青木健作(あおき けんさく)
1935年 富山県生まれ。フリーライター。
著書に『五能線みちくさ紀行』『草津本陣風土記』『西陣手織り一代』『雨のなかのコンサート』『飛んでいった千羽鶴』その他がある。
弘前市在住。

阿賀森 始(あがもり はじめ)
本名 根本 一。大正13年、福島県耶麻郡西会津町生まれ。
日本大学法文学科専門部中退
町立喜多方国民学校代用教員
兵歴 川崎・晴4100部隊
職歴 西会津町社会教育主事・西会津町公民館長

秋元 浩(あきもと ひろし)
1956年 秋田県神岡町生まれ。
横手高校を経て日本大学法学部新聞学科卒業。東京で3年の新聞記者生活の後「水俣生活学校」の設立に参加。その後、映画プロダクション「青林舎」の水俣駐在員として、映画の制作、上映活動にたずさわる。
1984年、帰郷し、実家の酒小売業を営む。

鐙 啓記(あぶみ けいき)
1953年秋田県飯田川町生まれ。秋田工業高校卒業後、無明舎出版入舎。その後、室内装飾業、書店経営の後、1994年に無明舎出版に再入舎。 編集長として、現在に至る。

安倍 知(あべ さとる)
1955年生、秋田県湯沢市出身。横手高校を経て東京理科大学卒。 無明舎出版のホームページを担当。著書に「あきた風流「艶」ばなし 夜ばい篇」「入門・東大宇宙線研究所」。現在、千葉県柏市在住。an@mumyosha.co.jp

あべ十全(あべ じゅうぜん)
昭和25年6月15日、秋田県東由利町に生まれる。本名 阿部十全。
昭和44年、本荘高校卒業後、上京し劇団に入るが都会生活になじめず帰秋。家業を手伝いながら歌をうたいはじめる。2人組のフォークグループ「田吾作」を結成。
昭和48年、「田吾作音頭」(エレックレコード)でデビュー。以後、地元放送局のDJや「23時ショー」の司会をつとめる。

阿部敏一(あべ びんいち)
1938年 宮城県生まれ
1961年 秋田大学学芸学部一部乙類を卒業
東京都及び宮城県の公立小学校・中学校で教え、1998年定年退職。専攻音楽(声楽・バリトン)。「全日本年金者組合宮城のコーラスサークル」会員。
自然に関心を持つようになり1992年「岩出山の自然通信」を発行。

あゆかわのぼる
1938年(昭13)秋田県由利郡下浜村羽川生まれ。
著書に詩集「盲狼」(日本海詩人社)、エッセイ集「しまった!!」(反層社)、詩集「影の島」(津軽書房)など。

あんばい こう
1949年秋田県湯沢市に生まれる。本名 安倍 甲(あべ はじめ)。
秋田大学を中退し、現在は出版社経営。著書に「中島のてっちゃ」(絶版)「雲つかむ夢」「ひとりぽっちの戦争」「広面んだんだ通信」「広面かだっぱり日記」(無明舎出版)、「毎日がコメ騒動」(平凡社)、「頭上は海の村」(現代書館)、「力いっぱい地方出版」(晶文社)がある。

池田まき子(いけだ まきこ)
1958年、秋田県鹿角市生まれ。 雑誌の編集者を経て、1988年留学のためオーストラリアへ渡って以来、首都キャンベラ市に在住。フリーライターとして日本の新聞や雑誌などに執筆。また、児童書の執筆、翻訳なども手がけている。
著書に「走れたいよう 天国の草原を」(秋田魁新報社)、「車いすの犬チャンプ」(ハート出版)、「アボリジニのむかしばなし」(新読書社)、紙芝居「カンガルーのポケット」(童心社)、訳書「すすにまみれた思い出――家族の絆をもとめて」(金の星社/産経児童出版文化賞受賞)、「フールーはどこ?」(共訳書/カワイ出版)などがある。

市川忠子(いちかわ ただこ)
1927年(昭和2年)岩手県上閉伊郡宮守村字達曽部に生まれる。
著書に『観音さまの一本橋』(無明舎出版)がある。

伊藤 信(いとう しん)
大正9年、秋田県仙北郡西仙北町強首に生まれる。
秋田県師範学校を卒業後、昭和15年より仙北郡内の小・中学校に勤務。県社会教育主を経て昭和54年3月西仙北町立刈和野中学校を退職。『西仙北町郷土史』編纂委員長。

伊藤孝博(いとう たかひろ)
1948年、福島市生まれ。記者生活を経て1984年から山形県米沢市郊外の山里に在住。
1993年秋、[玉澤木炭舎]を作り時々炭焼き、現在に至る。
1993年〜1994年、個人新聞「玉澤木炭新聞」(月刊)を12回発行。

伊藤 満(いとう みつる)
昭和36年、岩手県生まれ。イラストレーター、マンガ家。
印刷会社勤務後、フリーのイラストレーターとなる。平成5年、江刺市米里に伝わる人首丸(ひとかべまる)伝説のマンガ化依頼を機に、東北の歴史や伝説に関心を抱き、これを題材とした作品を手がけるようになる。

井上雄次(いのうえ ゆうじ)
昭和20年生まれ。昭和43年、早稲田大学卒。日本国語教育学会員。国語教育に関する著述に加えて、平成9年4月、『丸山薫と岩根沢』を東京書籍より刊行した。

岩田 博(いわた ひろし)
1949年生まれ。東京都出身。
1972年 中央大学文学部史学科卒業後、名著出版に勤務。
1993年 岩田書院創立。
岩田書院
 〒157-0062 東京都世田谷区南烏山4-25-6-103
  http://www.iwata-shoin.co.jp

遠藤 康(えんどう こう)
1941年 秋田県角館町に生まれる。
1964年 東北大学教育学部を卒業後、秋田県内の高校で「日本史」「世界史」「倫社」「現代社会」などの教鞭をとる。

大坂高昭(おおさか こうしょう)
昭和9年9月 秋田県由利郡大内町に生まれる
昭和28年3月 仙台市 栴檀高等学校卒業
昭和31年1月 曹洞宗祥鳳山興昌寺25世住職就任
昭和37年4月 大内町役場に奉職
(公民館主事、行政広報担当、議会事務局長、教育次長、総務課長歴任)
平成6年6月 大内町役場退職
平成8年4月 秋田県禅センター布教部長拝命

大穂耕一郎(おおほ こういちろう)
1954年東京都文京区生まれ。
1976年秋田大学教育学部卒業後、東京郊外で教員生活。物心ついたときからの鉄道ファンで、釣りとクマが好き。鉄道民俗学、環境民俗学の探求をすすめている。
http://homepage3.nifty.com/kumanotaira-mura/

岡坂恭博(おかさか やすひろ)
1952年生まれ、名古屋在住の建築設計士、写真家、イラストレーター。
1980年から朝日連峰に魅せられ毎年数カ月、山に入って写真を撮りながら、カモシカの生態調査をしている。写真展を東京、名古屋にて開催。
日本ナチュラリスト協会カモシカ調査グループ代表、ヌルマタ沢の自然を考える会代表幹事。

奥村清明(おくむら きよあき)
1937年秋田県本荘市生まれ。1998年3月県立高校を定年退職。国内外の山々に登る。秋田山岳会元会長。日本山岳会会員。白神山地のブナ原生林を守る会事務局長。秋田県自然保護団体連合代表理事。全国自然保護連合理事。日本自然保護協会、日本野鳥の会、WWF、等会員。秋田ハッセルブラド・フォトクラブ会長。

織田 久(おだ ひさし)
1934年生まれ。早稲田大学美術史学科卒。
日本読書新聞を経て無所属編集者。
著書に『広告百年史』(明治篇・大正昭和篇)、『江戸の極楽とんぼ』(無明舎出版)がある。

小田原裕紀(おだわら ゆうき)
昭和24年、秋田県湯沢市に生まれる。本名に同じ。北海道酪農学園大学在籍中、約2年間アメリカ・カナダの放浪の旅後、同大学を卒業。

小野一二(おの かつじ)
1928(昭和3)年生。作家。「文芸秋田」代表 日本文芸家協会会員 矢田津世子文学記念室顧問学芸員。著書に小説集「花壇ができるまで」「小野小町」「秋田の文学つれづれ」「秋田県の民話」(共著)「東北地方の伝説」(共著)など。
秋田県南秋田郡五城目町住

小野 幹(おの みき)
1931年、岩手県藤沢町生まれ。仙台市在住。アサヒカメラ年度賞最高作家賞はじめ、写真展での入賞多数。東北の人々の暮らし、自然を長年にわたり撮影、現在に至る。

小野祐子(おの ゆうこ)
1937年、仙台市生まれ。
1960年、日大芸術学部卒業と同時に東北放送にアナウンサーとして入社。
1982年から毎年「8月15日特集」を手がける。
32年間のアナウンサー生活の後、1992年、ラジオ制作部へ転部。午後のワイド番組等のディレクターを6年間担当後、1998年、退職。

小野羊子(おの ようこ)
1943年 千葉県君津郡青掘町に生まれる。
1965年 青山学院大学英米文学科卒業。
1971年 茨城県猿島郡猿島町に移り住み、現在に至る。
著書に『私の宮沢賢治』『私の宮沢賢治かん』

恩田重男(おんだ しげお)
1950年新潟県豊栄市に生まれる。
早稲田大学卒業後、1974年、毎日新聞社に入社以来6年間の秋田支局勤務を経て、東京本社社会部に在籍。

葛西英明(かさい ひであき)
1948年宮城県生まれ。1986年ころから本格的に植物写真を撮り始める。宮城県仙台市在住。「いきいきライフみやぎ」河北新報社に野草歳時記を連載。「植物の世界」朝日新聞社、「いきもの探検大図鑑」小学館、「山野草百科」主婦と生活社、「野草図鑑 夏・秋」北隆館などに写真を提供している。

加藤貞仁(かとう ていじん)
1952年生まれ。福島市出身。明治大学文学部卒業後、読売新聞入社。秋田支局、経済部、生活情報部などで記者生活を送り、97年末、人事部次長で退社。現在はフリー。食生活ジャーナリストの会会員。著書に『あきた怪異幻想譚』『ふくしま艶笑譚』(無明舎出版)、『おいしい野菜は自分でつくる』(主婦と生活社)『戊辰戦争とうほく紀行』『海の総合商社 北前船』(無明舎出版)などがある。

加藤哲夫(かとう てつお)
1949年福島県生まれ。大学中退後、1981年に出版社「カタツムリ社」設立。1985年にエコロジーショップ「ぐりん・ぴいす」開店。環境、原子力問題、有機農業、食などに取り組む。現在、地球時代の働き方を共同で模索する異業種交流ビジネスネットワーク〔エコロジー事業研究会〕主宰するなどで活動している。
連絡先 カタツムリ社
〒980 仙台市青葉区立町18一12−104
TEL&FAX 022−213−6739

金丸弘美(かなまる ひろみ)
1952年佐賀県唐津市生まれ。ライター&エディター、コーディネイター。
最近のテーマは、農業、食材、環境問題、地域活性化などだが、とくに農業、食材に関してはここ7年で北海道から沖縄まで全国の農村200ケ所、東京の農家や野菜売り場60ケ所を自ら巡り、本も8冊発表。2001年11月、自然の暮らし、スローライフを実現するために、家族は鹿児島県の徳之島に移住。

金森正也(かなもり まさや)
1953年秋田市生。弘前大学人文学部卒。早稲田大学大学院文学研究科後期課程単位取得終了。秋田県内の高校教諭を務める。
主な著書に、『近世の支配体制と社会構造』(共著吉川弘文館)
『東日本の近世部落の具体像』(共著明石書店)

金子義償(かねこ よしつぐ)
一九四〇年、秋田県八竜町生れ。現在、日洋会委員、日展会友。秋田県芸術選奨受賞。日展特選受賞。現代美術選抜展(文化庁主催)。日本現代美術作家選抜20人展(パリ)、日洋展損保ジャパン美術財団奨励賞受賞。

神山眞浦(かみやま まうら)
大正10年8月26日生まれ。
昭和14年4月 國学院大学附属神道部入学
〃 27 年 宮城県鼎が浦高等学校教諭
〃 43 年 同校 退職
〃 43 年 五十鈴神社宮司
〃 63 年 同神社 退職
  菅江真澄研究会 理事

川井正三日(かわい しょうさんび)
昭和6年2月、秋田県仙北町に生まれる。
昭和25年より、小学校教員として秋田県南部の学校に勤務する。
平成3年、定年退職後は仙北町教育委員会で教育指導員を務める。

川越良明(かわごえ よしあき)
1943年(昭和18)秋田県横手市に生まれる。
1966年(昭和41)早稲田大学第一法学部卒業後、横手市役所に入所。議会事務局長、産業経済部長等を経て2003年(平成15)3月定年退職。
(社)横手シルバー人材センター常務理事兼事務局長

河原俊雄(かわはら としお)
1947年 東京都渋谷に生まれる。
1971年 同志社大学文学部中退して、製パン見習い。
1979年 岩手大学農学部農芸化学科入学。卒業後、山形県立高等学校の教諭となる。
1985年 山形県東置賜郡高畠町下和田に移住。田畑耕作を始める。
山形県立置賜農業高等学校勤務の傍ら、百姓専業の妻の手伝いとして田30a、畑40a、果樹園20aを耕作。「たかはた共生塾」事務局長を務めるとともに、演劇活動にも専心。

北川広二(きたがわ こうじ)
本名 児玉進
昭和25年、大分県臼杵市に生まれる。大阪の繊維商社に勤めてのち、土木関係等を経て福祉分野の仕事につく。本業のかたわら、渓流釣りで全国を旅するとともに、釣り月刊誌に紀行随筆などを連載。その後、全国の酒蔵を訪ね歩き、酒造りを学ぶ。

木村源左衛門(きむら げんざえもん)
1904年(明治37年)秋田県由利郡滝沢村生まれ。1920年秋田師範学校に入学。
1925年秋田歩兵第17聯隊第11中隊に入隊。2年後に帰休除隊。
1937年充員召集により歩兵第31聯隊に応召、第108師団に編入。
1939年の召集解除後は、主に由利郡内の小中学校教諭を勤め、1961年に退職。

黒川一男(くろかわ かずお)
1922年中国・青島市(チンタオ)に生まれる。
満洲医科大学をへて1948年東北大学医学部卒。勤務歴28年、開業歴17年。歴史研究を趣味とする。

黒沢説子(くろさわ せつこ)
1971年、秋田県天王町生まれ。秋田高校から弘前大学を経て東京都内の書店に就職。その後「地方・小出版流通センター」に勤務。1999年に結婚、翌年退職し現在、一児の母。

小西 啓(こにし けい)
1976年11月4日、京都に生まれる。
14歳の頃より独学で作歌を始める。
高校卒業後、書きためた短歌ノートを手に上京。アルバイトをする傍ら、『恋人よ、ナイフを研いでくれないか』(発売・星雲社/発行・創栄出版 1997年)、『こうしなければ生きていけなかった』(発行・現代思潮社 1998年)を刊行。

古関良行(こせき よしゆき)
1966年、秋田県羽後町生まれ。秋田大学教育学部を卒業後、90年、河北新報社に入社。97年4月から酒田支局に勤務。現在は本社学芸部記者。

斎藤忠弘(さいとう ただひろ)
昭和19年(1944)神奈川県横須賀市に生まれ、秋田県仙北郡南外村へ移る。
昭和46年(1971)大阪の製鉄所勤務を経て大潟村へ移る。
昭和49年(1973)11月 入植指導訓練所での訓練生活終了し、五次入植者として百姓のスタートを切り、現在に至る。

斎藤政広(さいとう まさひろ)
1948年、横浜市に生まれる。
幼い頃、父親に買ってもらったカメラで身近な万物を撮り始める。自然現象や虫の世界にひかれて、学生の頃は丹沢、八ケ岳北アルプス等の山を撮影で歩き、1984年ごろから鳥海山、月山、朝日連峰のブナの取り巻く山々を歩き始める。

榊 昌子(さかき まさこ)
2月23日、雪渡りができる頃秋田県に生まれる。
中学二年の時、小倉豊文監修『昭和文学全集 14 宮澤賢治集』と出会う。以後宮沢賢治の世界に心酔。1985年「秋田・宮沢賢治愛好会」結成。
宮沢賢治学会会員。

坂本梅子(さかもと うめこ)
明治44年2月24日生まれ
『わがままな春』(昭和36年)、『風葬のむら』(昭和53年)、『白い障子』(昭和59年)、『白い花』(昭和59年)、『すすきの幻想』(平成元年)、『崩れゆく地』続風葬のむら・秋田県芸術選奨文学賞(平成3年)、『闇の花』(平成4年)、『星座へ向う列車』(平成10年)。

坂本俊亮(さかもと としあき)
昭和26年12月生
山形県最上山岳会同人
著書『神室山と最上の山々』(共著・文章担当・ぎょうせい東北支社)ほか

佐々木徳夫(ささき とくお)
昔話採集家・民俗研究者。
1929年、宮城県中田町に生まれる。旧制佐沼中学を経て、東洋大学文学部哲学科卒業。
1957年から郷土の伝説・昔話・民間信仰・農事民俗などを調査する、「みちのく昔話研究会」主宰、1992年、第26回吉川英治文治賞受賞。

佐々木三知夫(ささき みちお)
昭和21年秋田県由利郡上川大内村(現大内町)生まれ。1943年早稲田大学第一商学部を卒業。参議院議員秘書、ブルドーザー運転手などを経て、46年から秋田県庁勤務。かたわら「秋田県を面白くする会」等を結成し、地域づくりの実践活動を続ける。

佐竹伸一(さたけ しんいち)
1960年、山形県朝日町に生まれる。
山形大学教育学部を卒業後、1982年から小学校勤務。
環境庁自然公園指導員、山形県自然環境保全地域管理員、朝日山岳会副会長。
山形応用地質研究会幹事、日本地質学会・日本環境教育学会等会員。
花の百名山(NHK−BS2)・朝日連峰「ヒナウスユキソウ」出演

佐藤晃之輔(さとう こうのすけ)
昭和17(1942)年、秋田県由利郡東由利町老方字祝沢に生まれる。
同45年11月、第四次入植者として大潟村に移る。農業。

佐藤 敬(さとう たかし)
1934年 山形県西村山郡大井沢村(現西川町大字大井沢)に生まれる。
1955年 山形大学教育学部二部乙類修了。
1991年4月より1995年3月まで西川町立沼山小学校校長。
1995年4月より「西川町立自然と匠の伝承館」館長「やまがたフロラ」会員。

佐藤 正(さとう ただし)
1929年 秋田県に生まれる。
1957年 中央大学法学部卒業。中学校教師として勤務。
1990年 中学校教師を退職、現在は農民。
秋田農村文化懇談会会員。秋田県民俗学会会員。

佐藤陽二(さとう ようじ)
1955年宮城県生まれ。79年河北新報社入社。報道部、山形総局、学芸部、東京支社編集部などをへて、2001年4月から学芸部副部長。2004年4月からスポーツ部福部長。

重森洋志(しげもり ひろし)
1961年広島県生まれ。
徳島大学工学部建設工学課修士課程卒。卒業とともに出版社に勤務。
1996年より独立。フリーで取材、執筆、撮影、編集、デザインに関わり現在にいたる。
祭りはカメラマン山田晋也氏とプロジェクトを組み、全国ルポを敢行中。

篠田次郎(しのだ じろう)
昭和 8 年宮城県仙台市生まれ
昭和31年福島大学経済学部卒業
昭和40年篠田安藤建築設計事務所・ジェイナスコンサルタンツ開設
技術士 一級建築士 中小企業診断士 日本吟醸酒協会初代会長
幻の日本酒を飲む会主宰 吟醸酒研究機構世話人頭
全国の酒蔵関係の設計多数

島田彰夫(しまだ あきお)
1938年 東京で生まれる。
1960年 東北大学農学部卒業。
7年間の会社勤務のあと,三島学園女子短期大学講師。
1971年 秋田大学医学部助手(衛生学)。
1978年 ブラジル国リオ・グランデ・ド・スール・カトリック大学客員教授。

進藤孝一(しんどう こういち)
1934年秋田県仙北郡峰吉川村(現協和町)に生まれる。
日本民俗学会会員、山村民俗の会会員、日本鉱業史研究会会員。著書に『荒川鉱山誌』『宮国又鉱山史』(協和町刊)『大盛』(大盛小学校百年祭実行委員会刊・共著)『協和のものがたり378』(みしま書房刊)など。

菅原富喜(すがわら とみき)
昭和8年2月生まれ。
山形県写真連盟理事
新庄写真連盟会長
最上山岳会同人

鈴木泰三(すずき たいぞう)
秋田県由利郡大内町出身。
昭和25年 秋田師範学校卒業。
校長で県内の小中学校に勤務し、昭和63年定年退職。

鈴木元彦(すずき もとひこ)
昭和12年2月生まれ。秋田県山本郡峰浜村出身。
昭和34年北海道大学農学部を卒業。同年秋田県鷹巣地区の農業改良普及員となる。県立営農大学学校副校長などを経て、秋田県農政部農村振興課主幹、現在は退職して峰浜村に戻る。

杉山あおい(すぎやま あおい)
1971年6月27日、よく晴れた日、東京都町田市に長女として生まれる。慶應大学ではワンゲル部に入り、山の日々。卒業後、登山用品店「カモシカスポーツ」で働き、ここでも山の日々。山以外のことにも少し目を向けようと働きはじめた「風の子クラブ」で杉山彰と出会い、秋田県の山里へ。

杉山 彰(すぎやま あきら)
1965年12月4日、埼玉県大宮市(現在のさいたま市)に農家の三男として生まれる。中学の頃よりビートルズにあこがれギターを始める。東京外国語大学ドイツ科に進むが、バンドと自治会活動に明け暮れる。いくつかの仕事を経て、父の死去後は農業に目覚め、家の田畑を耕し、ニワトリを飼う。障害児の学童保育所「風の子クラブ」に音楽ボランティアとして参加するうちに、あおいと出会い、秋田県の山里へ。

仙台都市生活誌研究会
同じ広告プロダクションに勤務していたメンバーを中心に結成。市民の視点から仙台の景観を考え、暮らしの足跡を記録する活動を続けている。それぞれ住民による地域掘り起こしや雑誌づくり、環境ボランティアなどにも関わってきた。
阿部 理(あべ おさむ・1961年石巻市生まれ)
日下 信(くさか まこと・1951年仙台市生まれ)
西大立目 祥子(にしおおたちめ しょうこ・1956年仙台市生まれ)

高島 真(たかしま しん)
昭和2年3月31日山形市に生まれる。
法政大学中退。もと地方公務員。
第15回「真壁仁・野の文化賞」受賞。
(平成12年1月『特高Sの時代』の著作対象)
山形市郷土文化研究会理事。

高梨直英(たかなし なおえい)
1961年生まれ。山形県在住。
県立高校に社会科教員として勤務する。専門分野は日本史、日朝関係史。
山登りと朝鮮文化を愛する。

高橋 こうけん(たかはし こうけん)
1930年、岩手県衣川村生まれ。49年より仙台に在住。現在、複数のグループに所属し、祭り、自然、まち、人など多彩な分野の写真に取り組んでいる。写真展での入賞多数。

高橋秀明(たかはし ひであき)
1953年3月、秋田市で生まれる。
県立秋田高校卒。春から秋まで釣りを楽しみ、晩秋から冬は山歩きやスキーが趣味。
 
高橋祐司(たかはし ゆうじ)
1937年秋田県湯沢市に生まれる。
1955年秋田県立湯沢南高等学校卒業。
1959年同志社大学文学部卒業。
1959年4月より秋田県内の高校に勤務。
 
田口昌樹(たぐち まさき)
昭和11年、秋田県河辺町三内に生まれる。
昭和29年、秋田市立高校(現・秋田中央高校)卒業。同年、秋田銀行入行。本支店に勤務。平成4年同行を退職。秋田県立博物館嘱託の後、フリーとなり、現在菅江真澄研究会理事、叢園社同人。

竹内健悟(たけうち けんご)
1959年(昭和34)生まれ。弘前市在住。
小学校教員。日本鳥学会会員。日本ネイチャーゲーム協会会員。日本野鳥の会弘前支部会員。

多田義美(ただ よしみ)
1937年 山形県米沢市生まれ
1960年 東北大学文学部英文科卒業
 同年 東北放送入社
     放送記者、報道番組ディレクターなどを務める。
1998年 定年退職

田牧久穂(たまき ひさお)
1934年 大曲市角間川町生
1954年 秋田大学学芸学部二部終了
秋田県歴史教育者協議会会長、「北方風土社」会員

千田  明(ちだ あきら)
1937年岩手胆沢町に生まれる。
胆沢町社会教育主事、企画課長、教育次長、収入役を経て、1994年から1998年まで胆沢町長を務めた。

千葉裕之(ちば ひろゆき)
1962年12月17日岩手県盛岡市生まれ。
1982年、岩手県立盛岡工業高校機械科卒業。当時の日本国有鉄道青森機械区入社。ジェイアール東日本ビルテック株式会社盛岡支店に勤務。
写真は小学校6年の頃から撮り始め、鉄道をテーマに日本各地を撮り歩く。
1989年から主に小坂鉄道一本にしぼった撮影活動をつづける。

長南里香(ちょうなん りか)
 1970年、山形県朝日村生まれ。山形大学教育学部卒業。在学中より雑誌編集に関わり、現在フリーランスのライター。東北や山形県内の観光情報誌やタウン誌に執筆する一方で、郷土の食と文化をはじめ、温泉や湧き水、伝統芸能などをテーマに取材・撮影している。

堤 剛太(つつみ ごうた)
1948年宮崎県串間市生まれ。専修大学卒業後、26歳でブラジルに移住。3年間サンパウロ新聞の記者を務めた後、パラー州ベレンへ移住。商社社員、宝石店支配人、薬局経営、日系病院事務長などの職を経て、汎アマゾニア日伯協会事務局長。サンパウロ新聞ベレン支局長。将来の夢は、特技の鍼灸を生かして鍼灸院を開設し半日だけ仕事をすること。

TIM ERNST(ティム・アーンスト)
1953年、アメリカ・カリフォルニア州に生まれる。
1979年に来日。漫画家、イラストレーターで英会話教師。
1994年5月より1997年11月まで、朝日新聞秋田版にコラムを連載。英字新聞にコラムを連載する一方で、ポスター、Tシャツ等のデザインを手掛け、また色鉛筆画の展覧会を国内外で開催。「GAIJIN」「タング・トリッパー」ほか著書多数。
1981年より、秋田市に在住。妻(逸子)と一男一女の4人家族。

土井敏秀(どい としひで)
一九四九年、仙台市生れ。九八年三月、二十四年間勤めた渇ヘ北新報社(本社・仙台市)を退社。その後、男鹿市戸賀加茂青砂在住。

永井登志樹(ながい としき)
1952年秋田県男鹿市生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒。文化施設等の展示プランナーを経て、平成11年から2年間、秋田県立博物館菅江真澄資料センターに勤務。現在は旅と民俗文化をテーマに、東北地方をフィールドに取材、執筆活動を続けている。

中隅哲郎(なかすみ てつお)
1936(昭和11)年東京都に生まれる。明治大学政経学部卒業。1959(昭和34)年渡伯。以来、新聞記者、商事会社勤務を経て、潟Eニベル・ツール取締役、ブラジル生薬研究所代表。死去。

永田芳蔵(ながた よしぞう)
明治39年9月29日生まれ。
秋田県立実業補習学校教員養成所卒後、県内の青年学校教諭、青年学校長、中学校長歴任。
秋田市民郷土史懇話会会長、秋囲県文化財保護協会秋田支部長、秋田市文化財保護協会副会長などを務める。
平成8年6月16日、死去。
 
那須武秀(なす たけひで)
昭和30年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科入学。卒業後、家業の建設会社を継ぐ。「仙台市都市景観シート」「塩釜歴史マップ」「天水おけ実行委員」など。一級建築士。工学修士。

成田 健(なりた たけし)
昭和8年生まれ。昭和31年、秋田大学学芸学部卒業。平成6年まで、教職に就く。
日本近代文学会会員。

西大立目祥子(にしおおたちめ しょうこ)
1956年仙台市生まれ。宮城学院女子大学英文学科卒業。広告プロダクション勤務を経て、フリーライター。宮城県内を中心に、住民による地域掘り起こしやまちづくり、雑誌づくりの活動にかかわる。「仙台都市生活誌研究会」の一員として、昭和20年代〜50年代の仙台の風景写真を読み解く作業を続けている。

西澤信雄(にしざわ のぶお)
1948年生まれ。1975年より山形県朝日町に住み、朝日鉱泉ナチュラリストの家を経営する。
(社)日本ネイチャーゲーム協会理事
環境庁自然公園指導員、環境カウンセラー、山形県自然環境保全審議会委員、朝日町観光協会副会長、朝日町エコミュージアム研究会代表。

根深誠(ねぶか まこと)
1947年 弘前市に生まれる。現在フリーライター。著書に『遥かなるチベット』『ヒマラヤを釣る』『津軽白神山がたり』『青森県の山』(以上、山と渓谷社)『ブナ原生林白神山地をゆく』『みちのく渓流釣り』『白神逍遥』(以上、立風書房)『チベットから来た男』(岩波書店)『山の人生』(NHKブックス)『白神の四季』(白水社)など他多数。

野村祐三(のむら ゆうぞう)
全国の海岸線を歩き、漁師料理、漁業、食全般、旅の記事を寄稿し、もっとも数多くの漁師に会っているジャーナリストといわれる。水産ジャーナリストの会、食生活ジャーナリストの会の各会員。

畠中理恵子(はたなか りえこ)
1963年、神奈川県生まれ。明治大学文学部卒業後、美術洋書を主とする輸入販売会社で働く。1988年より「地方・小出版流通センター」の直営店である「書肆アクセス」勤務。1994年9月より同店店長。

原 敬一(はら けいいち)
1948年生まれ。
葉山の自然を守る会代表。
白鷹町教育委員会社会教育主事。

肥田 登(ひだ のぼる)
1941年生まれ
秋田大学教育文化学部教授,理学博士
専門:水文学

日野 東(ひの あずま)
1964年広島県生まれ。自然と花を主なテーマに撮影取材を続けるカメラマン兼ライター。神奈川県秦野市在住。著書に『信州・花の湿原を歩く』信濃毎日新聞社、『東京周辺・水ウォーク』小学館、『花を訪ねる小さな旅』恒文社、『日本の野草・雑草』成美堂出版、『山菜ハンドブック』ナツメ社がある。また無明舎出版から『南とうほく花の湿原』『北とうほく花の湿原』『フラワートレッキング秋田駒ヶ岳』などを刊行。
メールアドレス/way@mx8.ttcn.ne.jp

平田貞雄(ひらた さだお)
1924(大正13)年 北海道生まれ
北大農学部卒・京大大学院中退。1956年弘前大学教育学部の教員となり1990年定年退職。八戸大学教授を経て東北女子大学教授、弘前大学名誉教授
青森県自然環境保全審議会委員・美しい国土づくりアドバイザーなど
哺乳動物生態学専攻・農学博士

廣木孝安(ひろき たかやす)
昭和6年 山形県鶴岡市に生まれ、福島で育つ。
昭和29年3月 福島大学経済学部卒業。
昭和29年   マルコン電子株式会社、入社。
昭和44年   国見電子株式会社創設に従事、同社代表取締役。
昭和57年   マルコン電子株式会社取締役を経て、平成7年同社社友。
平成7年6月 国見電子株式会社代表取締役を退任。同社社友。
平成9年   株式会社ホクシン相談役。

深野稔生(ふかの としお)
1942年、東京浅草に生まれる。広告デザイン事務所叶[野プロ代表取締役。仙台YMCA山岳会会長。無名山塾仙台塾長。日本山岳ガイド連盟所属。東北、特に宮城県周辺の山に登り続ける一方、地方登山史、民俗、地名などに興味を持つ。自然保護運動にも関心が強く、各種保護団体に所属。

福島彬人(ふくしま あきと)
1929年(昭和4)、秋田県千畑町生まれ。戦後、地元で小学校教員、のち滋賀県に移る。1950年からNHKの大津支局記者、滋賀新聞、京都新聞記者。
1967年に秋田に戻り、業界紙の編集長の後、古美術「恋壺庵」を開店。「日本陶磁協会」、「日本民俗学会」、「菅江真澄研究会」など県内外多数の会に籍を持つ。特にクモの研究歴は50年を超し、「日本蜘蛛学会」はじめ各地のクモ研究会に所属。

ふじみとむ。(ふじみ とむ)
1969年12月、宮城県生まれ。
某製造会社の総務課在職、2001年4月より闘病のため休職中。
1999年12月、上咽頭ガン(頚部リンパ節転移)告知。
2001年4月、両肺に多発性遠隔転移発覚。
2002年5月から玉川温泉湯治をメーンにした代替療法により闘病中。
2003年3月、癌性胸膜炎による胸水貯留。同年5月、癌性リンパ管症(余命3ヶ月)の告知を受けるが、現在余命宣告から半年経過中。
妻、長女(8歳)、長男(6歳)、愛犬の4人+1匹暮らし。
人生最大の目標は娘とバージンロードを歩くこと、息子と酒を酌み交わすこと。趣味は家族とのアウトドアやドライブ、スポーツ観戦、音楽鑑賞など。闘病の応援歌は Mr. Children の「終わりなき旅」。
2001年1月よりホームページにて自身の闘病記・湯治記などを紹介した『ピノコの部屋』を運営更新中。1日のアクセス数は1000を超える。
ふじみとむ。はインターネット上のハンドルネームで由来は、不死身富夢。「夢がたくさんあるからガンでは絶対に死にません!」
『ピノコの部屋』アドレス http://freett.com/pino55/

藤原優太郎(ふじわら ゆうたろう)
1943年秋田県河辺郡河辺町三内に生まれる。
高校山岳部で登山活動を始める。
主な山歴に1970年アフガニスタン・中部ヒンズークシュ遠征、1979年インド・ガルフールヒマラヤ登山など。

ほった 圭(ほった けい)
本名 菅 克行
昭和22年生まれ。横手高校、秋田大学教育学部を卒業後、学校事務職員として県内小・中学校に勤務。


堀江沙オリ(ほりえ さおり)
秋田市生まれ。狭間の世代(ウルトラマン世代)。高度成長と偏差値教育の波をもろに被る。20代から詩を本格的に書き始め、1989年には、第一詩集「Alone together」で第30回土井晩翠賞受賞。他に詩集「水蜜」がある。

本城屋勝(ほんじょうや まさる)
本名柴田信勝、1938年秋田県北秋田郡森吉町に生まれる。大館鳳鳴高校卒。森吉町教育委員会勤務。『歴史民俗誌みちのく』主宰。

宮城正俊(みやぎ まさとし)
1971年より25年間宮城県美術文芸講座講師
1975年より(財)仙台市民ギャラリー理事長
1982年より東北文化セミナー主宰
宮城県教育文化功労者・仙台市政功労者
地域文化功労文部大臣表彰
第45回(平成7年度)河北文化賞受賞など
死去

宮田 豊昭(みやた とよあき)
1935年 東京都出身
1959年 防衛大学卒(航空工学科)
1960年 航空自衛隊3尉任官(操縦学生)
1961年 朝日ヘリコプター鞄社
1993年 朝日航洋椛゙社
1998年 DMBパイロットスクール顧問

森田 溥(もりた ひろし)
昭和 8年 秋田県平鹿町生まれ
昭和31年 山形大学文理学部文学科卒業
     秋田県内中学校に国語教師として勤務
平成 5年 横手市立鳳中学校長を最後に定年退職
横手市立図書館長、横手市史編さん推進員を歴任
日本近代文学会会員

森谷康市(もりやこういち)
1957年秋田県平鹿町に生まれる。
山形大学農学部卒業と同時に農業に従事。1981年より同じ町内にある浅舞酒造(天の戸)に冬期だけ勤務して、杜氏。

柳澤弘志(やなぎさわ ひろし)
昭和11年(1936)1月1日、秋田県鹿角市花輪生まれ。岩手大学学芸学部卒。秋田県文化財保護指導員。鹿角市史編纂委員。北羽歴史研究会会員。全国社会保険労務士連合会会員。

山内孝道(やまうち たかみち)
1948年、東京生まれ。
慶応義塾大学法学部を卒業後、生命保険会社勤務を経て、東京新聞系地域情報紙の記者、編集長に。退職後は太極拳の講師に専念している。

山口敏太郎(やまぐち びんたろう)
1966年生まれ神奈川大学卒。ビジネスモデル著作権者、施工管理技士などを経て、昭和レトロ商品博物館民俗学・妖怪担当、某大学院在学中96年学研ムーミステリーコンテスト優秀賞を「妖怪進化論」で受賞。

山下文男(やました ふみお)
1924(大正13)年、岩手県三陸海岸漁家の生まれ。
1991年 日本科学読物賞、北の児童文学賞。
2000年 日本自然災害学会・学会賞(功績賞)。

遊佐京平(ゆさ きょうへい)
1932年、岩手県水沢に生まれる。
藤原審爾に師事、多年取材助手をつとめる。ルポライター、シナリオライターなどを経て、著書に『馬づくり一代』『万延元年のポルカ』ほか。
死去。享年59歳。

吉ア光哉(よしざき みつや)
1967年生まれ
1993年 秋田大学大学院修士課程修了
青山学院大学非常勤講師 青山学院大学客員研究員
専門:文化地理学

鷲谷 豊(わしや ゆたか)
1934年(昭和9)秋田県秋田市土崎港に生まれる。1950年(昭和25)電気通信省職員訓練所入所以来、職場生活。1992年(平成2)退職。
北羽歴史研究会を主宰し、会長を務める。秋田地名研究会会員、安東氏顕彰会運営委員。

渡部和男(わたなべ かずお)
昭和3年(1928)秋田県院内町に生まれる。長く小学校教員をつとめ、平成元年3月院内小学校長で退職。
平成3年7月〜4年3月 雄勝町公民館長。
秋田県文化財保護協会雄勝支部長
雄勝町文化財保護審議委員

渡部景一(わたなべ けいいち)
1914年秋田県南秋田郡若美町に生まれる。
1933年秋田県師範学校を卒業後、秋田県内の小・中学校、秋田県教育委員会に務める。
1973年秋田南中学校長で退職。現在秋田市民榔土史懇話会事務局長、秋田市文化財保護審議会委員。死去。

渡部健三(わたなべ けんぞう)
1925年新潟県生まれ。
東京理科大学理学部物理学科卒業。放射線機器メーカーその他民間企業に勤務。
1994年退職を機に東京都から岩手県に転居。
伊能忠敬研究会会員

渡部 貢(わたなべ みつぎ)
1924年、秋田県能代市に生まれる。
1945年、現気象大学校卒業後、秋田・青森両地方気象台、仙台管区気象台、気象庁本庁で気象、地震、火山業務を歴任。
1985年、気象庁地震火山部地震津波監視課長を最後に定年退職。
退職後は日本気象協会秋田支部(現秋田事業所)で非常勤として気象解説業務に従事。


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