秋田の山を歩くたび、ニホンジカとの遭遇を夢見ているのだが、その夢はまだかなえられていない。秋田には「いない」といわれたニホンジカが岩手・八幡平側から越境しているという噂は2010年ころからかまびすしくなった。県内のシカの末期は秋田藩の記録や古文書に詳しい。江戸時代、農作物被害が深刻になり、シカは人為的に絶滅させられた。
 同じころ、国内ではニホンオオカミも消えつつあった。シカの絶滅過程は地域の文献史料に詳しいが、オオカミは秋田ではどのようにして消えたのだろうか。その消えた経緯に興味を持ち、調べてみた。
 明治38年(1905)、奈良県で捕獲されて以来、ニホンオオカミは日本で確認されていない。太田雄治著『秋田マタギと動物』には明治初めころまで、わずかながらも奥羽山麓一帯奥地に生息していた、という記述がある。田畑を荒らすシカや小動物、カモシカなどを捕らえて食べるオオカミは、農家にとっては「益獣」だったのだが、それが一転、「怖い動物」に変ったのは享保17年(1732)以降だ。オオカミによる狂犬病が全国的流行になったのがその原因といわれている。噛まれると人間も発病を逃れることはできなかったため、その恐怖から秋田藩内でも大掛かりなオオカミ狩りが行われるようになった。その「出陣記録」は古文書に多く残されている(『佐竹北家日記』や『八丁夜話』など)。
 山中にすむシカと違い、オオカミは今の秋田市近郊の添川や泉、矢橋(八橋)や寺内といった人間の住む集落にもよく出没した。そのためオオカミ狩りは鷹狩りと同じ服装で物々しいものだったという。さらにオオカミは飢饉などで餓死者が出ると土葬死体を掘り起こして食べる。これも嫌われる理由になったようだ。
 お隣の岩手の集落にはオオカミに餅を捧げ、祀る信仰がいまも残っている。そうした場所へ足しげく通い書かれた遠藤公男著『ニホンオオカミの最後』(山と渓谷社)という本が出た。江戸末期から明治期の鹿角地方のオオカミの記録も載っているのだが、奥羽山脈からオオカミが消えた理由についても書かれている。そのひとつは、この当時、火縄のいらない村田銃が出現し殺傷能力が高まり乱獲が一挙に進んだというもの。ふたつめは明治期に入るとオオカミ駆除に県が賞金を出すようになったこと。この賞金額がすごい。明治初期、岩手の米の値段は一石3円ほど。オオカミ捕獲報労金はメス1頭につき8円(オス7円・子2円)で、親子2頭捕獲すれば農家1年分の米代になったという。
 人々がオオカミ狩り夢中になったのも無理はない。このへんの事情は、たぶん秋田も似たり寄ったりだったにちがいない。

6月×日 6時起床、町内の公園除草。15分ほどで作業は終了してしまった。
6月×日 太平山奥岳へ。ブラジル取材旅行前の最後の山行になる。
6月×日 予約なしで歯医者へ。前歯がかなりグラつき始めていて間一髪だった。ブラジルで歯が欠けるのは困る。
6月×日 新刊が一挙に3冊できてくる。まいったなあ。
6月×日 内澤旬子著『ストーカーとの七〇〇日戦争』(文春)読了。ありふれた別れ話から突然ストーカーに豹変した男との二年間の戦いを描いたノンフィクション。文章力がすごい。
6月×日 暑くなると蕎麦が食べたくなる。毎日のように昼食はチェーン店の「南部家敷」で大盛り天ざる。秋田は蕎麦屋がまったくない。
6月×日 今日から約2週間、ブラジル行き。今日は東京泊なので、神保町岩波ホールで映画『ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス』を観る。前評判はあてにならない。まったく面白くなくてがっかり。
6月×日 メキシコ航空ビジネス便で成田離陸。ネットで一番安いビジネス便を探したらメキシコ航空だった。30時間飛行機に乗りっぱなしなので、ビジネスでなければとても体力が持たない。
6月×日 サンパウロ着。現地では「ワッツアップ」という無料電話アプリが普及(日本のラインと同じ)していた。自分のケータイにアプリをダウンロード。サンパウロの街はトランプのブラジル版といわれるボルソナーロ大統領の登場で、大規模な年金削減反対の公務員デモで騒然。10日後には100万人のゲイ・パレードもある。
6月×日 サンパウロからアマゾンのベレンへ移動。同じ国内でも飛行機で3時間半。ここからタクシーでトメアスー村へ。ここで6日間、日本人移民の取材をする。もう何度も来ている村だ。40年前(1977年)には電気もなくガス灯生活だったのに今は日本の農村と何ら変わりがない。
6月×日 毎日暑いが木陰に入ると涼しい風が吹き抜ける。この村はもう8回目だが、日本人村は1世から2世の時代に入り、道路も電気も整備され、小さな大学までできていた。来るたびに驚くことばかり。
6月×日 6日間の取材を終えベレンへ。
6月×日 サンパウロに着くと早速100万人ゲイ・パレードの洗礼。ヒゲ面の男たちが、堂々と路上で抱き合っている姿は田舎者には刺激が強すぎる。翌日はお隣のミナス州の田舎に友人とドライブ。山のある風景はいい。
6月×日 すべての日程が終了。メキシコシティで長いトランジットがあり、丸2日がかりで成田空港に着く。でも朝5時に着いてもやることはない。
6月×日 帰国第一夜は朝4時半起床。時差ボケで目がさめてしまうのだ。
6月×日 時差ぼけは解消しつつある。身体の芯のほうにある「ぼんやりした塊」がスーッと消えていく感じ。昨夜は散歩もできた。
7月×日 朝6時起床。今日から東京出張だ。銀座のど真ん中でアマゾンのテーラロシャの土埃を懐かしく思いだす。新宿の歌舞伎町では「ロボット・レストラン」なる外国人専門観光スポット(劇場)のショーを見た。これもものすごい衝撃だった。おれは外国人か。
7月×日 近所の雑貨屋さんに行列ができていた。若い女性たちだ。テイクアウトの飲み物(タピオカ?)がおめあてのようだ。
7月×日 朝ごはんが済んで出舎するまでの30分ほど、書斎でロッキングチェアに揺られ、ボーッと考え事をする。これが最近の「至福の時間」だ。
7月×日 外は雨。ある仕事が昨夜で終わったので、今日は完全なオフだが、雨で外に出るのもかなわない。本でも読むしかないナ。
7月×日 今日から事務所入り口の改修工事。設計施行を山仲間の1級建築士・A長老に丸投げ。持つべきものは友。現場のことは彼におまかせ。
7月×日 一日中某所に「隠れていた」。5時間、集中してある課題と向き合い、夜8時、ヘトヘトになって事務所に戻ってきた。
7月×日 今日は東栗駒山。6月2日の太平山奥岳以来だから50日ぶり。初登頂の山で、けっこうしんどかった。
7月×日 夏目漱石『坊ちゃん』を突然、無性に読みたくなった。どんな物語なのかすっかり忘れている。一晩で読了した。そうか、こんな物語だったのか。
7月×日 今日も雨。玄関改修工事はまだ半ば。工事のため駐車場が使えないので車は外に出しっぱなし。
7月×日 昔の膨大なポジフィルムやネガフィルムを保管庫から引っ張り出し整理。いつかは役に立つときがあるはずと信じて収集、保管してきたものだ。ポジやネガをデジタルにかえてくれる簡単な機器があり、これで一枚一枚変換していく。時間と労力のいる仕事だが、誰かがやるしかない。
7月×日 年4回発行しているこの通信を2回に縮小するか、それとも紙版をやめて完全デジタルにするか、結論が出ないまま現在に至っている。在庫が少なくなり、品切れ本が増え、新刊点数も少なくなっている。いまが縮小する絶好のチャンスなのだが……。
7月×日 暑い。ノースフェース製の洗えて折り畳める麦わら帽子が役立っている。それにしても蒸し暑い夏だ。
7月×日 デブり気味なので間食を禁止して今日が4日目。体重は順調に落ちている。身体が軽くなると山行が格段に「楽」になる。
7月×日 文学全集を買う人なんて、いまいるのだろうか。私の書斎にはただ一人、阿部昭(全8巻)の全集があり、時間ができたら読むのが楽しみだ。
7月×日 梅雨明け。大好きな池内紀さんの「老語の行方」を読む。某大新聞社の編集局長だった人物が退職後、地方新聞社に天下った。ダンディなその人物は過去にあった有名人たちを呼び捨てにし栄光の昔語りに夢中で自慢話をやめない。これを池内さんは「老語」と切り捨てる。生きてはいるが老いた言葉だ。「言葉の老い」は自分でも気付かない。首に巻かれたおしゃれなスカーフでは言葉の老いは隠せない。
 (池内さんは8月30日突然に逝去された。ゆっくりお休みください)。
8月×日 PC作業中、突然けたたましい警告音。画面には「ウイルスに感染ファイル発見」の文字。明らかな詐欺メールなのだが、うろたえて返信してしまった。もう、まったく恥ずかしい。
8月×日 鳥海山鉾立登山口から新山へ。体調は良好で4時間歩き続け、山頂まであと40分というあたりで引き返してきた。時間的余裕がなくなったためだ。暑くて、持参した4リットルの水がすっからかん。
8月×日 一日中、ある原稿に朱を入れる作業に没頭する。3時間を超えると頭にカスミがかかってきた。
8月×日 八幡平の焼山登山。下山口付近で大きなクマと鉢合わせ。こちらの存在に気が付いているのに逃げる気配がまったくない。リーダーのSシェフは冷静で心強かった。でも、もうしばらく山は遠慮したい気分だ。
8月×日 ズッキーニにはまっている。何もないとき炒めたり蒸したり揚げたりするだけで、それらしい料理になる。野菜や豚バラ肉と一緒に炒めるのが定番だが調味料はポン酢があう。と思っていたがバルサミコ酢を使ってみたら、これが抜群に相性がいい。
8月×日 経験したことのないような暑さが続いている。フェーン現象なるものを、身を持って体験しているわけだが、お盆中は外出をあきらめて事務所に「逼塞」することにした。
8月×日 海水浴に興味を失ったのはいつごろからだったろうか。『塩と日本人』(雄山閣)という本を読んでいたら、海水浴は明治7年(1874)に湘南で避暑をしていた人物が「海水浴医治効用説」として発表して広まったものだそうだ。ナルホド。
8月×日 散歩中、足がもつれて2,3度、立て続けにけっつまづいた。これって脳溢血かなんかの予兆じゃないの。そんな脅えが走り落ち、込んでしまう。
8月×日 ついに「クマよけスプレー」を買ってしまった。八幡平焼山でクマと遭遇してから、山に行くのが怖くなってしまったからだ。
8月×日 「天の戸」の杜氏・森谷康市さんのお別れの会。彼のデビュー作となった『夏田冬蔵』を出版したのが1995年。「ものすごい才能のある杜氏が浅舞に居る」と教えてもらいノコノコ会いに行った。会場には350人ほどの参加者。若すぎる死はひたすら悲しい。
8月×日 大曲インターチェンジ付近に「鹿出没注意」の標識。初めて見た。やはりシカはいるのか。「クマ注意」の標識に「ヒグマ」が描かれているなど、お役所仕事は信用できないが、秋田県内レッドデータブックは「シカを絶滅種からはずす方針」に決めたそうだ。
8月×日 原田マハに「ハマりつつある」。徹夜状態で『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)読了。次に読む新刊の『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)も購入済み。原田の本で知ったのだがマネやモネ、ルノアールにゴーギャンといった画家やその名画は「印象派」と呼ばれる。「写実」を唯一無二の美の基準とする従来のパリ画壇から「逸脱し、反逆し、汚らしい」(あるいはサロンと呼ばれる官展に落選した)、アヴァンギャルトな作家や作品に与えられた「蔑称」が「印象派」という言葉なのだそうだ。彼らはいわれない脅迫と差別を受け画廊ですら作品を扱ってもらえなかったという。
8月×日 去年に続いて今年も関西の友人たち10名が大挙して来秋。大曲の花火2泊3日ツアーだ。今回は、サントリーのチーフブレンダーとして世界的に有名なKさんご夫婦も初参加。ツアーコンダクター(私です)としては緊張の3日間だった。

*消費税による混乱を避けるため、10パーセント対応できる時期に通信発行をずらしました。「けしからん」とおしかりを受けるかもしれませんが、こうした対応で「混乱」をしのぐしか手はありませんでした。ご了承ください。
*今回は新刊は1点のみ。『名族佐竹氏の神祇と信仰』は10月中旬の刊行となります。
*通信をこのまま「紙」で続けるか、予断を許さない議論はいまだ舎内で続いています。     
(あ)