お見舞い申し上げます。秋田はもうすっかり秋ですが……。
*まるまる1年かけて取材と執筆を続けた『「学力日本一」の村-秋田・東成瀬村の一年』がようやく出版されました。自分で本を書くのは久しぶりなのですが、気負わずに、素直に、気分よく書き終えました。ご笑覧いただければ幸いです。    
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