中国江西省で1999年から3年余、さらに中国山東省青島で2007年から4年半の駐在員生活を体験、いつかシルクロードをバイクで走りたいと中国の運転免許を取得したダンナ(菅井普三)と、駐在先に押しかけてはバックシートに陣取って気ままに手綱をふるう主婦(菅井直子)の二人。中国の田舎を見て食べて走った日々を女性の視線で記録しようと、主婦の見たもの感じたものをダンナがまとめるという共同作業。その結果、著者名は菅井二人に。
No57
いつかシルクロードをバイクで走りたいと中国の運転免許を取得した駐在員のダンナ。駐在先に妻を呼んでは二人でバイクにまたがり風になる。その様はまさにフタコブラクダ。中国の田舎を見て食べて走った、普段着の中国の記録。



内モンゴル、71年目のおもかげ 5
2012年4月25日(水):樹林招鎮→包頭→樹林招鎮



 モンゴルに来たらパオに泊って、草原を馬で走りたい。しかし4月は時期が早すぎるというし、包頭から一番近い観光草原公園まで300Km以上ある。包頭市内に「成吉思汗草原生態園」という公園があり、パオの中で民族舞踊を観ながら、食事ができるという。運転手さんに公園の正式名称を言ってもわからない。彼が会社に電話して聞いたら「草原公園だけど、草なんか無いよ!」との返事。実際公園の草は薄く緑色をしているだけ。包頭は北緯42度、函館、釧路と同じ。まして平均海抜1,000m以上、大陸奥地ではやはり寒い。
 「こんな寒いところで、お義父さんの仕事は何だったの?」と聞くと、ダンナは「わからない」。お義父さんは自分のことを、何も言わない人だった。お義母さんが「警察指導官という名だった」と言っていたことが手掛り。内モンゴルは満州と同じく、日本関東軍の後押しで、1939年チャハル部の徳王が蒙古連合自治政府を建てたが、これに反政府、反日の活動が起こった。
 日本軍と中国軍との正面の戦いと並行し、お義父さんは軍人ではないけれど、現地民を指導して治安維持や、情報収集にあたっていたのかもしれない。お義母さんが断片的に話した事から想像するだけ。「匪賊の討伐に行って、何日も連絡が取れなくて、死んだかと思った」。「日本軍にニワトリを盗まれたと泣きついてきた農民に、これでかわりを買えとお金を渡していた…」。やっぱりよくわからない。
 草原公園の林の中に、いろいろな形のパオが建っている。中をのぞくとテーブルがあり、正面にチンギスカンの肖像画が掲げられ、観光客用に作られた個室レストラン。それならと外観は宮殿のようなレストランにした。正面舞台上の民族舞踊や歌、民族楽器の演奏を鑑賞しながら食事をする。3人で羊肉串焼き、辛い蕎麦、肉団子と春雨の煮物、キクラゲなどの野菜料理を食べ180元(2,520円)。従業員が民族衣装を着ているほか、どこがモンゴル料理なのかな。

成吉思汗草原生態園のパオと少しだけ緑の草地
 包頭の町をよく知ろうと、市政府前でタクシーを降り、いつもの運転手さんに700元(9,800円)を渡して別れた。包頭鉄道駅、新華書店、商店街などを歩いて疲れた。困るのはおトイレ。駅ならトイレがあると考えるのは日本人。包頭駅では誰でも使えるトイレは見つからない。次に浮かぶのは喫茶店とコンビニ、これも駅前をウロウロして見つからない。
 二人とも赤い点滅レベルとなって「もういい、タクシーに乗ろう」とダンナはタクシーをつかまえる。市政府前の公園に公衆トイレがあった事を思い出した。やっと着いてもトイレは反対側、走ったら危険なので、落着き払った顔で歩く…。至る所喫茶店とコンビニがある日本の便利さは、外国に来るとよくわかる。戦利品は新華書店で地図、土産物店で68度の馬乳酒を買った。包頭が中国の他の町と違う、モンゴルらしい所は結局見つからなかった。
 「こんな奥地で終戦を迎えたら、日本に帰れないわね」。「本当、上の二人は良くて残留孤児、私も生まれてないと思う」。この地で5年目、お義父さんの病気が重くなり、同じ死ぬなら日本でと、終戦の半年前に帰国した。来た時と同じ道を、病人と1歳と3歳の子供を連れて、トランク一つで帰る。
釜山から下関までの船は、戦況が悪化して潜水艦に沈められる事が多くなり、灯りを消して夜間に航行したという。冬の海では、できるだけ多く服を重ねたほうが助かると教わって、真っ暗な船の中で、あるだけの服を着せたそうだ。運良く故郷に帰ったけれど、病気のお父さんと二人の子供をかかえ、その後の奮闘は、内モンゴルで鍛えられた「なんとかなる」根性なのかな。
 ホテルに帰ってダンナは反省しきり。68度の酒を馬乳酒だと思って買ったけれど、本来馬乳酒は1〜3%。「草原烈酒、悶倒驢(ロバも悶えて倒れる)」などと書いてあったので買ってしまった。バイクのレンタルも無いし、4月は草原観光には早すぎた、みんな事前調査不足だった。何より両親の事は70年前だから、はっきりしない事だらけ。それでもお義母さんの話の断片も、現地に来てみれば、ずっと身近に感じられる。




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