3・11以降、県外の方々から「なぜ秋田には原発がないんですか」と訊かれるようになった。秋田にはなぜ原発がないのか。実は秋田県民もその理由や歴史的経緯を、ほとんど知らないのが現状ではないだろうか。
 原発立地場所を決定するのは東北電力である。東北電力のさじ加減一つで、原発は東北のどこにできても不思議はない。秋田にももちろんその可能性は十二分にあった。いや実は原発誘致に最も熱心だったのが東北地方では秋田県だった、という事実はあまり知られていない。
 日本に初めて原子力の火がともったのは1957年(昭和32)、茨城県東海村だ。その後、原発の適地を探していた東北電力に対して、秋田県が「誘致宣言」をしたのが1960年(昭和35)のことだ。
 東北6県で最初に手を挙げたのが秋田県だったのだ。政府や東北電力が出した条件は「住宅地から2キロ離れていること、30万坪の敷地があり、危険度などから産業性の低い地域」というものだった。秋田市の雄物川、能代市の米代川、本荘市の子吉川の河口が候補地として挙がったが、住宅地の近い秋田市はすぐに候補から外れ、能代市と本荘市の一騎打ちの形となった。
 時間を少し前にもどそう。原発誘致に先立つ54年(昭和29)、原子力を推進する日本のトップである東京電力会長の菅禮之助(1883〜1971)は雄勝町の出身者だ。56年(昭和31)には(社)原子力産業会議会長になった、いわば日本エネルギー業界の頂点に立つ人物だ。さらにこの時期の政権与党・自民党の「官房長官」は衆院秋田2区選出の根本龍太郎。加えて科学技術庁政務次官は同じく衆院議員の齋藤憲三(1898〜1970)だ。齋藤は仁賀保町出身、TDK創始者で、熱心な地元への原発誘致論者だった。これで本荘市が本命扱いされたのだが、同じ県内に強力なライバルがいた。衆院1区選出の佐々木義武(1909〜1986)である。佐々木は生え抜きの官僚で、これまた初代の原子力局長であり能代誘致派だった。 
 しかし1968年(昭和43)1月、東北電力は原発候補地を宮城県女川町に決定したと発表した。本荘でも能代でもなかったのだ。
 秋田落選の理由は「地震が多い」こと。都市部への送電ロスや地元の誘致活動が盛り上がりに欠けたことも挙げられた。当時、原発の安全性をめぐって物理学者と政治家の間で激しい論争があった。採用が決まっていた英国型原子炉は耐震性に問題があったからだ。「地震」が原発候補地の決め手だったのである。
 そしてこの15年後の83年5月26日、能代市西方沖80キロを震源とするM7・7の「日本海中部沖地震」が秋田を襲うことになる。


3月×日 井上ひさし『國語元年』に「おいしい」の語源を発見した。イエズス会が刊行した『日葡辞書』に〈イシイ=うまいもの〉という言葉があり、「イシイ」は当時の女性のみ使う「婦人語」で、それに丁寧な「お」をつけた言葉が「おいしい」では、と井上ひさしはいうのだ。なるほど。
3月×日 散歩の途中、学生時代にアルバイトしていたH君とバッタリ。千葉で高校の先生をやっているのだが、大学時代の恩師の「最終講義」を聞きに秋田まで来たという。最終講義の儀式って、まだあるんだね。
3月×日 ピロリ除菌作戦は3日目。薬の副作用はない。むち打ちによる頭痛も首のレントゲン検査で異常なし。なんだか釈然としないなあ。
3月×日「和食みなみ」の小上がりが「堀座卓」になった。前から要望していたものなのだが、聞き入れてくれて、チョーうれしい。
3月×日 中津文彦『天明の密偵』(文春)読了。サブタイトルは「小説・菅江真澄」。菅江真澄の秋田時代がまったく登場しない物語だ。著者の中津文彦は元岩手日報の記者、秋田魁新報出身のプロの作家というのは、ほとんどいないのは、どうしてだろう。
3月×日 ピロリ除菌終了。ピロリが死んだかどうかを確認するのはさらに1カ月後だ。やれやれ。
3月×日 田沢湖横にある700m強の院内岳に挑戦。冬しか登れない山だが、風もなく青空も時折顔を見せる絶好のコンデションだった。
3月×日 3月11日は東京出張だ。8年前のことを思い出す。電車に乗ると「埼玉移住」の深刻なポスター。街で会う若い女性たちは一様に憂欝で不安そうな表情をしている。
3月×日 廃刊になる『出版ニュース』の清田さんと市ヶ谷で一献。70年の歴史ある雑誌の廃刊というのは、ちょっと想像を絶するが、出版業界の指針として走り続けてきた雑誌だ。清田さん、長い間、本当にありがとうございました。翌日は東京オペラシティで石川直樹の写真展をのぞく。
3月×日 大曲の西山3山(姫神山・神宮寺岳・伊豆山)縦走。スノーシューが飽きてきたのでツボ足で土の山に登りたかった。
3月×日 腕時計を変えた。朝、突然そう決めた。時計は4個ある。替えるとビミョーに気分が変わるのが面白い。
3月×日 「秋田学入門」という雑学エッセイを書いている。これまで連載で朝日新聞や日本農業新聞に書いてきたものを再編集しているのだが、何本か書下ろしも加えるつもり。
3月×日 参勤交代や江戸屋敷勤務のため秋田から江戸まで行くのに当時は2週間ほど要した。江戸中期の秋田藩家老・岡本元朝の「日記」によれば、宝永元年(1704)、秋田(久保田)を4月7日に立ち、江戸(浅草)には21日に着いている。14泊15日の旅だ。うち3泊が秋田領内というのは意外だ。地理的に広いというより儀礼上(挨拶回り)の意味もあったようだ。
3月×日 北杜夫の『白きたおやかな峰』(河出文庫)読了。ヘンな書名の本だなあ、と少年時代に思った記憶がある。口語と文語の混交で日本語になっていない、と三島由紀夫がその書名にクレームをつけた、と巻末の解説にあって、納得した。
3月×日 シャチョー室宴会。Sシェフが「タコしゃぶ」を披露。ギョーザも手作りはやっぱりうまい。
3月×日 朝から雨。先週あたりからまた右足首に痛風の予兆のようなかゆみがある。不安だ。今年は3ヶ月おきぐらいにこの痛風予兆が決まってやってくる。
3月×日 映画館でC・イーストウッド主演の『運び屋』を観る。90歳の麻薬運び屋アール役がイーストウッドで、これは実話なのだそうだ。
3月×日 2日間散歩をしなかった。テキメンに便通が悪くなった。身体は心底、正直だ。
4月×日 雨が続く。気分転換にシャチョー室でひとり料理教室。大量のギョーザを作り、ローストビーフにも挑戦。うまくできた。
4月×日 最近、メルカリというネットショップで服を買っている。数千円でブランド物の服を手に入れてから舞い上がってしまった。でももうやめにしよう。
4月×日 今日は選挙。それより体重が徐々に落ちている。うれしい。
4月×日 春らしい陽気に心浮き立つ。でも本は売れない。原稿書きで気分は鬱屈している。R・シュトラウスの『アルプス交響曲』でも聞くか、と思ったがCDラックからそのCDを探しだせない。
4月×日 事務所が「乳臭い」。頻繁にローストビーフを作るからだ。そういえば秋田名産の「三梨牛」を最近食べていない。ある人に訊くと、三梨牛は子牛の段階で「松坂牛」として出荷されるので、地元秋田では絶対に手に入らないのだそうだ。道理で見かけないはずだ。
4月×日 石田衣良という作家がいる。すごい名前だなあと思っていたが本名が石平(いしだいら)さん。姓をそのままペンネームにしたものだった。領収書は「ウエサマでいい」と言ってしまうが、これは「じょうさま」と読むのが正しいのだそうだ。
4月×日 事務所で一人呑み。録画していた映画を観る。翌日、体重計に乗ると2キロ増。やってられないなあ。
4月×日 盛岡行き。「もりおか歴史文化館」に立ち寄る。盛岡はおしゃれでセンスのいい街だが、ここの展示室は無内容でがっかり。
4月×日 モモヒキーズのお花見の予定だったが、桜の開花時期を見誤ったようで、桜はつぼみ。中止になった。
4月×日 タクシーに乗らなくなった。アメリカのライドシェアの「ウーバー」が上場し、その時価総額は11兆円だそうだ。日本のタクシー業界は猛反対しているが、間違いなく「相乗り」の日本進出はあるだろう。
4月×日 男鹿三山を縦走。今年も無事「お山かけ」終了。
4月×日 GWを前にして不気味なほど静かな日々。注文も入らなければ電話もない。自分以外の世界が消えてしまったように静かだ。
4月×日 アイスバーン転倒事件は1月22日。もう3ヵ月も経ったのに右手親指に痛みがまだ残っている。
4月×日 土曜日は仕事をしないことに決めた。朝は衣替えと洋服ダンスの整理。午後からは事務所に出て料理。ジャージャン麺のソースにギョーザ50個、ローストビーフを焼く。
4月×日 鳥海山払川からの直登登山。朝3時半に起き4時半に出発。きれいな青空で無風。4時間20分で山頂へ。鳥海山の山頂に立つことは個人的には大事件で、けっこうな自信になる。
5月×日 世間(マスコミ)は10連休だと騒ぐが、普通の会社はカレンダー通り。うちもカレンダー通り。
5月×日 長年続けているブラジル・アマゾンの日本人移民の現地取材に行くことを決めた。6月中旬から2週間ほど。航空券も宿もネットで簡単に取れる時代になったのは、ありがたい。あとは体力が持つかどうかだけが問題だが、鳥海山登頂が背中を押してくれた。
5月×日 GW前半は「秋田学入門」の最終的な原稿チェック。後半はブラジル移民の文献史料の分類、整理、目録を作る作業に没頭。
5月×日 アマゾンから「カード承認が得られない」というメール。カード番号を再入力して返信。すぐに「詐欺メールだ」と気が付いたが遅かった。
5月×日 長いGWも終わって好天が続くが、田植えはまだだ。どうやら農協主導で苗の規格が統一され、田植え時期も一律で遅くなっているようだ。
5月×日 耳新しい横文字に出くわした。「ウーバーイーツ」というのはフード・デリバリー・サービスのこと。「フレコンバック」は軽量で折りたためる出荷や保管のためのフレキシブルな袋。「ジンマート」はストレスなどで身体にできる蕁麻疹のための薬だ。知らなかったなあ。
5月×日 肺炎球菌の予防接種。10年前、ブラジル・サンパウロの検疫所で「黄熱病」の予防接種を受けたが、予防接種が必要な場所は地球上にまだまだたくさんある。
5月×日 山歩きのない週末。土日ともたっぷり朝寝し寝床で本を読む。朝に本を読むというのは何十年ぶりだろうか。「あさよみ」っていうと、なんだが夏休みのラジオ体操のようで、いい。
逆に「朝の読書」という言い方は強制的で義務的でイヤだね。
5月×日 作家の阿部牧郎さんが亡くなった。面識はなかったが、好きな作家だった。直木賞受賞作『それぞれの終楽章』は大館や鹿角で過ごした少年時代を描いた「阿部版スタンバイミー」。いい小説だった。
5月×日 2週間ぶりに山歩き。気に入りの八塩山矢島口コースだ。ここでは必ずと言っていいほど小動物とあう。今日は成獣のカモシカ。コシアブラをたくさん採って(もらって)、夕食は天ぷらだ。
5月×日 来月、ブラジル・アマゾンに旅行している間に、3点の新刊ができてくる。この夏DM通信や新聞連載コラムの締め切りもみんな旅の最中と重なった。これ以上ないほど恵まれたタイミングでシアワセ……。
5月×日 本も映画も「2度目」がいい。茶木則雄『帰りたくない!』(知恵の森文庫)は今読んでも類をみないほど達者で面白いエッセイだ。台湾の『恋人たちの食卓』は料理映画としてばかりでなくヒューマン・ドラマとしても完成度が高い。小津の『お茶漬けの味』も今観るとじんわりとしみわたってくる。それに比べて最近の本や映画は何だかつまらない。

*今回も新刊は2点です。
 前回から宣伝していた『奥のしをり』が遅れに遅れて刊行になりました。お待たせして申し訳ありません。
*新聞に連載した原稿やこの通信に書いたことなどを再編集してまとめた拙書『秋田学入門』も新刊です。多くの人に読んでもらおうと1000円の廉価版にしました。
 ご笑覧ください。
*新刊案内も1年ぶりに新しくなりましたので、よろしくお願いします。(あ)