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![]() 2006年5月5日(金):武威市→張掖市
予定走行距離242Km 、予定走行時間7.3時間 ![]() 7:00起床。今日の計画は武威市から、国道G312を張掖(チョウエキ)市へ向かう242Km。昔の旅人から「金の張掖、銀の武威」と呼ばれたそうだ。武威は安くて、親切だったけれど、張掖はどうだろう。 8:00出発。永昌県までの70Kmは順調で、国道一本道だから迷うことも無い。早く目的地について、観光かセーターでも買おうと鼻歌気分。この甘い予測は高速道路の建設工事によって消えた。工事のため国道はあちこち分断され、作業場とされる。ひどい所は元々あった国道の場所を、高速道路に横取りされ、国道は別の所に移され、砂利道になっている。 10:30移動された仮設のG312には標識が無い。途中で道が二つに分かれると、どちらが国道かわからない。高速道路と平行している方が、本物かなと走る。相当走ってから高速バスも来ないし、他の車も妙に少ないと気が付いた。しかし磁石を見ると、西に向かっているのでそのまま走る。 いつもの道を間違えた時のおまじないをつぶやく。「地球は丸い、一回りすれば元に戻る…」。走り続けると周囲は荒涼とした「ゴビ灘(タン)」と呼ばれる景色に変わる。灘とはゴロ石交じりで、ろくに草も生えない賽の河原の様な乾燥地帯をいう。敦煌に近づくと、石ころが砂に変わり「ゴビ砂漠」と呼ばれる。
11:30 いつの間にか山地に入り、遠く屏風のような祁連(キレン)山脈が連なる。そこから緩やかに下る山腹は薄い緑の草地となって、所々で羊や山羊の群れが草を食べている。20頭くらいの羊が道を横切り、毛皮をまとい杖をついた羊飼いが後ろをゆったりと歩いている。カメラを向けるが、羊も羊飼いも旅人を無視して通り過ぎる。 13:30一層薄暗くなり、雨が降出すと急激に寒くなる。羊飼いが厚い毛皮を着ていたのも当然。風も強くなり道を間違えても頑固に引き返さなかったが、あきらめて退却。距離計は1,500Kmを越えガソリンも心細い。ガソリンスタンドまで戻り、往復64Kmのロス。道を聞くとG312にはさらに戻らないといけない。地方道で狭いがこの道を行けば、張掖に着くというので再出発。 荒涼としたゴビ灘の中、雨と横殴りの強風に飛ばされながら、延々2時間走り続けることになった。ヤッケでは雨が沁み込んで寒いので内側、胸とお腹の前に大きなビニール袋を2枚はさみ、首にはマフラー代わりにタオルを巻いた。もう格好を考える余裕なんてない。 この辺りには高さ2m以上ある厚い土壁が、途切れ途切れに続いている。これは「明の長城跡」で黄土を突き固めて築いたもの。長い年月でボロボロに風化しているが、所々に烽火台や城砦と思わせる高い塊があって、往時を偲ばせる。小雨の降る荒涼としたゴビ灘で、風化した土の長城は凄惨で胸を打つ。 15:15山丹県の町に着き、やっとG312と再会した。人家も木も無い所をずっと走ってきたから、緑のポプラを見てホッとする。山丹県は祁連山脈の中腹を利用した、軍馬放牧場として有名。すでに3時を過ぎて残り98Kmの表示。 19:00寒さとお尻の痛さにぐったりしながら張掖市に着いた。張掖は人口128万人、漢代の将軍が匈奴を破り、以後シルクロードの要衝として栄えた。マルコポーロも訪れた「大仏寺」等の見どころがある。本来ならまだ明るい時間だが雨のせいで薄暗い、この町はどこが金なのだろう。夕食は外の小さなレストランにする。羊肉を串に刺し、たっぷりと黒胡椒や塩をかけて焼いたもので、ビールを飲む。間違いだらけの道路選び…お疲れ。
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